第四膳(後編)カンブリア大爆発ならぬ

 弥生ちゃんのことだから、アノマロカリスかウミサソリのアップリケでもついているエプロンなのかと勝手に思っていたけれど。

 可愛らしい苺柄のエプロンだった。

 弥生ちゃんはやる気満々のようだ。同じ苺柄のバンダナをきゅっと結び、意気揚々と俺の隣に立った。


「まず何をすれば良いですか?」

「材料を切る所から始めようか」


 だがこの指示が間違いだったことに、俺はすぐ気付かされる。キャベツを切る弥生ちゃんの手つきが、今にも自分の手を切ってしまいそうで危なっかしくて。見ていられなかった。


「……切るのは俺がやるから、弥生ちゃんはひき肉をボウルに入れてくれるかな?」

「分かりました!」


 危うく流血騒ぎになる所だった。こういうのは役割分担が大事。

 キャベツを微塵切りにし、軽く塩を振って揉む。しっかりと水気を切ってから、弥生ちゃんが用意してくれた挽肉の入ったボウルへ入れた。

 挽肉とキャベツ、調味料はシンプルに塩胡椒と醤油、風味づけにごま油を少々加えた。


「流石、手際が良いですね!」


 褒められると気恥ずかしい。昔はもっとキャベツとか切るの早かったから。


「そんなことないよ」


 なんて言って誤魔化した。

 定番の餡の材料を混ぜ終えたら、ここからは弥生ちゃんスペシャルだ。


「よし。好きなものを包もうか」


 キッチンに並べられたのは、弥生ちゃんが好きだと言っていた具材と、俺がチョイスしたそれらに合う食材。


「はい! じゃあ遠慮なく……」


 弥生ちゃんがまず最初に手をつけたのは、キムチとチーズ。それを餃子の皮に豪快に乗せていた。わんぱくかってほど、溢れるくらいに乗せたせいで包むことができずに手こずっている。


「そういう時は、必殺。二枚綴じ」


 二枚綴じ、とは俺なりの呼び方。ただ二枚の餃子の皮で餡をサンドするだけなんだけど。弥生ちゃんは「すごい!」って拍手なんてしてくれた。

 あとは端っこをフォークで潰せば完成なのだが、何を思ったか弥生ちゃんは端っこだけでなく真ん中辺りにもフォークを押しつけ、模様をつけ始めた。


「見てください! 三葉虫餃子です!」


 なるほどね、三葉虫の背中の模様にしたわけか。


「あとは……」


 鼻歌を歌いながら、あんことマーガリンを包んで薄く小判形に成形し始める。


「じゃじゃーん! オドントグリフス餃子です!」


 何それ、聞いたことない。こんな時は。


「オッケー、ビービル。オドントグリフスの画像を見せて」


 文明の力を使ってその姿を……って何だこの平べったい生き物! 生き物、だよな?

 小判型で薄い身体をした、洗濯板みたいな奴出てきましたが!?


「オドントグリフス、訳すると『歯の生えた謎』。一九九四年時点でバージェス動物群からたった一点しか化石が発見されず、その名の通り謎の多い生き物でした。しかし、研究者たちの探究心と執念によってその後多数の化石を発掘。軟体動物で、海底を這うようにして藻を食べていたのではないかという研究結果が発表されています。しかし、まだまだ謎に満ちた生き物、この小判形の体の中には私達が知らない秘密が隠されているんですよ!! ああ、なんてミステリアス!! ミステリアスな生き物って何故にこうも人を惹きつけるのでしょう!(※諸説あり)」


 弥生ちゃんはオドントグリフス餃子を両手で天に掲げ、恍惚の表情で崇め奉っている。


「これだけ科学が発達してもう解けない謎なんてないように思えるけど、世界にはまだ知らないことがたくさんあるんだな。でも、古生物は化石しか手がかりがないのに、その僅かな手がかりから何を食べていたとかどんな姿をしていたとか分かっちゃうんだから、研究している人達って本当に凄いよなぁ。なんか、探偵みたいでカッコいい」


