第三話

「一回分? あまり目立ちたくのうて、呼ばせて見れば、また、とんでもないモノが出てきたのう……」


 桜姫は少しため息をつき、柱の陰で餅餤へいだんを口にしながら、その光景をながめつつ、ポツリとそんな言葉を、つぶやいていた。

 

 骸骨にあやつられている鬼は、ただただ紅姫べにひめに一方的に蹂躙されていた。異形とはいえ、ただの人の怨霊に操られている、人の世界をウロつく鬼である。


 そして眷属とはいえ、御霊信仰ごりょうしんこうにより『神』にあげられし紅姫に、立ち向かうことなどできはしなかった。


「厄介なことよ、人であったが人でなく、神であって神でなく……なんの恩返しか知らんが、気軽に動いてくれよるわ。このままでは、わらわの立場がないではないか。でも、アレに見つかるわけにも……どうし……」


 桜姫はそう言いながら、鬼をもてあそびつつ戦っている紅姫に、早く帰れと念を送っていた。


 そのときである。骸骨の顔を持つ女の怨霊が、怪しい動きを見せ、“伍”に向かってゆっくりと顔を向け近づいてゆくのが見えたのは。


 どうやらあの怨霊は、紅姫を消すには“伍”が邪魔だと気づいた様子であった。そして、あのボンヤリ(“伍”)は、紅姫に目が釘づけで、どうみても気がついていない。


 怨霊は、カタカタと歯を鳴らしながら立ち上がり、手にした長い数珠を持ち上げ、なにかを唱えている。すると、女のころもの裾から、不気味な黒い煙が床を這い、ズブズブと、床を黒く腐敗させて“伍”に近づいてゆくのが見えた。


「あちらの始末を頼めばよかったものを……しかたない……わらわも“借り”があるといえば、ある身の上じゃ……」


 桜姫は、ため息をつくと、柱の陰から出て、なにか“呪”を唱えた。


 するとどうだろう。まばゆい光が小さな桜姫を包み込み、みるみるうちに人の大きさになった桜姫が、そこにあらわれる。


 身丈よりも遥かに長く、星屑のような光をまとう淡い桜色の髪、すべてを吸い込むような澄んだ深緋こきひ色の瞳、この世の人ではないことを示す、言葉では言い尽くせぬほどに美しい、まるで天に咲き初めた花々のように麗しい顔立ち。


 小さなときには、とても分からなかったが、そんな彼女の額には、白い光を放つ梵字が、ひとつ浮かんでいる。


 彼女の十二単じゅうにひとえは、紅色の単衣ひとえの袴に、極淡い桜色の単衣、その上に、数え切れぬほどの濃淡や色を見せる深緋こきひ色のうちぎを、幾重にもかさね、最後に金糸銀糸で精緻せいちな刺繡をほどこされた虹色の唐衣からぎぬをまとっていた。


「さて、そなたには、なんの興味もないが、わらわは“伍”に、ほんの少しは借りがある」

「…………」


 彼女は“骸骨女”にそう言うと、右腕に腕飾りのように、ぐるりと巻きついていた金色の蛇に、なにやらささやく。蛇は金の粉のような輝きを放ちながら、幾多の餓鬼のような鬼を呼び出している、骸骨の顔をした女に向かって、ふわりと浮かび飛んで行った。


『ヒ、ヒィ――』


 飛んで行った金色の蛇は、女の抵抗など、気にもせず、餓鬼たちと一緒に、乾いた悲鳴を上げる女の腕に巻きつき、やがてどんどん大きくなると、最後には頭から女を飲み込んでしまう。


 それと同時に、先程の鬼は支配が消えて自由になったのか、ひょいと穴の開いた空に飛びあがると、愛宕郡おたぎごうりの火葬場に向かって走り去ってゆく。


 いつの間にか紅姫も鬼が消えると同時に姿を消していた。消える前に、桜姫の顔を一瞬凝視してから。


「ふん……逃げ足の速い。ついでに紅姫も始末しようと思うたに……」


 桜姫はそうつぶやくと、まだ呆然としたままの“伍”を小突いて、籠を持ってこさせ、もとの小さな姫君になって、一緒に、真白陰陽師ましろのおんみょうじたちが住むやかたに帰って行った。



