第八話

〈 桜姫が、米粒をまき散らしながら、お椀ごと床に転がっていた日の夜 〉


「不参!(無断欠勤) 今をもって、真白陰陽師ましろのおんみょうじ一同は、無期限で内裏、及び、陰陽寮に不参する! 反論は許さんからな!」


「……え?」

「なんの騒ぎじゃ騒がしい、また“弐”がなにかしでか……おや、珍しい“壱”がなにか騒いでおるぞ?」

「はて……ああ、ひょっとしたら、あのことか……」


 米粒まみれになった髪を、花の女房たちに美しく洗い上げてもらい、くつろいだ細長姿で、心配する“伍”をよそに、高欄(手すり)の上で風に吹かれて、月見をしていた桜姫は、“六”の「あのことか」その言葉に首を傾げ、ピンと来た“伍”が憶測を語る。


「“弐”が、給料日に、はしゃいでいたのを覚えています?」

「……うん? うん、まあ。“給料”がなにかは知らぬがの?」


 桜姫は、高欄から優雅に舞い降りると、当然の顔で一番上座にある畳の上で、自分の女房が御殿から持ち出した小さな脇息に持たれ、首を傾げて話の続きを待つ。


「え――と、桜姫には、少し難しいかもしれませんが、人がなにか手に入れるためには、物々交換をするとか、きんで支払うとか、とにかく、あれもこれも、タダでは手に入らないのです」

「……それくらい知っておる。で?」

「その、物々交換用の品やらなにやらを、我々は一年間、コツコツ働いて、年に二回、朝廷から“給料”という形でもらうわけなんです」

「ふんふん。それで、しょうもない仕事を頑張って勤めていると……生きるとは苦労が付きまとうものじゃのう」

「…………」


 桜姫は、最近お気に入りの白酒しろきを、これまた小さな漆塗りの盃に、なみなみとつがせて一気に飲む。満面の笑みであった。“壱”のむかつきを通り過ぎた渋面しぶつらとは正反対に。


「ああ! なにをする!」


 “壱”は、桜姫の横にあった、酒の入った大きなかめを取り上げる。


「この間の大火でですね、大混乱があったということで“弐”が、給料を受け取りに行った日、この大災害のことで、今日まで受付が遅れていたんです」


 “壱”が言うには、殿上人、つまり高位貴族からの受付であったらしい。


「……まあ、しかたないのう。しかし“黄金の女人像”があるのでは?」

「どれだけ毎日食費がかかっていると思っているのですか……もう指先くらいの“きん”しか残っていません……」

「……しかし、今日受け取れた……」


 受け取れたのであらば大丈夫ではないか? 桜姫は気軽に言いながら、恨めし気な顔で、酒の入った大きなかめを取り返そうとしたときである。かめをさっと“参”の方に投げられたのは。


「なにをする?!」

「こういうことですよ!」

「なに……?」

「受け取れなかったんです! 内裏の火事で必要経費を引いて、殿上人なんかの高位貴族の分を引いて、それから、なんだかんだ引いたら、むこう数年間、殿上人以外は無給! 数年後に分割払い!」

「ええっ!?」


 “参”が思わずかめを落として、滑り込んだ“弐”がなんとかキャッチしようとしたが、やや遅く『呪いのやかた』の中には、それぞれに思いの違う悲鳴が上がっていた。


「内裏が燃えようが、俺らの仕事は増えているばっかりなんですけど!?」

「なんで、余裕のある殿上人から、支払いなんですか?!」

「わらわの! わらわの酒――!」

「姫君、お衣装が濡れてしまいまする――」


「やかたにある酒を全部持ってこい……」

「“六”?」


 その日、翌朝まで、衣装は真っ白なのに、腹の中はどちらかと言えば、真っ黒な人物が多い真白陰陽師ましろのおんみょうじたちは、“伍”が出してきた酒の詰まったかめに囲まれて、桜姫とは真逆の『悪い酒』を飲んでいたが、やがて朝もしらじらと開ける頃、“壱”が言う通り、無期限で不参することに決め、陰陽寮の長に、その旨をしたためたふみを持たすと、『呪いのやかた』の持ち主である公卿のもとに挨拶をして『流しの陰陽師』として旅に出ることにしたのである。



〈 呪いのやかたの家主である某公卿のやかた 〉


「そなたらの給料の不払いとは……。無期限で不参……先にわたしに話を持ってきてくれればよかったのだか……しかし届け出済か。だが、いきなり京を離れるのはどうかと思うが?」

「は?」


 彼らは自分たちの生活と桜姫の面倒を見ることに追われ、京の街に広がるうわさをあまり聞いていなかったのであった。


 そして、そんな某公卿と彼らとは別に、少し離れた几帳の影でには、なにやら人影が集まり、ひそひそと小声で話し合っていた。


「こんなところまで、なにしに来たのよ?」

「あ、命婦さまの恋人……」

「失礼ね! あんなの恋人じゃないわよ! ただの知り合い!」


 母屋の端では女房や、内裏から下がって来た彼の身内に付き従う女官が、公卿たちの話し合いをこっそりのぞいていたのである。

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