第九話

〈 呪いのやかたの家主である某公卿のやかた 〉


「失礼ね! あんなの恋人じゃないわよ! ただの知り合い!」


 母屋の端では女房や、内裏から下がって来た高貴な方々に付き従う女官が、公卿たちの話し合いをこっそりのぞきつつ、小声でひそひそと話をしているところに、小さな影がふたつ、そろりそろりと近づいてくる。


 彼女たちは、汗衫姿かざみすがたと呼ばれる、まだ成人をしていない貴族の少女たちが着る十二単じゅうにひとえによく似た、特段に美しい衣装で、その装いからかなりの身分の姫君たちだと、誰が見てもすぐに分かった。


 手にきれいな雛人形を持ったままの二人は、うわさ話に夢中になっている女たちの隠れている几帳を、しばらくじっと見ていたが、やがて顔を見合わせると、同じように几帳の影から、彼女たちが見ているようで、見ていない……『“伍”の横にある籠』を、やはりじっと見つめる。


「……うごいたでしゅ」

「わたくしも、うごいたと そうおもいましゅ……」


 そう、彼女たちが見ていたのは、籠のふたの隙間から、興味深そうに顔を出して、周囲をながめていた『桜姫』であった。


 普段ならば、乳母も女官も付き添いのひとりもなく、彼女たちがうろうろしていることなど、内裏ではありえないことであったが、とにかくこの大火の大騒ぎで、帝が彼女たちの母の実家にあたるやかたにお移りになり、里内裏となったことから、殿上人たちの出入りや、官吏の出入りも多く、気がおちつかぬであろうと、女御の姉であり、となりあっていたこのやかたに、ふたりは女御とともに内裏から下がっていたのである。


 その可愛らしい声に、さすがに女たちは少女たちに気づき、十二単じゅうにひとえのたもとで口を押えて、驚いた顔をしていた。少女たちは、帝の女御の娘、内親王である女一の宮と、女二の宮であった。


「あれ、あれ(桜姫)がほしい!」

「……でも、いちおう きいてみないと」

「かまわないわよ! ことわるはずないでしゅ!」


 小さな動く“お雛様”に夢中のふたりに、周囲の女たちの存在は見えておらず、周りが止めるのも聞かず、ふたりは満面の笑みで“伍”の横に置いてあった『桜姫の入っていた籠』に、手を伸ばしながら近づいてゆくと、間一髪、桜姫が逃げ出した籠を持ち上げる。


「この女童めわらどもはなんじゃ!? いたたたっ! “伍”わらわを助けよ!」

「……え? あの、その、それはちょっと無理かも――しれないです……」

「無理!?」


 内親王殿下を相手に、どうやってお断りをしろと……。籠の中で転げまわったあと、なんとか伸びてくる小さな手から逃げだし、周囲の驚いた視線も気にせずに、 “伍”のうしろに隠れていた桜姫は、大いに顔をしかめながら、あせる彼とそんな会話をしていた。


 横に控えていた“六”が救いの声をかける。


「内親王殿下、畏れながら、その籠に入りし女人は、このやかたの守りにとお持ちした存在。うかつに手を触れてはなりません……」

「なに?」

「なにができるの? こんなちいさな おひめしゃまに?」


「そうじゃのう……では“きん”にしてやろう」


『“きん”にしてやろう』


 その小さなつぶやきを聞きつけた“壱”は、そんなことになれば、不参どころの騒ぎではないと、大慌てで桜姫をひっつかむと、ふところにいれていた呪縛の“呪”をかけた料紙で、桜姫を丸め、次にあたりを見回すと、今度も自分の“呪”で、寝殿の隅に紐で結んであった猫を、屏風の中の絵に閉じ込めてしまう。


 それから姫宮たちの周囲でオロオロしていた女官たちに、「このままでは姫宮が絵に閉じ込められるぞ!」そう脅し、大慌てで彼女たちに、ぐずる小さな姫宮たちを、料紙に丸めてしまう前に、周囲を威嚇していた桜姫を見たあと、なにかもの言いたげな公卿に、これまた珍しく愛想笑いをして、ありったけの知恵を絞ってこの困難から脱出しようとしていた。


「……あの猫は、我が家の北の方が大層可愛がっていたのだが? この始末どうつける?」

「…………」


 かくして、彼らの京に広がる、ただ働きの怨霊退治の日々は、大いに不本意ながらも、はじまったのであった。

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