寸止めの男
加賀宮カヲ
寸止めの男
少年の名は、
彼には、夢があった。漫画家を、目指している。
歩きスマホは絶対にやってはいけないこと。
車内は酷く混み合っていたが、
男の名はオートマ。コードネームであり、東欧国のテロリストである。
(日本への入国に成功した。)
そう、上層部に告げると、アプリの履歴を削除した。このアプリで行ったやり取りは、削除すると、一切の
オートマには、テロリストとしてのプライドがある。
物心ついた時から、対日テロリストとして、組織で訓練されてきた。日本人らしい容姿、日本人らしい話し方、日本の文化を理解し、日本人の弱点をよく知っている。
彼には、ミッションがあった。命とプライドをかけて、東京を混乱に陥らせる事。
まずは、交通網の麻痺を起こす。サラリーマンの格好をしたオートマは、エスカレーターを下り、地下鉄に乗り込んだ。
通勤ラッシュは情報収集に役立った。スマホを取り出すと、SNSを開く。『寸止めの男』というワードがトレンドになっているのを確認した。『寸止めの男』?首を捻ったオートマは、他のSNSを確認したが、どれも同じトレンドで埋め尽くされている。
車内で、スマホを盗み見しても、同様だった。皆『寸止めの男』についての情報に、夢中になっている。
陰謀論だろうか。SNSには『寸止めの男は光の戦士!』のような書き込みが目立つ。
オートマの育った東欧国は、ネット工作のメッカだった。現在、世界中で出回っている陰謀論の90%が、東欧国発信のものだ。それは日本も例外ではない。日本語能力に長けた者が諜報部に存在し、主にSNSを利用して、陰謀論をばら撒いている。
日本に入国する直前、対日工作に関する情報は全て叩き込んでいたはずだった。しかし『寸止めの男』は初耳だ。渡航している間に、諜報部が新しい陰謀論をばら撒いたのかもしれない。
中学生AはSNSで語る
(また、テロ食い止めた!この間の工場火災。あれ、爆発を防いだのって『寸止めの男』だって!尊いにもほどがある)
いいね8,000、RT2,100
オートマは、彼のアカウントを追った。ただの、都内の私立中学に通う学生だったからだ。中学生Aは熱心な『寸止めの男』ファンだった。なんならその、実在するかも分からない人物を、英雄視すらしている。
(東京オリンピックを成功させたのは、『寸止めの男』。光の戦士!)
いいね320、RT78
直近の投稿だ。どんどん、いいねが増えてゆく。暇さえあれば、投稿しているようだった。
ネット工作とは、人間心理の絶妙な所を突いて行われる。いいねを貰って喜ばない人間は居ない。東欧国にとって有利になる投稿には、botが自動でいいねをつけるよう、プログラムされていた。そうして良いね欲しさに、益々、東欧国に有利な投稿を繰り返すようになる。
東欧国に有利とは、すなわち大統領を称賛するよう誘導するものである。
光の戦士という表現などは、まさにそのために用意し、流布されたものだ。
「間もなく――渋谷――に、到着いたします。」
車内アナウンスが流れる。オートマは、テロの準備を始めた。と言っても、今日日、大掛かりな仕掛けなど要らない。
スーツ姿で群衆に紛れたオートマは、事を起こそうと、ドアの前で待ち構えた。
「渋谷――渋谷――」
その瞬間だった。テロリストらしからぬ身の振る舞いで、思い切りホームに向かって転んでしまったのは。小型装置がむなしくコロコロ……と転がってゆく。ラッシュ時なので、転んだオートマを気にする者は殆どいない。
「大丈夫ですか?」
声をかけてきたのは、小柄な男子学生だった。手には、小型装置を持っている。オートマは、膝を払いながら立ち上がると、学生から小型装置を受け取り
「すみません。」
と会釈をして、ホームから離れた。
テロは失敗だ。
改札から出て、地上へ上がった時、中学生AはSNSに
(超ビビった。目の前でリーマンがコケた。)
と、投稿した。
「お前のは、ファンタジーのごった煮なんだよ。テーマは一つに絞ったほうが、絶対良いって。」
と、言われる。だったら……孤高のテロリストものなんか良いんじゃないか。『アメリカンスナイパー』みたいな。そう思いながら、地上に上がった。学校に向かって、渋谷の街を歩き始める。
電車を降りてホームに出た時、サラリーマンの男が派手に転倒していた事に、
(作戦、失敗。)
(原因は?)
