第97話 古代インドの宗教(バラモン教・ジャイナ教・仏教)

 バラモン教が明確な形で成立したのは、後期ヴェーダ時代に当るBC10世紀からBC6世紀にかけてのことだった。後に偉大な世界宗教となる仏教もBC6世紀にインドで創始され、やがてアジアの広い地域を席巻していく。古代インド人が人類の歴史に対して行った最大の貢献は政治や経済ではなく、明らかに文化においてだった。その中心に存在したのが宗教だった。


古代インドの思想体系は次の4つに分類されるといわれる。


1.BC1500年~BC1000年ごろに成立したヴェーダの賛歌を収録した「本集」とも言われる「サンヒター」や、祭儀の解説書である「ブラフマナ」などで、祭儀を通じて自然や神々をコントロールするもの。インド最古の文献で、祭儀で唱えられる神々への賛歌集である「リグ・ヴェーダ」はBC1200年ごろに成立している。

2.BC700年ごろに成立した「ウパニシャッド(奥義書・哲学書)」と呼ばれるヴェーダの付属文献で、約250の祈祷文、賛歌、格言、真理についての聖人たちの思索などを集めた聖典である。宇宙の本質と人間存在に関する哲学的思索が数多く含まれている。

3.ヨーガは肉体の修業を通じて精神をコントロールし、心身を統一することで物質の束縛から逃れ、真理に到達するすることを目指すという思想。ヨーガの教えによれば、人間は個としてのアイデンティティを持った存在ではなく、この世のあらゆる存在と同じように、互いに関係しながら、絶えず変化している存在なのだ。ヨーガは仏教の成立に関して重要な役割を演じることになった。

4.BC6世紀に生まれた仏教は、肉体と精神をコントロールし「4つの真理」を悟って、すべての欲から解放される涅槃ねはんの境地に到ることを理想とする。4つの真理とは、この世は苦であるという真理「苦諦くたい」、苦は煩悩によって起こるという真理「集諦じったい」、煩悩を断ち苦を滅ぼした状態が解脱げだつであるという真理「滅諦めったい」、解脱に到るには正しい修業法を実践しなければならないという真理「道諦どうたい」である。


 これら4つを見ると、古代インドの思想にはいくつかのはっきりした共通点があることがわかる。まず、すべてが経験や実践に基づく思想である。さらに、いずれも魂を肉体から解放することを目指しており、それを達成するためには肉体と精神のコントロールが欠かせないとしている。最後に、知覚は分析的な思索によって得られるのではなく、自らの内面に近づくことによって得られると説いている。



(バラモン教:ヴェーダの宗教)


 バラモン教の聖典の総称である「ヴェーダ」は、古代インドの神話体系と神秘思想を現在に伝える最古の情報源であり、「リグ・ヴェーダ」から「ウパニシャッド」に到る広範な文献を含んでいる。BC600年ごろまでにはバラモン教の根本聖典とされる四大ヴェーダが成立した。神々への賛歌を集めた「リグ・ヴェーダ」は、インド最古の文献であり、その一部にゾロアスター教の根本教典である「アヴェスター」と共通した内容を持つ。その後、祭場で歌われる歌詠中心のアーディティヤ(太陽神)から生まれた「サーマ・ヴェーダ」、主に供物を奉げるときに唱えられる祭詞中心のヴァーユ(風神)から生まれた「ヤジュル・ヴェーダ」、呪文などを集めた呪語中心の「アタルヴァ・ヴェーダ」がまとめられた。さらに、そのそれぞれに、ブラフマナ(祭儀書)、ウパニシャッド(奥義書・哲学書)、シュラウタ・スートラ(大規模祭式綱要書)、グリヒヤ・スートラ(家庭祭式綱要書)などの文献が付随する。


[ウパニシャッド哲学]

