第七膳(前編)春の訪れとてんぷら

 まったくもって人生とは不思議なものだ。

 料理する事、食べる事を楽しめる日がまたやってくるなんて思いもしなかった。


 でも弥生ちゃんと出会ったあの日から、熾火だった想いははっきりと明るさと熱を取り戻した。もっとも昔のような燃え盛る炎ではない。ただし簡単には消えることのない、静かな熱量を持った炎だった。


 改めて俺は自分の望みを知った。

 美味しいものを作りたい、美味しいもをたべる笑顔が見たい。

 それだけで良かったのだ。ただそれだけが望みだった。


 だからちょっと特別なごちそうにしようと思った。


「明日は天ぷらにしようと思うんだ。どうかな?」


 ハンバーグを作り終え、帰り支度をしていた弥生ちゃんは天ぷらの言葉に早くも目をキラキラさせている。

 そう。天ぷらと言えばごちそうだ。それだけでもテンションが上がる。


 しかも俺が作ろうとしているのは『揚げたて天ぷら』なのだ。

 天ぷら屋さんのカウンターでしか味わえない、完璧な揚げたてを楽しめるコース。

 弥生ちゃんにそれを食べさせてあげたいと思っていた。いや正確には違うかな。俺自身が一緒に食べたいと思ったのだ。


「揚げたての天ぷらはどれも最高においしいよ!」


 弥生ちゃんは元気に頷いた。明日の仕事終わり、いつものスーパーの前で待ち合わせる約束をした。

 一緒に買い物に行く、それもいつの間にか定着していた。何が好きか、何が苦手か。何を食べたいか。そんな会話がまた楽しいのだ。


 もう自己満足だけの料理に興味はない。

 目の前の君が楽しめる料理、俺が作ることを楽しめる料理。


 いつか。そう、いつか。

 そんな楽しい料理を提供できるお店を開いてみたいな。


 と、弥生ちゃんが不思議そうに俺を見ているのに気付く。

 どうやらちょっとにやけていたらしい。

 こんな風ににやけた表情が出てしまうのもまた本当に久しぶりのことだ。


「理一さん楽しそうですね」

「天ぷらの具材を考えてたらつい、ね。春は美味しいものがそろうんだよ。やっぱりエビとキスは外せないし、野菜とキノコとか、アスパラなんかもいいよね」

 

 明日は満月。空気はまだ肌寒いけれど、春は間近だ。スーパーに向かう道に植えられている桜もちらほら咲き出しているはず。


 これからもっともっと楽しい日が続いていくのだろう。

 もっともっとたくさんの美味しい料理を二人で作って食べるのだろう。


 そんな風に思っていた。


 だからこの時の俺は気づいていなかった。

 春は出会いと同時に別れの季節だったことに……。

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