第十一話

〈 呪いのやかたにある御殿飾り 〉


「姫君、そんなに飲まれると、明日に差し障りが……」


 事情を理解した桜姫は、すぐさま放り込まれた御殿飾りの中で、頭の上に花々を載せた小さな女房たちが、彼女を取り囲み、オロオロするのも構わず、持ち込んだ白酒を、まるで、いまでいうところの、大相撲の優勝会見のように大きく見える、普通の人間サイズの漆塗りの盃で、浴びるように酒を飲んでいた。


 やけ酒である。


 外は檳榔子びんろうじ色の黒、中は鮮やかな緋色の盃には、桜姫の“呪”で、何度も何度も酒が湧きだし、外から聞こえるなにやら、明日の打ち合わせらしき言葉を聞き流しつつ、彼女はひとり愚痴を言いながら、飲み明かしていた。


「は――外の声が気になって、楽しい気分になれぬ……そうだ、螺鈿らでんの君を呼ぶか……」


 彼女は、はたと思いつき、自分と一緒に蔵に閉じ込められていた、まだ蔵にいるはずの同じく三位さんみくらいを持つ螺鈿の君を、女房の梅の花に呼びにゆかせる。


 しばらくすると、外のぼそぼそとした話し声は聞こえなくなり、紅色の単衣ひとえの袴に、うすく光る白の艶々した単衣、その上に、み空色、紫鴉しそら藍鉄あいてつ、さまざまな濃淡や色を見せる中にも、実に高雅な色がかさなりあったうちぎを、幾重にもかさねて、螺鈿のほどこされた唐衣からぎぬをまとった、桜姫とは違い、白菫色の髪の至極冷たい美貌の、花を頭に咲かせた女房に、琴を持たせて従えている、やはり小さくも高貴な女君が現れた。


螺鈿らでんの君』である。


「おやおや、食い意地に負けて、蔵から出てゆき、今度は、いきなりの呼び出し……一体どういうことかと思えば……」


 頭に椿の花を載せた女房が、ことを抱えたまま、「かくかくしかじかで、ご心痛のあまり……」などと、彼女に『妖怪退治』のことを耳打ちしていた。


 螺鈿らでんの君は、またもや盃を開けている桜姫に視線を送り、少し面白そうな含み笑いをする。


「いくら、二位からの命とはいえ、そもそも我々は摂理を超えた存在。無視をすればよいのに」と、向かいに用意された畳に座りながら、檜扇で口元を隠しながら、彼女にささやく。


 桜姫は、ちらりと螺鈿らでんの君を見ると、少し複雑な顔をして、「ちょっと理由があってな……」そんなことを言い出し、この人の世に現れてから世話になっている“伍”のことを話しだした。


「……ほほほ、それこそ紅姫のように、なにかその“伍”とやらに、一、二度、助けの手をやれば、よいではないのですか? なに、その“六”とやらが、いくら腕が立つと言っても、われら三人にかなうものではないでしょう」


 下敷き事件を聞いても螺鈿らでんの君は、至極まっとうな意見を述べ、まだ蔵で眠りについている『天藍てんらんの君』のことを言いながら、うっとりするほど美しいことをかき鳴らしはじめ、桜姫は首を傾げると、しばらく少し考え事をしていたが、桜の女房に硯と料紙(紙)を用意させると、なにやら、さらさらと書き物をして、“伍”に届ける用に言いつけ、そのまま畳の上で脇息に持たれながら、螺鈿らでんの君の演奏に耳を傾けながら、いつの間にか眠りについていた。


***


〈 翌朝 〉


「恩返しがお願いできる料紙?」

「はあ……桜姫が……」

「やはり今日は、愛宕郡おたぎごおりに来ぬつもりだな?」


 質素な朝餉を食べながら“伍”は他の陰陽師に、昨夜、花の女房が持ってきた桜姫の呪札とでも言うべき『料紙』の話をしていた。


 御殿飾りからは、まだ酒の匂いが漂ってくる。桜姫が起きてくる気配はなかった。


「……ふうん、そういうつもりか」


 “壱”はそう言うと“伍”になにか考えのある視線を向けていて、視線の先にいた“伍”は、必至で視線を逸らしていた。


「こっちを向け。そうかそうか、このような強力なモノを持っているならば“伍”には、別の仕事に行ってもらおう」


***


〈 昼過ぎの御殿飾り 〉


 ようよう起きて来た桜姫は、まあ“伍”にやったご褒美は、他の陰陽師もいることだし、お守り替わり。何事もなかろうと、のんびり隙間から見える綺麗な庭を見ていると、慌てた顔で、椿の女房がやって来る。


「“伍”の陰陽師ですが、姫君の強力な守りがあるのだからと、他の怨霊事件に回されたそうです! なんでも、とても酷い者どもが、街中に集まっているとか……」

「……呪札は一枚しか渡しておらぬぞ?」

「ええ、そうにございます! もし桜姫を呼び出しなさっても、あの方の実力では……」


 桜姫は眉を寄せて、両手をこめかみにあて、しばらく考えていた。目の前には女房たちが、いそいそと片付けようとしている、昨夜の顔よりも大きい盃。


「……片付けを少し待て」

「は……?」


 桜姫はおもむろに立ち上がると、女房たちに旅の時に着る壺装束を持ってこさせて、着替えを急かして整えさせ、その盃をさかさまに返し、市女笠よろしく頭にかぶって顔を隠す。


「ちと散歩に行ってくる。正体がバレると、面倒だからのう……」


 あとでその話を聞いた螺鈿らでんの君は、うっすらと上品に、訳知り顔でほほえんでいたが。


『なんという同僚じゃ!』


 そう、結局“伍”のことが心配になった桜姫は、まんまと“壱”の計略にかかり、変装? をして、呪いのやかたから、飛び出して行ったのでありました。

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