 ウパニシャッド哲学は、後期ヴェーダ時代の文献「ウパニシャッド」に基づく哲学である。バラモン教が形式化し、バラモンの役割が単に祭祀を司るだけになっていることを批判し、内面的な思索を重視して真理の探究を勧める動きが出てきた。それがウパニシャッド哲学であり、ヴェーダの本来の姿である宇宙の根源について思考し、普遍的な真実、不滅なものを追求した。ウパニシャッドは、仏教以前から存在したものから紀元後16世紀に作られたものまで、約200以上ある書物の総称であり、成立時期もまちまちである。ウパニシャッドの最も独創的な要素は仏教興起以前に属し、その中心思想は、遅くともBC7世紀ごろにまで遡る。ウパニシャッド哲学は、ブラフマン(宇宙を支配する原理)とアートマン(個人を支配する原理)の本質的一致を中心とする思想である。つまり絶対者と自己とは同一であり、目や呼吸などの緒機能の集合体である各個人は小宇宙であって、自然界の緒現象が構成する大宇宙に対応するという思想である。その本質的一致(梵我一如ぼんがいちにょ)によって会得されるブラフマン(梵)とは、「真理・意識・至福」であり、それは古代から現代までのインド思想に一貫して流れる観念である。「ぼん」とは、古代インド哲学において宇宙の究極原理とされたブラフマンの漢訳語であり、元々は祈祷の文句およびそれに宿る神秘力を意味していたが、祭式万能の気運が高まるにつれ神を左右する原動力とされ、さらには宇宙の根本的創造力の一つの名となった。それは元来、中性の哲学原理であったが、後に人格化(男性)されてブラフマー(梵天)となった。アートマンは当初、肉体的・精神的意味での「自己」であった。それは個体の本質、すなわち「われ」の本質であり、そこにはいかなる神の関与も考えられていない。その後、アートマンは個体の本体であるだけではなく、すべての存在の内なる本体、あらゆる存在の神髄であり、最高の実在(真理)であるとされるようになった。人は、現象的・個体的存在としての自己を脱却する時に初めて、真に在るものとして自覚されるのである。それは人間存在の本質である。


[ヨーガ]

 BC6世紀以前に人びとが「ヨーガ」として理解したのは、肉体と精神の活動を組織的に停止し、かつ精神統一の方法によって一段と高い意識状態に上ろうとする努力であり、その目的は、自ら一種の催眠過程の助けで最高の宗教的真理を経験し、その結果、理性的概念を超えて洞察と体験を得ること、すなわち嘘偽りのない自己の観念に到達し、同時に解脱することであった。ヨーガは苦行におけるように心身に苦痛を与え、それによって欲望を抑えようとしたのではない。ヨーガは、各個人が内省・精神統一・忘我によって深い宗教的体験を得、恍惚の中で、尋常ではない仕方で、見えざるもの「アートマン」との合一に達しようとする努力のうちに根ざしている。「梵我一如」の思想が登場したとき、肉体的・精神的機能をことごとく制御し、全力を集中して解脱に達しようとするこの方法は人びとに受け入れられ、それがインド精神の著しい特徴となった。仏教でも古来、基本的修行法として尊重され、ヨーガにおける禅(精神の安定と統一)と定(心を一つの対象に集中させて心の散乱を静めた瞑想の境地)はまとめて禅定とされ、重要な実践大綱とされている。



(ジャイナ教)


 ジャイナ教は非常に革新的な教えだった。バラモン教の祭儀やヴェーダの権威を否定して、合理的思考に基づいた思想体系を確立していた。開祖はヴァルダマーナ、悟りを開いて後の尊称をマハーヴィーラといい、ガンジス川中流域のクンダ村で生まれ、成年に達してから結婚し一女をもうけだが、30歳で出家してニガンタ派の沙門しゃもん(修行者)となった。長い苦行と座禅の後、42歳で真理を悟りジナ(勝利者)となった。以後教化に努め、72歳で没した。ジャイナ教の伝説によればBC527年に没したとされるが、彼の生存年代についてはいくつかの説がある。真理を悟った修行者はジナ(勝利者)と呼ばれる。ジャイナ教とは「ジナの教え」という意味である。

