第95話 普遍的宗教(多神教と一神教、二元論、そして仏教)

(多神教と一神教)


 メソポタミアの宗教は終始一貫して本質的に多神教であり、また神人同形論を根幹としてきた。この事実ゆえに、神々を人間より優位に置く傾向は根源的には成り立ちえなかった。神々の至高性が繰り返し強調されたにもかかわらず、神々は人間と本質的に区別されるにはあまりに人間に似すぎていた。メソポタミアの人びとはこうしてシュメールの豊かな神話を継承し、彼らの理解に合わせて目覚ましく発展させたが、それは神々に人間性を付与した点において顕著だった。これと比較して、イスラエルの場合は、ヤハウェただ一人のために他の神々を無視している。ヤハウェはその出発点において、バビロニアの多神観を、厳格で嫉妬深い単一神観により乗り越えたのである。同時にイスラエルは、その神が純粋な名前であると定義することによって、あらゆる形の神人同形論を放棄した。それは一つのプログラム、「存在すること」そして「いつでも介入する態勢にある」ものではあるが、しかし決して表現されることも、その姿を想像されることもないのである。その意味において、可能な限り神話を放棄しなければならなかったのだ。このようにして超自然は二つの宗教の中で、それぞれ全く異なった現れ方をした。そして時間の経過とともにその単一神観が唯一神観に開花したとき、その違いはさらに大きく拡がった。その時以来、形而上学的絶対観念が旧約聖書世界の思考に導入されることとなり、宇宙はその現れ方を全く変えてしまった。バビロニアでは存在するもの一切、神をも人間をも包摂するただ一つの宇宙空間だけが存在していたが、旧約聖書においては、全く別々の二つの独立した空間がある。一つは具体的世界とそこに含まれるものから成り立ち、もう一つはその上方に根源的に別個のものとして存在し、それは創造主のものなのである。

 二つの宗教の間にあるもう一つ根本的な違いは、イスラエルの宗教の基盤そのものが、倫理的振る舞いを優先することの上に成立していたことにある。人間同様であることを全面的に拒絶した神を、人間の姿でもって祀ること、それは壮麗ではあっても、結局人間の姿でしかないためできなかった。例えば、物を食べたり飲んだり、芳ばしい香を嗅いだりしている神を想定するのはあり得ないことだった。確かにイスラエルの民が、カナンの地に入植し、新しい環境のもと新しい生活を始めた時に、カナン人の影響を受けこのような面を受け入れ、神の住居である壮大な神殿を建設し、バビロニア人を含む近隣の諸部族の物質的絢爛を思い出させる豪奢な祭儀を行うに至ったことは事実である。しかし、ヤハウェ信仰の過激派たち、すなわち預言者たちやヤハウェとその要求に強く心惹かれ、砂漠に戻り当初の素朴な半遊牧生活に戻ることまで主張する人びとは、一種の背信行為と思えるこのような事柄を決して認めようとはしなかった。彼らは同胞に向かって、ヤハウェはモーセが宣告した道徳律に適う真っ直ぐで正しい振る舞いのみを求めていると、熱心に繰り返した。


 紀元後11世紀以降にキリスト教学者たちによって確立されたスコラ哲学の公理の一つに、「個のない多数、それは絵空事だ」がある。それは宗教集団にも当てはまる。ドストエフスキーは「悪霊」の中で、我々人間の生において宗教感情が占めている実に大きな重要性を深い洞察力を持って次のように規定している。


「人間にとっては自分自身の幸福などよりも、すべての人、すべての物のために、どこかにすでに完成された静かな幸福が存在することを知り、それを常に信じることのほうがはるかに必要なのです。人間実在の法則は、人間が計り知れないほど偉大なものの前にどんなときでも頭を下げることができるという一事に尽きます。もしも人間から無限に偉大なものを奪ったならば、もはや人間は生きていくことができず、絶望して死んでしまうにちがいない。無限にして計り知れないものは、人間がその上に住んでいるこの小さな遊星と同様に、人間にとっては絶対に必要なものなのです」


 このようなものの見方が、宗教そしてまた我々の宗教の起源のうちに内在する最も生き生きとした関心を正当化することを告白させている。

・真の人間性、それは真の人類学と同様に、他者を根源的、全面的に尊重することに他ならない。

・我々の現在を明らかにしてくれる我々の過去の一部を知るということのみにおいて歴史は有用である。しかし、その無用性ゆえに尊厳を認められるに値する。


 BC2000年紀にはさまざまな文化とそれらの多神教は、文化間の翻訳可能という点で、すでに驚くほどの水準に達していた。ここでの翻訳とは、文化における諸々の区別によって設けられた境界をいくらかでも通行可能にするための試みであり、それによって異文化の神を自分たちに取り込んだり、容認したりすることができた。