(転倒した。)
(そのような初歩的ミスは、今後決してあってはならない。)
(了解。ところで組織は『寸止めの男』という、ナラティブを流しているか?)
(初耳だ。我が国のものではない。)
(情報収集を依頼する。日本で現在、バズっている。)
(了解。速やかに次作戦に移行せよ)
(了解)
看護師、山田花子は語る
「『寸止めの男』ですか?ええ、話を聞いた事はありますけど。あれでしょ?今度、ドラマ化されるっていう。動画でも、考察してる人多いですよね。え、実在するんですか?ちょっと信じられないかなあ……夜勤の時、無人の部屋からナースコールが鳴ったとか、そういう都市伝説あるじゃないですか。ああいう感じなんじゃないかなって、思っちゃう。」
若い女性ADが(OK)と書かれたフィリップを出す。
「すみませんねえ。夜勤明けなのに、無理なお願いしちゃって。」
と、ワイドショーのディレクターが、軽いノリで話しかけた。仕込みのタレントがインフルエンザになってしまい、急遽、人探しをしてインタビューを取る羽目になってしまったのだ。夜にはドラマの番宣があるので、どうしてもそこに間に合わせなければならなかった。
ディレクターは、インタビューに応じてくれたのが看護師で、ホクホクしていた。俳優で釣れば、合コンなんてチョロいもんだ。しかも、相手は看護師。ナース。何としても、合コンに
「いえー。頼まれると、断れないんで。あ、ドラマってキクピー主演なんですよね。」
「そうそう。お礼と言っちゃ……なんだけど、ドラマの撮影見に来る?目黒で撮影してんのよ。キクピー、見れるから。」
「ええっ!いいんですかあ!」
バンをピッキングするのに、手間取ってしまった。しかし、その辺は抜かりない。駐車場に入る時に、ターゲットの目星はつけておいた。交差点の向こうで、TVクルーが取材をしている。
死人が出ない程度の事故を起こす。
これが、オートマのセカンドミッションだった。ピッキングの痕跡は、きれいに消してある。最初の作戦が失敗しているので、変装する必要もない。
事故は、失神発作で起こしたように見せかける偽装をする。1時間で体内から排出される薬を飲み、効果が出てくるのを待った。
TVクルーはまだ、同じ場所にいる。
信号がチカチカと点滅して、赤になった。よし、行くぞ。
オートマは、クルー目がけて思い切りアクセルを踏んだ。
その瞬間だった。
学生が、ふら~っと目の前に飛び出して来たのは。
「ウワッ!!」
反射的にハンドルを切ると、急ブレーキをかけた。バンが路肩に乗り上がって停止する。薬が効いてきたオートマは、そのまま気を失ってしまった。
キキ――!!!
急ブレーキの音に、話し込んでいたテレビクルーと山田花子が反応する。
「こっわ。今の見た?」
「あっぶない……あの子、信号見てなかったですよね。絶対。」
若い女性ADが首を捻る。
「あれえ?バンの方が、赤信号に突っ込んで来たような気がするんですけど……気のせいっすかね。」
ナースとの合コンしか頭になかったディレクターは、今起きた事もそこそこに、気を取り直したように手を叩くと
「『寸止めの男』にも、ああいうシーンあるよ!キクピー、マジでかっこいいから。撮影絶対にきてよ。LINE教えてくれる?」
と、山田花子を口説いていた。
キキ――!!!
急ブレーキを踏むような音がして、
「いけない。こういうのは、本当にいけない。」
と言いながら、自分の頭をげんこつで小突いた。
彼は、真面目なのだ。
しかし、再び歩き始めた途端、
(『寸止めの男』について、情報はあったか。)
(順番が逆だ、オートマ。作戦を二度も失敗した理由を言え。)
(『寸止めの男』は実在するんじゃないのか?)
