第十四話

【前説・軒廊御卜こんろうのみうら土公神どこうしん


帝付きの陰陽師、蔵人所陰陽師くろうどどころのおんみょうじは、天皇が住む内裏で起こった怪異、事変を内裏にある紫宸殿の東の軒廊こんろうで、ときの神祇官と同時に、占いを行わねばならなかったが、この度の大火を予想できなかった責を受けた上に、出火元がではないかという疑いもあり、いままでいた蔵人所陰陽師くろうどどころのおんみょうじのすべては、既に職を解かれていた。


なお、現時点の蔵人所陰陽師くろうどどころのおんみょうじは、いまのところ守るべき内裏が消失しているので、とりあえず里内裏さとだいりの一画に、陰陽寮から出向した陰陽師が、輪番制で勤務していた。


***


土公神どこうしんとは、陰陽道の神のひとりで、土をつかさどり、地中にいて季節によって移動する基本的には伏せたままの龍で、もちろん家の向きにもよるが、春はかまど、夏は門、秋は井戸、冬は庭にいるとされている。その場所にいる時に土をいじると、機嫌をそこねて災いが起こるとされ、この神の機嫌をそこねないように、『土公祭』を行う必要があるとされていた。



***



〈 里内裏さとだいり 〉


「か、か、怪異じゃ――! 蔵の米俵やらなにやら、すべてなくなっておる!」


 里内裏さとだいりの一画で、陰陽寮から出向してきた陰陽師は、駆け込んできた右大臣のところの使用人に話を詳しく聞いてから、占いの準備を進めつつ、内心ではため息をついていた。


『ただの盗難じゃないのかな?』


 職務にそう熱意もなく適当に占った彼は、なんとなく、うっすらとした人ではない者の気配を感じたが、早く家に帰りたかったので、それを黙殺すると、「盗難ですな」そつのない顔でそう言い、「検非違使所にご相談を……」そう言い置いて、定時になったので、宿直とのゐの担当に代わり、里内裏から帰るべく、あと片付けをしていた。


『五条大路での騒動』も知らず。


***


〈 場所は再び五条大路の向こうにある市場 〉



 日も落ちそうな夕暮れ、立ち並ぶ市場の堅く閉じられた板戸には、新しく売りつけられた『災難よけの札』がぺたりと貼りつけられていた。


 それをじっと見ながら、再びここにやって来た“伍”は、先日 “六”から聞いた話と、桜姫のことを思い出す。



『 殿 』



 彼は、かの姫君が、そう呼ばれる身分であること、なにかしらの理由があって、姿を隠しているであろうことを、僕に教えてくれていた。


「なんぞあったらすぐに言え、見ていて危なっかしいからのう。大きな願い事は一回じゃぞ?」


 それなのに、そんなことを言って、いままでの礼だと自分を呼び出す『呪札』をくれた、少し照れ臭そうな桜姫を、彼は絶対に呼び出してはならないと、天性のカンで感じていた。


『誰かから身を隠している姫君』


 桜姫のことを考えていると、遠く向こうの方から、大勢の部下のような者たちを従えた、うす汚れた元、蔵人所陰陽師くろうどどころのおんみょうじころもを着た、先だっての男、かつて黒志岐くろしきと呼ばれていた男がやって来るのが見える。


「おやおや……だれかと思えば……誰だったか?」

「できそこないの真白陰陽師殿では?」


 そのやりとりと共に、どっと笑い声が響く。


「……黙れ」

「なにか言ったか?」


“伍”が、なにを言ったのか、聞こえていなかったのか、聞こえないふりをしたのか、黒志岐くろしきは、嘲笑を交えた口調で、彼にそう答えたが、次の瞬間、まわりに立ち上がった光の壁に目を見張る。


『光の方陣』


 この高難度の方陣は本来、現れた怪異や妖怪からの被害を、周囲が受けぬように、高位の陰陽師たちが、彼らの周囲を取り囲むのに、立ち上げるものであったが、なんの“しゅ”も唱えずに、この場にいきなり現れたことに、囲まれた彼らは驚きを隠せない。


真白陰陽師ましろのおんみょうじ


「ほう……ただの落ちこぼれではないということか……」

「しかし、我らを閉じ込めたとて、その先はどうする?」


 黒志岐くろしきのとなりにいた男は、いささか、うろたえはしたものの“伍”が、自分が作り出した式神を相手に、苦戦しているのを見て鼻で笑う。たしかにこの『おり』は、自分たちでも破壊できるかどうか分からぬほど、堅牢な物であったが、目の前の出来損ないには、そこまでで精一杯の様子であった。