 神々が国際的であるという確信は古代西アジアの多神教を特徴づけるものだった。多神教を何か原始的で野蛮なものと考えてはいけない。古代西アジアとエジプトの多神教は高度に発展した文化的成果である。それらの多神教は初期国家の政治組織と分かちがたく結びついており、部族社会にはこのような存在は認められない。部族社会段階の宗教を特徴づけるのは、その神観念がほとんど人間化されておらず、輪郭がおぼろげで、分化していないことだ。儀式が捧げられる先祖の霊の他に、部族宗教は遠く離れたところにある何らかの無為の神を知っているが、その神は祭儀も執り行われることなく崇められる。それに対して、高度な文化社会の多神教の神々は通常、名前、姿、役割に従って明確に区分され、人格化されている。多神教の偉大な成果とは、神々の力を言葉、図像、祭儀により分節化し、構造を持った神々の世界として、また意味のある宇宙として表現したことだ。神話的な物語や神学的で宇宙論的思弁は、個々の神々に、例えば「天」「太陽」「知恵」「文字」「冥界」といった特有の意味の次元を与える。この意味の次元のおかげで神々の名前は翻訳可能となる。部族宗教は、ある部族の崇拝する神の力は、別の部族で崇められている神の力と同じではない。それに対して、多神教のパンテオンの高度に細分化された神々は、苦も無く一方から他方の宗教あるいは文化に翻訳することができる。ギリシャの神々がローマの神々に翻訳されたことや、エジプトの神々がギリシャの神々に翻訳された事例はよく知られている。翻訳が上手くいくのは、名前が指示対象だけでなく、意味も有しているからだ。ある神の意味は、神話や賛歌や儀式などで展開されるような、その神特有の性質にある。この性質のおかげでその神は、似たような特性を有する他の神々と比較できるようになる。この神々の類似性ゆえにそれらの名前は相互に翻訳することができる。しかし、歴史の現実ではこの逆のプロセスとなる。それは、神々の名を翻訳するという実践が、宗教の垣根を越えて神々は同じであり、互いに比較できるという理解を生み出し、それが結果的に神々は国際的である、つまり、どこでも多かれ少なかれ同じであるという考えに到ったのだ。

 異なる宗教の神々を等しいものと見なして翻訳することに人びとが関心を抱いたのは、BC2300年ごろにシュメールの神殿がアッカドによって吸収同化されたことに端を発し、そこから国家間の条約を結ぶという古くからの実践にあったと思われる。条約は双方の側から厳粛な誓いによって定められなければならなかった。そして誓いをかけられた神々は双方から承認されねばならなかった。そのような誓いの神々のリストが通常、条約の文書を締めくくった。宣誓する両陣営が誓いを立てる神々は当然、それぞれが神殿で占めている役割や位の点で相応していなければならなかった。こうして国際条約の枠内で一種の文化間の神学が発展した。他の民族、文化、政治体制はどのように異質であってもよかった。それらの民族、文化、政治体制が、その法的権威を信じることができる何らかの定義可能で同定可能な神々を崇めてさえいれば、この異質性を克服して、同盟と合意のための共通の基盤を見出すことができた。なぜなら、それらの神々は、他の人びとのところではただ別の名前で呼ばれ、別の儀式によって崇められているにすぎなかったからである。文化の違いの背後で宗教が共通の基盤を成しているというこの理解は、最終的にヘレニズム時代(BC321年~BC146年)に特有の精神を生み出した。この広く行き渡った宗教上の確信の圏域には、宗教間の敵対関係が入り込める余地などなかった。これがなぜユダヤ教やキリスト教といった一神教が古代世界にかくも強い衝撃をあたえたのかの理由である。 宇宙即神論と一神教の対立、あるいは自然と啓示の対立は決して解消されたわけではなく、ただ紀元後においてキリスト教会の輝かしい発展の裏で抑圧されただけだった。


 一神教の目印は、神の単一性か多数性かではない。そうではなく、一神教に内在する排他性にある。一神教の根本的な新しさ、多神教の世界が知らない革命的な性格とは、己が体現する絶対的な真理への固執と、他者の否定だ。それゆえ、一神教を「対抗宗教」と呼ぶ。なぜなら、それは自己に先行するものや外部に有るものを「虚偽」として排除する否定の潜在勢力を内に含んでいるからだ。聖書で想起される「ヘブライ人モーセ」は、モーセによる区別、すなわち真の宗教と偽の宗教を分かつ行為を象徴している。この区別は、エクソドス(出エジプト)の神話では、「イスラエル=真理」対「エジプト=虚偽」という敵対の構図となって現れる。「ヘブライ人モーセ」は、ユダヤ=キリスト教的西洋の反対像としてのエジプトのイメージ(専制政治、不遜、魔術、動物崇拝、偶像崇拝の国)を、西洋の文化的記憶の中に鮮明に保ってきた。他方、「エジプト人モーセ」を想起することは、「イスラエル=真理」対「エジプト=虚偽」の対立の布陣を脱構築し、モーセによる区別を克服することを意味する。

