第十九話 

 ゆき届いたこざっぱりとしたやかた……もとい、『妖・あやかし』のやかたに、日も暮れかける頃、しとねの上で、ようやく目を覚ました桜姫がいた。


「“伍”は、どこへいきやった?」


 桜姫は、まわりをキョロキョロ見渡すが、彼の姿は影も形もない。


「まさか……ひとりで、を食べているのではなかろうな……独り占めするなど、いやしいにも程がある……」


『ここまで一番大変な思いをした自分を差し置いて!』


 桜姫は、そんなことを考え、機嫌の悪い顔をしながら、誰かに呼んでこさせよう。そう思い、人の大きさになって、御簾の向こうへ出ようとしたときであった。小さな“伍”の声が、聞こえた気がしたのは。


「うん……?」


 いまのは悲鳴だったような? 


 桜姫が目を閉じて“伍”の気配を探していると、なにもない、だれもいないはずなのに、降りていたはずの御簾が、知らぬ間に巻き上がっている。


 はじめは気のせいかと桜姫は思ったが、胡乱うろんな気配を感じ、そ知らぬふりで、周囲の気配を探ると、十二単じゅうにひとえの袖に隠れて見えなかった、手首に巻きついていた金色の蛇を、なにもないはずの御簾の下に飛びつかせた。


「痛っ! わたくしの美しい顔が!」

「なにが美しい顔じゃ! 比類なき尊く美しい存在である、わらわの前で、おこがましいにも程がある!」


 どうしたことであろう……なにもなかったはずの御簾の下からは、悲鳴と共に、じわじわと蛇に噛みつかれて、顔の傷から血をしたたらせている、額になにやら分からぬ骨を巻きつけた、青白い顔の女が、同じように額に骨を巻きつけた手下を連れて、姿を現わしていた。


「ほう……そなた“白狐の呪い”を使いよったな。まともなやからではないのう……」

「…………」


『白狐の呪い』とは、白狐を祀り、その狐を殺して、顔の骨を額に巻いて、おのれの姿を消す術であった。


 女とその手下たちは、その禁断の呪術を使っていたのを、桜姫に見抜かれたと知ると、早く始末をつけねばと、用心しながら、彼女を遠巻きに囲む。


 骨を額に巻いて、他を率いる女は、この村よりももっと奥まった、小さな村落の生まれで、まだ赤子であった時分に疫病で父母を失い、哀れに思った神社の神官が、巫女みことすると言い、実子として育てられた女であった。


 それからは、尊きやしろの娘として無事に育ったが、哀れに思うあまり、甘やかしが過ぎたのか、やがて巫女として、神事を補佐する立場についたものの、毎日変わらぬ、つまらない生活に、飽き飽きしていた。


 そんなある日、都へ向かう途中らしき、華やかな貴族の一行が、神社へ参拝したときに、貴族のひとりが彼女を、「雛に稀みる美しさ、これほどの美しき存在は、都の姫君にも、なかなかおるまいよ」などと褒めたたえ、惜しまれつつも、この里から去ってしまっていた。それからというもの、彼女は、取り憑かれたように、ひとつの願いを持っていたのである。


「わたしは、美しく、その上、この由緒ある神社の出自、この凡庸な里を捨て都に出れば、きっと、かぐや姫よりも、素晴らしく、わたくしに相応しい生活を送れるに違いないのに……」


 そんなことを考えていると、ある日、社からさほど遠くない、質素なわび住まいから外を眺めていると、空からふみが一枚、はらはらと落ちて来たのである。


「百の命を平らげ祠に祭り、その身を捧げれば、そなたの望み以上のことを、叶えてやる」


 そう書かれた神とも思えぬ、怪しげな存在からのふみが……。


 その先は、一枚、また一枚と、毎日届くふみを、うす気味悪くながめていたが、捨てる勇気は、たったひとつの希望は、捨てることはできなかった。


「…………」


 はじめは恐る恐るであった。


 みなが寝静まった夜更け、身寄りのない者や、通りがかって、親切をよそおって泊めた旅人で、書庫で調べた禁忌の呪法、『白狐の呪い』をためし、ふみが示した、自分が住まう小さなやかたの庭の片隅に祠を作り、なきがらを置くと、そのなきがらが吸い込まれて消えるのに恐怖していた。


 しかし、繰り返すうちに、どうせ引き返すことも出来ぬと、女は大胆になってゆく。


 さらなる術で、村のよからぬ輩を、傀儡くぐつとして使い、夜な夜な出歩く人をさらわせ生き血をすすり、亡骸を捧げ、あるいは、ひとりで遊ぶわらしを連れてこさせ、食い散らし、それもにえとした。


 昼間は変わらぬそぶりで、社務所へゆき、神への奉仕を、表向きは完璧に勤める生活。


 そして思いつく。


祝詞のりとを入れ替え、この村すべてを、残らずひと息に、平らげる方法を……』


 自分を育てた、老いた神官は、なんの疑いもなく、うまうまと策略に乗ってくれ、あとひと息と、ほくそ笑んでいたところに現れたのが、都の陰陽師と、知らぬ間に現れた、目の前にいる、どこか酷薄な空気をまとう、自分よりも遥かに美しく、どこまでも高慢な女だった。


「あとふたり……それも極上の贄……」

「……なんの話か知らんが、そなた“伍”を、どこへやった?」


***


 そのとき、空の上では、しぶしぶ自分の仕事を終えた真白の神が、骨休めの余興とばかりに、その光景を覗いていたが、桜姫は気づいていなかった。


 真白の神の口元から、身勝手をのせた美しい声が零れる。


「なんじゃ、この組み合わせでは、姫君の遊び相手にも、ならぬではないか……」


 切り分けられ、溶けぬ氷の器に、品良く盛られた、水蜜桃を横に、水鏡に映る光景を見ていた“余計なことしかしない”真白の神は、庭先で銀色の松の枝ぶりを、真剣に悩んでいた、雷公の部下である『老松大明神』のところへ、女房を使いにやる。

女房に耳打ちされた彼は、ひどく嫌そうな顔をしていたが、やがて銀色の松葉をひとつふたつ懐紙に包んで、真白の神へと持たせ、受け取った彼は、なにかを唱えながら、姿を変えたソレを、水鏡へ投げこんでいた。


「ほっほっ、これでどうなるか、少しは見ものじゃのう……」

「儀式の時間が……それに、もう少しくらい、他にすることがあるのでは?」

「少し待て……」


 上げた御簾の向こうには、父に急かされてやって来た紅姫が、少し困り顔をして、そんなことを言っていたが、真白の神に「困った顔も美しいのう……それに、そなたにお呼びがかかるかも知れぬぞ?」そう言われ、少し頬を染めた彼女は、呼ばれるままに、彼の隣まで、いざり出ると、口元に十二単の袖をあて、興味深げに水鏡を覗いていた。


「あらあら……」

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