寸止めの男

加賀宮カヲ

寸止めの男

少年の名は、山峰やまみねトオル。都内の高校に通う、17歳である。彼は、とても真面目な性格をしている。真面目に起床、真面目に食事、トイレにも真面目に入る。


彼には、夢があった。漫画家を、目指している。


歩きスマホは絶対にやってはいけないこと。山峰やまみねトオルは、登下校時間を漫画のネーム作成に充てていた。今日も新しいネームを考えながら、登校する。エスカレーターを下り、地下鉄に乗り込んだ。

車内は酷く混み合っていたが、山峰やまみねトオルにとっては、考え事に集中するのにもってこい時間であった。




男の名はオートマ。コードネームであり、東欧国のテロリストである。


(日本への入国に成功した。)


そう、上層部に告げると、アプリの履歴を削除した。このアプリで行ったやり取りは、削除すると、一切の痕跡こんせきが残らない。最近、犯罪に悪用される事が多いと知ったのは、三ヶ月前。それを知った時、オートマは大層、胸を痛めたものだった。


オートマには、テロリストとしてのプライドがある。


物心ついた時から、対日テロリストとして、組織で訓練されてきた。日本人らしい容姿、日本人らしい話し方、日本の文化を理解し、日本人の弱点をよく知っている。


彼には、ミッションがあった。命とプライドをかけて、東京を混乱に陥らせる事。


まずは、交通網の麻痺を起こす。サラリーマンの格好をしたオートマは、エスカレーターを下り、地下鉄に乗り込んだ。


通勤ラッシュは情報収集に役立った。スマホを取り出すと、SNSを開く。『寸止めの男』というワードがトレンドになっているのを確認した。『寸止めの男』?首を捻ったオートマは、他のSNSを確認したが、どれも同じトレンドで埋め尽くされている。


車内で、スマホを盗み見しても、同様だった。皆『寸止めの男』についての情報に、夢中になっている。


陰謀論だろうか。SNSには『寸止めの男は光の戦士!』のような書き込みが目立つ。



オートマの育った東欧国は、ネット工作のメッカだった。現在、世界中で出回っている陰謀論の90%が、東欧国発信のものだ。それは日本も例外ではない。日本語能力に長けた者が諜報部に存在し、主にSNSを利用して、陰謀論をばら撒いている。


日本に入国する直前、対日工作に関する情報は全て叩き込んでいたはずだった。しかし『寸止めの男』は初耳だ。渡航している間に、諜報部が新しい陰謀論をばら撒いたのかもしれない。




中学生AはSNSで語る

(また、テロ食い止めた!この間の工場火災。あれ、爆発を防いだのって『寸止めの男』だって!尊いにもほどがある)

いいね8,000、RT2,100


オートマは、彼のアカウントを追った。ただの、都内の私立中学に通う学生だったからだ。中学生Aは熱心な『寸止めの男』ファンだった。なんならその、実在するかも分からない人物を、英雄視すらしている。


(東京オリンピックを成功させたのは、『寸止めの男』。光の戦士!)

いいね320、RT78


直近の投稿だ。どんどん、いいねが増えてゆく。暇さえあれば、投稿しているようだった。


ネット工作とは、人間心理の絶妙な所を突いて行われる。いいねを貰って喜ばない人間は居ない。東欧国にとって有利になる投稿には、botが自動でいいねをつけるよう、プログラムされていた。そうして良いね欲しさに、益々、東欧国に有利な投稿を繰り返すようになる。


東欧国に有利とは、すなわち大統領を称賛するよう誘導するものである。

光の戦士という表現などは、まさにそのために用意し、流布されたものだ。




「間もなく――渋谷――に、到着いたします。」


車内アナウンスが流れる。オートマは、テロの準備を始めた。と言っても、今日日、大掛かりな仕掛けなど要らない。てのひらに収まるサイズの小型装置を、ホームと電車の間に放り込むだけだ。衝撃が加わるとそれだけで、刺激臭のする液体が流れ出しガスが発生する。地下鉄は、丸一日麻痺だ。