 宇宙即神論、すなわち多神教はローマ帝国の没落とともに消えた。エジプトは「他なるもの」と見なされ、キリスト教世界の源泉とは考えられなくなった。この状況はルネッサンス期に変わった。その契機は1419年にギリシャのアンドロス島で発見された4世紀のアレクサンドリアの文法学者ホラポロンのギリシャ語の写本「ヒエログリフィカ」と「ヘルメス選集」である。この2冊の本がエジプトの再発見の決定的な突破口となった。聖書の一節の中で、モーセは「エジプト人のあらゆる知恵」に精通していたと記されているが、それが何を指していたのかこれらの書物を通じて明らかになった。ヘルメス文書と聖書の間には非常に類似した点があると考えられ、エジプトは聖書の一神教の「他なるもの」としてではなく、その根源として姿を現し始めた。エジプト人モーセについての論争が始まるのは、1685年にイギリスのヘブライ学者ジョン・スペンサーの著作「ヘブライ人の儀式法とその根拠について」が刊行されてからで、その後、18世紀のドイツの詩人で歴史学者のフリードリッヒ・シラーを経て、20世紀のオーストリアの精神科医ジークムント・フロイトに到る。スペンサーの目的はヘブライ人の儀式法がエジプトに起源があることを証明することにあった。スペンサーとシラーのモーセは、民族的にはヘブライ人で、文化的にはエジプトの密儀の最高の段階に導き入れられたエジプト人だった。ユダヤ人のフロイトはモーセをエジプト人として描いているギリシャ語やラテン語の文献を知っていたが、引用したのはエジプト学者や歴史家、旧約聖書学者の著作だった。フロイトは歴史学と精神分析の考え方を用いた。フロイトは宗教のことを集合的な強迫神経症と考えた。フロイトこそ、排除された発見品や証拠品を提出し、失われた記憶を回復し、エジプトのイメージを最終的に完成させて正しい状態に戻した人物だ。アクエンアテンとその宗教革命が発見されたことは、それ自体一つの衝撃だった。フロイトはスペンサーと同じく、モーセを今日に至るまで存続している「果てしない」ユダヤ民族の創造者にして、時間を超越した象徴と見なしている。フロイトの本のタイトルは、「モーセという男と一神教の宗教」である。「モーセという男」という言い回しは出エジプト記11章3節を訳したものだ。そこでは「モーセという男」がエジプト人の間で占めていた重要な地位について述べている唯一の箇所なのだ。キリスト教は、ユダヤ教徒およびイスラム教徒からは一神信仰の宗教とは認められないという事実があるにもかかわらず、キリスト教自身は自らのことを一神教と見なしている。モーセについての論争はユダヤ教のものでも、キリスト教のものでもなく、この区別を越えた所にある一つの場所を目指していることにある。


 一神教とは、世界の脱魔術化であり、人間の世界、すなわち神々の代理人たる専制権力への隷属、および人間による人間への圧迫からの開放であり、超越神に由来する倫理的規範に帰依することである。宗教的な意味での自由、すなわち人間への奉仕ではなく、神への奉仕とはこのことにほかならない。この宗教的な自由が西洋のヒューマニズムの根幹をなす。しかし同時に、一神教には他者の否定と排除の潜在勢力が内在する。一神教が告げる真理とは、「唯一の真なる神の他には偽の神々しかいない」ということだ。偽の神々への崇拝は虚偽として排撃される。対抗宗教としての一神教の決定的な点は、この境界設定と排他性にある。ユダヤ、キリスト、イスラムの一神教はこの境界線を引く。違いは、ユダヤ教はこの境界線を内に向かって、キリスト教とイスラム教は外に向かって引くことにある。ユダヤ教は同化を恐れる。ユダヤ教はモーセの区別によって自民族と他民族の間に境界線を引き、選民であるユダヤ民族のみがその真理を守る。この場合、暴力は内に向かい、自民族の中の不純な者が排除される。キリスト教とイスラム教はモーセによる区別を普遍化し、境界線の外に向かって拡大する。自己の真理を万民に広めるために他者を同化させる。そして、自己の真理に服さないものは排除される。このとき暴力的になりうる。多神教の世界にも暴力は溢れている。しかし、一神教はある特殊な形式の暴力、神の名における暴力、宗教上の友と敵という意味論がその神学に含まれている。そして神の名における暴力は、唯一の聖なる聖典を引き合いに出すことで正当化される。この姿勢は今日にいたるまで終わっていない。


 一神教は総称概念であって、「一神教」という宗教が存在するわけではない。歴史に現れる代表的な一神教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教であるが、一神教は常に多神教を否定するなかで宣言される宗教革命であるともいえる。これら3つの一神教の形成過程をたどると、まずユダヤ教はその神観を古代イスラエルの民の間で育まれた一神観から引き継ぎ、次にユダヤ教の神観をキリスト教が受け継ぎ、両者の影響のもとでイスラム教の神観が形成されたことがわかる。

