ダンジョンにはカレー屋が必要だ

カフェ千世子

ダンジョンにはカレー屋が必要だ

 その男は、梅田の地下街を歩いていたはずだった。気づいたときには、岩壁に囲まれた洞窟のようなところにいた。

 そんな馬鹿な、と思いつつどこだかわからないところを歩く。


 ところどころ、行き止まりに出くわしつつ、洞窟をひたすら歩く。

「宝箱?」

 ゲームみたいだな、などと考えながら宝箱を開ける。

 少し開けると、動く何かを見た気がして、びびってのけぞる。


 瞬間、牙なのか爪なのか、異形の鋭い尖った物が襲ってくる。

「うわああああ!」

 男は大絶叫して、その場を後にした。



「ああああああ!」

 興奮冷めやらぬまま、声を出して走っていると、先程まで静かだった洞窟内がにわかに騒がしくなった。

 でかい蜘蛛だとか、でかい変な色のは虫類だとか、でかいコウモリだとかが、彼を目指してやってくる。

「来るな!来るな!」

 叫びながら、走り続けた。次第に、声が出せなくなったので無言で走っていると、異形の生物の数が減った。

 先程までなにも出なかったのは静かに移動してたからだと気づく。


 こんなところに、いつまでもいられるか!


 思った彼は、真剣に脱出することを目指した。

 途中、地下へ降りるような階段を見つける。違う! と却下する。目指すのは、あくまで出口。地上である。


 ここが梅田だったなら。彼は思い出していた。

 梅田の地下街ならば、カレーの匂いを頼りに位置がわかるのだ。

 彼は仕事で梅田の地下街を歩くことがしばしばあった。なので、地下街の地理を把握するために、カレー屋を目印に覚えていたのだ。


 カレー屋があれば、出口にたどり着けるのに。


 混乱した頭で願ったのは、そんなことだった。

 ダンジョンには、カレー屋が必要だ! そう強く思った。




 ゲルトが出会った初心者冒険者ヒロキはどこかおかしなやつだった。

「じゃあ、この世界にはすでにカレーがあるんだな!」

「ああ、どこかの落人おちびとが広めた料理だ」

「カレーが食べれる! 先人に感謝……」

 そう言ってヒロキは涙を浮かべている。

 そんなに食べたかったのかと思っていると、

「なあ、材料はどこで手に入るんだ?」

「自分で作る気かあ?」

 勢い込んで聞いてこられて、ゲルトは戸惑う。

「料理をするのが珍しいのか?」

「そういうわけじゃねえけど。そんな凝った飯を作るのか」

 男の料理なんぞ、材料を煮る、焼く、とりあえず味つける。それで終了だ。

「香辛料をたくさん使うんだろう? あれって結構高価だぞ」

「やはり値が張るか。しかし、やむを得ん」

「明日の食い扶持を稼ぐのもやっとの癖に」

 やはり落人は思考回路が変わっているな、とゲルトは思う。


 ヒロキは落人である。ある日突然、異世界からこちらに落ちてくる人々を落人と呼んでいる。

 落人は異世界の知識を豊富に持っていたり、変わった技能を有していることが多い。

 かつては、国を挙げて懸命に保護していた。だが、落人の数が増えるにつれ、すべてを国で保護するのは難しくなった。

 とはいえ、彼らは大体有用なことが多いので、落人は見つけ次第親切に世話を焼いてやるのが、この国の習いである。

 そして、彼ら落人は妙なこだわりを示すことも多い。

 ヒロキのカレーへの執着も、落人特有のこだわりだろうと、ゲルトは推測する。

「まあ、今度店に連れていってやるよ」

「弟子入りできるかな」

「お前、冒険者になったんだよね!? 料理人目指すのか!?」



 ヒロキがある程度自力でダンジョン攻略やクエスト攻略ができるようになった頃、ヒロキは本当にカレー店に弟子入りした。

「今まで面倒見た日々はなんだったわけ?」

 ゲルトは抗議したが、ヒロキは変わらず冒険者を続けるという。

「俺にとってカレーとダンジョンはひとつに結ばれてるんだ」

「意味がわからん!」

「まあ、これは俺からのせめてもの礼だ」

 ヒロキが振る舞ってくれた彼自作のカレーはなかなかうまかった。

「またダンジョンで出会ったら、食わせてやるよ」

「ダンジョンの中で作る気か?」

 まさかと思いながら言えば、自信満々にうなずかれたのだった。



「うわ。本当にやってる」

 とあるダンジョンに潜ったところで、入り口付近に鍋で具材を煮込んでいるヒロキと出会った。

「なんでこんなとこでやってんの? そこの街中で開店しろよ」

「ダンジョンでやるから意味があるんだ」

「……税金対策か?」

 尋ねても、首を振る。とりあえず、作ってくれたカレーは普通に美味しかった。



 また別のダンジョン。ここは、半分水中に埋まっているような作りをしている。

「いや、またこんなとこで」

 ゲルトは水没地点の手前でまた鍋を混ぜているヒロキと出会った。

「食べてくか?」

