第4話 - 邂逅

 車輪と車軸が擦れ合い、ノイズのような音が鳴らされている。荷台に乗っている荷物は、台車が進むたびにゆっくりと頭を振って揺れていた。


 シンは今、精霊院バルレに向かって人力車を引いている。


 すでに目的の場所は目と鼻の先にあるが、それが小高い丘の上にあるおかげで、辿り着くためには急勾配な斜面を登らなければならなかった。焦って駆け上がろうとすれば、荷台の荷物がずれ落ちてしまう。シンは一歩一歩に時間をかけ、着実に丘を登っていった。額には、うっすらと汗がにじんでいる。太陽はほとんど沈んでいて辺りは薄暗く、汗の冷えた箇所は肌寒く感じられた。


「はあ……はあ……。やっと、着いた。迷ったせいで思ったよりも時間がかかっちまった……」


 シンの目の前に、大きな煉瓦を積み上げて作られた教会のような建物が現れた。建物に灯りは一切なく、そのせいで輪郭がぼやけて見える。建物の正面にある入口らしき両開きの扉は、人力車の幅よりも狭かった。


「さて……」


 シンは、丘のふもとから見るよりも建物が大きく感じることに軽く驚きながら、人力車を搬入できる裏口がないかを探し始めた。本来であれば正面の入り口から尋ねるべきだが、シンは極力人と関わりたくないという思いから裏口から搬入し、その場にいる用務員とのやり取りだけで配送を済ませることが多かった。いつものように、正面玄関を避け建物の左方向へ回っていく。


(思っていたよりも立派な建物だ。裏口は……)


 建物の周囲に柵などはなく、窓を覗くと簡単に中の様子を伺うことができた。ほとんどの窓はカーテンが閉まっていたが、二階の角部屋の窓だけカーテンが開いている。シンは、その中で人影らしきものが揺れ動いていることに気が付いた。


(……あそこには誰かいるみたいだな。影の大きさからして、大人の男か?)


 訝しげに窓を見つめる。暗闇のせいで中の様子や人物はよく見えない。シンは、自分の果たすべき目的とは関係がないと判断した。


 裏口探しに戻ろうと窓から視線を外したその瞬間、二階の角部屋から男性の叫び声が聞こえた。


「!?」


 シンは、男性の声がする二階の角部屋に注目した。


 男性の叫び声は唸り声に変わり、角部屋からは何かを叩きつけるような衝突音が繰り返し鳴っている。衝突音が鳴るたびに、その衝撃で建物全体が震えていた。


「な、何事だ……?」


 シンは人力車をその場に置き、後退りをするように建物から距離を取った。衝突音は何度も繰り返され、その度に男性の呻き声が聞こえる。この大きな建物が全壊するのではないかと思えるほど、その衝撃は大きかった。


 衝突音が何度か繰り返された後、突如甲高く硬い音が鋭く響き、建物にある窓ガラスがすべて割れた。割れた窓ガラスの破片が、シンの足元にまで吹き飛ばされてくる。


「うっ!! なんだ、ちくしょう! 何かいるのか!?」


 シンは思わず飛びのいて地面に突っ伏し、両前腕で顔を覆った。心臓は破裂しそうなくらい激しく脈を打っている。額からは玉のような汗がいくつも流れ、目の瞳孔が大きく見開かれていた。


 衝突音と男性の声が止み、建物に静寂が訪れる。


「はぁ……はぁ……。お、おさまったのか……? くそ、灯りがないからよく見えない……」


 頭を上げ、目をしばたたかせながら二階の角部屋を見つめるが、人影は見えなくなっていた。埃なのか煙なのか分からない灰色の粒子が、窓から立ち上がっている。


 心臓の鼓動が落ち着いてきた頃、地面に何かが落ちる音がした。シンは慌てて頭を下げ、落ちてきた何かの様子を伺う。落ちてきた何かは暗闇の中で黒いシルエットとしてその場にうずくまっていて、一部が赤い光を放っていた。辺りは静寂に包まれているが、シンがよく耳を澄ましてみると人間がすすり泣くような音が聞こえた。


(なんだ……? 泣き声……?)


 すすり泣くような音は、黒いシルエットから聞こえているようだった。シンは体を起こし、警戒心を保ったまま黒いシルエットに近づいていった。呼吸を荒げないように気を付けながら、黒いシルエットに近づいていく。焦ったり緊張したりしてはいけないと自分に言い聞かせるが、何故か右手は震えていた。


「お、おい……。あんた、大丈夫か?」


 正体がまだはっきりとしない距離から、黒いシルエットに呼び掛ける。黒いシルエットから返事はない。うずくまったまますすり泣いている。シンはじれったくなり、数歩進んで黒いシルエットとの距離を縮めようとした。忍び足で少しずつ歩を進め、あと二歩三歩進めば触れられるくらいまで接近する。近づいたシンは、黒いシルエットが小柄な女性であることに気が付いた。赤い光は彼女の左腕から発せられているようで、彼女はその左腕を抱え込むようにしてうずくまっている。シンは彼女に何か悪いことが起きていると察し、両肩を掴んで声をかけた。


「おっ、おい! あんた、マジで大丈夫か!? どこか痛いのか!?」


 肩を掴んだまま顔を覗き込んだそのとき、小柄な女性が左腕を振り回しシンを殴り飛ばした。


「ぐぁっ!?」


 思いがけない攻撃に防御が間に合わず、その場から吹き飛ばされる。転がりながら受け身を取ったが、彼女の殴る力があまりに強く、その衝撃でシンは脳震盪を起こしてしまった。吹き飛ばされた場所から立つことができず、うつぶせの上目遣いで彼女を見る。


(なんだ、こいつの力は……!?)


 小柄な女性は立ち上がっていた。右腕で左腕を抑え込んでいる。


 シンは彼女の左腕を見て驚いた。


 シャツの袖から見える左手が、闇のように黒かったからだ。


 そして、その黒は彼女の左上半身にまで広がっている。


 黒い皮膚には、何本もの赤い筋が血脈のように浮かび上がっていた。赤い光の正体は、この赤い筋のようだった。小柄な女性は、地を這うような唸り声を上げている。何かに必死に抗っているようだった。


 シンの心の中には、その姿への驚きと同時に「まさか」という感情が芽生えていた。吸い込まれるように黒い皮膚と、血脈のように枝分かれする赤い筋。文字や絵でしか知らない、シンにとって空想上の生き物に近い"あの存在"と酷似している。


 確定はできない。出会うのは初めてだから。


 しかし、シンは確信した。


 これは、悪魔だ。

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悪魔に取り憑かれた少女と、悪魔を祓うために生きる少年 @urontya21

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