 古代西アジア文明世界にあって、イスラエルの民はBC12世紀~BC11世紀、その一隅に登場する新参の一弱小民族にすぎなかった。ところが、この弱小の民が育んだ唯一神観は、後のユダヤ教、キリスト教、イスラム教に引き継がれることによって、その後の人類宗教史に多大な影響を及ぼすことになった。人類宗教史の逆説とも呼びうる現象が起こったのである。

 イスラエルの民を含むセム人は常に地球上で最も宗教心の強い民族の一つであった。今日、世界中に拡がっている最も有力な4つの宗教のうち3つまでも、すなわちユダヤ教、キリスト教、イスラム教の出自はセム世界にあり、仏教だけが別の世界から出たものだ。



(アニミズム、多神教と一神教、二元論、仏教)


 ユバル・ノア・ハラリは「サピエンス全史」の中で宗教について次のように述べている。今日、宗教は差別を行い、意見の相違を認めないため、人類の統一を妨げる根源と見なされることが多い。だが実は、貨幣や帝国と同様に、宗教もこれまでずっと人類を統一する要素の一つだった。社会秩序とヒエラルキーはすべて想像上のものだからみな脆弱であり、社会が大きくなればなるほどさらに脆くなる。宗教が担ってきた極めて重要な歴史的役割は、こうした脆弱な構造に超人間的な正当性を与えることだった。宗教では、法や規則は人間の気まぐれではなく、絶対的な至上の権威が定めたものだとされ、結果的として社会の安定が保証される。したがって、宗教は超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範と価値観の制度と定義できる。しかし、本質的に異なる人間集団が暮らす広大な領域を統一するためには、宗教はさらに二つの特性を備えていなければならない。


① いつでもどこでも正しい普遍的な超人間的秩序を人びとが信奉している必要がある

② この信念をすべての人に広めることをあくまで求めなければならない


 すなわち、宗教は普遍的であると同時に、宣教を行うことも求められるのだ。キリスト教やイスラム教、そして仏教のような歴史上有数の宗教は、普遍的であり、宣教を行っている。一方、古代の宗教の大半は局地的で排他的だった。信者は地元の神々や霊を信奉し、全人類を改宗させる意図は持っていなかった。普遍的で宣教を行う宗教が現れ始めたのはBC1000年紀で、そのような宗教の出現は歴史上比類のない重要な革命であり、普遍的な貨幣や帝国の出現と同じように人類の統一に不可欠な貢献をした。


<アニミズム>

 アニミズムが最も有力な信念体系だったころ、人間の規範と価値観は、動植物や妖精、死者の霊といった他の無数の存在の見地や利害を考慮に入れざるを得なかった。例えば、ガンジス川流域の狩猟採集民の集団は、イチジクの木の精霊を怒らせて復讐されないように、イチジクの木を切り倒すのを禁じたかもしれない。こうした宗教は、視野が狭く、特定の場所や気候、現象の独特な特徴を強調する傾向にある。ほとんどの狩猟採集民はせいぜい1000平方キロ以内の範囲で一生を送った。ある川の特定の流域の居住者は、生きのびるためにその流域を統制している超人間的秩序を理解し、それに自分の行動を合せる必要があった。だが、遠く離れた流域の居住者を説得して同じ規則に従わせようとしても無駄だった。

 農業革命には宗教革命が伴っていたと考えられる。狩猟採集民は野生の動物を狩り、野生の植物を摘んだが、それらの動植物は人間と対等の地位にあると見なすことができた。それとは対照的に、農耕民は動植物を所有し操作しており、動植物は霊的な存在から人間の資産に格下げされた。しかし、農耕民による動植物の支配には限界があったため、豊穣の女神や空の神、医術の神のような神々を創り出して、人間と動植物との仲立ちをしてもらった。それは動植物の支配権と引き換えに、神々への永遠の献身を約束するものだった。農業革命の当初はまだアニミズムは健在だった。しかし、王国や交易ネットワークが拡大すると、人びとはその領域や交易圏全体に力と権威が及ぶ存在と接触する必要が出てきた。それが多神教の宗教の出現につながった。これらの宗教を信奉する人びと、特に王や支配者層は、世界は豊穣の女神や雨の神、軍神など一群の神々によって支配されていると考えた。人びとはこれらの神々に訴えることができ、祈祷や生贄いけにえを捧げれば、神々はありがたくも豊穣や雨や健康をもたらしてくれると信じた。

 多神教が出現してもアニミズムは完全に消えてなくならなかった。魔物や妖精、死者の霊、聖なる岩、聖なる泉、聖なる木は、多神教の宗教のほぼすべてにとって不可欠であり続けた。これらの精霊たちは偉大な神々と比べれば重要さで格段に劣ったが、多くの民衆の日常のお祈りにとっては十分だった。アニミズムの信奉者たちは、人間は世界に暮らしている多くの生き物の一つにすぎないと考えていた。一方、多神教信者たちは次第に世界を神々と人間の関係の反映と見るようになった。そこでは、人びとの祈りや生贄、罪、善行が生態系全体の運命を決めた。こうして多神教信者は神々の地位を高めただけでなく、人類の地位も高めた。


