第五膳(中編)トレーニングと俺達の関係

 山道でもバスが通っている箇所だったから運転に支障はなかった。バス通りから逸れて車が駐車できる空き地に車を止める。

 弥生ちゃんは「ありがとうございました」と言って降りていった。うん、と背伸びをして、続いて降りてきた俺に顔だけ向けてきた。


「さぁ、行きましょう」


 まさかハイキングがトレーニングなのか、と思ったが、数メートル先で弥生ちゃんは足を止めた。

 目の前には地肌が丸見えの崖が聳え立っている。何を思ったか、弥生ちゃんは大の字になって崖にぺったり体をくっつけた。


「……弥生ちゃん? 何してるの?」

「トレーニングです」

「何の?」

「まだ人類に発見されていない、地中に埋まっている古生物達を感じるトレーニングです」


 腕力関係なかった!


「何でそんなトレーニングを?」

「まだ発見されていない古生物を、この手で発掘するのが私のもうひとつの夢なんです。こうして耳をすませると、古生物の声が聴こえてくるような気がするんです。それに、地面ってすっごくあったかくて懐かしい匂いがするんですよ? 理一さんも是非!」


 弥生ちゃんは、地面の奥深くに眠る古生物の気配を感じようと瞳を閉じて意識を集中させている。

 俺もその隣で両手を広げて地面に体をくっつけてみた。


 ……当たり前だが土の匂いだ。砂場で遊んだ時に嗅いだ、少し湿っぽさが残る匂い。

 そういえば海水浴に行った時、砂の中に手を入れるとほかほかあったかくて。肌触りも柔らかくて気持ちよかったっけ。

 こうして土に触れてると、幼少期のわんぱくだった頃が次々に思い出される。


 土に触れて大きくなって、でも大人になるにつれて一切触らなくなって。そしてこの命が終わりを迎えたら帰る場所。だからだろう、こんなにあったかく感じるのは。


「声、聞こえました?」


 弥生ちゃんが探るように尋ねてくる。

 土の中に眠る古生物の声、か。聞こえやしないかと耳をそば立てても、声らしきものは聞こえてこなかった。


「残念だけど、俺には聞こえないよ」


 苦笑する俺につられて、弥生ちゃんもはにかんで笑っていた。


「トレーニングっていうからさ、もっと過酷なのをイメージしてた。弥生ちゃん腕力強いし」


 すると、弥生ちゃんは慌てた様子で地面から身体を離し、ぺこぺこと頭を下げてきた。


「す、すみません! 私……感情が昂ると力んじゃって……」


 え、あの腕力って元々備わってる力なの?

 生まれついた怪力ってこと?

 筋トレとか全くしなくて、あれ?


 思い返してみれば弥生ちゃんの力がこもってる時は、確かに興奮状態だったというか。


「痛かったですよね?」


 すっごく痛かった。骨が折れるかと思ったし。本当はそう言おうとしたけど、弥生ちゃんは眉を八の字に下げ、不安気に見上げてくるから。


「全然痛くないよ。あれくらいどうってことない」


 ついつい見栄を張ってしまった。

 良かった、と弥生ちゃんはほっと胸を撫で下ろすと、再び地面に体をくっつけて目を閉じた。



 家に帰ってきたのは既に辺りが暗くなった頃。

 結局夕方までトレーニングをしていた。昼飯を食べずに。


「理一さんと初めて会った日も、トレーニング帰りだったんです」


 夕食のちらし寿司の材料を買いながら、弥生ちゃんは恥ずかしそうにあの日のことを話し出した。


「あの日は朝も昼も何も食べずにずっとトレーニングしていて……さすがにお腹がへりすぎて家にたどりつく前に倒れてしまったんです。理一さんが助けてくれなかったら私、餓死してました」

「俺じゃなくても、あの状態を見たら助けてくれる人いると思うけど」

「私は」


 弥生ちゃんが言葉を途切らせるから、ちらし寿司に使うマグロの品定めをしている目を彼女に向けた。


「その……助けてくれたのが理一さんで、良かったと思ってます……」


 そりゃそうか。最初に作ってあげたお茶漬け、すごく美味しそうに食べてたし。

 この大都会で、弥生ちゃんの口に合う料理を作る人に会えたのは、奇跡にも近いわけだ。今もこうして、料理を通じて弥生ちゃんと交流を持ててるのも……。

 そういえば、この関係って一般的に何というのだろう。俺は食事を提供して弥生ちゃんはそれを食べる。


 確かバブリーな時代、女性が送迎をお願いしていた都合のいい車持ちの男をアッシー君と呼んでいたらしい。だとすると俺は、飯を提供するから……。

 シェッフー君??

 何故か気に食わなくて、仏頂面になっていたのだろう。弥生ちゃんが気遣わしげに覗き込んできた。


「どうかしましたか?」

「……あ、いや別に?」


 慌てて顔を取り繕って、残りの材料を手早く買い揃えた。

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