後悔と悪臭の熱帯植物

洞木 蛹

第1話

 生まれつき、匂いには敏感だった。

 特別嗅覚が優れているわけでもなく、強く支障が出るほどでもない。例えば、今日の朝ご飯がなんだったのか。柔軟剤の違い。コンディショナー類を纏った髪と頭皮のニオイもララは気づいてしまう。

 男子は汗臭いので嫌いだった。毛嫌いはしていないけれど。独特の臭さも苦手であり、高校は我慢したが大学は女子校を選んだ。卒業してからは女性中心の会社へ入り、もう数年経った。匂いは今でも感じる。普通に生活する分には問題ないのにどうしてだろうか。

「直感、でもないよねぇ」

「そんなところ。ねぇ、シナモンの香りがするけど気づいた?」

 理解者であり親友のココネはスプーンに顔を寄せた。乗っているのはララ手作りハヤシライスの一部。丸っこい愛嬌のある顔を眺め、ララは微笑む。

「えっどれどれ〜……ってわかるかーい! めっちゃ美味しそうな匂いするってのはわかるけど!」

 笑い飛ばしながら口に運んでゆく。やはり分からないらしく、コミカルに眉を寄せ幸せそうに頬を緩ませてゆく。ゆっくり咀嚼し、飲み込み、おいし〜! と蕩けた声を上げた。

「美味しいことには間違いないんだけどね~……うーん。紅茶やアップルパイのシナモンも分かったり分からなかったりするけど、隠し味ってやつ?」

「そ。ほんの少しだけ入れたの。スパイシーさを出すためにね」

「あっ! 確かにそう、かも? ほえ〜」

 腑抜けた顔は無防備な小動物に似ていた。同時に、彼女は騙されやすいタイプだとも思ってしまう。いい歳の大人なのに——大人だから映えているのかもしれない。子供っぽいのではなく純粋無垢。汚れを知らず育ったわけではないけれど本当に良い子だった。

 シナモンは入れたけど、混ぜてないと嘘をつけば絶対に信じてしまいそうな——

 だからこそ、鈍感なこの子を守りたい。

 自分の匂いをつけてしまいたい。

 シャンプーやコンディショナー、洗顔剤、柔軟剤をお揃いにしたかった。化粧品までは手を出せないし肉体的な関係も——したかった。打ち明ける勇気はない。この関係を壊したくないなという気持ちも抱いていた。

 まるでマーキングをする動物じゃないか、との自覚はある。

 ココネへの恋愛感情は膨らんでいる。きっと、いや、絶対に彼女は気づかない。そういう子なんだ。顔には出さないよう、丸くした手に力を込める。

「あ、そーだ。あたしさぁまた告られちゃったんだよ、もーほんと、勘弁してほしいって感じ」

「あんたは昔っから勘違いさせる側でしょ、この小悪魔っ! で? 今回はどっちに?」

「お……んなのこで、後輩ぃ……」

「よっ! 無自覚天然!」

 口を曲げて唸る彼女は誰からも愛され、信頼されていた。ほとんどは男子から告白されがちだが、先輩には可愛がられ後輩には慕われる。もちろん同年代にも愛されるマスコット的な存在だ。

「ううぅ〜ごちそうさまでしたぁ〜」

「ふふふっありがとう。じゃあ洗い物してくるから」

 綺麗に平げられた皿とスプーンを持ち、ララは立ち上がる。この空っぽのお皿を見ているとつい笑顔になってしまう。ココネはお米一粒も残さない。好きはあっても嫌いはないし本当に美味しそうに食べるので作りがいがある。

 浮き足だったララを見送るココネは一人、背中に向き合う。ぷっくりと柔らかな唇と、大きく育った胸が揺れた。ココネもララも誰かと付き合ったことはあるが、長続きした覚えはない。若さから生まれた淡い熱に過ぎなかった。

 ぼんやりとココネは付けっぱなしのテレビへ視線を向ける。と、スマホが鳴った。受信したメッセージを見て顔が綻んでしまう。会社の先輩だ、二つ上の優しくて頼りになってプライベートでも話があう——男性。今度の休みにご飯でもどう? という誘いだった。