<多神教と一神教>

 2000年にわたって一神教による洗脳が続いたため、西洋人のほとんどが多神教のことを無知で子供じみた偶像崇拝と見なすようになった。だが、これは不当な固定観念だ。多神教の内なる論理を理解するためには、多くの神々に対する信仰を支えている中心的な考え方をつかむ必要がある。多神教は全宇宙を支配する単一の神的存在や法の存在に必ずしも異議を唱えるわけではない。それどころか、ほとんどの多神教に加えて、アニミズム信仰さえもが、さまざまな神や魔物、聖なる岩などすべての背後にあるそのような至高の神的存在を認めている。

 多神教の見識は広範に及ぶ宗教的寛容性を示しており、多神教は本来、度量が広く、異端者や異教徒を迫害することはめったにない。多神教の帝国は被支配民を改宗させようとはしなかった。エジプト人もローマ人もアステカ族も、異郷に宣教師を送って主神の礼拝を広めようとはしなかったし、その目的で軍を派遣することは決してなかった。それどころか古代ローマ人はアジアの女神キュベレやエジプトの女神イシスを自らのパンテオン(万神殿)に加えた。

 やがて多神教の信者の一部は、自分の守護神のみが唯一の神で、その神こそ宇宙の至高の神的存在であると信じ始めた。こうして一神教が生まれた。知られているものの中で最初の一神教はBC1350年ごろにエジプト第18王朝で出現した。この年、アクエンアテンが、エジプトの万神の中でも小さな神の一人アテンを、宇宙を支配する至高の神的存在であると宣言した。しかし、彼の死後、アテン崇拝は廃れ、昔ながらの万神が復活した。多神教は他の地でも一神教を生んだが、どれも一時的なものにとどまった。自らの普遍的なメッセージを消化できなかったのが大きな原因だった。例えば、ユダヤ教はその存在の最大の関心事はユダヤという小さな集団とイスラエルという辺鄙な地にあった。ユダヤ教は他の国の人びとに提供するものはほとんどなく、また宣教を行う宗教でもなかった。この段階は「局地的一神教」の段階と呼ぶことができる。一神教の大躍進はキリスト教とともに起こった。この信仰は、ナザレのイエスが待望の救世主(メシア)であるとユダヤ人を説得しようとしたユダヤ教の小さな一宗派が始めた。この宗派の初期の指導者の一人パウロは、もし宇宙の至高の神的存在が我々に関心を持ち選んでくださるなら、そしてもしその神が人類の救済のためにわざわざ人間としてこの世に生まれ、十字架の上で亡くなったのだとしたら、それはユダヤ人だけでなく、あらゆる人の耳に入れるべきことだと考えた。したがって、イエスについての喜ばしい言葉、「福音」を世界中に広めることとなった。パウロの主張は大きな実を結んだ。キリスト教徒は全人類に向けて広範な宣教活動を組織し、歴史上非常に稀な不思議な展開によってこのユダヤ教の小さな一宗派は、強大なローマ帝国を支配することとなった。キリスト教の成功は、7世紀にアラビア半島に出現した別の一神教であるイスラム教のお手本となった。キリスト教と同じく、イスラム教も世界の片隅で小さな宗派として始まったが、意外な展開によってアラビアの砂漠を抜け出て、大西洋からインドに到るまで拡がる広大な地域を征服した。それ以降、一神教の考え方は世界史の中で主要な役割を演じてきた。しかし、神学の理論と歴史の現実との間には常に隙間が存在してきた。一神教は他の神々を追い出したが、脇の窓から再び招き入れた。例えば、キリスト教は聖人たちが居並ぶ独自のパンテオン(万神殿)を築きあげた。こうした聖人たちの集団は、多神教の神々の集団と大差ない。キリスト教の聖者は昔の多神教の神々に似ているだけでなく、全く同じ神々が姿を変えている場合も多い。例えば、アイルランドの女神ブリードはアイルランドがキリスト教化されると、ブリードも洗礼を受け、聖ブリギッドとなり今日に到るまでアイルランドでは聖人のうちで最も敬われている。


<二元論>

 多神教は一神教だけでなく、二元論の宗教も生んだ。二元論の宗教は善と悪という二つの対立する力の存在を認めている。一神教と違い、二元論では悪の力は独立した力であり、善き神に創造されたものでも、善き神に従属するものでもないと信じられている。二元論では全宇宙はこれら二つの力の戦場で、世界で起こることすべてその争いの一部だと説明される。二元論が非常に魅力的な世界観なのは、人類の思想にとって根本的な関心事の一つである有名な「悪の問題」にそれが単純な答えを出せるからだ。善い人にさえ悪いことが起きるのは、善き神が独力で世界を支配しているわけではないからだ。神とは別の悪の力が世界には野放しになっており、その悪の力が悪さをするのだ。但し、二元論は「悪の問題」は解決できても、「秩序の問題」にはたじろぐ。もし世界が一つの神に造られたのなら、世界がこれほど秩序のある場所で、万事が同じ諸法則に従うのは、それが原因に違いない。しかし、もし善と悪がこの世界の支配権をめぐって争っているのなら、この宇宙の究極の力どうしの戦いを支配する諸法則は誰が執行しているのか? このように一神教は秩序を説明できるが、悪には当惑してしまう。二元論は悪を説明できるが、秩序に悩んでしまう。この謎を論理的に解決する方法が一つだけある。全宇宙を創造した一人の全能の絶対神がいて、その神は悪であると主張するのだ。だが、そんな信念を抱く気になった人は誰もいない。