 ジャイナ教は、単なる懐疑論に陥ることなく、批判的で反省的な立場で公正で正確にものを認識する立場を樹立しようとした。ジャイナ教の本体論の古い教説は一種の無神論であり、生気論でもある。地・水・火・風・動物・食物に霊魂のあることを認める。一方で、これら生気を帯びるものの他に、非霊魂・非生気的なものも認める。それを非霊(非命)といい、活動の条件となる物(法)、停止の条件となる物質(非法)、空間(虚空)、物質(人・土)の4つに分かれ、霊魂と併せて、これを5つの実体という。宇宙は永遠の昔からこの5実体によって構成されていた。これらを構成し、支配していた主宰神のようなものは最初から無かったとする。この5実体の説は、万物を「くう」と見る仏教との最も大きな思想的相違点である。仏教は体制にこだわらない「空」の見方を持つのに対して、ジャイナ教は基本的に実体論であり、現状肯定派であった。修行者は出家して沙門となる宗教生活が求められ、彼らのために多数の戒律が制定された。なかでも不殺生、真実語、不盗、不淫、無所有の5戒は絶対に犯すべからざるものとされた。霊魂浄化のためのヨーガ、座禅、瞑想が重んじられ、禁欲が称賛される。

 真理を悟ったジナ(勝利者)は生き物の命を尊重する不殺生の教えを説いたため、信者たちは農業や畜産業に従事できなかった。そのためジャイナ教徒は伝統的に商人になるものが多く、現代のインドでも特に豊かな社会集団を形成している。ジャイナ教徒が商業で成功を収めたのに対し、重工業はインドのゾロアスター教徒であるパールシーのタタ財閥によって育成された。ムンバイ地方における綿業・発電・製鉄などの重工業はほとんどパールシー教徒によるものである。



(仏教)


 仏教はインドが生んだ普遍的世界宗教である。「悟りを開いた人」を意味する「仏陀ブッダ」が他の革新的な宗教家と同様にガンジス平原の北辺、現在のネパール南部タラーイ地方に生まれたことは大きな意味を持っている。この地域には小国家が複数並存するだけで、ガンジス川流域で台頭していたような君主政の大国は生まれていなかった。BC566年ごろに生まれたとされるゴーダマ・シッダールタはシャーキャ(釈迦)族の王子としてクシャトリア階級に属していた。16歳で結婚し、一人の男児をもうけたが、人生の意義について深く悩み、29歳のとき父母妻子を捨てて出家した。最初は二人の苦行行者の下で修業したが、それに飽き足らず、ガンジス平原のマガダ国のガヤー城の南にある山林の中に入って6年の苦行を行ったが、なお正覚しょうがく(正しい悟り)を得ず、ここを去ってナイランジャナー河畔の菩提樹の下に金剛座を設え、21日間の座禅の後、悟りを開きブッダとなった。35歳のときだった。後に、この地をブッダガヤーと呼ぶ。この後、40余年伝道を続け、インド北中部のマッラ国のクシナガラにおいて80歳で没した。

 仏教の基本となるものは、ものをあるがままに見て、ものにも自身にも執着することなく、自然に生き自然に帰ることをもって目標とした。その立場は極めて自然であり、実際的であったといえる。これが、すべてに人はその能力と努力によってのみ救われるという普遍的な理解を生み出し、国と時代を超えた世界宗教となり得ることとなった。

 ブッダの教えは倫理的で禁欲的なものであり、その目的はより高い意識状態に到達することによって「苦」から解放されることにあった。その教えにはウパニシャッドの教義と似たところもある。ブッダは輪廻を繰り返す人間の存在を「苦」そのものであると考え、修業によって欲望を絶つことで、そこから抜け出し、永遠の至福の境地である涅槃ねはん(ニルヴァーナ)に到達することができると説いた。そのために行うべき修業が、正しいものの見方や正しい思考など、「八正道はっしょうどう」、それは正見(Right view)、正思(Right resolve)、正語(Right speech)、正業(Right action)、正命(Right livelihood)、正精進(Right effort)、正念(Right mindfulness)、正定(Right concentration))と呼ばれる8つの正しい行いを実践することだった。八正道は具体的には「戒律」によって実行される。「戒律」は出家戒と在家戒に大別され、また男性に対する戒律と女性に対する戒律で区別されることもある。具体的な生活状態に応じて具体的な戒律が適用され、それによって仏教信者の集団であるサンガが形成されていく。仏教の世界観は、この世は正滅しょうめつ(生ずることと滅すること)変化する無常のものであるが、その中にあって不変不壊なるものは確実に存在し、それへの信を固め、ひたすら解脱に努めなければならないというものである。仏教は、人間の本性は清らかである。あらゆる悪を行わないこと、善を行うこと、自らの心が清らかであること、これが諸仏の教えであるとした。インドでそれまで行われていた苦行を否定し、快楽主義でもなく苦行主義でもない中道を示したブッダの教えは、平等主義と合理主義と人道主義に支えられたまさに革命的な思想だったといえる。

