第一膳(後編)奇妙なエビの味とは

 女性が黒いリュックの中を漁り始めたかと思うと、中から今まで見たことのない奇妙な生物のぬいぐるみを取り出した。

 頭部にふたつの長い触手、飛び出た目玉、流線型の胴体から尻尾にかけてヒレのような物がいくつも付いている。全身茶色いを、彼女は愛おしげに胸の前にぎゅっと抱いていた。


「この子がアノマロカリスちゃんです。あ、正式にはアノマロカリス•カナデンシスですが」

「へ、へぇ〜……」


 自分でも右側の口角が引き攣っているのが分かる。無理もない。眼鏡をかけたショートボブで華奢な、いかにも可愛らしいという言葉が似合う女の子が、目玉が飛び出た触手持ちの得体の知れない生物のぬいぐるみを抱えているんだ。


 パンダとかウサギとかならまだしも、アノマロカリスって。

 というか、ぬいぐるみがあるってことは需要があるのか、そいつ。

 若い女性の『カワイイ』の基準がよく分からないことがある。キモカワイイという言葉があるが、きっとアノマロカリスもその分類なのだろう。それより、キモいのにカワイイってどんなだよ。得だな、そいつ!


「ところで……アノマロカリスって……エビ?」


 干しエビをじっと見つめて「アノマロカリスはどんな味か」なんて言っていたんだ。エビの一種なのだろう。軽い好奇心で聞いてみたのだが、それが間違いだったことに気づくのに要したのは、たった一秒。

 中指でくいっと押し上げた眼鏡が、怪しい光を放つ。まずい、これは変なスイッチを押してしまったと後悔した。


「アノマロカリスとはラテン語で『奇妙なエビ』という意味です。というのは、アノマロカリスの化石の一部が発見された時、研究者はコノハエビの一種だと推測しました。あ、言い忘れてましたがアノマロカリスはもう絶滅してこの世にはいないんです。その後の研究の結果、汎節足動物のラディオドンダ類というものに分類されました。エビではありません。アノマロカリスは古生物の中でもスター格の生き物なんですよ? カンブリア紀以前の地球は自らの体を動かして獲物を狩る生き物はいなかったと言われています。つまり、アノマロカリスは地球最古の捕食者ハンターなんです!! 体長は大きなもので一メートル程、数センチから十数センチの生き物ばかりいた当時にしては、破格の大きさでした。想像してみてください。この大きなヒレで小さな生き物達がいるカンブリア紀の海を悠然と泳ぐ姿を。まさに覇者の風格!!(※)」


 声のトーンが上がり、テンション高めでマシンガンのように話し続けてるけど、ごめん。チョットナニイッテルカワカラナイ状態、主に前半。授業で習った内容すら覚えていないのに、はるか上を行く説明に俺の脳みそがついていけていない。


「……つまり、アノマロカリスは初代ハンターキングってことでいいのか?」


 話を早く切り上げたくて彼女の話を分断して思いついた言葉を言うと。彼女の目が爛々と輝いて、アノマロカリスを膝の上に乗せながら俺の両手をがっしりと掴んできた。

 やっぱり力が強い。手から血の気が引いていく。そして身を乗り出してきたせいで膝の上にいたアノマロカリスが俺の顔にめり込んでくる。触手がちょうど鼻に入っているし。更に大きな目玉とずっと目が合って、気まずい。


「おっしゃる通りです! 話が分かる人で良かった。初めてですよ、話の合う男性と巡り会えたの!!」


 いや、分かってないよ? 君の話を終わりにしたかったからまとめただけなんだよ?

 そんなことより、アノマロカリスの触手をどうにかしてくれないだろうか。鼻がむずむずしてきた。


 微動だにせず俺をじっと見つめるアノマロカリスの目玉、大きくて可愛……なわけない、可愛いとか思うわけがない! 目が合ってるから気がおかしくなっただけだ。


「で、でも、そんなに好きなのにアノマロカリスがどんな味がするんだろうって何故思ったんだ?」

「よく言いません? 骨の髄まで愛したいって。それに可愛いと食べちゃいたいと思いませんか? もしこの世界にまだアノマロカリスが生きていたら、私は余す所なく全てしゃぶり尽くして私の血や骨にアノマロカリスの全てを沁み込ませて——」


 やばいやばいやばいやばい。怖いよ。愛が重すぎるよ!

 確かにお目目可愛いけど……って既にアノマロカリスを可愛い認定してしまっているでないか。


「干しエビを見てたら、奇妙なエビと名付けられたアノマロカリスちゃんが果たしてどんな味をしていたのかとっても気になってしまって。でも、確かめられないのが残念です」


 ようやく手を離してくれた女性は、再びアノマロカリスをぎゅうぎゅうに抱きしめた。まるで、別れた恋人からもらったぬいぐるみを、恋人に見立てて抱いているみたいに見える。

 一方、血流が戻ってきた俺の手はジンジンと痺れていた。


「……好きなんだね」

「とっても。でも私は古生物みんなを愛していまして」


 もぞもぞ、とカーディガンのポケットから名刺入れを取り出した。小さな両手を綺麗に添えて、名刺を一枚差し出してくる。


「申し遅れましたが、私はこういう者です」


 名刺に書かれていたのは、『地球史博物館 地学研究室 古生物部門 伍代弥生ごだいやよい』。


「つまり、学芸員?」

「はい! 皆からは弥生と呼ばれているので、できればそれでお願いしたいです! ところで、お名前は……」


 そういえば名乗り忘れていた。ちょっと、いや変わった子だけれど、食べ物を粗末にせず命に対する礼儀がきちんとなっている人間に悪い人はいない、と自負している。ここで会ったのも何かの縁だ。


「俺は清水しみず理一りいち。よろしく」

「よろしくお願いします、理一さん。それと、美味しいお茶漬けをありがとうございました」


 弥生は満面の笑みで深く一礼した。抱きかかえていたアノマロカリスも彼女と共に、ぺこりと頭を下げていた。



🍁🍁🍁


(※)弥生の語っていたアノマロカリスの説明について


 アノマロカリスを含めたカンブリア紀の生き物については未だ研究が続いており、新事実が続々と判明しております。故に弥生が語っていたことが全てとは限りません。

 実は体長は二メートルを超えていたのでは? 逆に一メートルもなかったのでは? 三葉虫の硬い殻を噛み砕く力はなかったのでは? 等、様々な推測があるようです。

 既存の事実とは異なる、新たな研究結果が発表される可能性があります。

 まだまだ謎の多い古生物の世界、調べていくととても興味深いものです……。

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