男が極限まで減った世界で、彼は彼らしく生きていく

春野 安芸

短編


 この世界は、たった一人の研究者によって一変してしまった――――


 かの研究者は、始まりは虫の研究をしていたという。

 国の依頼で多数の感染症を媒介するとある虫の、特定の種を絶滅させるため日々奔走していた。

 ある時は毒を散布し、またある時は餌に致死性の高いものを織り交ぜ、その種だけをターゲットにした研究を行っていた。


 そしてある時、かの者はその結論に至った。

 それは遺伝子組換えによってオスだけは成長しきる前に死亡し、なおかつその子供にも同じ効果を発揮するというもの。

 遺伝子組換えによって作られたオスは繁殖期前後に死亡し、その子も同様。メスだった場合は次に生まれてくるのがオスだったら同様に死亡してしまう。

 成長の早い個体によっては一般的な繁殖期前に子を成すことができたが、それでも種の激減には大きな効果をもたらした。

 

 結果、その虫は驚異になり得ないレベルまで減少し、その研究者は国をあげて称賛された。

 代々虫の介する感染症が主な死因になっていたその国は平均寿命が大きく伸び、一般的な平均寿命に追いつくようになっていった。


 まさに英雄。かの者は国を代表するまでに上り詰め、その後の人生一生安泰と呼べるまでの地位と財を手にするのであった―――――





 ――――そう、思われていた。

 しかし、研究者は見てしまったのだ。上り詰めたゆえに、人の果てしない欲と悪意を。

 これまでの人生、周りから『変人』と呼ばれるまでに研究に没頭していたからか、その真っ黒な塊に精神が耐えることなどできなかったのだ。

 そしてかの者は思い付く。これまで歩んできた人生、没頭してきた人生を活かせる悪魔の研究を。


「そうだ。この研究をヒトにも応用できないだろうか――――」


 それから先の人生はまさに執念の一言だった。

 ただひたすら、これまで以上に研究にのめり込み、実験。失敗。実験。失敗の繰り返し。

 もはや狂気。人の倫理に反することも沢山やってきただろう。しかしそれでもお金には困らなかった。だって英雄の名を手にした時に貰ったお金研究費があったのだから。



 そして晩年。研究者はついにたどり着いてしまった。人を絶滅させるに至る結果に。

 人を守るため虫を絶滅させる研究だったのに、今度は人を絶滅させるとは何たる皮肉か。

 目の汚れきったかの者に躊躇はない。研究者は非人道的なことも沢山やってきたその毒を持った『新たなヒト研究結果』を世界に解き放つ。






 解き放たれたそれは、世界に多大なる影響を及ぼした。

 悪意からだろうか。研究者は『新たなヒト』と成した子に加え、接触した段階でソレが伝染するようにしてしまったのだ。

 接触がどのレベルかは未だ研究が進んでいない。それを解明するよりも早く比較対象である人が毒にとって亡くなってしまったから。



 しかし人間はそれでも生きしぶとく、耐性を得うるものだった。

 研究者が亡くなってからしばらく。極わずかではあるが男子に毒への耐性が獲得された。

 本来15を超えると身体に変調出るところなんの変化も示さず、まるで旧態依然の人のように生きることができるのだ。


 もはや相当数の人口減。特に成人男性が致命的に少なくなった世界の総出でその者の保護へ乗り出した。

 これは噂レベルではあるが、耐性を持つ男子は生まれると同時にナニカを握っていたらしい。


 噂はあくまで噂。

 真偽など確かめようはないが、結果世界は絶滅を免れ、これまで通りの日常を取り戻すことに成功した。

 ただ懸念点は男女比にかなりの偏りが見られること。国の有力者が男子を囲った結果、街中から男が消え去った。


 一応突然変異という形で15を越えても生きる者はいる。しかし本当に極わずか。5000人の人口あたり1人というレベル。

 彼らも生まれつきの耐性持ちより自由が多いものの、いずれ囲われることが運命付けられていた。




 そんなディストピアの世界の中、15を越えても生きている幸運な者が、ここに一人――――



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



兼人かねとー! 起きなさ~い!」

「んん…………」


 深い深いまどろみの中、俺は外界から聞こえる声から逃げるように布団を深く被る。

 フワフワの、心地よい布団。その暖かい羽毛布団の中、もっとまどろみに流されようと意識を更に深く潜って――――


「いい加減……起きなさいってばぁっ!!!」

「~~~~!! さっ……む!!」


 ベッドの上で丸まるよう身体を縮こませながら眠っていると、不意に布団が引っ剥がされる。

 それならばまだいい。大事な暖かな布団が無くなってしまったのは惜しいがまだ眠ることができる。

 しかし背中と服の隙間に入り込んできたのは身も震え立つような冷たくて湿り気のある物体。

 何事かと意識を急浮上させながら身体を起こして裾の部分をバタバタとはたくとゴロリとした氷がベッドの上に転がってきた。


「起きた?」