 チラりとララを見て、画面へと向き合う。男には気をつけるんだよ。よく注意されていたがもう大人だ。二十五にもなる。そんなことはしない。

 それにこれは会社の先輩との関係で、ララとはなんの関係もない。だってこの人とは付き合っていないもの。器用に文字を打ち送信するとすぐ返信が来た。

 ああ、ララとは違う。ララはいつも返事が遅くて待ちぼうけにされてしまって、先輩はくだらない雑談でも聞いてくれる、だから寂しくなんて——

 ふんわりとした感覚に揺蕩いながら画像を送りスマホを伏せる。



 ララが違和感を抱いたのはある休みの日。いつものように慌ててやってきたココネが随分とオシャレなスニーカーを履いていた。慣れないのだろうか歩き方が危うい。ヒールやパンプスでぎこちなくなるのが定番でも、ココネはちょっとズレてしまう。そこもまた愛らしい。

 遅れる連絡は受けていた。待たされた側のララは怒っていない。

「ごっごめ、電車が、遅延、して」

「いいよいいよ電車のことだもん。それで、そのスニーカーなんだけど」

「あぁこれっ? えへへ、その、可愛いでしょ」

 何かを隠すような言い方だった。深追いはせず頷く。立ち話もなんだからと二人は買い物先のモール目指して進んだ。が、やはりココネは歩き慣れていないようでいる。

「大丈夫?」

「うん、平気。足の小指が突っかかる感じがしてねー……気になっちゃうんだ」

 そのうち足に合うよ、柔らかい笑みでココネは話し終えた。新しいスニーカーは汚れ一つもない。スポーツブランドのロゴが眩しかった。が、服と不釣り合いな雰囲気が引っかかり、ララの心に違和感が芽生える。ココネは必ずと言っていいほど服装と靴を合わせていた。

 今の格好ならパンプスが似合うし、わざわざ慣れていないスニーカーを履いてくるのだろうか。

「どうしても慣らしておきたいんだ」

 ララの視線に気付いたのか、ココネは上目で話す。

「そう、なんだ。でも無理はダメだよ」

 うん! と無邪気に返事をしたものの、モールに着いて買い物を楽しむ様子は伺えなかった。足を気にしていたし歩く速さも遅くなる。それでもララは苛立たず、化粧室のソファにて休むことにした。

 案の定ココネの小指の横は赤くなり出血もしていた。

「あーあ、もう。無理しちゃって」

「ご、ごめん……」

「怒ってないよ。変なココネ」

 いつもなら……いつもならココネは謝りながら、戯けるピエロのように振る舞うはずだ。痛いのも堪えて心配させまいと笑っている。本当にまずい時はしっかり反省する。

 違和感がグンと成長する。

 今のココネは焦りを浮かべている。こんなことで怒らないのに、とララがはにかむ。彼女は目を合わせず口を震わせていた。そんなに気を使わなくても良いんだから。バッグの中にあるポーチへ手を伸ばす。普通の絆創膏以外にも靴擦れ用も入れてあり、それを取り出して貼ってあげた。

 身を寄せた時、嗅ぎ慣れない異臭が突く。静止するララを見てココネは息を呑む。

「ありがと〜っ! いつもごめんねっはは……」

「何言ってるの。当然のことでしょう」

 そそくさと靴下を履き、スニーカーへと足をねじ込んでいく。彼女の匂いを追いかけようとするも、ふわりと漂う香水にかき消されてしまった。ココネお気に入りの香りに包まれ、ララは気のせいだと思うことにした。なんて言ったってここはショッピングモール。人の行き来は激しいので匂いが混じることもよくある。

「良いってことよ。それじゃあ次はどこ行く?」

「買うかどうか迷ったワンピース見に行きたい!」

「オッケー。ん……でもさ」

「でも?」

「ううん。なんでもないよ。可愛かったよねあのワンピース」

 もしそのスニーカーと合わせるなら別の服がいいよ、なんて言えずにララは笑顔を繕った。

 それからも、いつものように会い、話し、部屋へ招いた。背を伸ばした違和感から目を背けながら。誘ってくるのは彼女の方だった。メッセージを送ってくるのも、いつだって。

 自室で寛ぎながらやり取りをする、至高のひとときの中。スニーカーについての話があると心が傷んだ。無理して履くなんて変わっている。何かあったのかもしれない、けれど、

(あの子だって大人だもの、変わりゆくものよ)

 言い聞かせるたびに、無視すると決めた違和感へ水を与えてしまう。大人になるというのは、悲しいことだ。

 ララ自身そうでもないが他の友人らは一段階上の恋愛を楽しんでいるらしい。元から異性が苦手なララにとって縁のない話。合コンはまず興味もないし、職場の人も同じらしかった。浮いた話もない。