真白陰陽師ましろのおんみょうじたちが住むやかた〉


 白い紙で作られた紙垂しでが、やかたの入り口の門やら、なにやら、ありとあらゆる場所で揺れている。


 結局明け方近く、謎の龍神のお姫さまを連れて帰って来た“伍”は、自分の散らかった曹司(部屋)で、のんびりと寝ていた“弐”のところに駆け込んで、「かくかくしかじかで、とんでもない目に会った!」と、珍しく強気で文句を言い、早起きが過ぎる“四”は、その説明をあとで聞いて、文献を調べに蔵の方へ消えていたが、朝餉の支度が整ったと、“壱”が紙で作った式神の女房が告げに来たので、古びた文献を片手に、みながそろう母屋へと向かう。


「いやー、ただの軽い病って聞いてたから……」

「あれが、軽い病ですか!! おかげで……えっと、いろいろあって! えっと、桜姫にも助けてもらって! なんですかあれは?!」


一番上座の畳の上に、ちょこんと座っていた桜姫は、“四”がなにか手がかりらしき、文献を持っているのを見て、彼の方に近づいて、のぞき込む。


「ふむ、文献によると、あれは、絶世の美女と宮中でもてはやされ、その若さを保つために、怪しい呪術に手を染めていたことが発覚して、彼女が生んだ帝の子共々、内裏を追放され、どこぞに出家させられたはずの女官のようだ……あとは、塗りつぶされて、分からんな……えっと、ご、五百、五百年ほど前?」


 わらわより結構若いな、ほんの小娘……桜姫は、料紙の束をのぞき、みなが真剣に話をしているのを、なんとなく聞きながら、そんな関係のないことを思っていた。


「そんな、厄介者ならば、墓にも封印をしているはずだが……」

「この大火により、封印が解けたのであろう。この様子だと、あちらこちらに追放された有象無象が、大挙して京に押し寄せてくるやもしれぬ……“伍”は、これからも修行と思って頑張れよ」

「まあ、勤務時間内や、場合によっては手伝ってやる」


 “壱”たちに、そんな脅すような、押し付けるようなことを言われた“伍”は、思わず逃げ腰になり、この中でも一番の実力者である“六”に視線を向けて、無言で助けてくれと訴えた。


「いい機会だ。もう少し役に立つ式神を、ひとつふたつ、手に入れたらどうだ?」

「いまは、桜姫だけで手一杯なんです!」

「自分の蒔いた種……いや、招いた貧乏神だろうが」


「わらわが、いつ迷惑をかけた?! だれが貧乏神じゃ! 昨夜なんて、助けてやったのに?! おかわりはまだか無礼者!!」

「もう食べたのか……いいから姫も“伍”と一緒に、迷惑料だと思って働け。むだ飯を食いまくる怨霊を飼う余裕はないぞ」

「だれが怨霊か?! どいつもこいつも、龍神に向かって無礼ぞ!」

「貧乏神龍神……」


 “六”は、ほんの少しの例外を除き、生きとし生ける者に、ひとしく辛辣な男であり、国で一番の実力を持つ陰陽師であったので、桜姫の放った金の蛇を、ひょいとよけるとなにかを唱え、桜姫の上に庭の大きな岩を瞬時に移動させ、顔だけ出して下じきにすると、オロオロしている“伍”と、これで落ち着いて朝餉が食べられると、なごやかに膳に箸を伸ばす残りの陰陽師たちを残して、どこかへ消えた。


「ぶ、ぶれ…いもの――……」

「桜姫?! 大丈夫ですか?! だれか助けてあげてください!」


「お前が助けてやれ、そうやって人に甘えるから、腕が上がらないんだよ」


 “弐”は、そう言いながら、朝餉を食べ終えると、のんびりと白湯を飲みながら、他の陰陽師たちに、どれくらいで岩が上がるか賭けを始めていた。


「は、早く……“伍”、早く助けて……」


 呪い? のかかった岩は、なぜか桜姫の力は通用しなかったのである。

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