「…………佳穂かほか」


 一体何なんだと俺の背中に氷を放った犯人を見れば、ベッドの横に仁王立ちで睨みつけている少女が目に入る。

 その様子は明らかに怒っているが、あまりにも覇気がなさすぎて全く怒っているように感じない。

 俺は氷を脇に寄せ彼女に背を向ける形で再度目を閉じる。


「ちょっ……! なんでまた寝るのよ~!氷もそのままにして~!」

「だって眠いし……」

「これでもギリギリまで寝かせて上げたんだからねっ! もう春休みは終わったの!学校始まっちゃうよっ!!」

「!!!」


 学校――――

 その言葉に大きく目を見開いた俺はベッドのスプリングを駆使してトランポリンのように飛び降りる。

 あまりに勢いよく飛び降りたせいで佳穂が「きゃっ!」と声を上げるが構うこと無く今まで着ていた服を脱ぎ捨てる。


「ようやく起きた。早く準備…………って、なんでここで着替えてるのよ!!」

「そりゃ俺の部屋だからだろ!なんでもっと早く起こしてくれないの!?」

「起こしたってばぁ! それより私のいないところで着替えてよねっ!!」


 白い肌を一気に紅潮させた彼女は手で顔を覆いつつ、その隙間で俺の姿をジッと見つめている。

 上のシャツは着替えた。後は下を着替えれば完了だという直前で、服に手をかけつつ俺は手を止める。

 そんな俺の様子が不思議に思ったのか彼女も隙間から見える瞳をパチクリさせて口を開く。


「……なによ。着替えないの?」

「いや……もしかして着替えるとこみたいの? そうだったら下着ごと下ろすけど」

「なっ…………何言ってるのよ兼人!!あっ……私がそんな……そんなの見たいわけないじゃない! この変態!!」

「もふっ!!」


 ニヤリと口を歪めながらチラリと下着ごと少し下ろしてお尻の一部分を見せつけると彼女はこれ以上ないくらい顔を真っ赤にさせて近くにあった俺の枕を投げつけてくる。

 服に手をかけていた俺は当然、飛んでくる枕を受け止めることができずに顔面で受け止めることになってしまった。


「もうっ! 兼人なんて知らない!早く降りてきてよね!!」


 プリプリと怒りながら扉を勢いよく開けて階下に降りていく佳穂。

 俺は落ちた枕を拾い上げながら着替えを続行して彼女に続くのであった。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「忘れ物はなぁい? ハンカチ持った?ティッシュは?」

「なにそれ……小学校じゃないんだからさ……」

「いいのっ! 持った!?」

「はいはい。持った持った」


 着替えも終わって出掛けの時間。俺と佳穂は玄関にて忘れ物がないか確認する。

 スマホもあるしバッグの中身は昨日(佳穂が)全部準備した。あとは家をでて向かうだけだ。


「それじゃあ行くかね。…………? 佳穂?」

「…………」


 扉を開けて一歩前に踏み出すも、佳穂は靴を履くこともなくその場から動こうとはしない。

 そんな様子に不思議に思って俺は引き換えして彼女と向かい合う。


「……兼人、今日から始まる高校、男子って一人だけなのよね?」

「……そう聞いてるな」


 今日―――――

 それは高校の入学式。

 この世界は極端に男の数が少ない。その理由は小学生でも知っている当たり前のことだ。

 しかしそんな中極稀に15歳を超えることができた俺は、生まれて初めての学校生活である高校の入学式を迎えるのであった。


 小学入学時から10年弱、ずっと施設で過ごしてきた俺にとってそれはかつてないほど心踊るものだった。

 隣には幼稚園時代から一緒にいた佳穂がいる。


 一度は別れ、再び再開した彼女。

 昔から殆ど変わること無く小動物のような彼女は手を前に重ね何か言いたげな目線を俺に向けてくる。


「その……ね? 男の子は大切だって、みんなから注目されるってわかってるの!でも……えっと……私のことも、忘れないでいてくれる?」


 ほんの少し目の端に涙を溜めながら上目遣いの彼女から出た言葉はそんなお願いだった。

 5000人あたりにつき1人。そんな確率の男はどこからも注目されるらしい。だから彼女も不安に思ったのだろう。俺は気にするなと思いを込めながらその小さな頭をワシワシと撫でる。


「きゃっ……! 兼人……?」

「ほら、行くぞ。学校に遅れる」

「うん…………」

「全く、何あり得ない心配してるんだか。 そんなのあるわけ無いだろ」

「兼人…………うんっ!!」


 彼女と極力目を合わせないよう気を払いながら小さく言葉を紡ぐと、その小さな耳にも届いたようで、さっきとは一転楽しげな口調で俺の横にくっついてくる。

 

 俺は今度こそ扉を開けて佳穂とともに家を出る。

 そしてこれから待ち受ける学校生活に、胸を高鳴らせるのであった――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

男が極限まで減った世界で、彼は彼らしく生きていく 春野 安芸 @haruno_aki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