瀬戸内海エピソード 🚤

上月くるを

瀬戸内海エピソード 🚤




 最難関大の名誉教授だった某先生について。

 ちょっとイジワルな話を聞いたことがある。


 ごく簡単な言葉の意味を取り違えていたが、畏れ多くてだれも指摘できなかった。

 結果、大方の人がお名前を知っている元教授は、誤りを墓まで持って行った。💦


 

      🦹‍♂️



 くすっと笑うべきところ、口もとが引きつったのは、他人事ではないからだった。

 おのれの浅学を知らず(ゆえに浅学なのだが(笑))、多くの恥をさらして来た。


 見かねて指摘してくれたのは、生真面目で誠実一辺倒だった亡き友人で、「お節介でごめんね……」と言いながら、聡明な博学の一端を惜しげもなく披露してくれた。


 なかでもショックだったのは、入魂じっこん入魂にゅうこんの誤用で、使い方云々以前に、入魂はすべて入魂じっこんだと信じこんでいた無知に、ない穴を掘ってでも入りたかった。(笑)


 ほかにも記憶しているのは、仕事の関係で往信があった、ふたりの先輩のご指導。

 「一所懸命」「幕開き」の二語の由来は、著名な小説家と脚本家から指摘された。


 もっとも言葉は生きているがゆえに時代によって変化するのが当然だそうだから、新聞を開いても「一生懸命」「幕開け」がふつうにつかわれているご時世ではある。



      🐳



 そう言いながら、歳を重ねたから大きな誤りはないだろうと高をくくっていたら、いきなり足をすくわれ、満席のカフェの片隅で、人知れず頬を染めることになった。



 ――耕して天に至る。



 元来、こういう詩情に弱い性質であるがゆえに、好んで拙文に繰り返しつかった。

 もちろん、山深い里の段々畑を守る農家への肯定あるいは絶賛の気持ちをこめて。


 ところが、そのとき、モーニングカフェで読んでいた司馬遼太郎さんのエッセイによれば真意はまったく逆で、むしろ否定または侮蔑の意味合いが濃い表現だという。


 江戸幕府の鎖国があけた明治初期に来日した中国の要人が、瀬戸内海を走る船の上から見た景色への感想を「耕シテ天ニ至ル、貧ナルカナ」と述べたのだそうだ。💦


 別の記述によれば「天下を取る」という日本人の大仰な言葉を知り、このちっぽけな島を天下と思っている国民のめでたさ加減に噴き出しかけた異国人もいたらしい。


 平家とか源氏とか鎌倉幕府とか室町幕府とか信長の「天下布武」とか、大陸人から見たら、海に浮かぶ小島でチマチマと陣取り合戦してんじゃねえよというところか。



      🦃



 嗚呼、無知なるものの罪よ。

 なんと恥多きわが人生……。


 名古屋式の小倉バターモーニングトーストが喉につかえそうになった由縁である。

 だが、そうは言えど、浅学を恐れての及び腰では一歩も前進できなくなりそうだ。


 ここはひとつ、人生という旅の恥はかき捨てといきますか、時節柄の羽抜鶏さん。

 厚かましく居直り、素早く立ち直ったことは、店内のだれにも気づかれていまい。

 




 

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