 ブッダは実行力と組織を作る能力に恵まれた人物だったと思われる。もちろん優れた人格の影響もあって、彼の教えはたちまち民衆の心を惹きつけるようになった。ブッダはバラモンたちと正面から対立することを避けたと思われる。そのためかなり早い段階から教団が組織されこともあり、ブッダの教えは彼の死後も長く伝えられた。ブッダが説いた初期の仏教は儀式に固執することのない、平明でしかも無神論的な教えだった。また、伝統的なバラモンたちの信仰から排除されていた女性や低カーストの信者たちも差別しなかった。その後、仏教はさまざまな思想を取り入れ、宗教として発展を遂げていった。それでも仏教は、バラモン教からヒンドゥー教へと続くインド古来の宗教に取って代わることはできなかった。ブッダの死後、教団は分派を繰り返し、それぞれ独自の発展を遂げたものの、紀元後7世紀以降はイスラム教やヒンドゥー教の勢力に押され、インドではすっかり衰えてしまった。

 最終的には、仏教の革新性は好戦的・非妥協的なものではなく、実際はインド社会のカースト制度に革命をもたらさなかった。ブッダの説法を知るには、伝統的な弁証法に熟達していなければならない。事実、ブッダの周囲に集まったのは皆教育のある者、貴族階級の人びとであった。結局、インドにおいて仏教はヴェーダの宗教であるバラモン教に対抗したクシャトリア階級に属する貴族宗教に留まってしまったのだ。

 しかしその一方、時が経つにつれ、ブッダの教えを奉じる僧の数は増え、インド亜大陸の外側ではシルクロードを通って遥か東へと広がっていった。BC2世紀までには、仏教は広くアジア、中国とインドネシアに伝わり、紀元後6世紀には極東に浮かぶ島国である日本にも伝わった。この間に仏教は大きく3つの流派に分かれた。最初に起こった上座部仏教は、修行僧の教団を重んじるが、紀元後1世紀ごろになって台頭してきた大乗仏教は菩薩の存在を重視し、悟りを開くことよりも衆生を救うことを優先する。紀元後6世紀ごろになるとタントラ仏教(ある種の密教)が発達した。儀式の際に、宇宙と一体とされる大日如来を呼び出して直接教えを聞くことができる密教である。そして仏教は、後にキリスト教やイスラム教と並ぶ世界宗教となるまで成長を遂げていった。

 20世紀の1950年、大英帝国から独立したインド共和国の初代首相ネルーは、インドの仏教について次のように述べている。

“仏教がインドで最も隆盛を極めた時代においてさえ、ヒンドゥー教は広く行われていた。仏教はインドにおいて自然死を遂げたのである。あるいは、むしろ次第に消え去ったのであり、他の何物かへの変形であった。ジャイナ教は、その本源の宗教(バラモン教、後のヒンドゥー教)に対する反抗運動であり、ほとんどヒンドゥー教の一分派としてインドに残り、存続している。仏教はカースト制度に順応せず、その思想や見解において、より独立していたため、インドおよびヒンドゥー教に深い影響を及ぼしつつも、結局インドからは消え去った”



(ヒンドゥー教)


