第3話 友と思い出
僕の職場では、十三時は昼休みに当たる。十二時台でないのは少し珍しいみたいだが、人の出入りの多い昼まっただ中の時間を避けゆっくりと昼食をとってほしいという上の計らいらしい。
とはいえ、編集部は昼夜逆転もいとはない魔物の巣窟である。彼らにとって、深夜の二五時も十三時もさほど区別がない。その代わり、恩恵を受けるのは三階の僕ら広報部や経理である。昼休みとなると、皆外に繰り出し、フロアは人が閑散とする。
編集部から見て、僕らがただ飯ぐらいと言われる所以である。
実際に、加わってみればそうではないと分かるのだけれど。
「今日はトンカツなんだな」
黙々とコンビニ弁当を掻き込む、木崎にそう声を掛けた。ぎゅうぎゅうのご飯がプラスチック容器の半分を占め、衣の湿った肉厚のカツが五切れはみ出して、ご飯に足を乗せている。木崎は毎日コンビニの弁当だが、一月ほとんどメニューが被ることがない。僕も最近、参考にしているのだ。
「ん」曖昧な返事をして、ご飯を飲み込むと「まあな」と木崎は言った。
デスクには僕と木崎しかいない。
僕の机の上には重なった書類の山がないから、向かいの木崎の顔がよく見えた。
木崎は僕の買ってきたコンビニのそばを意味ありげに一瞥したが、何も言わず冷えたトンカツを一切れまた頬張った。
僕も負けじと冷えて麺と麺が絡まったそばを無理矢理飲み込んだ。
「そばだけじゃ物足りなくないか?」
社員もまばらに帰ってきた頃、食べ終えた後をゴミ箱に詰めながら彼は言った。
「物足りない?」僕は聞き返した。
それはどういう意味で、思わず言葉が出そうになるが、それは言葉通りの問いでしかないのは明らかだった。「まあね」今度は僕が濁った返事をする番だった。
僕と木崎は同期である。
新人研修で不得手なエクセルに苦戦する僕のパソコンを指導員がいない空きに奪った奴がいた。それが木崎だった。何をするのかと固まる僕の前で、木崎は鮮やかに問題を解決して見せた。それは出来た者から評価される個人戦的な課題だったのに。
優しくて優秀なやつだと感謝した覚えがある。
木崎も当時から口数の少ない男だったし、僕は僕で人見知りをする質だから、研修期間を共にしたとはいえ、余り多くの会話をした覚えもない。でもそのときの彼が印象には残っていた。木崎は文芸誌の編集として、僕は漫画雑誌の編集担当となった後も、二階の編集部フロアですれ違うと会釈くらいは交わす仲だった。
人事の中でもハズレと呼ばれる宣伝部に僕が異動になったとき、その顔ぶれの中に木崎がいた。僕が驚いたのも当然だった。優秀な男がどうして? 僕が無為に過ごした時間の長さを改めて思った。
木崎は今思えば、普段無表情な彼には珍しく微笑むような目で僕を見ていた気がする。が、僕の気のせいかもしれない。その後に、投げかけられた言葉に彼の表情の記憶まで塗り替えられてしまったのかもしれない。
「ここはさ、俺たちの居た場所に比べて本当に暇なんだ。お前も俺にある程度仕事を振って、少し休めよ」
耳元で木崎が囁いた。
僕はただ瞳孔を大きく見開くことしかできなかった。我に返ったように振向くと、木崎はもう声の届かないくらい遠くにいた。
僕は僕が広報部に異動してきた理由を木崎に話していない。
そして、敢えて木崎の理由も聞いていない。
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