青いランドセルの少女

 夢の中へ入ると、そこは小学校の、広い校庭だった。今夜の一つ目の舞台は、学校なのである。

「お早う御座います」

 朝礼台の上に立っている、恰幅の良い舞台の指揮担当の男性に挨拶をすると、私は大勢の、先生役や生徒役の群れに紛れた。私を最後に、全員が集まったらしく、指揮担当は直ぐに、拡声器を口に当てて、短く説明をした。

「主役の少女は、台本通りに夢を見ています。五分後に、第一の場面である公園から、第二の場面である学校に移動します。皆さん、直ぐに、台本通りの位置についてください」

 言い終えると指揮担当の男性は、朝礼台から降り、学校を出て車に乗り、次の第三の場面である、商店街の方へと移動した。夢舞台はいつも、時間との勝負である。

 私は数人の子役たちと一緒に、校庭から昇降口へと移動すると、出番を待った。少しして、台本を左手に抱えたままなのを思い出す。私は、分厚い台本を何度か折り畳み、両手に挟んで押し、手のひらよりも小さく薄くすると、ワンピースのポケットの中へと突っ込んだ。

 そうして、私の出番まで、後数十秒というところへ来た時である。

 ずうん、ずうんと、大きな音と振動が起こり、私は思わず転びそうになった。咄嗟に、靴箱にしがみつく。もうすぐ出番が来るのだ。

 私は、懐の時計に手を当てた。すると、時計が震えはじめた。出番だ。

「きゃああああああ」

 台本通りに叫びながら、校庭へと飛び出して、校舎の方を振り返る。

 校舎の向こうから、校舎よりも背の高い、ごつごつとした赤い怪獣が迫ってきていた。そして、その怪獣の肩には、青いランドセルを背負った少女が、楽しそうに笑っている。彼女が、この夢舞台の主人公である。

 少女を見つけると、私は、向き直って、逃げ始めた。校庭の真ん中あたりまで走ったところで、怪獣が校舎を壊し始める、大きな音が聞こえた。砕けた校舎の破片が、あたりに散らばる。子役たちの何人かが、その破片に潰された。

 私は再び、校舎の方へと振り向いた。そして、怪獣が、校舎を突き破って、片足を校庭へと踏み出したのを確認すると、仰向けに、その場に転んだ。もちろん、台本通りである。もう一度、今度は先ほどよりも大きな声で叫ぶ。

 怪獣が、短く太い足で、ゆっくりと、こちらへ迫ってくる。

 そして、私を踏みつけた。

 だがしかし、痛くはない。踏まれる直前に、地面がへこんだからである。

 ぐしゃりと、わざとらしく、潰れるような音がすると、怪獣の足の裏から、赤い液体が大量に噴き出した。私は直ぐに、体中を、出来る限りにへこませ、ぺちゃんこになった。もっとも、もっと凄惨な死体を演じることもできるが、ここは、そんなものを想像することなどできない、小学生の女の子が見る夢の中である。トラウマにならないように、加減しなければならない。

 怪獣に踏まれ終えると、怪獣の肩に居る少女がこちらを向いて、奇麗に潰れている私を見た。その表情には、繕った悲しみと、隠しきれない喜びとが浮かんでいる。

 しかし、それも一瞬のこと。果たされた復讐には直ぐに興味を失って、少女は、新たなる復讐へと目を向けたようであった。

 私はしばらく潰れたまま、遠ざかっていく怪獣の足音を聞いていた。流れる雲が、白く美しい。

「学校の役者の方々、お疲れさまでした」

 怪獣の足音が聞こえなくなって少しすると、学校中に、係の人の号令が響いた。

土を払って、起き上がる。これで、この舞台での、私の出番は終わりである。シャワーを浴びて、赤いインクを落として、着替えと化粧をして、次の舞台へと急がなくてはならない。

「何回目ですか」

「八回目よ」

 いつの間にか隣にいた子役の一人に尋ねられ、私は答えた。少女の夢舞台で、怪獣に踏み潰された回数である。

 この夢舞台で少しでも、少女の心の波が安らぎますように。

 ため息とともに祈ると、私は、夢渡りのドアノブを回して扉を開けて、舞台から出た。

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夢舞台 雲染 ゆう @kumozomeyuu

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