 反アーリアの宗教ともいえるジャイナ教や仏教が日の出の勢いで伸長してくるにつれ、旧来のヴェーダの宗教を主宰してきたバラモンたちは強い危機感を覚えることになった。それら新しい思想は、都市に住む商工業の富裕層や彼らの富を背景にして強大な権力を手にした王侯・貴族や戦士から成るクシャトリア階層を熱心な信者として自らのものにしていった。そこでバラモンたちは、それまで自らの社会の成員として認めていなかった膨大な数の先住民族を認める方向に向かった。しかし、何の利益もなければ、そうした先住民族がバラモンに従うはずがない。そこでバラモンたちは、先住民族の神々や伝説的な英雄たちをヴェーダの神々のパンテオン(万神殿)の中に位置づけた。さらに救済主義の色付けを強く施した。つまり、アーリア人であるエリートだけを益する旧来のヴェーダ宗教を、すべての民衆が救われるとする民衆宗教へと変えていったのである。このようにして、ヴェーダの宗教を軸としながら、土着の宗教と大規模に習合した宗教、ヒンドゥー教が誕生した。したがって、バラモンたちの総意によって出来上がったものであるから、特定の開祖を持たない民族宗教であり、特定の開祖を持つジャイナ教や仏教とは大きく異なる。その結果、宗教であり、また哲学であるともいえるヒンドゥー教は、インド人の思考や生活の非常に根深いところから生み出されたものとなった。

 BC2世紀から紀元後5世紀ごろまで約700年間は、マウリヤ朝(BC321年~BC185年)、シュンガ朝(BC185年~BC68年)、クシャーナ朝(紀元後30年~375年)、グプタ朝(紀元後319年~6世紀半ば)など、古代インドの大帝国が成立し、中央集権化が進行していった時代であるが、この時代にインドの哲学・宗教は、前代の自由な諸思想に刺激されて、伝統的な宗教の間でも二つの大きな再編成の動きが起こった。一つは、仏教やジャイナ教の持つ強い民衆性・普遍性に対応して、自らも民衆性と普遍性を持とうとするものであり、この動きはヒンドゥー教として結実する。もう一つは、仏教やジャイナ教の本質にある強力な思弁力・体系性に応じて、自らも思弁力と体系化をしようとするもので、これは6つの哲学学派、すなわち「六派哲学」として形成された。ヨーガ学派はその一つである。したがって、ヒンドゥー教とは、16大国の時代(BC650年~BC364年ごろ)にジャイナ教や仏教などの自由諸思想を経験した後、ヴェーダの宗教である伝統的バラモン教が有神論的な民衆宗教として再編された思想・宗教と定義できる。

 バラモン教に対するヒンドゥー教の第1の特色は、その有神論的傾向である。ヒンドゥー教の宗派も教義もすべて神々に従って分類され整理されているといっても過言ではない。したがって、その種類も多く、分類もさまざまとなる。

① ブラフマン系統(宇宙の根本原理)

 ブラフマー(梵天)、サラスヴァティー(ブラフマーの配偶者、弁才天)

② ヴィシュヌ系統(宇宙の維持管理)

 ヴィシュヌ、クリシュナ、ブッダ(ヴィシュヌの化身の中の一人)、ラクシュミー(吉祥天)など多数

③ シヴァ系統(宇宙の破壊・創造原理)

 シヴァ、リンガ(生殖器崇拝)、ガネーシャ(歓喜天)など多数

④ 護世神

 東方インドラ(帝釈天)、南方ヤマ、西方ヴァルナ、北方クベーラなど多数

⑤ 太陽、月、星宿、精霊、悪霊:これらそれぞれの中に多数ある

⑥ 人間、動物、植物:これらそれぞれの中に多数ある

⑦ 庶物(男女の生殖器)、呪物(菊石など)、山河の神:これらそれぞれの中に多数ある


 以上のような多種多様を極める神々に対し、そのどれを本尊とするかによって、ヒンドゥー教には無数の宗派が成立した。それぞれの宗派はそれぞれの祭礼・儀礼を制定し、その宗派内の分け方によって決められた世襲の職業を守り、法典によってそれを規制した。


 このように、ヒンドゥー教はさまざまな様相を呈するが、すべてのヒンドゥー教徒が共有すべき社会生活上の理念がある。それは「マヌ法典」をはじめとするヒンドゥー法典などに規定されているものであり、具体的には、ヴァルナ・アーシュラマ制、通過儀礼、人間の三大目的、人間の三大負債というものが基本となっている。

 ヴァルナ制というのは、バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラの四階層秩序のことであり、その秩序は浄・不浄の観念によって貫かれている。バラモンは最も清浄であり、シュードラが最も不浄であるとされる。