スーツ姿で群衆に紛れたオートマは、事を起こそうと、ドアの前で待ち構えた。


「渋谷――渋谷――」


その瞬間だった。テロリストらしからぬ身の振る舞いで、思い切りホームに向かって転んでしまったのは。小型装置がむなしくコロコロ……と転がってゆく。ラッシュ時なので、転んだオートマを気にする者は殆どいない。


「大丈夫ですか?」


声をかけてきたのは、小柄な男子学生だった。手には、小型装置を持っている。オートマは、膝を払いながら立ち上がると、学生から小型装置を受け取り


「すみません。」


と会釈をして、ホームから離れた。

テロは失敗だ。



改札から出て、地上へ上がった時、中学生AはSNSに

(超ビビった。目の前でリーマンがコケた。)

と、投稿した。




山峰やまみねトオルは、渋谷駅の改札から出ると、雑踏に紛れながら、ブツブツと独り言を言っていた。新作ネームについて、考えている。友人からは


「お前のは、ファンタジーのごった煮なんだよ。テーマは一つに絞ったほうが、絶対良いって。」


と、言われる。だったら……孤高のテロリストものなんか良いんじゃないか。『アメリカンスナイパー』みたいな。そう思いながら、地上に上がった。学校に向かって、渋谷の街を歩き始める。



電車を降りてホームに出た時、サラリーマンの男が派手に転倒していた事に、山峰やまみねトオルは全く気がついていなかった。




(作戦、失敗。)

(原因は?)


(転倒した。)

(そのような初歩的ミスは、今後決してあってはならない。)


(了解。ところで組織は『寸止めの男』という、ナラティブを流しているか?)

(初耳だ。我が国のものではない。)


(情報収集を依頼する。日本で現在、バズっている。)

(了解。速やかに次作戦に移行せよ)

(了解)




看護師、山田花子は語る

「『寸止めの男』ですか?ええ、話を聞いた事はありますけど。あれでしょ?今度、ドラマ化されるっていう。動画でも、考察してる人多いですよね。え、実在するんですか?ちょっと信じられないかなあ……夜勤の時、無人の部屋からナースコールが鳴ったとか、そういう都市伝説あるじゃないですか。ああいう感じなんじゃないかなって、思っちゃう。」


若い女性ADが(OK)と書かれたフィリップを出す。


「すみませんねえ。夜勤明けなのに、無理なお願いしちゃって。」


と、ワイドショーのディレクターが、軽いノリで話しかけた。仕込みのタレントがインフルエンザになってしまい、急遽、人探しをしてインタビューを取る羽目になってしまったのだ。夜にはドラマの番宣があるので、どうしてもそこに間に合わせなければならなかった。


ディレクターは、インタビューに応じてくれたのが看護師で、ホクホクしていた。俳優で釣れば、合コンなんてチョロいもんだ。しかも、相手は看護師。ナース。何としても、合コンにぎつけたい。


「いえー。頼まれると、断れないんで。あ、ドラマってキクピー主演なんですよね。」


「そうそう。お礼と言っちゃ……なんだけど、ドラマの撮影見に来る?目黒で撮影してんのよ。キクピー、見れるから。」


「ええっ!いいんですかあ!」




バンをピッキングするのに、手間取ってしまった。しかし、その辺は抜かりない。駐車場に入る時に、ターゲットの目星はつけておいた。交差点の向こうで、TVクルーが取材をしている。


死人が出ない程度の事故を起こす。


これが、オートマのセカンドミッションだった。ピッキングの痕跡は、きれいに消してある。最初の作戦が失敗しているので、変装する必要もない。

事故は、失神発作で起こしたように見せかける偽装をする。1時間で体内から排出される薬を飲み、効果が出てくるのを待った。


TVクルーはまだ、同じ場所にいる。


信号がチカチカと点滅して、赤になった。よし、行くぞ。

オートマは、クルー目がけて思い切りアクセルを踏んだ。


その瞬間だった。

学生が、ふら~っと目の前に飛び出して来たのは。


「ウワッ!!」


反射的にハンドルを切ると、急ブレーキをかけた。バンが路肩に乗り上がって停止する。薬が効いてきたオートマは、そのまま気を失ってしまった。




キキ――!!!


