第77話 完全な鉄器時代と新たな文明発展の時代(BC1000年~BC500年ごろ)

 各地域の具体的な発展の有様を述べる前に、ここでは「完全な鉄器時代と新たな文明発展の時代」の主だった動きを簡潔に紹介する。


 BC1000年を過ぎると、古代西アジアやエジプトの地域全体を揺さぶった民族の大移動という「大事件」はすでに終わっており、鉄の時代の到来、文字の伝播といった複数の要因によって西アジアやエジプトのさまざまな文化が混じり合った。その混じり合った文化が、ヒッタイトやカッシート朝バビロニア、エジプト新王国などが築いた旧世界の終わりを告げ、ジブラルタル海峡からインダス川へと至る広大な地域に古代文明の遺産が受け継がれていくことになる。

 BC1000年ごろ、世界のいくつかの地域に新興勢力が生まれ、既存の秩序を転覆させてそれに取って代わった。戦争は全く新たな大きな規模で展開されるようになった。エジプトにはリビアやヌビアから、かつての被支配民族が迫っていた。メソポタミアでは新たな軍事勢力であるアッシリア人が新アッシリアを築き、やがてそれが西アジアのほとんどを支配下に置いた。それは西アジア初の「広域国家」で、それまでに形成された中で最大の陸の王国であり、桁外れの軍事力の成果だった。新アッシリアの後は新バビロニアが西アジアの覇権を握ることになる。そしてBC6世紀後半にはキュロスが西アジア全域を統一し、史上初の「帝国」アケメネス朝ペルシャが樹立された。


 BC9世紀~BC8世紀にかけて鉄器が普及するとともに青銅器の利器は全く見られなくなった。そして鉄製農具のおかげで耕地面積が飛躍的に拡大した。この中からフェニキアの海洋交易都市国家群が台頭してきてアルファベットが誕生し、ギリシャ文明が発展して民主政が誕生し、またヘブライ人の国家イスラエルで一神教が生まれた。エジプトでは新王国の衰退とともに古代エジプト王朝が崩壊し、分裂時代となる長い第3中間期時代(BC1069年~BC656年)を経て、末期王朝時代に入っていく。そして、中央ユーラシア草原にはスキタイが登場し、中国では西方から遊牧民だった周が、長い歴史を誇っていた殷を倒し、その後、春秋・戦国時代を経て漢民族の誕生へとつながった。また、インドではアーリア人によるガンジス川流域への進出と部族国家が形成された。この時代には、経済の動きにも大きな変化があった。商業活動が急速に発達し、小アジアと中国の双方で貨幣が初めて用いられた。東地中海と西アジアの文明社会で一定の重量と刻印を持つ「貨幣」を最初に鋳造したのはBC600年ごろの小アジアのリュディアだった。


「サピエンス全史」の著者ユバル・ノア・ハラリによれば、普遍的秩序という概念が根づいたのはBC1000年紀で、その可能性を持ったものが3つ登場し、その信奉者たちは初めて、一つの法則に支配された単一の集団として全世界と全人類を想像することができた。最初は経済的なもので「貨幣」という秩序、二つ目は政治的なもので「帝国」という秩序、三つ目は宗教的なもので仏教やキリスト教、イスラム教といった「普遍的宗教」の秩序だった。



(貨幣)


 狩猟採集民には貨幣はなかった。どの集団も必要な物はすべて狩りを行い採集し作った。集団の成員ごとに得意な仕事はあったかもしれないが、彼らは恩恵と義務の経済を通して物やサービスを分かち合った。集団は経済的に自立しており、外部から入手する必要があるのは、貝殻や顔料、黒曜石など、地元では入手できない少数の珍しい品物だけだった。こうした品物の入手は単純な物々交換で行えた。農業革命が起こっても、これにほとんど変化はなかった。それぞれの村落は、狩猟採集民の集団と同じように自給自足の経済単位で、相互の恩恵と義務に加えて、外部の人との若干の物々交換で維持されていた。村はまだ小さく、専業の職人を持つことはできなかった。その後、都市や王国が台頭し、輸送インフラが充実すると、専門化の機会が生まれた。しかし専門化からは一つ問題が生じた。専門化どうしの品物の交換をどう管理すればいいのか? 恩恵と義務の経済は、見ず知らずの人が大勢協力しようとするときにはうまくいかない。専門の栽培家や製造業者から産物や製品を集め、必要とする人に分配する交換制度を確立することでこの問題を解決しようとした社会もある。そのうちで最も大規模で有名な実験は、近年のことになるが、ソビエト連邦で行われ、みじめな失敗に終わった。「誰もがその能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という理想は、「誰もがサボれるだけサボり、もらえるだけもらう」という現実を招いた。


