第二十一話
〈 天の世界 〉
真白の神は、一緒に水鏡をのぞきこんでいた紅姫が、やはり気になるのか、ソワソワと立ち上がり、あちらの世界、つまるところ、ボロボロの“伍”が自分を、呼び出すであろうと思い、小さく息をして、空に上がろうとした瞬間、彼は、彼女に向かって、なにかの“呪”を唱える。
かっと目を見開いた紅姫は、裳唐衣の十二単ごと、寝殿の床に手足を、金色に光る矢に、床に縫い留められていた。
コポリコポリと、紅色の血が、貫かれた手のひらや、袴の下から滲み、湧き出していた。
「誰が手を出してもよいと言った?」
「…………」
面倒くさい……紅姫を、そんな様子で縫い止めた彼は、「鎮座」そんな姿で、部屋の隅に飾ってあった「組紐をかけた桐の箱」を手に取ると、中から丁度、桃よりも、ふた回り大きい、そんな「桜色の玉」を取り出していた。
「そ、それは……」
紅姫が首だけ向けて、発した言葉に、真白の神は、意外にも答えをくれる。
「桜姫の宝玉、しかも特別製の、すべてを見通す龍の宝玉……」
「…………」
しかしながらソコには、なにも映ってはいなかった。
「あの龍の姫君が……おのれ自身をなくし、まさに「龍」、「聖なるけもの」になったときにこそ、発動するシロモノではあるがな……」
そう、たとえば、「大切な何かを、目の前で失った」そんな状況に陥り、自我を失ったときなどにな……。
真白の神は、愛おしそうに、桜色の宝球に頬ずりながら、水鏡を見ていた。
「最古の龍の姫、最後に残った、正式なる公主……はっ! しょせん“神獣”、ただのケモノでしかないのにのう。早う、本物になって、楽になれ……」
しかしながら地上では、金色の大蛇が血溜まりに、どさりと倒れてはいたが、真白の神が、「贄」として選んだ“伍”が、残りのふたりと共に、案外、一生懸命に松葉の武将と、向かい合っていたのである。
「時間が掛かるのう……いつになったら、余のモノになってくれるのか? そんな風に、なぜに、おのれから、永久に傷つき、後悔に苛まれることを選ぶか? そうして、おのれの神聖さを守るのが、そなたの矜持とやらか?」
真白の神は、退屈ながらも、姿を保つ桜姫をながめて、愉快そうにしていたが、そのお楽しみは、長く続かなかったのである。
なぜならば、彼の行いの報告を受けた雷公が、娘である紅姫を案じて駆けつけ、文字通り「雷を落としていた」から。
轟音と共に雷が落ち、真白の神を残して、周囲は、禍禍しさを備え持つ稲妻の力で、黒く焦げていた。
「なにをする!? 余は、そなたの仕える神ぞ!?」
「わたしは、甘やかすだけの臣ではなく、あなたの社稷の臣でありたいと思います」
「むっ!!」
「紅姫、かわいそうに……」
雷公は娘の呪縛を、あっさり解くと彼女を抱き上げて、焦げた紫宸殿の床で、ふてくされている真白の神を含めて、黒焦げ紫宸殿を、振り帰りもせずに、その場をあとにしていた。
「父君、父君は、なぜ、あのような神を……」
「それ以上は言うな……」
自分のやかたに、連れ帰った紅姫の手当てを、女房に任せ、そう娘に返事を返した雷公は、その場をあとにすると、見るでもなく、目の前に広がる広々とした庭にある、大きな池に視線を落とし、やはり下界の騒動を見ていた。
「公主殿は、大丈夫だと思いたいが……さてはて、どうしたものか……」
「うかつにも……申訳ございません……」
彼の眷属である、老松大明神が、かたわらで畏まっていた。
「あの方は、いささか、ひとつのモノに、執着し過ぎて、思いつめるところがあるゆえな……そなたでは、止められまいて……」
「は……」
池に写る桜姫の表情は、うつむいていたので、あまり分からなかったが、思ったよりも、人である陰陽師たちは、松葉の武将を相手に、まだ奮戦していた。
「ほう、人に、かような者たちが、まだ、残っていたとはな……」
「いま、彼らを欲しいと思いませんでした?」
「うん? あ、少しな……しかし、もう手一杯。残念である……」
「…………」
真白の神とは違い、多くの眷属を抱える彼は、そんなことを言いながら、静かに下界をながめていた。そうこうしていると、案の定、眷属の数人が駆け込んできて、彼に、わ――わ――言いながら、裁可を願い出ていた。
「…………ひとりづつ話せ」
彼は多忙であったのだ。
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