急ブレーキの音に、話し込んでいたテレビクルーと山田花子が反応する。


「こっわ。今の見た?」

「あっぶない……あの子、信号見てなかったですよね。絶対。」


若い女性ADが首を捻る。


「あれえ?バンの方が、赤信号に突っ込んで来たような気がするんですけど……気のせいっすかね。」


ナースとの合コンしか頭になかったディレクターは、今起きた事もそこそこに、気を取り直したように手を叩くと


「『寸止めの男』にも、ああいうシーンあるよ!キクピー、マジでかっこいいから。撮影絶対にきてよ。LINE教えてくれる?」


と、山田花子を口説いていた。




キキ――!!!


急ブレーキを踏むような音がして、山峰やまみねトオルは振り返った。そこで、赤信号を渡っていた事に気づいて、顔が青ざめる。慌てて、信号を渡りきってしまうと


「いけない。こういうのは、本当にいけない。」


と言いながら、自分の頭をげんこつで小突いた。山峰やまみねトオルは小さな頃から、考え事に夢中になると、周囲の事がまるで見えなくなる悪癖あくへきがあった。それで何度母さんを、泣かせてしまった事か。これでは、歩きスマホの事など、絶対に批判出来ない。考え事に夢中になるのも、ほどほどにしないと。


彼は、真面目なのだ。


しかし、再び歩き始めた途端、山峰やまみねトオルの脳内はもう、漫画の事でいっぱいになっていた。やっぱり、もう少しファンタジーを入れたいんだけどな。孤高のテロリストと、中世の人魚とか。




(『寸止めの男』について、情報はあったか。)

(順番が逆だ、オートマ。作戦を二度も失敗した理由を言え。)


(『寸止めの男』は実在するんじゃないのか?)

(幻覚剤をお前に渡してはいないはずだが。)


チー牛風と言われる変装をしたオートマは、ネカフェでイライラしていた。頭を掻きむしろうとして、ウィッグをしていた事に気づき、手を下ろした。


朝の満員電車にも、あの学生はいた。ブツブツと口を動かしながら、イマドキ珍しくスマホを見ていなかったので記憶に残っている。アイツに押されて、俺は転んだんだ。

そして、さっき。バンの前にいきなり現れたのも、あの学生だった。


オートマは、カタカタとPCを操作して、SNSの情報をかき集めた。


『寸止めの男』

(学生っていう噂あるよね)

(東京にしかいないんだって。官房長官のSP説。)

(実は、概念w)

(光の戦士)

(変装したアメリカの大統領なんじゃないの?)

(水素水を飲むとなれるらしい!)


どれもアホみたいな情報ばかりだ。けれども、オートマにはあの学生こそが『寸止めの男』だという確信があった。


ふと、東欧国のテロリストが、緊急時にしか使わない文字列を見つけて、画面に食い入った。


それは先週死んだ、ジャッカスのアカウントだった。あまたある陰謀論アカウントの一つにしか見えないよう、入念に偽装されている。

ジャッカスは作戦失敗を繰り返し、自殺として処理された。


―『寸止めの男』はいる。学生。―


それだけ書いてあった。

やっぱり、とオートマは思う。


あの身のこなし、気配の消し方。




(オートマ、応答しろ。作戦失敗の理由を言え。)

(まだ突き止めていないが、他国の工作員に邪魔をされている。殺害許可を申請する。)


(却下。)

(ジャッカスの残したメッセージが見つかった。『寸止めの男』は実在する。)


