第二話

 古びた屋敷は静まり返り、たぬきやカワウソのねぐら……、そんな不気味な雰囲気だった。


 “伍”は、思わず桜姫の入った籠を抱きしめて、くるりと身をひるがえし、さっさと帰ろうとした。そのときである。


 ひたひたと足音が近づいたかと思うと、幼いわらしの声がしたのは。


「だあれ?」


 おそるおそる振り返ると、髪全体を中央で二つに分け、耳の横で垂らした角髪みずらをきれいに結った、こざっぱりした水干すいかん姿のわらしがひとり、小さなロウソクの灯りを持って、そこに立っていた。


「えっと……」


 “伍”が言い淀んでいると、わらしは、実にかわいらしい笑みを顔に浮かべる。


「ああ、手紙を読んで、来てくださった陰陽師ですね……」

「そうですけど……」

「……こちらに。母君が寝込んでもう数年、医師くすしを呼んでも、どうにもならず、知り合いに陰陽師を頼んでみては、そう言われたものですから」

「そうですか……」


『手紙? なんて書いてあったんだろう? まあ、病平癒だろうけど、なんの病かも聞いていない!』


 手を引かれて、女房どころか、使用人のひとりも見かけない屋敷の奥に連れていかれながら、たいした病でなければいいのだけれど……“伍”はそんなことを思っていた。


 籠の中に隠れた桜姫は、「顔にできた腫物が消える吞札」「ねずみよけの護符」「魚の小骨が刺さらないようになる吞札」なんかを、ごそごそ漁り、まあ、護符や吞札を見る限り、たいした用事でもなさそうだと思いながら、籠に一緒に入っていた茗荷みょうがの葉っぱで包んである餅餤へいだんと呼ばれる調理した野菜を包んだ餅を、食べようかどうしようか、そう思っていたときである。


 母屋に足を運び、手を引かれて御簾の内側に入った “伍”が、しとねにうつぶせに横たわる、わらしの『病の母君』を見て、思わず桜姫が入った籠を取り落としたのは。


「な、何事か?! いたたた……」


 桜姫は、そう言いながら餅を抱え、籠の蓋を開けて外に出ると、少し目を見開いて驚いた。


 “伍”が、そっと手を触れて仰向けに返した“母君”は、長く生きた彼女すら、見たことのない姿であったから。


 実に長く美しい黒髪が、ところどころ、漆のはげた乱れ箱に収められている。青白くやせ衰えたからだは、夜着に包まれていた。不意に流れた生暖かい風に、わずかに黒髪が舞い、彼女は弱々しく“伍”に手をのばす。


 じつに病人らしいといえば、病人らしい姿である。おかしなところはない。


 くりぬいたように、いや、くりぬかれた人の顔の部分に収まっている、うるしを塗ったように、つやつやとした古びた骸骨以外は。


 骸骨は笑うように、カタリと歯を鳴らした。


「“伍”早くうしろにさがりや!!」


 桜姫の声がするやいなや、彼が立っていた床に、巨大なけむくじゃらの手が伸び、そこに手から長く伸びた、きたならしい爪が突き刺さる。声に反応して飛び退すさった“伍”は、目の前に現れた、先ほどまでは『わらし』であった鬼を、青ざめた顔で見上げていた。


 気が付けば、先ほどまであったはずの天井も、いつの間にか崩れ果てた本来の姿を見せ、真っ暗な夜空と星が、崩れかけた屋根の穴からのぞいている。


「“伍”、早く式神を呼んで、鬼の動きを封じよ! その間に本体はなんとかしてやる! 本体はその“女”ぞ!!」

「あの……できれば式神は呼びたくないんですけれど……なんとか、自分でがんばります!」

「丸腰のそなたに、そんなことは、無理に決まっておろうが!」

「で、でも、呼べるのはあと二回だけなんですっ!!」

「そなた……式神を使役しているのではないのかえ?」

「それがその……式神というか、神なんです。呼べるのは」

「え……?」


 桜姫が作り出した、聖なる方陣の中で、彼はさすがの龍の姫君もびっくりな、打ち明け話をした。


 まだ、彼が『真白陰陽師ましろのおんみょうじ』に選ばれる前のある日のこと、ちょっとした使いの帰り道、京の郊外にある山道で、ワナにかかっていた小さな白いキツネを助けたところ、それは『神の化身』で、お礼に彼を三回助けてくれると言ったらしい。


「それで、一回目は、『真白陰陽師ましろのおんみょうじ』になれるように助けてもらって……」

「それであと二回……普通に使える式神は?」

「いま使えそうなのは、あまりまだ……修行中で……伸びしろがあるとは言われてますけど……」

「役立たず! では、さっさと、その神とやらを呼べ!」

「はいっ!」


 桜姫の剣幕にあせった“伍”が、聞き慣れない“しゅ”を唱えた途端、夜空からは、まるで吉祥天女のような、しかしながら、天女というには、どこか禍々しく、美しい女神が現れ、人のような死人のような、そして顔だけは骸骨、そんな不気味な女と、黒々とした角のある、見上げるように巨大な鬼を、険のある目つきで、交互にねめつけた。


「久しいのう……ようやく、わたくしを呼んだと思えば、こんな小物で“二回分の呼び出し”前と合わせて三回、いいのかえ?」

「あの! 鬼の方だけで結構です! 一回分! 一回分ということで!!」

「承知した……では、ふたつめの願いを叶えてしんぜよう。そこな鬼よ、いね!」


 言葉と同時に、彼女が天に向かって右手をかざすと、暗闇と星だけであった空は朱に染まり、強大な稲妻が轟音と共に、縦横無尽に走り出す。


 実のところ、現れた“伍”の守護神? は、『最上位山崎紅姫天王さいじょういやまさきべにひめてんのう/紅姫大神べにひめのおおかみ』、つまり祟り神『雷公らいこう/菅原道真』の実の娘であり、今現在は彼の眷属であるれっきとした神の座にある『紅姫べにひめ』であった。


 なお、現れた紅姫べにひめを見た瞬間、桜姫は眉をひそめて、柱の陰にスッと隠れていたので、小さな彼女に紅姫べにひめは気付いていなかった。


「よりによって、あの女か……」


 神に好かれる体質、それが“伍”の一番の能力だと、同僚の陰陽師が言ったというのを、柱の陰でぼやいている彼女は、そのとき知るよしもなかった。

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