(……ココネも、誰かと恋愛とかする……よね)

 冷めたコーヒーを見つめ、大きく息を吸う。匂いはしない。虚無感が彼女を包み込む。


 しばらくして、ようやくココネから連絡が来た。忙しかったらしく、謝罪と絵文字が飛び交う。あの子らしいな。寂しかったというのは伝えなかったが、少しだけ会えることになった。

 いつものようにモールへ行き、変わらない風景を楽しもう。待ち合わせ先にはココネがいた。前より髪が伸びている。明るい赤茶のセミロングに見惚れながら、スマホで時間を確かめる。予定より早くに来ているだなんて。珍しさを胸にララは手を振った。

「ララァ!」

 無邪気に駆け寄るココネの顔は、なぜだろうか、化粧が濃く見えた。いつものナチュラル路線はどうしたのだろう。元から大きな胸元を強調する服装だって、なんだからしくない。それに、まだあのスニーカーを履いていた。ゾッと心臓が震える。

「雰囲気変わった!?」

「あっはは、ちょっとだけねっ」

 その瞬間。鼻の奥にまで異臭が貫いた。顔には出さないよう鍛えている。だけど、このニオイは耐えられない。顔をくしゃりと歪ませてしまった。別に香水が強いわけでもない。腐臭がするのでもない。

 生理的嫌悪感。

 動悸と吐き気を堪えているとココネが体を支えてくれた。が、一層刺激が増してしまう。振り払いながら、近くの椅子へ腰かける。発作にも似たこの症状は稀に起きてしまう。精神的なもの、とララは言い聞かせていた。

 変わりすぎたココネに驚いただけ。言い聞かせながら深く息をし、吐き出す。

「う、う゛ぅえ……っ」

 胃のなかがひっくり返りそう。原因はどう考えてもココネに——不安いっぱいで泣きそうな彼女にあるとしたら。

 どうして。会っていない間に何かあったの、ココネ。荒い吐息が言葉を防ぐ。

「あ、あたし、そんな匂う……嘘……ララ!?」

 綺麗なバッグから小さな香水を取り出すと、かき消すように吹きかけた。爽やかなシトラス系。決して強くない雰囲気がララを落ち着かせる。それでも微かにあの刺激臭は残っていた。

「も、もう、平気……ありがとう」

 吐き気は収まり、何事もないように振る舞った。ココネも何度か頷くも目の色はやや曇っていた。

 会話内容もいつも通り。食事も変わらず、期間限定メニューを選んでいた。腹ごしらえを終え軽い散策をする中、

「ねぇあそこ。お店閉まっちゃったんだね」

「ホントだ!」

 二人揃って衝立の前に行くも、そこにどんなお店があったか思い出せなかった。店名を見ても記憶から引き上げられることはない。

 雑談をしながらモール内を練り歩く。二人にとって大事な息抜きでもあった。来るたびにセールをしているシューズショップ、今流行りのカラーが並ぶ服、時期に合わせてディスプレイが変化する雑貨屋……時に目を奪われ、財布を緩め、笑いながら買い物袋を増やしていく。

 昔懐かしい駄菓子屋をイメージした店舗から出て、またも会話は盛り上がる。

 ずっとココネとこうしていたい。だけど、とララは肩から力を抜く。香水が薄れてきたのか刺激臭がララを蝕む。叶うことなら離れたい。例え相手が親友であっても。

 顔に出さないよう我慢するしかなかった。


 違和感が膨らんで蕾となったのは、友人からのメッセージ、噂話がきっかけだった。ココネと付き合ってる人について知らない? という内容。自室にいるララは思いっきり顔をひん曲げてしまう。

『ココネ誰かとつきあってるの!?』

 衝動に任せて送信する。すぐに既読はついた。

『そうだよ!! えっめっちゃ相談受けてんだけどマジで!?』

 返信の後に大笑いするキャラクター画像が投げられた。その子に悪意はないと受け止めながらも、嫉妬が違和感を掻き立てる。少しすると返事が現れた。

『あーーいやーーそのほんっとうにゴメン!』

『いいよいいよ! 話しやすさとかあるかもしれないし』

 少なくとも自分より向こうのほうが恋愛上手、苦笑いを浮かべてしまう。気にさせまいとララも画像を送った。

 ココネも大人だもん。恋愛ぐらいするよね。いい歳なんだから。繰り返す言い聞かせた、彼女の恋の進展を応援しようと。手に汗を滲ませながら言葉を打ち込んだ。

『そういえばさ、ココネが珍しくスニーカー履いてたんだ。いつもはパンプスじゃん?』

『あ!! そうそれ!!』

 何気ない言葉に食いつかれ、ララは身構える。やっぱりそうなのかもしれない。

 あの子は私のものじゃない。親友なんでしょう。

 返事を待つ合間にベッドへ身を投げる。ココネは親友。とびきり仲の良い子。放っておけなくて可愛くって危なっかしくて。

(いやだ……)

