第十話

【前説・大内裏(霞ヶ関)における官庁と官位、そして蔵人所くろうどどころ


 このざっくりとした平安時代での官庁と官位は、主に二官八省で構成され、太政官、神祇官、そして八省からなり、蔵人所くろうどどころは、その中に属しない令外官司りょうげのかんしのひとつです。


 令外官司りょうげのかんしとは、元は二官八省の令制官職の不備を補うため、臨時に設置されたものであったが、蔵人所くろうどどころは、帝に直接対応する職務も多く、必然的に、その地位や情報収集能力は、まつりごとを実質的に扱う八省の中でも巨大な権力を握る中務省にも迫るものになってゆき、内裏内に部署もあることから、やろうと思えばすべての政治的組織の上に立つ太政官よりも権力を握ることすらできる。そんな危うい力を持つ存在でもあった。


 が、前世の行いがこの世の生まれ……そんな風に絢爛豪華な王朝文化にどっぷりつかったこの世では、どちらかといえば大貴族の子弟たちの、通過儀礼的なポスト、名誉職であり、世間からの見立ては、『映える貴族の揃った帝や後宮の警備担当 兼 簡単な秘書室』であった。


 いまのところ……。


***


「ほう…… “深緋こきひの姫君”か……」


 あっという間に、呪縛の“呪”をかけた料紙からでてきた桜姫は、声のした方に胡乱うろんな視線を向ける。彼女の周囲には、警戒心をあらわにし、鎌首を持ち上げた“金色の蛇”。


「なんじゃそなた? わらわは三位さんみくらいを持つ“深緋こきひ”に宿りし龍神の姫君なるぞ。ちと頭が高いのではないか?」

「さ、桜姫! その方は!」

「人の身である公卿など、なにほどのもの……おや? そなたどこかで……そなた蔵人所くろうどどころの別当(長官)ではないかっ……」

「よう覚えていらした。ならばご存じであろう? わたしのくらいは二位だ」

「~~~~」


 その畳を寄こせと、上座の公卿に向かって偉そうにしていた桜姫は、むっとした顔をして、どう言い返してやろうかと思案する。


 そう、とある公卿とは、内裏で、ひと際に輝ける存在との呼び声も高い『蔵人所くろうどどころの別当』であった。


 本来であれば、左右の大臣のどちらかが兼任しても、おかしくない地位でもあるが、ここ数年、大臣たちは諸事情もあって、先帝の女御の弟であり、さして欲もなく蔵人所くろうどどころ蔵人所くろうどどころの頭(次官)をしていたこの男に、別当の地位を任せていた。


「ふん! 二位がどうした。わらわは聖なる龍神の姫君……まて、やめろ! やめさせろ! また、わらわを下敷きにするつもりか!?」


 視界の隅に見える、まるで、美しいの山の景色を移したような、広大な庭にある築山と呼ばれる山に模した物が浮かび上がり、さっと視線を向けた先にいる“六”は、なにかブツブツと“しゅ”を唱えていたのだった。


『下敷きは二度とごめんじゃ!』


 桜姫はひょいと飛び上がると、またカゴの中に隠れて、隙間から別当をにらみ、大いに腹を立てていたが、それでもまあ“壱”が「京とはおさらば」と言っていたので、『呪いのやかた』の持ち主であるこの男との話が終われば、もう終わる話だと思い、カゴの蓋をしっかり閉めると、中にあった油で揚げた、唐菓子と呼ばれる菓子を、かじっていたが、やがて満腹になり、うとうととまどろんでいると、いつの間にか揺れ出したカゴの感覚に、「これで京とおさらばじゃ」そう思いながら、のんびり昼寝をしていた。


***


〈 数刻後 〉


「……どういうことじゃ? ここは元の“呪いのやかた”ではないのかえ?」

「……気のせいじゃないですか……わっ! いや、ほら、先程の別当との話を、聞いていなかったんですか!?」


 巨大化してゆく金色の蛇に“伍”は大いに焦りながら、御殿飾りから出てきて、顔を真っ赤にして、腹を立てている桜姫を、なんとかなだめようと、必死で説明をしながら説得をする。


「別当が自腹で雇ってくれた? 京に大和国(奈良)からやってきた妖怪を退治するために? で、旅に出るのをやめて、このやかたに戻った? 家賃も半額に……?」

「そう! そうなんです! そういうことなんです! 椿餅つばいもち食べます? 特別に頂いてきた……」

「よこせ……うまいなこれ……」


 甘葛煎あまずらせんと呼ばれる、この時代には貴重な甘味料が、たっぷりと加えられたそれは、桜姫の好物であった。


「……しかたないのう。それではこれからは、そなたら妖怪退治に頑張るのじゃぞ……このやかたは、わらわが留守を守ってやるゆえ」

「桜姫にも“命”が下っております」

「……え?」

「一応は“三位さんみくらい”なので、退職同然の僕らとは違って、怨霊討伐の命が出ましたから」


「……え?」


「奈良の壊れた鬼門の修繕が終わるまでのことなので、そう心配ありませんよ」


 ぽとりと椿餅つばいもちが、桜姫の両手から床に落ちた。


『鬼門の修繕が終わるまで』


 簡単に言うが、それは最終的に、あの鬼門を壊した“あやつら” 『畏れと祟りの世界』の真白の神を倒すなり、話をつけるなり、どうにかするしかない訳で……わらわがどうこうできるものじゃ……。


「え――、わらわ、小さい姫君だから、やっぱり留守番していようかな? “三位さんみくらい”は槍のものだから、あの槍を持って行けば?」

「嫌とは言わせんぞ? どうしても嫌だというなら、そなたの依り代である“深緋”をへし折る。どうなるか楽しみだな?」

「そなた! わらわを殺す気かっ!? あっ! いや、その、なぜその秘密を知ってっ……」


 蔵人所くろうどどころの別当、源春嗣みなもとのはるつぐは、帝のお側近くで控える部署の長官だけあって、内裏にある図書蔵の資料にも精通しており、まるで『出来損ないの御伽噺』のような、桜姫の存在と、その大まかな色々にも精通していたのである。ゆえに、彼は桜姫の一番の弱点を知っていて、彼らにソレを伝えていた。


「明日の朝には愛宕郡おたぎごおりに出かける」

「~~~~~~」


 御殿飾りに逃げ込もうとした桜姫は、無情にも捕まった“六”にそう告げられてから、心配そうに、小さな御殿から、「事」の成り行きを見守っていた花の女房たちに、ぽいっと投げ渡されていたのであった。


 以後、桜姫はなるべく目立たないように、妖怪退治に参加することに、あいなったのでございました。

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