 アーシュラマ制というのはヴァルナ制を前提とした人生期の理念的な規定のことで、古い法典では一定ではなかったが、「マヌ法典」に到って人生期には4つあるということで決着を見た。最初は学生期で、ヴェーダ聖典の学習に専心する時期である。次は家住期で、結婚して子供(特に男子)をもうけ、家業に励んで家を繁栄させ、祭式の施主となり、祭官に報酬を支払う時期である。その次は林棲りんせい期で、家督を息子が継いだところで隠居し、人里離れたところに庵を結び、敬虔な宗教生活を送るべきとされる時期である。最後が遊行ゆぎょう期で、出家となり、解脱を目指すべきとされる時期である。

 通過儀礼は、ヴァルナ・アーシュラマ制と密接に関わっている。上位3ヴァルナの男は、しかるべき年齢に達したときに入門式を受け、学生期に入る。適齢に達すると、帰家式を行ってから結婚し、子供をもうける。結婚式は通過儀礼には数えられないが、受胎式は通過儀礼に数えられる。生誕式以降、いくつかの通過儀礼を子供に施した後、命を終えるのであるが、葬式は最も金銭をかける通過儀礼である。これに対して、最下層のシュードラには入門式が認められないので、一生族(エーカジャ)と呼ばれる。

 人間の三大目的というのは、アルタ(実利・政治・家族内の人間関係・経済)、カーマ(性愛)、ダルマ(法・義務・正義)のことである。このいずれについても、その奥義に達することはなかなか難しいため、それぞれについての学問が形成された。

 人間の三大負債とは、人間は生まれた途端から三つの負債を負っているという考えである。ヴェーダの宗教的エリートであるリシ(聖仙)にすべての人は負債を負う。次に、恵みをもたらしてくれる神々に負債を負う。最後に、自分がこの世に誕生する機会を授けてくれた祖霊(先祖)たちに負債を負う。人はこうした三つの負債を生涯かけて返済しなければならないとされる。

 このようにヒンドゥー教というのは、単に宗教というだけでなく、社会体制そのものでもある。


 ヒンドゥー教では「アートマン」という単一の原理が無数の神や霊、人類、生物と物質の世界を支配している。アートマンはすべての人やあらゆる現象ばかりか全宇宙の永遠の本質あるいは魂だ。宇宙の至高の神的存在に近づく唯一の理由は、あらゆる欲望を捨て、善きものとともに悪しきものも受け入れるためである。敗北や貧困、病気、死さえ受け入れるのだ。ヒンドゥー教の行者はアートマンと一体化し、悟りを得るために人生を捧げる。彼らはこの根本原理の視点から世界を眺め、その永遠の視点に立てば日常的な欲望や恐れはすべて無意味ではかない現象であることに気づこうとする。だが、ヒンドゥー教徒のほとんどは行者ではない。彼らは日常的な関心事にどっぷり浸かっており、そこではアートマンはろくに役に立たない。そうした問題で助けてもらうために、ヒンドゥー教徒は限られた力を持つ神々に近づく。ガネーシャ、ラクシュミー、サラスヴァティーといった神は、力が包括的ではなく限られているからこそ、個別の問題に関心を持ち、えこひいきをする。したがって、人間は戦争に勝ったり病気から快復したりするために、力の限られたこれらの神的存在と取引し、彼らの助けを借りることができる。必然的に、これらの小さな神的存在は数が多くなる。至高の原理の包括的な力をいったん分割し始めたら、複数の神を持つようになることは避けられないからだ。

 例えば、ヒンドゥー教の神々のうち、現在最も信仰されている神にシヴァ神があるが、シヴァ神信仰には先史時代の豊穣神信仰が取り込まれているようだ、モヘンジョ・ダロで発見された印章にはすでにシヴァ神に似た像が刻まれており、インダス文明の遺跡からは現代の寺院にも見られるリンガ(シヴァ神の象徴である男根像)に似た石が発見されている。つまりシヴァ神は重要なアーリア系の神々の特徴を数多く取り込んでいるものの、元々はインダス文明時代からの神だといえる。インダス文明の生き残りはシヴァ神だけではない。例えば、多産と豊穣を象徴する原始的な女神である地母神と、牡牛を中心とする宗教世界が存在したことを示唆する印章もハラッパー遺跡から発見されている。牡牛はシヴァ神の乗り物ナンディンとして、今でもインドの多くの村のほこらに祀られている。