 二元論の宗教は1000年以上にわたって隆盛を極めた。BC1500年からBC1000年までの間のある時点で、ゾロアスター(ザラスシュトラ)という名の預言者が中央アジアのどこかで活動していた。ゾロアスター教徒はこの世界を善き神のアフラ・マズダと悪しき神のアングラ・マイニュ(アンラ・マンユ)という宇宙の究極の力どうしの戦いと見なした。人類はこの戦いで善き神を助けなければならなかった。ゾロアスター教はアケメネス朝ペルシャ(BC539年~BC330年)の重要な宗教であり、後にササン朝ペルシャ(紀元後224年~651年)の国教となった。それ以降は、中東と中央アジアのほぼすべての宗教に大きな影響を及ぼした。また、グノーシス主義やマニ教のような他の二元論の宗教にも刺激を与えた。ササン朝ペルシャは一神教のイスラム教徒に制圧され、二元論の波は弱まった。今日ではインドと中東で二元論のコミュニティがほんの一握り残っているだけだ。それでも、一神教のユダヤ教やキリスト教、イスラム教は二元論を完全に消し去ったわけではない。実は我々が「一神論」と呼ぶものの最も基本的な概念の一部は、二元論を起源とし、その精神を受け継いでいる。一神教の信者たちは強力な悪の力の存在を信じている。例えば、キリスト教徒がサタンと呼ぶ類のものだ。そうした力は独自に振る舞い、善き神と戦い、神の許しなしに猛威を振るう。しかし、旧約聖書にはそうした二元論の信念はどこにも見当たらない。

 論理的には、人は単一の全能の絶対神を信じるか、共に全能ではない二つの相反する力を信じるかのどちらかのはずだ。それでも、人類には矛盾しているものを信じる素晴らしい才能がある。多くのキリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒は、善き神が悪魔との戦いで我々の助けを必要としているとさえ想像している。それが動機となって、イスラム教やキリスト教の聖戦を求める呼びかけがなされたりするのだ。二元論のカギを握る概念のうちには、肉体と魂、あるいは物質と精神との間に厳然たる区別がある。これはグノーシス主義とマニ教で著しい。グノーシス派とマニ教徒は、善き神が精神や魂を造り、物質や肉体は悪しき神が造ると主張する。この見方によれば、人間は善き魂と悪しき肉体の戦場の役割を果たすという。すべては同じ善き神によって造られたと信じる一神教の視点に立つと、これは馬鹿げている。だが、一神教信者たちは否応なく二元論の二分法に心を奪われてしまった。それは二分法が悪の問題に取り組むのに役立ったからにほかならない。だから、善悪の対立はやがてキリスト教とイスラム教の思想の土台となった。善き神の領域である天国と、悪しき神の領域である地獄の信仰も、二元論に端を発する。そのような信仰は旧約聖書には微塵も見られないし、そもそも旧約聖書は人びとの魂が肉体の死後も生き続けるなどとは決して主張していない。

 

 実のところ、一神教は歴史上の展開を見ると、一神教や二元論、多神教、アニミズムの遺産が、単一の神聖な神の下で入り乱れている万華鏡のようなものだ。特に、平均的なキリスト教徒は一神教の絶対神を信じているが、二元論の悪魔や、多神論的な聖人たち、アニミズム的な死者の霊も信じている。このように異なるばかりか矛盾さえする考え方を同時に公然と是認し、さまざまな起源の儀式や慣行を組み合わせることを、宗教学者たちは混合主義と呼んでいる。実は、混合主義こそが、唯一の偉大な世界的宗教なのかもしれない。一神教の絶対神を、全宇宙を支配する単一の神的存在や法の存在、すなわち宇宙を形作る物理学的法則だと考えれば、混合主義が唯一の世界的宗教であることがより理解できる。


<自然の法則と仏教>

 これまで論じてきた宗教はみな重要な特徴を一つ有している。どれも神あるいはそれ以外の超自然的存在に対する信仰に焦点を当てているのだ。西洋人には主に一神教や多神教の教義になじんでいるので、これは明白に思えるだろう。だが実際には、世界の宗教史は神々の歴史にはならない。