「きさまを片付ければ、少しは別当殿も我らの大切さが、内裏にも分かろうというもの……」


 今度は代わりに、黒志岐くろしきが、呪符を手に唱えていた“しゅ”が終わる。呪符からは、赤や青の煙がゆるゆると空に上がりだし、彼がとらえて使役している怪異が現れた。


 汚れを含んだ禍々しい空気をまとう、三本のねじれた角を生やす鬼のような存在。それは先だって彼が、大和国やまとのくにで捕まえた妖怪であった。


「なぜそのような存在がっ!?」

「……実力の違いかのう? 居ね!」


 命の危険を感じた“伍”が“紅姫”に、最後のお願いをするかどうか迷っていた瞬間である。

 桜色の稲妻が、彼の結界を突き破って現れたのは。


“伍”は、まったく気づいていなかった。この平安京にいるはずのない小さな『龍神』が、さかずきで顔を隠して、彼のあとを追いかけてきたことに。


「あなたは桜姫……!」

「そんな、はかなげで美しい姫君は知らん!」

「……あの……では、どちら様で?」


 なにか考えているのか、じっと地面を見て顔を隠していた“さかずきかぶり姫”は、地面に手をあてながら、「気にするな、通りすがりの龍神じゃ……目の前の鬼は邪魔でしかたがない」そう言って、地面に小さな手をあて、なにかを語りかけている。


「無視するつもりか……“龍”と名のつく神であるのならば、わらわの気が短いのを知っておるな……ひい、ふう……」


 三つ目を数えることを、“さかずきかぶり姫”はしなかった。甘い花の絡まるような愛らしい声で、なにやら恐ろし気な呪文を唱え出すと、あっという間に、その小さな手のひらをつけた地面にひびが入りはじめ、地面からごぽりと水音がする。


 この京の都には、ありとあらゆる地下に水脈が走り、彼女はその水脈を『破壊する呪文』を詠唱しはじめていたのである。


 みるみるうちに、周囲に白い陰りが広がってゆく。するとどうであろう、地面からは、しわがれた声が聞こえ、小さな茶色い衣を着た白髪の老人が現れていた。


「……だれじゃ、わしの眠りの邪魔をするのは……こ、これは……! あなたさまは!?」

「黙れ! わらわの名を呼ぶな……土公神どこうしん、そなたの身の上で起こっていることはすべて知っておろう? 始末せい。そなたの怠慢じゃ……」

「…………」


 土公神どこうしんは、いま自分の身に起きた出来事に、大いに驚きながらも、しばらく考え“さかずきかぶり姫”の鬼より怖い顔を、下からながめてから、逆らわぬが『吉』そう思うしかなかった。


 彼は、荒らされた自分の住む『地下の世界』の乱れた水脈にうんざりし、本来の自分の姿である『土龍』の姿になると、彼女があごで指示した人と紙の群れを、片手でわし掴みにして、地面の中に再び戻り、『公主殿』に荒らされた寝床を元通りに直して、再び眠りについた。


 この間の人の世界の騒動に、先日、頭上を通り過ぎた『畏れと祟りの世界』の巡行、土中に落ちて来た僧侶のなれの果て、関わりたくないことだらけである。彼は、静かに伏せてゆるりと暮らしたかったのである。


***


〈 呪いのやかた 〉


「で? 結局、お前はなにしていたの?」


 “弐”は、しゃもじで鍋をかき混ぜながら、帰って来て、膳を運んできた“伍”の方に顔を向け、無遠慮な口調で、市場での騒ぎの結果をたずねる。


「……えっと、いままでできなかった結界を、無詠唱で張れるようになりました!」

「あれだけ“四”が教えても、一回もできなかったのに!?」

「は、はいっ!」


 それからふたりは、遅い夕餉の膳を運んでいたが、やはりまた碁盤を囲んでいた“参” は、複雑そうな“四”に、慰めの言葉をかけていた。


「十回の稽古より、一回の実地というではないか」

「…………」


 無詠唱の方陣の出し方を“四”は、何十回となく“伍”に教えても、彼は教え切れていなかったのである。


 それから遅い夕餉をみなで食べていたが、『さかずきかぶり姫』の正体は、誰も知らないことになっていた。


「なにがあったか知らんが、わらわは一回しか願いを、叶えてやらぬからな!」

「はい……」

「「「「「…………」」」」」


 “伍”をはじめとした真白陰陽師たちは、少しくちびるを嚙みしめ、笑いをこらえてから、ぼんやりとした灯りに包まれた寝殿で、桜姫のお代わりの回数を賭けつつ食事をしていた。

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