第九膳(後編)「私達は、人間です」
前、餃子を作った時は弥生ちゃんとの関係と料理に対する気持ちを改めるための『やり直し』の意味を込めていた。
もしかして、弥生ちゃん。そのことを覚えていて……今回は弥生ちゃん自身が何かをやり直したくて、餃子を作ったんだろうな。
「私は古生物の研究をしすぎてしまったのかもしれません。古生物は、はるか昔にこの世から姿を消してしまい、本当の姿を知る人はこの世界には誰一人として存在しません。つまり、研究対象の古生物は化石の状態なのです」
ここまでいいですか、と尋ねられたので頷いてみせる。
「化石は話しません。だから、研究者である私達が化石に残された手がかりをもとに推測しなければならないのです。だから……だからなのか分かりませんが、私は人間を相手にしても、化石を相手にしているみたいに接してしまうことも多々ありまして……」
「化石を相手にしているみたいって、つまりどういうこと?」
「勝手に自分の中で結論づけてしまうのです。相手はこう思ってるに違いないとか、こんな行動をすれば相手も喜ぶだろう、とか。それが相手の為なんだって。でも」
言葉を区切った弥生ちゃんは、アノマロカリスのぬいぐるみを抱きしめる力を強くした。
「それって自分の勝手な解釈なんです。私達は、人間です。古生物ではないんです。生きているんです。話すことができるんです。相手の話を聞くこともできるんです。理一さんは、私のことを知ろうとしてたくさん話しかけてくれました。古生物の図鑑を買って私の話を理解しようとしてくれました。なのに私は……」
弥生ちゃんは、苦しそうな顔をしてアノマロカリスのぬいぐるみを、またぎゅうぎゅうに抱きしめている。
「やり直し、と言ったのは。あの日、天ぷらを食べていた時に理一さんに言い忘れたことがありまして」
——あの、私。理一さんのこと——。
確か、館長さんから電話が来る直前にそんなことを言っていた。あの言葉の続き、実は気になっていたんだ。
「本当は話さないでおくつもりでした。それが理一さんの為だからと。でも、私も理一さんも人間どうし、ちゃんとお互いの考えを話したり聞いたりして決めたいと思ったのです。今ここで、あの時の言葉をやり直させてください。ちゃんと伝えたいんです」
真剣な面持ちで俺を見据える。背筋がピンと伸びたのは、弥生ちゃんからただならぬ緊張感が漂ってきたからだ。
「……私は、理一さんのことが、好きです。」
言ってしまった、と言わんばかりにアノマロカリスのぬいぐるみに顔を突っ伏してしまった。弥生ちゃんの耳たぶは真っ赤に染まっている。
俺の気持ちは、自分でも分かっていた。
ひとりでラーメンを啜ったあの日から。
弥生ちゃんがキッチンに立つ姿を見て胸がいっぱいになってしまったのも、一緒に食べる楽しさをもう一度味わえると思ったから。
側に弥生ちゃんがいる、ただそれだけなのに、こんなにも何の変哲もない料理が美味しくなる。幸せな空間が広がる。
もう二度と手放したくないと思った。
「俺も。そう言おうと思ってた」
恐る恐る、アノマロカリスから顔を出した弥生ちゃんは、驚いて目をまん丸くしていた。眼鏡がずっこけて滑稽な顔になっている。
だが、我に返った弥生ちゃんはぽけっとした口を戻し、眼鏡を慌てて直すと咳払いをした。
「あの、もうひとつお伝えしなきゃならないことがあって……石の上にも三年という言葉がありますが、とりあえず三年間カナダで頑張ってみようと思います。カナダで研究したこと、学んだことを日本に持ち帰って、日本の子供達に古生物の楽しさを知ってもらいたいんです。だから……」
「待つよ」
弥生ちゃんの夢を応援したい、それも本心だから。
弥生ちゃんと一緒にご飯が食べられるのならば、三年でも何年でも待てる気がするんだ。
「だからさ」
弥生ちゃんが抱きしめていたアノマロカリスのぬいぐるみをひったくる。頼るものがなくなった弥生ちゃんの腕を引いて、小さな体をぎゅっと抱きしめた。
「今度から抱きしめるのは俺にしてくれる? アノマロカリスにヤキモチ妬いちゃうから」
耳元で囁くと、弥生ちゃんは頷いて俺の背中に手を回してきた。骨を折られてもいいと覚悟はしたが、その手は俺の服だけを掴み、離すまいと指先に力を込めていた。
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