 BC1000年紀には、全く新しい宗教がアフロ・ユーラシア大陸中に広まり始めた。インドのジャイナ教や仏教、中国の道教や儒教、地中海沿岸のストア主義(禁欲主義)やキニク主義(禁欲的な自給自足生活を送り、習俗無視・反文明の思想)、エピクロス主義(快楽主義)は、神への無関心を特徴としていた。これらの教義は、世界を支配している超人的秩序は神の意思や気まぐれではなく自然法則の産物であるとする。最たる例は、自然法則を信奉する古代宗教のうちで最も重要な仏教で、今なお主要な宗教の一つであり続ける。仏教の中心的存在は神ではなく、ゴータマ・シッダールタという人間だ。伝承によると、ゴータマはBC500年ごろのヒマラヤの小王国の王子だったという。若いころの王子は自分の周りの至る所で見られる苦しみに深く心を悩ませた。彼は老若男女がみな、戦争や飢饉のような折々の災難ばかりでなく、不安や落胆、欲求不満といったすべて人間の境遇とは切り離しようのなさそうなものにも苦しんでいるのを目にした。人びとは富や権力を追い求め、知識や財産を獲得し、息子や娘をもうけ、家や御殿を建てる。それなのに、何を成し遂げようとも決して満足しない。貧しい暮らしを送る者は富を夢みる。巨万の富を持っている者はその倍を欲しがる。倍が手に入れば、10倍を欲しがる。金持ちで高名な人さえ満足していることは珍しい。彼らも絶えず不安や心配に付きまとわれ、挙句の果てに病気や老齢、死によってそれに終止符を打つ。人が蓄え、積み上げたものはすべて煙のように消えてなくなる。人生は意味のない愚かで激しい生存競争だ。だが、どうすればそこから抜け出せるのか? ゴータマは29歳のとき、家族も財産も後に残して夜中に王宮を抜け出した。住む場所もない放浪者としてインド北部を歩き回り、苦しみから逃れる方法を探した。修業所をいくつも訪ね、聖者の教えを乞うたものの、完全には解脱できなかった。常に何かしらの不満が残るのだった。だが彼は絶望しなかった。完全な解脱の方法を見つけるまで苦しみについて独自に吟味することを決心した。そして人間の苦悩の本質や原因、救済について6年にわたって瞑想した。そしてついに、苦しみは不運や社会的不正義、神の気まぐれによって生じるのではないことを悟った。苦しみは本人の心の振る舞いの様式から生じるのだった。

 心はたとえ何を経験しようとも、渇愛をもってそれに応じ、渇愛は常に不満を伴うというのがゴータマの悟りだった。心は不快なものを経験すると、その不快なものを取り除くことを渇愛する。こころよいものを経験すると、その快さが持続し強まることを渇愛する。したがって、心はいつも満足することを知らず落ち着かない。痛みのような不快なものを経験したときには、これが非常に明白になる。痛みが続いている限り我々は不満で、何としてもその痛みを無くそうとする。だが、快いものを経験したときにさえ、我々は決して満足しない。その快さが消えはしないかと恐れたり、あるいは快さが増すことを望んだりする。

 偉大な神々は雨を降らせてくれるし、社会的組織は正義や医療を提供してくれる。また幸運な偶然で大金持ちになる人もいるが、そのどれにも我々の基本的な精神パターンを変えることはできない。そのため、どれほど偉い王であっても、不安を抱え絶えず悲しみや苦悩から逃げ回り、より大きな喜びを永遠に追い求めて生きる定めにある。ゴータマはこの悪循環から脱する方法があることを発見した。心が何か快いもの、あるいは不快なものを経験したときに、物事をただあるがままに理解すれば、もはや苦しみは無くなる。人は悲しみを経験しても、悲しみが去ることを渇愛しなければ、悲しさは感じ続けるものの、それによって苦しむことはない。実は、悲しさの中には豊かさもありうる。喜びを経験しても、その喜びが長続きして強まることを渇愛しなければ、心の平穏を失うことなく喜びを感じ続ける。だが心に、渇愛することなく物事をあるがままに受け入れさせるにはどうしたらいいのか? どうすれば、悲しみを悲しみとして、喜びを喜びとして、痛みを痛みとして受け入れられるのか? ゴータマは渇愛することなく現実をあるがままに受け入れられるように心を鍛錬する一連の瞑想術を開発した。この修業で心を鍛え、「私は何を経験したいか?」ではなく、「私は今何を経験しているか?」にもっぱら注意を向けさせる。このような心の状態を達成するのは難しいが、不可能ではない。ゴータマはこの瞑想術の基礎を、人びとが実際の経験に集中し、渇愛や空想に陥るのを避けやすくなるように意図された一揃いの倫理的規則に置いた。彼は弟子たちに、殺生や邪淫、窃盗を避けるようにように教えた。そうした行為は必ず権力や官能的快楽や富への渇愛の火をかき立てるからだ。渇愛の火を完全に消してしまえば、それに代わって完全な満足と平穏の状態が訪れる。それは「涅槃ねはん」として知られるものだ。涅槃の文字通りの意味は「消火」だ、つまり煩悩の火を吹き消して、悟りの境地に到ることである。涅槃の境地に達した人びとはあらゆる苦しみからすっかり解放される。彼らは空想や迷いとは無縁で、この上ない明瞭さをもって現実を経験する。依然として不快や痛みを経験することはほぼ確実だが、そうした経験のせいで苦悩に陥ることはない。渇愛しない人は苦しみようがないのだ。