(ジャッカスから、報告は受けていた。だが、存在を確認できなかったのだ。我々は、『寸止めの男』を都市伝説の一種と結論づけている。オートマ、次で失敗したら最後だ。自殺として、処理する。)


オートマは決心を固めた。


そうして、日本にいる武器売買の同胞に連絡をとり、アプリの履歴を削除すると、スマホをバラバラに分解し、トイレに流した。



--------翌朝----------



サイレンサー式のスナイパーライフルを構えて、ビルの屋上に座るオートマの姿があった。日本において、同胞から武器を受け取ること。それはすなわち、確実に仕留めた後、確実にも処理される事を意味している。その動向は随時、同胞からチェックされていた。


スコープを覗き込んでターゲットの確認をする。ターゲットは山峰やまみねトオル。17歳。まさか本名で活動しているとは思わなかった。オートマには、テロリストとしてのプライドがある。


俺が、確実に仕留めてやる。


緊急メッセージに、ターゲットの情報は残さなかった。俺は、ジャッカスのようなヘマはしない。


息を殺し、ターゲットが一人になる瞬間を狙う。歩く学生達がバラけて、山峰やまみねトオルが一人になったその瞬間、オートマは彼の脳天めがけて、ライフルを放った。


仕留めた!

スコープでターゲットを確認する。

その瞬間、オートマは信じられないものを見た。



山峰やまみねトオルは、ライフル弾を学生鞄に受けると、何事もなかったかのようにスタスタと歩きだしたのだ。ブツブツと口を動かしながら、考え事に没頭している様子で。



ふざけるな!

ふざけるな!

この俺を何だと思ってる!『寸止めの男』!!


プライドをズタズタにされて、怒り狂ったオートマは、ナイフを取り出した。あのガキを絶対に殺してやると息巻いて、屋上から下りようとして、振り向いた。


警官の格好をした、同胞が二人、立っていた。一人は銃を構えていた。


「俺を殺しに来たのか?見ただろ?なあ。あれは、アイツはプロだ!」


同胞が呆れた表情をして、顔を見合わせる。


「ジャッカスも、同じこと言ってたなあ。よう、オートマ。あれは、ただのガキだぜ。」

「嘘だ……」


。」


銃口が火を吹き、オートマの視界が暗転する。彼は、自殺として処理された。




なんじゃこりゃ……山峰やまみねトオルは、教室で穴の空いたかばんを見ながら、首で捻っていた。ライフル弾はかばん貫通かんつうして、ビルの隙間を通り、都会の大きなネズミを撃ち抜いて、その役割を終えていた。

彼には、もうその現実を知る術はない。


「いやあ……トオルさんよお。孤高のテロリストと、中世の人魚までは分かるわ。けどよ。味噌煮込みうどんに異世界転生は、訳わからなすぎじゃね?」


メガネをかけた友人が、漫画のネームから顔をあげる。山峰やまみねトオルは、真面目である。え?という顔をして、そのまま考え込んでしまった。


「料理が舞台って、ありだと思ったんだけど。人体が舞台の漫画ってあるでしょ。」


友人がため息をついて、メガネを外す。


「てかね……味噌煮込みうどんの世界なんて、名古屋の人にしか伝わらないだろ。」

「あ、そっか。」


「それよりさあ『寸止めの男』って今バズってんじゃん。ああいうの、モチーフにしたらどお?」


真剣な友人のアドバイスに山峰やまみねトオルは、笑って答えた。


「ああいう、陰謀論っぽい設定。僕、好きじゃないんだ。」


今日もクラスでは『寸止めの男』で話はもちきりだった。SNSでもずっとトレンド入りをしているし、最近ではドラマ化もあり、メディアは救世主だなんだの大騒ぎしている。


山峰やまみねトオルは、あんなものの何処が面白いんだろう。ファンタジーが足りないんだよなあ。そう思いながら、ブツブツとまた新しい漫画のネームを考え始めた。

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