第五膳(後編)新たな発見が生む真実と、謎

 ちらし寿司は古くは鎌倉時代に起源を持つらしい。八百年以上前から日本人の食卓にあったと思うと感慨深く感じる。

 ま、五億年前の生き物に思いを馳せる弥生ちゃんには敵わないけど。


 今回作るのは、バラちらし寿司。

 この間餃子作りを手伝ったことで味をしめたのだろう。弥生ちゃんも苺のエプロンをして手伝おうと張り切っている。


「弥生ちゃんは、卵を割ってくれるかな」

「お任せください!」


 卵の殻を入れないよう、おっかなびっくり割っていく。ぎこちない手つきの弥生ちゃんを横目に、俺は買ってきた材料を切っていく。

 刺身用のマグロとサーモンにエビ、更にアボカドときゅうりも全て一センチ角に切る。同じ大きさに切り揃えるのがポイントだ。揃えた方が見た目も綺麗に仕上がる。

 弥生ちゃんが全部の卵をボウルに入れ終わったところで、次の指示を出した。


「そしたら、その卵に砂糖と塩を入れて混ぜて……卵焼き用のフライパンに半分だけ入れてね」

「混ぜて、半分だけ……あ」


 弥生ちゃんは不器用なのだろう。半分だけと言いつつ、フライパンに八割ほどの卵液が入ってしまった。弥生ちゃんは涙目になっている。


「大丈夫、大丈夫。俺に任せて」


 半熟になるまで待ち、いつもより少し分厚くなった生地を意地でも綺麗に折り畳もうと躍起になった。少しでも良いところ見せたいだろ、元料理人の名にかけて。

 残りの卵液を流し入れて巻き込めば、なんとかまとまってくれた。


「理一さんさすがです!」


 パチパチと拍手してくれると気分が良い。

 その卵焼きも一センチ角に切る間、弥生ちゃんには酢飯を準備してもらうことにした。


 今度は失敗しないように、と意気揚々と炊飯器から熱々のご飯を大きなボウルに入れていく。そこに適量の酢を入れていくのだが、酢の匂いが一気にツンと鼻に抜けて行ったのだろう。ケホケホと咳き込んでいた。


「大丈夫?」

「へっ、平気ですっ」


 混ぜながら、うちわで一生懸命パタパタ仰いでいる。そこに白胡麻を振りかけて一緒に混ぜ合わせれば、酢の香りが食欲をそそる酢飯の出来上がり。


「あとは酢飯の上に具材をのせれば、バラちらし寿司は完成だよ」


 赤いマグロにサーモンの色、ほんのりピンク色のエビ、黄緑色のアボカドと緑のキュウリ、そこに黄色の卵が混じれば彩り鮮やかなバラ散らしが姿を表す。


「まさかミロクンミンギアとクックソニアの子孫がこうして美味しい料理に変貌するなんて……」


 ミロ……ミロクン、ミンギア?

 クック、ソニア??

 俺の知らない言葉が弥生ちゃんの口から飛び出してきた。

 こういう時は、オッケー、ビービル!


 出てきたミロクンミンギアの姿は、背鰭せびれ腹鰭はらびれのついた魚のような見た目。思ったほどグロテスクじゃない。

 それとクックソニアは、まるでトランペットみたいな形をした植物だ。


「ミロクンミンギアはカンブリア紀の生物。広義でいうところの、既知の最古の魚類と言われています。魚類はオルドビス紀に誕生したと言われてきましたが、ミロクンミンギアがカンブリア紀の地層から発見されたことで、なんと魚類誕生の歴史は七千万年も前に遡ることになったのです!(※諸説あり)」

「新たな古生物の発見によって、今までの常識が覆されることがあるんだね」

「そうなんです! カンブリア紀はまだまだ謎の多い時代、その謎を紐解くのは、その当時に生きた生物を見つけてあげること。私は新たな真実を見つけるためにああやってトレーニングをしているんです」


 古生物の話をしている弥生ちゃんは、本当に生き生きしている。好きなことを仕事にできるなんて、ごく僅かな人しか味わえない。あの謎のトレーニングだけじゃないたくさんの努力をして、弥生ちゃんは今の仕事を勝ち取ったんだろうな。

 なんて考えているうちに、弥生ちゃんの口はクックソニアの説明をする度に動き始めていた。


「クックソニアはシルル紀からデボン紀にかけて生息していた植物です。それまでの植物の生息域は水中でした。クックソニアは最古の陸上植物なんです。今ある全ての陸上植物は、クックソニアが勇気を振り絞り、陸上にあがる決断なくしては存在し得なかったといっても過言ではありません!(※諸説あり)」


 勇気を振り絞るとか、決断するとか、クックソニアを擬人化しているのか?

 そこはともかく、何事も最初の一歩が重要だよな。


「クックソニア、凄い決断をしたんだね」

「好奇心だったのかもしれません。例え踏み出したことが間違いだったとしても、新たな世界を知りたかったんですよ。冒険者ですね! 結果としてそれが植物が陸上に上がるきっかけともなったわけですし、クックソニアはパイオニアですよ!」


 弥生ちゃんの古生物談義はまだ暫く続きそうだったが、同時にふたりのお腹が盛大に鳴った。


「……食べようか」

「そう、ですね」



 弥生ちゃんの音の方が大きかったとか、大きい音は理一さんの方ですよ、だとか言い合って笑いながら食卓についた。


「「いただきます」」


 お昼を抜いていたから、俺も弥生ちゃんも最初は一言も発さずに無心でバラちらし寿司に食らいついていた。


 脂がのったサーモンと、角切りにしたからこそ歯ごたえのあるマグロ、そしてプリップリのエビという豪華な海鮮が口の中で共演する。アボカドは舌だけで溶けてしまうし、きゅうりは噛むたびにパリッという粋な音を鳴らす。卵焼きは、甘さとしょっぱさが絶妙で、半熟にした中身はとろりと口の中に蕩けていく。

 ほんのりあったかい酢飯が味を締めてくれるから、ご飯が進んだ。


「理一さん、今日もおいひぃです!」


 弥生ちゃんがようやく声を出したのは、バラちらし寿司も残り僅かになった時だった。満足そうに笑顔を見せるから、残りは全部食べて良いよと勧めた。途端にパァッと笑顔が花咲いていく。


「では、遠慮なく……」


 本当に遠慮なく、残りをスプーンで全て掬い上げると、一口で平らげてしまった。


「ああ……おいひかったです」


 名残り惜しそうに空になった皿を見つめているから、また作ってあげようかな。


「そう言えばさ、どうしてちらし寿司だったのか聞いても良い?」


 皿を洗いながらふと思ったことを尋ねてみる。

 すると、皿を拭いていた弥生ちゃんはどういうわけか視線を彷徨わせて落ち着きをなくしていた。


「それは……」

「それは?」

「…………内緒です!」


 頬を赤く染めながら、一心不乱に皿を拭き続けている。その後も幾度となく聞いてみたけど、結局帰るまで教えてくれなかった。

 ちらし寿司をリクエストした謎を解き明かすのは、新たな古生物を発見するのと同じくらい難しいことなのかもしれない。

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