第5話 "女"がいる

深夜勤務帰りの土曜日、男は仕事から帰るなり焼酎をストレートのまま3杯呷った。

勤務中に首吊り自殺を図った男性が運ばれてきた。懸命に処置を施したが男性は絶命してしまった。

カルテに書かれた男性の年齢が自分とそう変わらなかったこと。待合室で泣き喚く、男性の妻と中学生になろうかという息子の顔。対して処置室で漂っていた、まるでTVゲームで敗北した時のような気怠げな空気。何度も何度も反芻し、男の胸を押し潰しそうになった。

他人の死なんて珍しいことでもないのに。酩酊から来る激しい目眩に耐えきれず、布団の上へ横たわりながら男は男性患者の顔を何度も反芻した。外では空が白み、掃き出し窓から光が差し込み始める。


そんな矢先、玄関の戸がガチャガチャと音を立て勢いよく開き、例の娘がロングウェーブヘアをなびかせながら入ってきた。

そういえば合鍵を持っているのか。少し前、会話の流れで娘に自宅の合鍵を渡していたことを男は思い出した。


「まぁー先生、この間に比べてお酒の嵩がかなり減ってますよ。飲みすぎじゃないかしら」


中身が半分ほどしか無い甲類焼酎の4Lボトルを眺めながら咎める娘に、男は横たわったまま「あなたには関係無いでしょう」と返した。


「関係無いものですか。パパとママの健康は先生にかかってるんですから」


「私でなくてもご両親を健康にすることはできますよ」


「寂しいこと言わないの。私は先生が良いんだから」


口煩く言いながらも台所へ向かう娘の後ろ姿を、男は揺らぐ視界の中で見守った。裾の絞られたショート丈の白いブラウスとデニムショートパンツによって強調された瓢箪型のライン。スラリとしながらも肉づきのある白い太腿。

"女性"が目の前にいる─ここ数ヶ月置かれていた、当たり前にすらなっていた状況が何故か今になって男を揺るがした。

男は覚束ない足取りで娘の背後に近づき、線の細い肩に腕を回した。


「先生、どうされたの?」


「貴方、なんで私に良くしてくれるんですか」


「さっき言ったじゃありませんか。私は先生にパパとママを診てほしいんですよ。先生が良いの」


「そうですか。なら今日はお帰り願いましょう」


男は娘を無理矢理台所から引き剥がすと、鞄を持たせて玄関に追いやった。


「先生、まだ来たばかりよ」


「酒のボトルを見たでしょう。今、私は酔っているんです」


「いつものことだわ」


「いつもより酔っているんです。多分まだまだ酔いが回ります。人がいると何かしでかしそうなので、その前にお帰りなさい。あと合鍵返して下さい」


「お家に入れないわ」


「家に来るなって言ってるんです。これからは病院だけで会いましょう。今までありがとうございました」


男は娘が靴を履くのを見守ると、さっさと彼女を玄関の外へ押し出し扉を締め切った。


「先生、また明後日ぐらいに来るからねぇ。待っててねぇ」


扉の向こうから聞こえる声に返事をすることも無く、男はコップ1杯の焼酎を呷ると布団に潜り込んだ。部屋の中には娘がつけていたであろう香水の甘い匂いが漂っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

患者の娘 むーこ @KuromutaHatsuro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