 思ったことを素直に口にすると、弥生ちゃんは神妙な面持ちでオドントグリフス餃子を皿の上に置いた。そして、餃子を包んでいた俺の手をぐいと引っ張って握ってくる。やはりすごい握力で。

 弥生ちゃんを見れば、感極まって目にはうっすら涙すら見えて焦ってしまった。


「何、何? 俺変なこと言った?」

「違います! 理一さんが理解ある方で、私はすこぶる感動しているんです! 研究者の中でも、古生物の研究者なんて地味な印象を持っている方も多いと思うのに……探偵みたいでカッコいいなんて言われるの初めてで、なんか嬉しくて」

「そ、そっか、嬉し涙ね……とりあえずさ、早く餃子包もうか」


 強く握られすぎて手の骨が折られそうだ。ですね、と言ってようやく手を離してくれて、ことなきを得た。


 その後も弥生ちゃんは俺の知らない古生物の餃子を作り続け、しまいには餡は詰めずに餃子の皮だけをくるくる巻いて先端だけ平べったくした「ピカイア餃子」なるものを作っていた。


 それらを揚げ油に投入していくと、弥生ちゃんのテンションが急上昇していく。


「わぁぁぁ! 古生物が、古生物が揚げられてます! すっごく良い狐色、これぞ夢にまで見たカンブリア料理です!!」


 キャッキャしながら、お腹がぐうぐう鳴っている。

 弥生ちゃんが作った古生物の揚げ餃子をお皿に盛り付けると、本当にカンブリア紀の生き物を素揚げしたように見えてきた。


「カンブリア紀は全ての動物の先祖が一気に誕生した時期とも言われていて、カンブリア大爆発と呼ばれています。油の海の中はカンブリア大爆発が起きた頃を彷彿とさせる、絶景でした。この餃子に名前をつけるなら……餃子大爆発とかどうですか!?」


 それ、料理失敗してない?

 餃子が爆発して俺の頭がアフロになってるのを想像しちゃったよ。普通にカンブリア紀の生物型餃子で良くない?


 何はともあれ、完成した変わり種揚げ餃子を食卓に並べた。例のごとくアノマロカリスも弥生ちゃんの隣に座ってまさに捕食者のように揚げ餃子を狙っている。


「「いただきます!」」


 弥生ちゃんが真っ先に食べ始めたのは三葉虫餃子。キムチとチーズの黄金の組み合わせはハズレない。次にオドントグリフス餃子にも手を伸ばしている。あんことマーガリンも間違いない味だ。ふたつの揚げ餃子を食べた弥生ちゃんは、落っこちそうな頬を手で押さえながら、幸福そうに微笑んでいる。


「おいひぃです。キムチの辛味をチーズのまろやかさが包み込んでいます! あんことマーガリンはもう、文句なしです。あんこの甘味とマーガリンの風味がマッチして、舌が幸せです」


 美味しそうに揚げ餃子を食べる弥生ちゃんを見ているだけで、こっちも嬉しくなってくる。


「そうだ、こんなのはどうかな」


 ふっと降りてきたアイディア、弥生ちゃんは喜んでくれるだろうか。

 ピカイア餃子に塩を振り、レタスときゅうりのサラダの上に乗せる。クルトンの代用として活かせるんじゃないかって思ったんだ。

 恐る恐るお皿をテーブルに置く。弥生ちゃんは椅子から勢いよく立ち上がると、ピカイア入りサラダの皿を震える手で持ち上げた。


「こっ、これはっ……! 海の中しか知らなかったピカイアちゃんが、サラダという未知と遭遇した場面……まさに歴史的瞬間! 素敵です、とっても!!」


 気に入ってくれてよかったと、胸を撫で下ろす。料理には遊び心も必要だよな。

 基本的なことを、料理初心者の弥生ちゃんからたくさん教わっている気がする。


「ありがとう」


 さりげなく言うと、弥生ちゃんは聞き取れなかったのか不思議そうに首を傾げていた。


「何ですか?」

「何でもない。早く食べよう。揚げ餃子が冷めないうちに」


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