3 真相

「そうなると」

 残りの容疑者は、昨日この病室に出入りしていた看護師である。彼女なら夕食に睡眠薬を混入させることも可能だし、病室の出入りも容易だ。

「でもなあ……」

 困ったことに、彼女にはほかの容疑者よりも抜きん出て犯行に至れない理由があるのだ。以前、入院していた時の会話を思い起こしてみよう――


『この病院って、造りが古いから虫が出るの。中でも、クモが出た日には仕事どころじゃないわ! すべてがダメ……フォルム、足の数、名前! なに『くも』って! クモ恐怖症アラクノフォビアだから、あんなの考えられない! 注射針で刺してやろうかしら!』

『猟奇ナース……。名前ってことは、じゃあ水蒸気の雲も嫌いなんですか?』

『嫌いよ! 雨が降るじゃない!』

『ルールが変わっている……』

『とにかく気をつけて! 消灯してから出たら、ナースコール使ってね!』

『この看護師うるさい……』


 彼女の告白は、蜘蛛に対してのド直球な恐怖心、悪心おしん敵愾心てきがいしんのブレンドだったのだ。アラクノフォビアなら、蜘蛛の姿を見ることさえ拒絶するだろうし。

「でもクモ恐怖症が偽りだったら?」

 今思えば、あの看護師は恐怖より明らかな敵意がまさっていた。蜘蛛が怖い――なんて、咄嗟の出まかせかもしれない。が、それを言い始めると、調理補助のアルバイターが語った、『クモは割と好き』も嘘っぱちで、わたしが母に抱いている嫌悪だって気のせいに終わる可能性がある。

 犯人はこの院内に出入りしている者で間違いないのに、どれもこれも主観でしかなく、犯行を立証するには欠けていた。

「ん、待てよ? このままだと、次に狙われるのは……」

 ――もどかしさの裏でふいと頭をよぎったのは、遅かれ早かれもう片方の友人も犯人の毒牙にかかってしまうという憂慮ゆうりょだった。犯人に見つかれば、否応なしに始末されてしまうだろう。

「被害を食い止めないと……!」

 体の弱い床上探偵だとしても、友人を守りたい意志は誰よりも強い。もう、失うわけにはいかないのだ。きっと事態は正午に動く――

「あと三分もない」

 誰かが必ずここを訪れ、仕掛けてくるはずだ。すぐにでも状況の悪さを知らせたいのに、友人の姿が見えなかった。できれば、このまま鳴りを潜めていてほしい。

 昼の十二時は刻々と近づき、わたしの胸元から始まったソワソワが、もう全身に広がろうとしていた。両足のつま先さえムズムズして、布団に潜らせておけなかった。


 興奮のせいだろう、こんな時にまた体の調子が悪くなってきた。けれど、寝床ねどこに体をつけている場合ではないのだ。わたしは荒い呼気こきなんて構わず、病室中を見回した。どこだ? 友人はどこに居る?

 普段、それほど動かさない眼球が引きつるような、はたまた乾くような痛みを覚え、首の骨がグキっと変な音を立てた。眼球に集中させた数十秒――小さな黒いドットが視界の隅で動くのを見逃さなかった。

 広い広いひとり部屋で、大袈裟に顔を向けると、チャスジハエトリ♀が安っぽいカーテンの起毛きもうに八本足を引っかけて、悠々と移動していたのだ。

「あそこだ」

 だが、体はだるくて動かない。少々荒っぽいが、なにか物を投げて一時的に追い払おうか。右手にスマホを握りながら辟易へきえきしていると、廊下からは忙しそうな振動、食器の触れ合う配膳音、腹の虫を呼び起こす匂いなどがえられ、ランチに逼迫ひっぱくされている錯覚を覚えた。

「に、逃げて……犯人が来ちゃう……!」

 わたしはほとんどダメ元で声を上げた。

 すると、その魂に呼応こおうするかのように、チャスジハエトリ♀が動いたのだ。カーテンに張りつきながら後方の四本の足を縮め、跳躍とともに八本足を体いっぱいに広げながら。

 そうだ、そのまま鳴りを潜めて――

「え……?」

 違う、彼女の少し下――ポリエステルの波の陰に居たのは、別個体の小さな蜘蛛だったのだ。それはさながら奇襲。彼女は別個体へ飛びかかり、八本の足でがっちりロックしたあと、垂らした糸の先でゆらゆらと左右に振られていた。

 ほどなく捕獲された別個体が暴れ、絡み合った二匹が空中で高速回転した。しばらくして獲物が抵抗の意志を失うと、彼女は徐々に窓枠へ下りてゆき、一足早い優雅な昼食を始めたではないか。

「あっ、共食い……」


 獲物の腹に牙を突き立て、生肉を咀嚼する被写体からピントがずれてゆき、頭がぼうっとした。同時にチャスジハエトリ♂殺害事件の謎は解けた。

 大体――推理どおり、犯人はこの病院内に潜んでおり、さらには女で、事件は正午に動いたのだ。 

「えーと、なにはともあれ……事件解決か」

 床上探偵の、日によって色を変える心はもはやカラだ。この思春期の頭も、広大なほどカラっぽである。

 けれど、これだけは言わせてほしい。

「犯人はメスグモ、お前だ……!」

 ――人差し指を突き立て、ドヤ顔をもって。


「ランチおたー。いっぱい食べて元気になりな」

 ほどなく、くすくす笑いながら調理補助が配膳してきたのは、月に一度だけ献立に組みこまれる、野菜たっぷりカレーだった。

「えぇ、わたし強く生きます。あのハエトリグモみたいに」

 わたしは小さく「いただきます」を発し、窓辺の友人を一瞥いちべつしたあと、スプーンと口を黙々と動かした。

「うわぁ共食いエッグー。でもま、男を食らうくらいの野心はあったほうがイイんじゃね? 良く食って、良く寝て。それでも悩んでんなら、息止めを五分くらい繰り返してれば、けっこー解決するし」

「単純……。てか、そんな解決は要りません」

「夜遅くまでスマホいじってた挙句、あまりの眠さに夕食中に寝落ちする中坊ちゅうぼうに言われたくないし。昨日みたいに、もう食事中に寝ないで」

「あぁ……睡眠薬じゃなかったんだ」

「んなわけあるかい!」


 わたしは床上しょうじょう探偵を五分で引退した末、朝昼晩の食事を必死に食らい続けた。結果、高校に入学する頃には、虚弱体質だった時代が嘘のように、エネルギッシュな少女に成長してしまった。

 ちなみにまだ、『友達とはなんだろう?』という答えは出ていない。

 ――いや、これから見つけてゆこう。それこそ、わたしにとっては五分ではとても解決できないミステリーなのだから。


                                   了

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はるのくも 常陸乃ひかる @consan123

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