第340話 背びれと尾びれがプラスされた

「お洒落?」


 章都しょうとはイメージできずに首を傾げる。

 息吹戸いぶきどの私生活はほとんど知られていなかったため、誰もが同じリアクションであった。


「まぁ、アイツも人間だから人並みなことをすんじゃないか?」


 珍獣扱いと思われる発言を聞いて、井小呂と関は互いに顔を見合わせる。


「だから合温あおんさんが幻覚を見たってことでは」


「見間違えとか」


 彼女たちにとって息吹戸いぶきど従僕じゅうぼくと似たり寄ったりなイメージであり、人並みがピンとこなかった。


「迎えに行ったんですから見間違いじゃないし幻覚でもないです! 本当にいつもと違っていたんですから! ああんこっそり写真撮ればよかったあああ! あれ絶対デートですよ! デート!」


 合温あおんは声を大にして言い張った。ここに本人が顔を出せばすぐに誤解が解けるのだが、生憎と座っているのは章都しょうとである。

 合温あおんの話に祠堂しどうとのやり取りを結びつけた彼女の頭から電球がぴこんと閃く。


「なるほど、それならつじつまが合う! だから一向に脈なしだったのか!」


 我が意を得たり。

 天からの啓示を得たかのように章都しょうとは全てを理解した気になって、ポンと膝を叩いた。


「え? なんですか?」


「思い当たる節があるんですか?」


 井小呂いおろと関が好奇心を前面に出して口々に詰め寄る。

 章都しょうとは興奮から頬を染めると、


「実はあいつに彼氏がいるってことだ!」


 胸を張って言い切った。


「え」


「まさか」


 井小呂いおろと関がショックを受けたように目を見開き、両手で口元を隠した。


「ほらあ。章都しょうとさんもそう言ってるでしょ。きっとそう、絶対にそうよ!」


 合温あおんが大喜びながら後押しをすると、二人の心境が驚きから興奮に変わり、最終的に野次馬になった。


「一体誰! 知りたい! 見たい!」


「隠すってことは内密の関係? もしかして禁断の愛? 既婚者とか歳の差とか同性愛、もしかして荒魂とか!?」


「いや流石に危ない橋は渡らないってば。きっと周囲から嫉妬がくるような相手よ」


「ええええ! 嫉妬される相手って気になる!」


「あーん。聞きたいけど本人に聞けないのがもどかしいーっ!」


「わかるー! 病院送りになりたくないものねー!」


「わかるーわかるー!」


「周囲でそれとなくいい感じの男っていたかなぁ?」


「いやバレないように会ってるでしょ。だから男の影すらなかったんだから」


「相手も相当慎重よね。ここはやっぱり禁断の相手では」


「もうドラマの見過ぎだってば!」


 井小呂と関と合温あおんは興奮して頬を染めながら、小声であーでもないこーでもないと楽しく話を盛り上げている。


「並大抵じゃ太刀打ちできない息吹戸いぶきどを落とすなんて、相当なやり手だぞ」


 章都しょうとはにやにやと唇を歪ませて、手の形を変える。それをみた女性たちが黄色い悲鳴を上げた。


「え! やり手ってそっち!? そっちなの!?」


「あっち方面から落とされて!? きゃーっ! 強引な男と関係とかありえそう!」


「そこからの恋に発展! いやいや面白いけど想像できないしあり得ないって」


 彼女たちは様々な憶測を語るが、もちろん不正解である。


 お洒落着だったのは同人誌即売会に行くためであり、カバンを大事に持っていたのはBL同人誌が紛失しないように気をつけただけである。


 しかしその事実を彼女たちが知ることはない。


「あら章都しょうと。何やら楽しそうね」


 糸崎が声をかける。章都しょうとを探していたが、楽しそうな空気を感じて混ざりに来た。

 章都しょうとはにやけ顔のまま手を上げて彼女を招く。


「聞いてくれよユッキー」


「聞くわよ」


 糸崎が章都しょうとの隣の小さなスペースに座ると、章都しょうとが勿体ぶって「なんと……なんとなんと」と溜めをつくる。


「いいから早く言いなさい」


 糸崎がジト目で促すと、章都しょうとが自信満々に宣言した。


息吹戸いぶきどに彼氏がいたみたいだぞ!」


 糸崎は動きを止め、瞬きを一回した後、


「まじかあああああああああ!?」


 驚きの声がロッカー室に響き渡った。


「ちょ!? なにそれ詳しく教えなさいよ! 教えなさいよ!」


 糸崎が章都しょうとの襟首を掴んで前後に振った。


「いやぁ。実さぁー」


 章都しょうとがにへらっと笑って、憶測をあたかも真実のように話した。


 こうして女性職員を中心に『息吹戸いぶきど瑠璃に彼氏がいる』というデマが瞬く間に広がった。人の噂に戸を立てることができず、背びれ尾ひれをつけてアメミットやネメアー、グリーブ、ベルセにまで広がりをみせる。


 普段己のことを話さない人物の、初めてのゴシップに誰もが興味津々であった。


 尚、本人にバレると速やかに抹殺されるという噂も流れたため、取り扱いには細心の注意が払われた。


 その結果、息吹戸いぶきどがその噂を知ったのは三か月ほど経過した頃である。











次回から六章になります。今度こそ『私』のお話がメインとなりますので、よろしければ引き続きお読みくださいませ。


〼五章に登場した新キャラ一覧〼

https://kakuyomu.jp/users/akitokei/news/16818792439658616642

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