第七膳(後編)春爛漫の天ぷらと、電話

 ちょっと待っててね。

 そう言って一度脱衣所にはけてから、急いで着替えて弥生ちゃんの待つリビングにやって来た。


「いらっしゃいませ」


 弥生ちゃんはきょとんとした顔をした。隣の席にはいつものように、アノマロカリスのぬいぐるみがちょこんと座っている。


「ご予約の弥生様とアノマロカリス様、ですね」


 ホテルの新人研修で、徹底して教わったのがお辞儀。誠意を示すように三十度、腰から折り曲げて数秒してからゆっくりと顔を上げる。

 厨房の中にいてもお客様と対峙する可能性はあるからと、お辞儀だけで二時間も練習させられた。そのかいもあって、今でも体に染み付いている。


「えっと、理一さん?」


 ホテル時代の制服、捨ててなくて良かった。


「その格好は……」


 昨日の夜急いでアイロンをかけたから、シワひとつない白いコックコートは案外体に馴染んでいる。コック帽は流石に天ぷらの雰囲気に合わなかったからかぶらなかったけど。


「本当の料理人みたいですね!」

「本当の料理人だったんだけど?」

「そうでした、すみません」


 照れたように笑う弥生ちゃんとアノマロカリスを、カウンターキッチンまで誘導する。カウンターテーブルは普段使わないから書類やら小物やらの物置になっていたけど、今日の為にめちゃくちゃ綺麗にした。


「本日のご夕食はこちらになります」


 手書きで書いたお品書きを弥生ちゃんに手渡す。さっき買ってきた材料を脱衣所で走り書きしたから、あんまり字は綺麗じゃないけど。


「順番に出してくれるんですか?」

「天ぷらには揚げる順番がございます。それに応じて、右から順番にお召し上がりいただきます」


 敬語でなるべく柔らかな声で説明すると、弥生ちゃんは吹き出してしまっていた。


「その話し方は理一さんのキャラに合わないです」

「は?」

「あの……ふふっ、すごく丁寧な話し方なのにウミサソリの被り物をした理一さんを、ふふふっ、想像したらもう、ふふっ……なのでいつもの通りで良いですよ」

「そう? じゃあいつもので」


 何故このタイミングでウミサソリの被り物想像した? まあ何でもいいか。とりあえず揚げていこう。


 まずは匂いが少なく高い温度でカラッと揚げたい葉野菜の代表格、大葉から。

 葉の裏だけに衣をつけて、油に投入する。大葉の周りを気泡が包み、カラカラカラ、という小気味良い音が耳をくすぐる。

 数十秒だけサッと揚げて、弥生ちゃんの目の前にある盛り付け網の上に置いた。


「いただきます」


 弥生ちゃんは大葉の天ぷらに岩塩をつけた。口に入った瞬間、衣が崩れるパリッという音が響いた。


「おいひぃです! 衣も大葉もサックサクで、軽くて何枚もいけちゃいます! 大葉って使い道よく分からなくて影が薄い野菜だと思っていましたが、見直しました!」


 それはなにより、と相槌をうって俺はすかさず次の野菜を揚げていく。ふきのとう、こごみ、うど、たらのめといった、春の山菜達。一口大に切った山菜に衣をくぐらせ、サッと揚げる。


「春爛漫の天ぷら盛り、だよ」

「山菜、これ理一さんが買ってた時気になっていたんです。山菜なんてあんまり買わないですし、都会には生えてませんし。ではさっそく!」


 山菜は見た目の地味さとは裏腹に、その味は独特でなかなか個性的だ。好みも分かれるところだが、弥生ちゃんの口に合うのだろうかと、ハラハラしてしまう。


「ふきのとうの苦味が絶妙なアクセントになっています! そうかと思えば、こごみはとっても淡白でサクッと食べられるのが嬉しいですね! うどはシャキシャキして歯ごたえが良いですし、たらのめは爽やかな香りが鼻に抜けて、大人が嗜む天ぷらのようです!」


 どうやら気に入ってくれたらしい。


「山菜の天ぷらを美味しく食べれるようになるなんて、大人の階段を登ったように感じますね」


 大人の階段、というフレーズが印象的な懐メロを口ずさみながら、弥生ちゃんはぱくぱくと山菜の天ぷらを食べ進めている。


「理一さんは食べないんですか?」

「俺? 後で食べるよ」


 残りの具材をかき揚げにした物を食べようかと画策していたから、今は我慢していた。だが、俺がお腹をすかせているのを弥生ちゃんは気づいていたのかもしれない。

 弥生ちゃんは皿に乗っていたこごみを箸で摘むと、俺の口の前に差し出してきた。


「え?」

「理一さんもどうぞ」


 まるで餌付けされてるみたいだ。弥生ちゃんが「あーんしてください」なんて言うから恥ずかしさが頂点に達する。だが、ずっと待たせてるのも悪いしまだまだ揚げるものが残ってる。恥を忍んで、弥生ちゃんが箸で摘んでいるこごみを口に入れた。

 サクサクの衣に包まれたこごみの味は、弥生ちゃんの言う通り淡白で実に食べやすい山菜だ。


「どうです? 理一さん自身が揚げた天ぷらの味」

「ん、我ながら旨い」

「自画自賛ですか?」

「実際旨いんだから仕方ない。今度はエビを揚げるから待ってて」

「エビ天、待ってました!!」


 弥生ちゃんは待ちきれないのか椅子から身を乗り出して、エビが衣を纏う様をキラキラした目で見ている。

 彼女の腕に抱かれているアノマロカリスのぬいぐるみの目もキラキラしている、気がする。にしても、アノマロカリスめ。弥生ちゃんの腕の中に四六時中いられるのが恨めしいぞ。


 エビを油に投入すると、大葉よりも控えめなカラカラという音が鳴る。山菜を揚げたから、油は低い温度になっている。その温度で火が通るまでエビは油の海を気泡を纏いながら浮遊した。


「理一さん」


 揚げている音だけが聞こえる室内に、弥生ちゃんの改まった声が響く。


「何?」

「あの、私。理一さんのこと——」


 弥生ちゃんの言葉を遮るように、着信音がけたたましく轟いた。どうやら弥生ちゃんのスマホが鳴らしているらしい。


「すみません、マナーモードにしてなくて……え?」

「どうかした?」


 ディスプレイに映った名前に、弥生ちゃんは怪訝そうな顔をする。


「館長からです。こんな時間に何でしょう」

「急ぎかもしれないから出ていいよ」

「すみません」


 弥生ちゃんは、申し訳なさそうに電話に出た。何度か相槌を打っていると、突然目を丸くして飛び上がった。


「本当ですか!?」


 どうやら吉報らしい。弥生ちゃんは満面の笑みで応対している。


「はいっ! ……はい? …………はい………………え……」


 だが、徐々に表情はかげり始めて声も暗くなっていく。

 何があったのだろう。電話を終えてスマホから耳を離した弥生ちゃんは、複雑な顔で俺に視線を向けてきた。


「理一さん、私……」


 その言葉の続きを聞きたくないと思ってしまったのは、俺の中で嫌な予感が湧き起こってきたから。


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