(幻覚剤をお前に渡してはいないはずだが。)
チー牛風と言われる変装をしたオートマは、ネカフェでイライラしていた。頭を掻きむしろうとして、ウィッグをしていた事に気づき、手を下ろした。
朝の満員電車にも、あの学生はいた。ブツブツと口を動かしながら、イマドキ珍しくスマホを見ていなかったので記憶に残っている。アイツに押されて、俺は転んだんだ。
そして、さっき。バンの前にいきなり現れたのも、あの学生だった。
オートマは、カタカタとPCを操作して、SNSの情報をかき集めた。
『寸止めの男』
(学生っていう噂あるよね)
(東京にしかいないんだって。官房長官のSP説。)
(実は、概念w)
(光の戦士)
(変装したアメリカの大統領なんじゃないの?)
(水素水を飲むとなれるらしい!)
どれもアホみたいな情報ばかりだ。けれども、オートマにはあの学生こそが『寸止めの男』だという確信があった。
ふと、東欧国のテロリストが、緊急時にしか使わない文字列を見つけて、画面に食い入った。
それは先週死んだ、ジャッカスのアカウントだった。あまたある陰謀論アカウントの一つにしか見えないよう、入念に偽装されている。
ジャッカスは作戦失敗を繰り返し、自殺として処理された。
―『寸止めの男』はいる。学生。―
それだけ書いてあった。
やっぱり、とオートマは思う。
あの身のこなし、気配の消し方。
(オートマ、応答しろ。作戦失敗の理由を言え。)
(まだ突き止めていないが、他国の工作員に邪魔をされている。殺害許可を申請する。)
(却下。)
(ジャッカスの残したメッセージが見つかった。『寸止めの男』は実在する。)
(ジャッカスから、報告は受けていた。だが、存在を確認できなかったのだ。我々は、『寸止めの男』を都市伝説の一種と結論づけている。オートマ、次で失敗したら最後だ。自殺として、処理する。)
オートマは決心を固めた。
そうして、日本にいる武器売買の同胞に連絡をとり、アプリの履歴を削除すると、スマホをバラバラに分解し、トイレに流した。
--------翌朝----------
サイレンサー式のスナイパーライフルを構えて、ビルの屋上に座るオートマの姿があった。日本において、同胞から武器を受け取ること。それはすなわち、確実に仕留めた後、確実に
スコープを覗き込んでターゲットの確認をする。ターゲットは
俺が、確実に仕留めてやる。
緊急メッセージに、ターゲットの情報は残さなかった。俺は、ジャッカスのようなヘマはしない。
息を殺し、ターゲットが一人になる瞬間を狙う。歩く学生達がバラけて、
仕留めた!
スコープでターゲットを確認する。
その瞬間、オートマは信じられないものを見た。
ふざけるな!
ふざけるな!
この俺を何だと思ってる!『寸止めの男』!!
プライドをズタズタにされて、怒り狂ったオートマは、ナイフを取り出した。あのガキを絶対に殺してやると息巻いて、屋上から下りようとして、振り向いた。
警官の格好をした、同胞が二人、立っていた。一人は銃を構えていた。
「俺を殺しに来たのか?見ただろ?なあ。あれは、アイツはプロだ!」
同胞が呆れた表情をして、顔を見合わせる。
「ジャッカスも、同じこと言ってたなあ。よう、オートマ。あれは、ただのガキだぜ。」
「嘘だ……」
「
銃口が火を吹き、オートマの視界が暗転する。彼は、自殺として処理された。
なんじゃこりゃ……
彼には、もうその現実を知る術はない。
「いやあ……トオルさんよお。孤高のテロリストと、中世の人魚までは分かるわ。けどよ。味噌煮込みうどんに異世界転生は、訳わからなすぎじゃね?」
メガネをかけた友人が、漫画のネームから顔をあげる。
「料理が舞台って、ありだと思ったんだけど。人体が舞台の漫画ってあるでしょ。」
友人がため息をついて、メガネを外す。
「てかね……味噌煮込みうどんの世界なんて、名古屋の人にしか伝わらないだろ。」
「あ、そっか。」
「それよりさあ『寸止めの男』って今バズってんじゃん。ああいうの、モチーフにしたらどお?」
真剣な友人のアドバイスに
「ああいう、陰謀論っぽい設定。僕、好きじゃないんだ。」
今日もクラスでは『寸止めの男』で話はもちきりだった。SNSでもずっとトレンド入りをしているし、最近ではドラマ化もあり、メディアは救世主だなんだの大騒ぎしている。
寸止めの男 加賀宮カヲ @TigerLily_999_TacoMusume
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