第五話

〈御霊信仰〉


 御霊信仰とは、本来、畏怖され忌避される祟り神などの存在を、神として手厚く祀り、信仰することである。恩恵も災厄も、ただただ信仰次第、神のおぼし召し次第。


 代表的な存在は、『天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん/雷公らいこう/菅原道真』などがあげられる。


 彼は人として生まれ、死して祟り神となり、眷属を引き連れて、その巨大な勢力を『真白の神』と共に、神々の世界に作り上げていた。『畏れと祟りの世界』を。



〈百の神による夜行〉


 月の光も見えぬ夜空を、赤い煙を吐くほむらが立ち込め、風もないのに流れてゆく。空に浮かんだ『雷公らいこう/菅原道真』と、彼の眷属。百にものぼろう、そんな祟り神たちが巡行するすぐうしろに、赤い煙はまるで彼らの消えぬ

怨嗟えんさをあらわすように続いていた……。


 ある者は、馬の形をしたなにやら水の塊のような、透明の袋に覆われ、骨が透けて見えるケモノにまたがり、またある者は、同じように、骨の透けて見える牛が引く、豪華な牛車に乗っている。


 人の世では、天皇や親王、そして、摂関家以外には許されぬ唐車と呼ばれる、その豪華な牛車から、下界を睥睨するように見下ろす、地上にいる内親王よりも、美しく着飾った裳唐衣もからぎぬ十二単じゅうにひとえをまとい、檜扇を持つあでやかに美しい女がひとり。となりには雷公らいこう


 しゃくを手にした雷公らいこうは、黄泉がえりの術を手に入れたのか、実に冷徹な顔の青年の姿になっていた。


 濃い鋼色はがねいろの深く美しい黒のかんむりと、同じく鋼色はがねいろ二陪織物ふたえおりものの束帯姿。柄ゆきは、ほぼ同じ色目の光沢のある糸で織り込まれた、有職文様ゆうそくもんようの仕立てだが、彼のうしろに長く引く下かさねの裏地は、まるで彼が放ついかづちの炎のような緋色。


 太刀を留めるために腰に巻かれた石帯せきたいは、稲妻のような、金糸の刺繍がほどこされ、血の色をした紅玉(ルビー)がはめ込まれていた。大勢の面をつけた武官らしき者どもが、周囲を取り囲んでいる。


 となりにいた先ほどの女は、くだんの紅姫だった。彼女はさも面白おかし気な表情で、燃え落ちた内裏にまだくすぶり、空に上がる煙を、まるで今一度、火をつけるかのように、己が手にしている檜扇で風を送る。


 眼下に広がる燃えあとに、轟々とした風が吹き、豆粒ほどにみえる人間どもが、右往左往するのを、彼女は笑っていた。


「ほほほ……まこと、おもしろき光景……空からの景色は、また格別格別……よきかな、よきかな……」

「大火の宴に遅れたのは、まこと残念にございます……」


 返事をしたのは、牛車の横についていた、雷公の眷属第一神『老松大明神おいまつだいみょうじん』だった。


「お父さま、いっそこのまま、今一度、京の都を雷と炎で……」


 父を深く愛し、ゆえに彼をおとしいれた者をにくみ、その上朝廷の刺客によって、おのれ自身も非業の死を遂げた紅姫は、父である雷公が御霊信仰により、自身が神格化されて以来、その怒りを『藤原時平ふじわらのときひら』の郎党に限定しているのに対し、彼女は流すことなく、より広くすべての貴族を、いや、『朝廷そのものを』憎んんでいる。


 雷公らいこうが娘をたしなめる。


「今日は、哀れな者の“魂”を弔い、救いに訪れたのだ……慎みなさい……」

「失礼をいたしました……」


 そう言うなり、彼は、この大火で死を迎え、死した者にだけ見える、轟々と流れる三途川さんずのかわ、かけられた三本の橋のうち、良き行いをしたものが渡る『金、銀、宝』で作られ、飾り立てられた『ぎょくの橋』を落としてしまう。



 この時代、三途川さんずのかわにはまだ船はなく、それぞれの死者の行いにより、渡るべき橋が三本かかっていた。


 雷公らいこうは、橋向こうにいた御仏の使いが慌てふためく中、『ぎょくの橋』の前で躊躇していた、極楽への道を、躊躇している彼らを、よきたましいたちを、作り出した暗雲で、ひととき目隠しをしてしまう。


