贖罪

@hitsukirei415

贖罪

 雨の日の昼下がり。俺は都内のマンションの一室で、ひたすら頭を下げている。こうでもしないと罪悪感で圧し潰されてしまいそうだった。俺は決して許されない罪を犯してしまったのだ。

 

「こうしてご自分で頭を下げに来てくださっただけでも、遺族としては幾分救われた心地がするのです。どうぞ、お顔を上げて、故人にお線香あげてやって下さいな。」


 相手が優しく声を掛けてくれるほど、自分の罪の重さがのしかかる。俺は、こんなに穏やかな老婦人のたった一人の息子を、奪ってしまったのだ。


 それは、今日みたいな雨の日の夜だった。配達を終え集荷場に戻る途中だった俺は、横断歩道を横切る影に気が付かなかった。ドンっ、という衝撃音に、タイヤが何かを潰す生々しい感触。もう何度も何度も夢に出てきた景色だ。こちらの信号は青だったこともあり裁判では不起訴となったが、人を轢いてしまったという事実は消えない。あの感覚を俺は一生、忘れることはないだろう。


 仏前に焼菓子を置きながら、殺した相手に菓子を供えている自分に吐き気がした。線香の匂いは、こんな胸が張り裂けそうになるものだったか。りんの音が頭に響く。遺影を見ると、嫌でもあの日の変わり果てた姿を思い出してしまう。だが、目を背ける訳にはいかない。今の俺にできることは、誠心誠意向き合うことだけだ。遺影の中で笑みを浮かべる彼の目を、しっかりと見据えてもう一度深く頭を下げた。


 暗くなってきたのでそろそろお暇しようとしたとき、老婦人がベランダに出ないかと誘って来た。

「高層ってわけじゃないけど、ここからの眺めが好きだったのよ、あの子。見ていって頂戴。」

雨が降りしきる窓を指すその手は震えている。ベランダから景色を見ることが贖罪になるとは思えないが、それが彼女の望みなら、断る理由など無い。


 俺はアルミの引き戸を開けて外に出た。古いマンション特有の低い手摺のお陰で、晴れた日にはたしかに心地良さそうだ。故人もこうして、手摺にもたれていたのだろうか。


 あなたを殺してしまって、本当にごめんなさい。許されようなんて思うつもりはないけれど、自分にできる精一杯の贖罪をさせてください。


 そう念じながら目を閉じたとき、ドンっという衝撃が背中に走った。体はいとも簡単に手摺を乗り越え、宙に舞う。


 俺の罪は決して許されないのだと悟った。


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