第八膳(後編)シーラカンスは滅びない

「いらっしゃい!」


 威勢の良い男性の声につられ、他の従業員も次々に「いらっしゃいませ」と声を発する。

 カウンター席から見える厨房で、盛大に湯切りをしている男性に目がいく。黒いタオルを頭に被ってはいるが、ちらりとのぞく髪は金色。鼻にピアスがついている。

 間違いなくあの店のお弟子さんだと確信すると、一気に期待値が増した。


 入り口にある券売機の前に立ち、メニューを物色する。

 煮干しベースのラーメンが売りのようだ。来ているお客さんも大半はそのラーメンを食べている。煮干しの匂いで深みを増したドロッとしたスープに、太いちぢれ麺がよく絡む。それを一気に啜れば、スープの風味が鼻にも抜けていく。絶対美味しいやつ。


 だが俺はブレない。迷いなく『中華そば』のボタンを押した。なにせ、大将は中華そばしか作れなくてあの店のメニューはこれしかなかったから。

 それと味玉にメンマ、チャーシューも追加する。


 カウンター席につくと、女性店員に食券を手渡した。


「中華一丁、味玉、メンマ、チャーシュー追加でーす」

「「ありがとうございまーすっ」」


 店員達は皆若い。きびきびと厨房内を動いてラーメンを作り始めた。


「あれ、君は……」


 不意に声をかけられて振り向いた先、スーツ姿の中年男性がいて顔が綻んだ。


「ケンさんじゃないですか!」

「やっぱり理一君か」


 ケンさんとは『シーラカンス』一号店に通っていた頃に知り合った。お互い常連ともあって、よくカウンター席に座って他愛もない話で盛り上がっていたっけ。


 ケンさんは食べ終わって帰るところだったらしい。俺の隣に腰掛ければ、あの頃の懐かしさが蘇ってくる。


「久しぶりだね。理一君がぱったり店に来なくなったから心配したんだよ」


 ホテルを辞めて自暴自棄になってから『シーラカンス』にも行かなくなった。今の仕事に就いてから何度か行こうとしたのだが、しばらく行っていなかったせいもあって顔を出すのが気まずくて足が遠のいていた。


「すみません、色々あって」


 ぎこちなく笑ったからか、渋った言い方だったからか、ケンさんはそれ以上追求することはなく深く頷いていた。


「人生色々だからね。こっちも色々あったんだよ。あれは、理一君が店に来なくなって一週間くらい経った頃かな。大将が足を怪我しちゃって入院しちゃったんだよ」

「えっ、今は大将は?」

「退院したけど、もう店をやっていくのは無理だって閉めちゃったんだ。それに、老朽化も進んでたから近々あの店も取り壊すそうだよ」

「それでここに新しく……」

「弟子のショウタ君がね。煮干しベースのはショウタ君特製のなんだけど、どうしても大将の味を残したいからって、それとは別に中華そばも作ってるんだって。僕もその味恋しさに、こうして通ってるんだ」


 ちょうど俺が頼んだ中華そばが目の前に出されたからか、ケンさんは「また会おうね」と言って店を出て行った。


「いただきます」


 まずはスープから。茶色の透き通ったスープを、レンゲで一掬いして口に含む。口の中に広がるのは、あっさりとしつつも香り豊かな醤油の味。そうそう、この味だ!


 細い麺を一気に啜る。麺の茹で加減も抜群だ。スープを纏った麺を口いっぱいに頬張る。

 分厚く切られたチャーシューも味が染みていて噛みごたえがあるし、メンマはシャキシャキでコリコリで相性抜群だ。


 極め付けは、味玉。白身は醤油やみりんなどの味がかなり染みている。それに、とろりと蕩けた半熟の黄身。これが絶品なんだ。黄身がスープに混じって甘さとしょっぱさが絶妙にマッチした所を、レンゲで掬って食べるのが俺の一番の楽しみだ。


 俺はこの味を求めていた。昔ながらの、醤油ベースの中華そば。

 この店の名前でもある、生きた化石と呼ばれるシーラカンスの名に相応しい。


 恐竜と共に絶滅したと思われていたシーラカンス。だが実は海の奥深くで密かに生き続けていた。背骨がない代わりに脊柱というもので体を支えていることから、古代ギリシャ語で『中空の脊柱』という意味を持つシーラカンスという名をつけられたという。

 妊娠期間は五年、最長百年も生きるという研究結果も出ている……とあの図鑑には書いてあった(※諸説あり)。


 ここの中華そばも、まさに生きた化石だ。

 ひたすら脳内で美味いを連発しながら、スープまで全部飲み干した。


「美味かった……」


 ひとりでぽつりと呟けば、美味しいと言い合えない寂しさが込み上げて来る。

 弥生ちゃんにも食べさせてあげたかったな。そしたらなんて言うだろう。やっぱり第一声は「おいひぃ」かな。

 なんて、俺はまた弥生ちゃんのことを考えてしまっている。


 心の中にぽっかりと空いた穴。それをこの味なら塞ぐことができると思ったのに。

 やっぱり弥生ちゃんがいないと……美味しいものを分け合える人がいないと……。



 幸せな味を一度覚えてしまった俺は、もう昔には戻れない。




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