 周囲を囲んだ向こうからは、しばらく三途川の流れる音が聞こえていたが、やがてそれも遠のいて行った。


『そなたらの恨みは、受けた仕打ちは、彼岸ひがんを渡り、忘れてしまえるほどの軽々しいものであるか?』


 何百もの人の目には映らぬ、そして報われぬ想いを抱えたまま、空に満ち満ちていた、ゆえに橋を渡ることを躊躇していた『魂の群れ』が、その言葉に大きく揺れる。


「そうですとも! そうですわ! この身が滅び、たとえ極楽浄土のはちすの上に立ったとて、返せぬ恨み、忘れられぬ恨みはございましょう! 煩悩? 解脱? そんなもので、この阿頼耶識あらやしき(※人間の根本という考えのひとつ)を焼き尽くすような怒りを捨てるなんて、綺麗事ですわ! そんなことより……残された恨みを、別の神にささげ、晴らしていただく……そんな素敵な道がございますのよ?!」


 そう牛車の横で、愛らしい声を張り上げたのは『紅梅殿こうばいどの』そう呼ばれる、大宰府まで菅原道真を追ってきた梅の木の精であった。

 紅梅色の身の丈よりも長い髪、その香りを想像させるような、裳唐衣もからぎぬの神聖な十二単じゅうにひとえ姿と、彼女の神託のような鈴のような声は、甘い香りのする誘惑……。


 背後に見える怪しく美しい豪奢な行事は、『清らかで怨念に満ちた相反する魂たち』にとって、それは、真の救いの具現でしかなかった。


 魂たちは、ようやく駆けつけた御仏の使いの言葉にも耳を傾けず、雷公らいこうの、祟り神の行列の前に、しばらくひれ伏し、恭順の意志をしめす。


雷公らいこう、あの橋を落とすなど、もってのほか……」


 御仏の使いの抗議が声の響き、まだ先を続けようとしたときであった。雷公らいこうの目配せで、紅姫が檜扇から稲妻を走らせ、残りの二本が落ちたのは。


「すべての魂には、平等に接せねばのう……いや、きっと痛んでおったのであろう。一気に押し寄せる死者の重みで落ちるとは……我々もそろそろおいとましよう。失礼した。それでは……」


 やがて出立の声にあわせて動き出した『百の神による夜行』のうしろに、先ほどのたましいたちは群れをつくり、そして、そのまま、目隠しされたように、ふつりと消え……以降、三途川さんずのかわには、橋がかけられることはなく、渡し船が待機するようになった。


 そうして恭順を示したたましいたちは、あの世の世界へ、彼岸ひがんへとは、たどり着かず、『畏れと祟りの世界』に向けて、旅立って行ったのである。



〈翌朝の京の大内裏すぐにあるシェア寝殿〉


「よーし、いい子だ……こっちにこい、こっちに……」


「……あのバカ、朝餉の支度もせずに、なにやってる?」


 寝殿の奥にある小さな御殿の前で、手に小さな皿を持った“弐”を見つけた“六”は、朝の身支度を済ませて、のんびりと“参”と“四”の打つ囲碁を見ていた“壱”にたずねながら、首を傾げていた。


 小さな御殿を守るように、『くだんの蛇』は、周囲にぐるりと巻きついて、目をつぶっている。


 朝餉の支度など、別に式神にさせればいいのであるが、そもそももとになる紙、“料紙”は貴重品、“弐”はもったいないと、自分で式神の代わりに、家事をしては、「料紙は、いざというときに取っておく!」そう言って、朝廷から支給された料紙を、ほかの陰陽師から受け取っては、しまい込んでいるのである。


「……桜姫の金の蛇を手に入れるとか、贅沢に溺れたいとかなんとか言っているよ?」

「…………」


 みなのまとめ役である“壱”ではあるが、桜姫については、我関せずを決め込んでいるらしい。


 案の定、すぐに“弐”の声が、あたりに響いた。


「嚙まれたな……」


「いっそのこと、黄金になれば良かったのでは?」

「そうそう、“黄金の陰陽師像”として、祀っちゃいましょうよ!」


 周囲は適当なことを言って、手にガブリとかみつかれて、悲鳴を上げている“弐”を、平たい目で見ていた。




 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る