第七•五膳 思いが溢れないように(弥生side)

「伍代さんが書いていた論文を、カナダの博物館に勤務している古生物学者の方が高く評価してくださってね」


 電話越しの館長の声は興奮しています。私も興奮気味に「本当ですか!?」と飛び上がってしまいました。


「伍代さんのような、骨の髄まで古生物を愛している研究者を探していたようでね。その研究室に伍代さんを迎え入れたいようなんだ」


 それって、つまり……?


「急で申し訳ないが今月中にはカナダに行ってもらいたい」


 カナダ……。


「あのバージェス頁岩をその手で研究できるんだぞ! 凄いことだ、伍代さん!!」


 とっても名誉なことなのは、よく分かっています。バージェス頁岩は、私にとって古生物を愛する者にとって聖地のようなもの。その地に立って第一線で研究できるなんて、夢のようなことです。


 本当はもっともっと、喜ぶべきなのに。

 私の中にあったのは。

 理一さんの作った料理を、理一さんと一緒に食べることがもうできなくなってしまう、ということ。


 本当は今日、告白するつもりだったのです。

 あなたのことが好きだって。でも、その言葉は胸にしまっておくことにしました。


 思いを伝えて、もしうまくいって付き合えたとしても、きっと私は研究に没頭してしまうでしょう。それに日本とカナダでは遠すぎます。

 日本にいたとしても仕事が忙しくてなかなか会えず、自然消滅するカップルもいるのに。日本とカナダという遠距離では、その可能性は非常に高くなります。


 でも、理一さんは優しい方だから。研究に没頭して連絡が滞っても、きっとずっと待っていてくれると思うのです。

 自然消滅なんてすることなく、連絡が遅くなってごめんなさいと言えば「そんなことより元気だった?」と私のことを気遣う言葉をかけてくれると思うのです。

 理一さんのことを好きな人が現れても、私がいるからときっぱり断ってくれると思うのです。


 だからこそ、私はこの思いを伝えるべきではないのです。待たせてしまっていることが苦しくなってしまうでしょうし、何より迷惑をかけたくないのです。大好きな人には幸せになってもらいたいのです。


「荷造りや引き継ぎで忙しくなると思うので、理一さんの所に来るのは今日で最後にします」


 エビ天を食べ終えた後にそう告げると、理一さんは寂しそうに笑っていました。


「弥生ちゃんならきっと凄い研究をやってのけそうだね。頑張って」


 応援する言葉をくれたのに、私はそれに何と答えていいのか分からなくて「はい」なんて可愛げなく返事してしまいました。


「美味しいお料理をありがとうございました」


 それだけはちゃんと言わなきゃと、頭を下げました。アノマロカリスのぬいぐるみを口元まで持ってきてぎゅっと抱きしめていたのは、そうでもしなければこの口が、理一さんに思いを告げてしまいそうだったからです。


 見送りはいいですと言って、一目散に逃げたのは、目頭が熱くなっていつ涙がこぼれ落ちてしまうか分からなかったからです。


 夜道を走りながらぼろぼろ溢れる涙の中に理一さんへの思いを全て込めたのは。

 理一さんとも、理一さんに抱いたこの思いともちゃんとお別れする為に、涙と一緒に流してしまえないかと思ったからです。


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