夜桜とたぬき山
蒼樹里緒
夜桜とたぬき山
その昔、たぬきが出たかどうかは不明。自治体の公式サイトにもそう書かれているのに、その公園は『たぬき山』と名付けられていた。
残業をやっと済ませた頃には、終電に近い時間になってしまっていた。くたくたの体でどうにか電車に跳び乗って、自宅最寄駅からのんびり歩いて、わたしはふらっと公園に入った。
深夜でも明るく光る街灯と、それに照らされる満開の桜の樹を見てほっとする。
仕事疲れがあっても、どうしてもやりたいこと――深夜の一人花見。会社の花見会とはまた違った雰囲気で、桜を眺めたかった。
石段を登って、広場の[[rb:東屋>あずまや]]に座った。コンビニで買った花見団子と缶ビールを、膝の上と脇に置く。
緩やかな夜風に乗ってひらひらと、桜の花びらが東屋に舞い込んでくる。砂場や、その奥の大きなコンクリートの滑り台にも。
澄んだ静かな空気の中、甘いお団子をもぐもぐと噛む、ささやかな幸せ。住宅街の台地の急な斜面を利用して作られた公園は、桜以外の植物も多くて、元々は本当に山だったんだろうなと思える。
――でも、なんでたぬき山なんて名前にしたんだろう。
この町で育って二十年以上経ったのに、わたしはその理由を未だに知らない。
缶ビールをまた一口飲もうとした時、足元に何かが近づいてきた。
ずんぐりむっくりした体型のそれは、わたしの膝にあるお団子をじっと見つめる。
「……たぬき?」
触ったら温かそうなこげ茶色の毛並みと尻尾を持つそれは、どう見ても公園名の由来になった動物だ。
――今まで目撃情報は全然なかったのに、なんで?
そもそも、野生で見かけるのなんて鳥や虫、野良猫くらいなのに。しかも、人間を前にしても逃げないなんて。人馴れしているのか、怖いもの知らずなのか。
透明なパックから花見団子の串を手に取って、わたしはたぬきに向けてみた。
「食べる?」
相手はのそのそと寄ってきて、一番上のお団子の匂いを嗅ぐ。そのまま口を開けてかぶりつこうとしたけど。
すかっ。
「あっ」
たぬきの体は、よく見るとほんのり透けていた。
――まさか、幽霊……!?
缶ビールの酔いが回るには早すぎる。わたしは霊感ゼロのはずなのに。
めげないで何度もお団子をかじろうとするたぬきが切ない。死んでいる自覚がないのかも。
「ごめんね。きみは食べられないみたいだね」
たぬきの頭や背中を撫でようとしても、自分のてのひらはやっぱり空振りしてしまう。
お団子とわたしの顔を見比べる相手の表情は、ちょっとしょんぼりしているようにも見えた。
「わたしが、きみの分までおいしくいただくから」
もちもちとしたお団子を噛む間も、たぬきはわたしの足元に座って、たまに毛づくろいをしている。お花見に来たはずなのに、夜桜よりも幽霊が気になるなんて。
「きみ、この辺に[[rb:棲>す]]んでたの? 家族や友達は?」
言葉が通じるわけがないけど、つい話しかけてしまう。お互い[[rb:孤独>ぼっち]]でいるよりは、心が穏やかになるだろうから。酔って見ている夢や幻だとしても、まぁいいや。
「この辺、坂が多いから昔はほんとに山だったんだろうけどさ。たぬきに会ったのは、今日が初めてだよ」
野生動物は警戒心が強いし、猫ならともかくたぬきはすぐ逃げるだろうって予想していた。たとえ、わたしの花見団子にものすごく惹かれたんだとしても。
食べ終わったお団子のパックを、ゴミ箱に捨てようとした時。
「おい、そこは俺の特等席だぞぉ。勝手に座ってんじゃねえよぉ」
きつねみたいな顔の太ったオヤジが、ふらふらしながら東屋に近づいてきた。
――本物の酔っ払い来たー!?
周りの気温と自分の体温が、一気に下がった気がした。
荷物をまとめてさっさと逃げようとすると、たぬきが急に駆け出して。
きつねオヤジの顔面めがけて、勢いよくジャンプした。
「うわっ! 何だ、こいつ!」
――しかも見えてる!?
わたしにだけ見えた幻覚じゃなかったみたい。
すかっ。
お団子をかじろうとした時と同じように、たぬきはやっぱりきつねオヤジの頭を素通りしたけど。
ビビったオヤジは、跳びかかられた勢いで地面にどてっと転がった。
――よし、今のうち! ナイス、たぬき!
大きい滑り台の脇にある階段を早足で上って通路を進んで、ブランコのある広場に出る。
きつねオヤジは、東屋が特等席なんて言っていたし、ここまではわざわざ追いかけてこないだろう。
たぬきもまだ付いてきていて、ベンチに座ったわたしの足元に寄ってきた。
「ありがとね、助けてくれて」
缶ビールの残りをのんびり飲みながら、わたしは夜空を見上げる。東屋の下からじゃ見えなかったそこには、たぬきのお腹にも似た満月が、ぽっかりと浮かんでいた。たまにふわふわと桜の花びらも飛んできて、風流な風景だ。
「ほら、お月様がきれいだよ。きみも見てみなよ――あれ?」
足元に視線を戻すと、たぬきはいつの間にかいなくなっていた。
やっぱり、わたしの都合のいい夢や幻だったのかな。
それでも今日は、この公園を『たぬき山』と名付けた人にも感謝したい。
たぬきやきつねに化かされる――なんて迷信も、こういううれしい出来事ならちょっとは信じてみたくなった。
夜桜とたぬき山 蒼樹里緒 @aokirio
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