 随分前の会話でココネは語っていた。すごく頼れる先輩がいるんだと。歳はちょっと上らしい。性別については話さなかったが、とても楽しそうで、恥ずかしそうで、照れくさそうで。きっと自分のようにココネを気に入っている良い人なんだ。聞いているこちらも嬉しくなっていた。

 最近は話されなかったが、仕事の繋がり相手についてどうとか問うのも不自然だ。

『これさ。ココネには秘密だよ』

 メッセージがポツンと現れる。秘密なら話しちゃダメだってと静止する前に、ウインドウが現れる。

『仕事の先輩と付き合ってるんだって、二つ上の!』『背が高くって優しい雰囲気とか? 前ねシホが見かけたんだよ〜あっ私もね!!』『もう超びっくり、腕まで組んじゃってお揃いのスニーカー履いてたかな……もしかしてココネのスニーカーってでっかいロゴついてたよね??』

 話しちゃダメだってば、ココネに悪いよ。

 言葉は虚無に消えていった。


 仕事はなんとか取り組めた。周りに心配かけさせまいと気丈に振る舞うも、やはり気にされてしまう。言葉は受け入れるもララは大丈夫と返す。大丈夫でないと伝わったのかコンビニのお菓子や新発売のスナック菓子を与えられ、優しくされ、温かさを噛み締める。二週間経った今はオンとオフの切り替えも出来ている。

 一方のプライベートではほぼ何もしていない。必要最低限の掃除と食事を繰り返し、貰ったお菓子を齧り、雑に淹れたインスタントコーヒーを啜る。スマホのメッセージは見なかった。テレビのニュースも己から切り離し、適当に動画を眺める。可愛らしい動物やゲームのプレイ動画、宇宙や自然風景で現実から離れようと、逃げようとしていた。

 もう一人の自分が手を伸ばし、腐った手で首を絞めてくる。

 そんなに悔しかったの?

 そんなに辛かったの?

 ならどうしてあの子に思いを告げなかった? 向き合わなかった?

 何人もの自分が、自分を見下ろし呪詛と悪臭を放った。

 ただの噂だ、勝手に凹んでいるも同然、と奮い立たせるも立ち上がれない。足が震えている。違う。筋肉は失せて骨と皮だけ。痛い。怖い。このまま丸まって球体のゴミに、嫌なニオイを放つ塊になってしまう。

 ああいやだ。生ごみなんかじゃなくて、ラフレシアのような花になりたかった。

 有りもしない妄想は毎日繰り返された。心に芽吹いたあの違和感は、ココネへの不信感と嫉妬に狂い腐臭を放つ。涙は少しも溢れない。

 スマホが着信を告げる。音がうるさい。バイブ音が耳障りだ。

 しばらくして、インターホンが鳴った。無視するも繰り返し押して、しまいには扉を叩き始めた。恐怖よりも強い怒りが勝り、ノロノロと身を動かす。突き動かすのは腐り澱んだ感情。念のためだとフライパンを握り、チェーンをかけながらゆっくりと開ける。

「ララ……よかった、いたん、だ」

 向こう側にいたのは涙目の親友、ココネだった。ケバい化粧でもない。靴はパンプス。いつものあの子がそこにいる。

「って、部屋暗っ! ね、ねぇ……ララ、どうか、した?」

「そ……れ、はッ!」

 こっちのセリフだ。言い放つ前にココネは顔を歪ませ泣きはじめる。薄い化粧の膜が崩れ、大粒の水滴は二人の間に流れ、あとを残した。

 刺激臭は一段と強い。イカ臭いような、独特の雰囲気。

 ふとララは思い出す。ラフレシアみたいなニオイを放つ花がある、と。

「ねぇ、どうしよう、あたし、あたし……でき、ちゃっ……た」

「でき……は? 何言って——」

「せんぱ、い、との……どうしようララァ」

「え、ちょっ……と、え、とりあえずココネ、入って」

 こんな所で放置できない。彼女を入れる前に周りを確かめ、フライパンを強く握りながらチェーンを外す。万が一自分に何かあった時のためだ。強く外を睨んでいると、ココネが困惑した声をあげる。