 シヴァ神と同じく非常に人気の高いヴィシュヌ神は、シヴァ神に比べるとはるかにアーリア色の強い神といえる。このヴィシュヌ神が何百もの土着の神や女神と習合することで、ヒンドゥー教の「神の世界」が形成されていったと思われる。ヒンドゥー教に対するアーリア人の貢献は、ヴィシュヌ信仰だけではない。ヒンドゥー教の主な哲学や思想的な伝統そのものが、アーリア人の信仰していたヴェーダの宗教、つまりバラモン教に基づいていると推測されている。またアーリア人が用いていたサンスクリット語(梵語ぼんご)も、宗教上・学術上の言語として長い命脈を保つことになった。この言語は民族の垣根を越えて、南部のドラヴィダ語を話す民族にも、北部のバラモンにも使われるようになった。サンスクリット語はヨーロッパ文明におけるギリシャ語やラテン語と同様に、古代インド文明の偉大な接着剤の役割を果たしたといえるだろう。

 さらにヴェーダに収められた賛歌は、原始的な自然崇拝ではなく、より抽象的で哲学的な思想体系をインド亜大陸にもたらした。「天国と地獄」や「祖霊の世界」といったアーリア人固有の概念をもとに、人間の来世の運命は生きている間の行為によって決まるという思想がやがて生まれる。そしてすべてを包み込むインドの偉大な思想体系、つまり「万物は巨大な存在の網の目によって互いに結びつけられている」という世界観がゆっくりと姿を現してくる。古代インドの思想では、人間の霊魂はその巨大な「存在の網の目」の中を、さまざまな形を取りながら移動していくと考えられている。カースト間の身分を上下するのはもちろん、人間界から動物界へ移動したり、その逆もある。人間の魂は生きていた時の行いにふさわしい形となってある生から別の生へ移っていくというこの「輪廻の思想」は、永遠に続く転生てんしょうのサイクルとそこからの解脱、そして最終的には人間存在の本質(アートマン)と宇宙の根本原理(ブラフマン)が同一であることを理解することによって、人間は悟りの境地に達することができるという思想に結びついていく。

 ヴェーダの宗教であるバラモン教が初期のヒンドゥー教へ変化していった経緯はよくわかっていない。ただ、一つだけ確かなのは、信仰を発展させていった担い手がバラモン(神官・司祭)たちであったということだ。彼らはバラモン教の祭儀で重要な役割を演じ、宗教全体を思いのまま操っていた。バラモンたちはそうした権威を自らの立場を強化するために用い、そしてまもなくバラモンを殺すことは最も重大な罪とされるようになった。王でさえ、バラモンたちの権威には逆らえなかった。


 ***


 アーリア(高貴な者)と自称するインド・ヨーロッパ語族の遊牧民がBC15世紀にパンジャブ地方に侵入した後の古代インド文明の実態は依然として闇に包まれている。インダス文明のモヘンジョ・ダロ遺跡からは美しい踊り子の像などが出土しているが、BC6世紀のブッダ以前の古代インド文明は、メソポタミアやエジプト、クレタ島の文明などのように優れた美術作品や大規模な建造物を残すことはなかった。おそらく技術的にも文字の読み書きなどの点でも、かなり遅れを取っていたことは確かである。しかし、古代インド文明の社会制度や宗教がどんな偉大な文明のものよりも長く生き続けているということは事実である。驚くほど包括的な世界観、個人の人権を無視したカースト制度、苛酷なまでの死生観、単純に物事の善悪を判断しないという基本姿勢などが、その後のインド文明の性格を決定していくことになる。

 物欲から離れ、祈りや瞑想だけを行う「出家」という修業形態は、すでにヴェーダ時代に始まっていた。苦行を行う僧もいれば、思索にふける僧もいた。また極端な例としては、完全な宿命論や唯物論を信じる思想体系もあり、霊魂の存在を否定する思想家も現れた。こうして多くの新しい思想が歴史時代の初めに出現し、古代インドの宗教は、ウパニシャッドの一元論的な宇宙論とバラモンに代表される多神教的な習俗を取り込んだ、渾然とした思想の総合体として発展していくことになる。

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