第二膳(前編)カレーの冷めない距離

 ピンポーン、とインターフォンが鳴って覗き穴を見れば、昨日会ったばかりの古生物好きな女の子がドアの前に立っていた。


 やっぱり懐かれちゃったか……。

 俺の人柄というよりは、料理のせいなんだろう。

 すごくおいしそうに食べていたから。


 ドアを開ければ、丁寧にお辞儀をしてくる。

 とにかく先日のお礼にと、お土産持参でわざわざ訪ねてきてくれたようだ。


「理一さんのアパート、職場に近いんですよ」


 弥生ちゃんが勤めている地球史博物館は、俺の住むアパートからでも建物が見える。ドーム型の特徴的な屋根は、四角い建物が立ち並ぶ空間にぽっかりと浮かんで異質だった。興味がなかったから一度も中に入ったことはないけれど。


 今日は荷物が多かったのだろうか、黒いリュックがぱんぱんでチャックが締まりきっていない。

 リュックから長い物が飛び出しているから、長ネギでも買ったのかと思った。それが大きな二本の触手だと気づいた時はぎょっとした。

 彼女の背中から前に向かってニョキッと伸びてきている。リュックにがいる!!

 今にも襲いかかってきそうな勢いだったから、思わず叫んでしまった。


「弥生ちゃん、後ろ後ろ!」

「後ろ……?」

「早くリュックを捨てるんだ!!」


 呑気に首を傾げる弥生ちゃんから、無理矢理リュックを引き剥がそうと手をかけた。


「ちょっ!! 理一さん、一体どうしたんですか!?」

「背中にしょ……ん?」


 むにっ、と触った感触に覚えがある。触手を持って引っ張り出すと、アノマロカリスのぬいぐるみと目が合った。


「なんだ……アノマロカリスか」


 ほっと胸を撫で下ろす……いや、おかしいだろ俺の反応。時代劇で屋敷に忍び込んだ忍者がバレそうになった時、咄嗟に猫の鳴き真似をして「なんだ、猫か」って言うお侍さんと同じノリで言ってしまったよ。

 昨日の今日でアノマロカリスに慣れてしまった俺の順応ぶりに、自分でも驚いているよ!


「アノマロカリスちゃんがどうかしました?」

「気にしないでくれ」


 アノマロカリスの大きな瞳に見つめられていて気まずい。触手も全てリュックの中にぎゅうぎゅうに詰め込んで、チャックを締めた。


「……まぁ、上がりなよ」

「失礼します!」


 嬉しそうに靴を脱いで部屋の中に入ってくる。

 それから少し鼻をひくひくとさせ、何とも言えない笑顔を浮かべる。


 だろうね。

 部屋の中いっぱいに独特の食欲をそそる香りが広がっているし。 


「今日はカレーを作ったんだよね。良かったら食べてかない?」


 ちょっとびっくりしたような表情。

 それからすごく内面で葛藤しているのか、やたらと足元と天井で視線を往復させている。


 その間に俺はさっさとカレーの支度を開始する。

 そんなつもりで来た事じゃないのは分かってる。

 図々しいと思われるのが嫌なのも分かっている。


 でもカレーの誘惑に勝てる人間はそうそういない。


「実は作りすぎちゃってさ。口に合えばいいんだけど食べて行ってよ。それにさ、一人で食べるより二人で食べる方がもっとおいしいと思うんだよね」


 お腹がグーと鳴る音が『いただきます』の代わりだった……。


◆◆◆


 キッチンに立っている間、弥生ちゃんは昨日座っていた位置に腰掛けていた。隣の席にアノマロカリスのぬいぐるみを置いて、何やら話しかけている。

 これは、見なかったことにするのが正解か?


 カレーをたっぷりかけた皿を弥生ちゃんの前に置くと、ごくっと生唾を飲む音がした。


「食べようか」


 両手を胸の前に合わせて、ふたりで「いただきます」と声を合わせた。独り身が長いから、誰かと食卓を囲むことはほぼない。過去に付き合った恋人と夕食を共にすることはあったが、それもだいぶご無沙汰だ。実家に帰ることも年に一度あるかないかだから、久しぶりすぎて少し照れる。


 弥生ちゃんは一口分のカレーとご飯をスプーンの上にのせ、ふーふーと息を吐いて冷ましていた。

 カレーライスを口に含んだ瞬間、弥生ちゃんは頬を赤らめてふにゃふにゃに蕩けていった。


「どうかした?」

「……おいひぃです……角切の牛肉がお口の中に入れた途端にほろほろと解けていって、辛味と玉ねぎの甘みが絶妙で……こんなカレー初めて食べました。どうやって作ったんです?」


 目を輝かせて聞いてくるから、軽く作り方を教えてあげた。


 ポイントは玉ねぎを飴色になるまで炒めること。焦げないように混ぜた所に、カレー粉を入れれば既にキッチンも部屋もカレーの匂いに包まれていく。

 角切の牛肉を焼き、赤ワインを投入する。肉料理には赤ワイン、とよく言うが——。


 ぐぅー、と腹の虫が鳴った弥生ちゃんは、恥ずかしそうに俯いてしまった。食べる手を止めて一生懸命聞いていたし、なおかつ目の前に湯立つカレーが鎮座していれば仕方ないことだ。


「食べて良いよ」

「すみません……」


 申し訳なさそうにスプーンに手を伸ばし、弥生ちゃんは再びカレーを頬張り始めた。


 作り方の続きは以下の通り。

 香りや味の強い赤ワインは、淡白なものよりも脂が乗り肉の味がしっかりついている牛肉との方が相性が良い。

 互いに強いもの同士、赤ワインと牛肉が長所を高め合ってより深い味わいを生み出してくれる。

 アルコールを飛ばし、カレー粉で風味づけした飴色玉ねぎと混ぜて弱火でぐつぐつ根気強く煮る。

 最後に風味を調整する為にバターを入れたら出来上がりだ。


「んー、美味しかったです!」


 名残惜しそうにほっぺをすりすりして「ご馳走様でした」って蕩けた顔のままで言われたら、作った甲斐がある。


「ああ、満腹満腹……お店で出てくるカレーみたいでした」


 お店で、ね。元はプロの料理人だったから厨房で作ってたよ、昔は。

 過去の苦い思い出と共に言葉が口から溢れ落ちる前に、弥生ちゃんがぽん、と手を打ち鳴らした。


「カレーが美味しすぎて忘れてました! これ、昨日のお礼です。心ばかりの品ですが」


 紙袋には『地球史博物館』の文字が見えたような。博物館のお土産屋さんの中に売っているものだろうか。

 もしかしたら、アノマロカリスの形をしたお饅頭とか?

 それともカンブリア紀の生物を模したお菓子のアソート?

 ……まさかな。

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