「あ、あれ。もしかして料理中……前、だった?」

 初めて悪意がないのだと気付いた。キョトンとする小動物の顔を見るうちに力が抜けてしまう。返事をせず部屋の明かりも点けゆるゆると歩いた。

 ココネはいつもの場所に座り、俯いたかと思えばしっかり前を向く。

「もしかしたら、もう……知ってるかもだけど、デキ……たの。先輩と、の。えっとね、先輩っていうのは」

「職場の人でしょ」

 あまりにも冷たい声にララ自身も驚いた。ココネはびくりと怯えるも目を背けない。確かな強さがあった。眩しい。逸らしてしまったのはララの方だった。

「うん……そう、なんだ。それで、ね。あたし、先輩と、付き合ってて、付き合うだけで……結婚なんて考えてないよ!」

「話したの? その人に」

「先輩には、うん、話した……そうしたら——」

 彼女が言うより早くララは這いつくばり、ココネの腹に顔を寄せる。まだ平たくて宿っているかどうかも不明なぐらい。でも、いずれは奇妙に膨れてゆくのだろうか。呪詛を飲み込んでララは目を瞑った。覚悟を決め、思いっきり吸い込む。鼻から口へ、胃と喉へ。刺激は脳に届いていく。

「ララ!?」

「だから、だったんだ。このにおい」

 異臭の原因。彼女に染みついた毒。毒。

 そう。これは毒なんだ。

 体温が引いてゆく中、ララは体勢をを変えずに口を開いた。

「ココネはどうしたいの」

「……けて、助けてほしいの! だってあたし、先輩と結婚するお金もないし、仕事だって、あるのに」

 じゃあなんで身籠ったの。後先考えずに何かしたんでしょう。呪いの言葉は自分の中に留めておいた。ココネは本当に困っている。きっと周りに頼れなかったのだろう。助けてほしい。すがるような彼女の目には涙が浮かんでいた。

「私ね。薄らとだけど気付いてたの。ココネからする変な臭い。……ねぇココネ」

 冷たい涙が彼女のワンピースに落ちる。ようやくララは気がついた。この服はあの時買ったものじゃないか。手が届くまであともう少しだったんだ、きっと。

「お母さんに、なりたいの? ココネはどうしたいの?」

「わっわかんない……わからないの! 自分のことなのに、自分のこと、なのに……情けなくって、あたし、大人なのに」

 ゾンビのように身を起こし、嗚咽を漏らす親友を眺めた。心に咲いた違和感は後悔の実を宿している。こうなってしまうのなら想いを告げてあげればよかった。

 彼女に聞きたいことはたくさんある。責める気はない。だけど今の自分では鋭利な刃物で傷つけてしまいそうで、抱きしめることしか出来なかった。腕の中でココネは子供のように泣き喚いた。ごめんなさい。ごめんなさい。背中をさすると肩に顔を埋めた。

 ぼんやりとララは考えていた。

 貴女を蝕む腐臭と異臭の元をどうすれば良いの?

 異物を刈り取ったら臭いはなくなる?

 私の匂いに染まってくれる?

 現実の中でララは幻想に包まれた。強い腐臭による錯覚だと受け入れる。部屋の形がぐにゃりと歪み、大きくて真っ赤な花が周囲に咲き、人間より大きな花が床から生える。

「……あれは、あぁ思い出した……ショクダイオオコンニャク」

 幻想の植物に手を伸ばし、ララは微笑む。


 数日後。ララの機嫌はすっかり良くなり調子も戻った。嗅覚は相変わらずであるが気にならない。気がかりなのはココネのメンタルであるが、彼女は元より愛されタイプ。ララはもちろん学生時代から会社の人に励まされている。

 もう大丈夫。しっとりと目を細めた。気持ちのオンとオフはしているつもりでも、職場の人には「なんかいいことあった?」と聞かれてしまう。先日のお礼として持ってきたお菓子を配りながら、ララは爽やかな笑みを浮かべた。

「解決したんです、私の悩み。あの時はご迷惑をおかけしました、よかったらこれ食べてください!」

 

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