 仏教の伝承によると、ゴータマ自身は涅槃の境地に達し、苦しみから完全に解放されたという。その後、「仏陀ブッダ」と呼ばれるようになった。ブッダとは「悟りを開いた人」を意味する。ブッダは誰もが苦しみから解放されるように自分の発見を他の人びとに説くのに人生を捧げた。彼は自分の教えをたった一つの法則に要約した。苦しみは渇愛から生まれるので、苦しみから完全に解放される唯一の道は、渇愛から完全に解放されることで、渇愛から解放される唯一の道は、心を鍛えて現実をあるがままに経験することであるというのがその法則である。「達磨ダルマ」として知られるこの法則を仏教は普遍的な自然の法則と見なしている。仏教とはこの法則を信じ、それを自らの全活動の支えとしている人びとだ。一方、神への信仰は彼らにとってそれほど重要ではない。一神教の第1原理は、「神は存在する。神は私に何を欲するか?」だ。それに対して、仏教の第1原理は、「苦しみは存在する。それからどう逃れるか?」だ。仏教は神々の存在を否定しない。仏教の法則には何の影響力も持たないからだ。

 仏教のような近代以前の自然法則の宗教は神々の崇拝を完全に捨て去ることはついになかった。そこで彼らは、インドではヒンドゥー教の神々、チベットではぼん教の神々、日本では神道の神々というふうに多様な神を崇拝し続けた。そのうえ時が経つうちに、いくつかの仏教の宗派は、さまざまな仏や菩薩を生み出した。多くの仏教徒は、神々を崇拝する代わりに悟りを開いたこれらの仏や菩薩を崇拝するようになり、涅槃に入るだけでなく、俗世の問題を処理するのを助けてくれるよう祈り始めた。


 ***


 日本仏教の研究者である藤井淳によれば、一神教・多神教という定義は、宗教進化論というキリスト教を念頭に置いた一神教優位が前提とされる理論の形成の下で使われてきた。一神教とは従来ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教を指す。それ以外にもエジプト第18王朝のアメンヘテプ4世(在位:BC1352年~BC1338年)すなわちアクエンアテンによって作られた人工的な唯一神を信じるものも、広く言えば一神教と位置付けられている。また、その分類に従えば、日本の神道は一神教としては定義できず、中国の道教やインドののヒンドゥー教などとともに多神教として位置付けられる。そして、一つの神を信じる宗教が多くの神を信じる宗教よりも偏狭であるという指摘は、古くは17世紀にも見られる。しかし、実際の宗教現象としては、キリスト教圏であっても、クリスマスツリーやメイポール民族祭などに森林信仰の名残や、マリア崇拝や聖者崇拝が見られ、教理的には三位一体なども純粋な唯一神と言えないものを有している。学者の概念ではなく、信者の立場に立ってみると、多くの信者は唯一なる神を信じているというよりは、マリアや聖者への信仰に実際の重きを置いていて、これは仏教の観音信仰などと本質的には変わらないと言える。近代ヨーロッパの19世紀半ばに誕生した宗教学は客観的な学問の装いを取りつつ、当時のキリスト教優位の価値観を引きずって一神教と多神教というカテゴリーを創出した。しかし、信者の信仰の実体から見てみると、現在ではそのカテゴリーはもはや不要のように思われる。

「一神教は偏狭で多神教は寛容である」と言う言説は、近年イスラム教徒との軋轢の中でとみに高まっている。多くの排外主義的傾向は歴史上も中国の道教や日本の神道など固有宗教にもそれぞれ共通して見られる。これはこれらの宗教そのものが排外主義的というのではなく、それを奉じる人びとの自我の高揚、あるいはその逆として劣等感からの回復に結びつきやすい要素が固有宗教にはあると考えられる。歴史的に見通した場合、「一神教は偏狭で多神教は寛容である」と言う言説は、ナショナリズムの陳腐で、ありきたりの自己礼賛の表現であることを認識しておく必要がある。また歴史を振り返ると、一神教とされるイスラム教が政治的に有力であったトルコのオスマン朝やインドのムガール朝などの時代では、他宗教徒を重用するなど寛容だった例がある。これらのことを考え合わせると、貧富の格差やそこから生じる無知、そして他の文化との比較から生じる自己の文化への劣等感こそが、原理主義などに偏狭な考えや排外感をもたらしていると言える。逆に言えば、経済的に安定し、文化的にも自分が認められている感覚があると、そのような排他的・排外的な考えにはなりにくいと思われる。

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