 古代の取引はほぼ全てが物々交換によって行われていたが、貨幣が発明されると、社会は大きく進歩することになった。優れた商才で知られるフェニキア人が初めて貨幣を使用したのはBC6世紀のことで、豊かな国だった古代エジプトでも、BC4世紀になるまで貨幣は鋳造されなかった。BC3200年ごろにメソポタミアで都市国家時代が始まると、時とともに各地を行き交う物資の量は飛躍的に増加したが、BC1000年ごろまでは、今でいう交易や商業に相当しないケースが多くあった。例えば、土器職人は製品の見返りに食糧などの物資を受け取っていたが、それは商業とは呼べないものだった。また、共同体の首長たちは、共同体が持つ富を一度すべて所有し、その後に人びとに分配するという形を取っていた。シュメールの神殿にあらゆる物資が集められたのもこうした形であった。神殿に届けられた品物は、分配のために記録を取り、印をつける必要があった。そこから文字も生まれたのである。このようにまず共同体の間での物資のやり取りが活発になり、そこからやがて利益を目的とした商業が発展していったということである。


 貨幣は多くの場所で何度も生み出された。その発達に技術の飛躍的発展は必要ない。それは純粋に精神的な革命だった。貨幣というのは硬貨や紙幣とは限らない。貝殻、牛、塩、穀物、珠、布などもあった。貨幣は簡単に、しかも安価に、富を他のものに換えたり保存したり運んだりできるので、複雑な商業ネットワークと活発な市場の出現に決定的な貢献をした。貨幣なしでは、商業ネットワークと市場は、規模も複雑さも活力も非常に限られたままになっていただろう。貨幣はこれまでに考案されたもののうちで最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度である。この信頼を生み出したのは、非常に複雑で長期的な、政治的そして経済的な関係のネットワークだった。

 もともと貨幣の最初の形態が生み出されたとき、人びとはこの相互信頼を持っていなかったので、本質的な価値を本当に持っているものを「貨幣」とせざるを得なかった。歴史上知られている最初の貨幣であるシュメールの「オオムギ貨幣」はその好例だ。それは書記が現れたのと同じころ、同じ場所で、同じ状況で、BC3000年ごろにシュメールで現れた。行政活動を強化する必要を満たすために書記が生み出されたのと同じように、経済活動を強化する必要に応じるために、「オオムギ貨幣」は生み出された。最も一般的だった量の基準が「シラ」で、およそ1リットル相当だった。1シラ入る規格化された器が大量生産されたので、人びとは必要な量のオオムギを簡単に量れた。貨幣の歴史における真の飛躍的発展が起こったのは、本質的価値は欠くものの、保存したり運んだりするのが簡単な貨幣を信頼するようになったときだ。そのような貨幣はBC2500年ごろに古代メソポタミアで出現した。銀のシェケルである。銀のシェケルは硬貨ではなく、銀8.33グラムだった。オオムギの「シラ」と違い、銀のシェケルには本質的な価値はない。金や銀を何かに使うとすれば、装身具や王冠など地位の象徴を作るときで、その価値は純粋に文化的なものにすぎない。しかし、やがて貴金属の一定の重さが、やがて硬貨の誕生につながることになる。後期青銅器時代(BC1600年~BC1200年)には地中海地方全域で、銅のインゴットが貨幣として使用されていたことがわかっている。これらの銅のインゴットは商業活動を活発にしたことは確かだが、必ずしも商業に不可欠ではなかった。


 史上初の硬貨はアナトリア西部のリュディアの王アリュアッテスがBC640年ごろに造った。リュディアでは砂金が豊富に産出していた。それらの硬貨は一定の重さを持つ金や銀で、識別記号が刻印されていた。記号は二つのことを保証していた。一つは、その硬貨にどれだけの貴金属が含まれているかを示し、二つ目は、誰がその硬貨を発行し中身を保証するかという権威を示していた。この新しい製造方法がリュディアで発明されたことにより、硬貨の純度と重さを調べる責任は商売人から支配者へと移行した。リュディアの硬貨は信頼されたので、他の地域でも利用されるようになった。そのおかげでリュディアは金融力によって豊かな国になることができた。その後、リュディアはペルシャに征服されたが、ペルシャは独自の硬貨をリュディアの造幣所で鋳造するようになった。ということは、今日使われている硬貨のほとんどはリュディアの硬貨の子孫となる。


 *「帝国」と「普遍的宗教」については後のエピソードで言及する。

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