「……ああ」

 カレーは前回と違って、魚介が入っていた。

「いや、まさかなあ」

 なんとなく、眼下を泳ぐ怪魚モンスターを見やる。

「あいつらって、川魚みたいな味なんだな。フライにしてもありだった」

「やっぱりやってた! モンスター飯か!」

 駆け出しの頃に非常時の食事としてモンスターを調理することもあるとは教えた。しかし、積極的に食べるものでもない。

「なあ、こんな騙し討ちみたいなことはやめとけよ。怒られるぞ」

「なぜだ。みんなうまいうまいって食べていくぞ」

「どんだけ振る舞ってんの!? あっ! しかも金とってる!」

「タダなわけないだろ。材料手に入れるのも、苦労してるんだから」

「ええ~~……」

 人体実験では? とゲルトは思うのだが、ヒロキは悪びれない。味がよければいいだろと宣う。

「俺は、ただで食わしてくれんのか」

「世話になったからな」

 気遣いは嬉しいのだが、騙し討ちされているのでゲルトは素直に喜べなかった。




 そのダンジョンは、深い森と湿気で構成されていた。ダンジョンの最奥に行けば、崩れた神殿のような建物があり、大きな扉で閉ざされた空間で最後の試練が待っているという。

「ええー、ここでもやってんのかよ」

 その試練の扉前でヒロキはまた鍋を温めていた。

「よう、景気付けに一杯いくか」

「まあ、もらおう」

 酒のように言われるが、ヒロキが差し出すのはカレーである。

「ああ、果物の甘味が深い味になってるんだな」

「ここは果物が豊富に生ってるからな」

 当たり前のように、ダンジョン産の果物を素材として使っている。

「……なんだ? 妙に体が温まるというか……」

 じわじわと血流の向上とともに、体力が回復していくのを感じた。

「お前、何を入れた? この草か!」

「ああ、その香草は何て言ったか、祝福のビレイ草だったか」

「超貴重アイテム! 体力回復と長寿と幸運を付与するレア薬草! 香草扱いしてんじゃねえ!」

 とんでもない無駄遣いを見つけて、つい声が大きくなる。

「すごく、いい香りがつくんだ。肉も柔らかくなるし、臭みもとれるし」

「だから、香草扱いしてんじゃねえって!」

 叱りつけてると、別のパーティーがやってきた。


「ああ! カレー屋がいるぞ!」

「やったああああ! 体力回復だあああ!」

「食わせてくれ! 金は払う!」

 そのパーティーはすでにヒロキの存在を知っていて受け入れていた。嬉々としてカレーを受け取って平らげていく。

「よっしゃあああ! これで勝ち確だあああ!」

 彼らは意気揚々と試練の扉の向こうへ行った。


「先越されたぞ。いいのか」

「まあ、いい。それより、そこのキノコを浸けてる鍋はなんだ」

「ああ、これはまだ人には食わせられないんだ。なんべん茹でこぼしても毒が抜けなくて」

 ヒロキが鍋の汁を匙で掬って通りがかりの獣にかける。獣はすぐに痙攣して倒れてしまった。

「な?」

「な、じゃねえよ! なんちゅう恐ろしい毒物作ってんだ」

「多分、この鍋自体に毒が染み付いてしまってる。この鍋を使うと、しばらく毒の食品ができてしまう。どうしよう」

「諦めろ」

「捨てるにしても、どう捨てるのが安全か」

 ゲルトはその難問には答えられなかった。



 雪が吹き荒ぶ北国に穴を開けているダンジョンは氷の世界だ。外は吹雪、地下の中は氷と休まらない。

 ヒロキはそのダンジョンの入り口近くに今日は居た。一人ではない。

「よう、ここらの獣は肉厚で脂が乗ってていい感じだぞ」

 ゴロリと肉塊が入った皿を出してくる。

「見ない顔だな」

 ゲルトはヒロキの後ろで細々と野菜を刻んでいる少女を指差す。

「ああ。カレーが作りたいんだと」


 弟子! 弟子ができている!


 ゲルトはいろいろと突っ込みたいのを堪えながら、カレーを口に運ぶ。

 様子を見ているとカレーは順調に売れている。ヒロキの存在はある程度認知されているようで、違和感を抱いている人間は少数のようだ。

 ヒロキの存在を知らない冒険者が疑問を抱いていると、側にいた男がカレーの効能を語っている。

 過大な評価だと感じると、ヒロキが具材によって効能は変わると説明している。

 その説明により興味を惹かれて男が注文している。


 好転に次ぐ好転。これが、落人無双か!


 ゲルトは数々伝わる落人伝説を思い出しながら、感心していた。


「やっぱり師匠は凄いです」

 ほう……とため息を漏らすのは、ちょこまかと動き回っていた弟子の少女だ。

「師匠は、私の、私だけのヒーローです!」

「いや、お前だけのじゃねえから!」

 感極まった少女の台詞に、客の誰かの声が重なる。



 ダンジョンにはカレー屋がある。それが世界の新定番である。

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