第13話 三時代法による区分(石器時代、青銅器時代、鉄器時代)

 三時代法区分はデンマークから生まれた。19世紀初頭、ヨーロッパ史を学ぶ学生にとって、歴史と言えばたいていはユリウス・カエサルとローマ時代から始まっていた。カエサル以前のものは、磨製石斧だろうと、青銅の剣だろうと、精巧な作りの装身具だろうと、すべてが博物館や個人の所蔵品倉庫に積み上げられた雑多な出土品にすぎなかった。混沌とした出土品や遺跡に歴史資料としての意味などなかった。歴史資料としてよく参照された聖書も何の役にも立たなかった。ヨーロッパにおいてデンマーク人ほど真剣に考古学に取り組んだ国民もなかなかいない。デンマークはローマ人に征服されたことが一度もないため、国民はいにしえの住民たちとの強いきずなを感じていた。デンマーク政府は1806年、古代遺跡を保護し、国立博物館を設立するために考古物委員会を設置した。1816年、この委員会は27歳のクリスチャン・ユルゲンセン・トムセンをその実務能力の高さと勤勉さを評価し、彼に国立博物館のコレクションの整理と展示を命じた。トムセンはそのまじめで几帳面な性格により理想的な博物館員だった。勤勉なトムセンは収蔵品に番号を振って、目録を作ることから始めた。トムセンはデンマークの歴史を3つの時代に分けた。一番古いのが「異教時代」で、文献史料が残っていない時代として今日、先史時代と呼ばれている時期と重なる。これをさらに3つに細分化したのが、石器時代、青銅器時代、鉄器時代である。

 展覧会は1819年に始まり、大成功を収めた。それによってヨーロッパの知識人の間で、これらの3つの時代が本当にその年代順で存在したのかをめぐり活発な議論が始まった。ここに有名な三時代法が生まれ、先史時代のとらえ方を変えていくことになった。石器時代というのは、石と角、骨、木のみが道具や武器として使われた時代のことを指す。続く青銅器時代には銅と青銅製の利器が加わり、鉄器時代には鉄製の道具も使われるようになった。トムセンは1836年に「北方遺物入門」を出版した。この中で博物館の収蔵品の丁寧な記録に基づいて、すっきりと三時代法を説明している。瞬く間に三時代法は先史時代を細分化するための枠組みとして定着した。トムセンは三時代法を編み出したことによって、現代科学としての考古学と考古学的分類法の生みの親となった。



<石器時代>


 石器時代の区分は世界で統一されていない。ヨーロッパ・アフリカ・日本、それぞれの地域で考古学が発展した時期や石器の名称が異なるためかもしれない。特に旧石器時代と中石器時代の区分は研究者により異なるため、参考のみとする。各時代の間には重なる年代も生じている。


旧石器時代(5万5000年前~1万5000年前)(参考)

 前期旧石器時代(5万5000年前~3万5000年前):小型の石器や石刃や骨器などの出現

 後期旧石器時代(3万5000年前~1万5000年前):ナイフ形石器文化


中石器時代(1万3000年前~9000年前)(参考)

 農耕が始まる新石器時代までのこの時期をヨーロッパでは中石器時代と呼んでいる。この時期には道具技術に大きな進歩があった。細石器というはめ込み式の小さな石器、磨製石斧、石臼、カヌー、わな、網、釣り針、銛(モリ)、弓矢などがある。それは多彩な食資源の活用法や新しい社会を模索した人類発展の時期であった。


ナトゥーフ文化期(1万4500年前~1万1500年前)

 西アジアでは、1万4000年前に氷期が終結し間氷期へと移行すると、北東風が止み、大西洋と地中海から湿った空気が流れ込み降水量が増えた。この「氷河期後期、亜間氷期」として知られる1万4000年前~1万2800年前は気温が著しく上昇し、温度も高くなった。その影響は植物性の食物や野生の獲物を各段に豊富にさせ、狩猟採集民たちが食糧を求めて新たな土地を絶えず見つけなければならない必要性を軽減させた。この時代の遺跡には、2万年前のオハロ遺跡に比べてはるかに大きな石壁のある遺跡がいくつか見られる。そこには墓地もあった。大きな石臼やり石は、野生の植物の採集とその処理が盛んに行われていた証拠だ。そして新たな彫像や身の回りの装飾品は社会組織の変動を暗示している。それは富と社会的地位を有する個人の出現である。これは絶えず移動し、財産を集積することのできない狩猟採集民には起こりそうもないことだった。このような特性を持つ遺跡は初期ナトゥーフ文化のものと見なされている。ナトゥーフ文化が後半に入ると、晩氷期と呼ばれるヤンガードリアス期(1万2800年前~1万1500年前)となり、再び寒冷・乾燥の気候に戻った。

 1920年代末、レヴァント地方の現在のイスラエルにあるカルメル山が発掘され、この地に住んでいた人びとの存在が明らかになった。そこのケバラ洞窟にちなんでケバラ人と名づけられた。彼らは獣皮を加工する石のスクレーパーを用いていたことから、水のある地域で狩猟採集して暮らしていた。ケバラ人は極めて移動性のある人びとで、小さな狩猟集団ごとに暮らし、広大な狩猟領域を利用していた。彼らは主にガゼルを食糧とし、野生の穀草以外の植物性食物は食べなかったが、気温が上がるにつれて木の実や種子を磨り潰して食べるようになった。周期的な干ばつに見舞われる地域では食糧の保全は不可欠だった。そこに彼らはかなり広い草ぶき屋根の丸い住居を建てて定住するようになった。考古学者はこのケバラ人の子孫をナトゥーフ人と呼んでいる。

 ナトゥーフ文化はレヴァントという起源地で旧石器時代の狩猟採集民の伝統の中から革命的に現れた。氷期は1万4000年前には終結し、現在の間氷期へと移行したが、晩氷期と呼ばれるヤンガードリアス期が1万2800年前から1万1500年前まであった。この環境の厳しさに対応するため、狩猟採集民だったナトゥーフ文化の一部の人びとは環境の良い所に定住して土地を開墾し、野生のコムギ、オオムギ、ライムギなどを栽培するようになったという説が有力である。



 *ここからは歴史時代の年代表記と合せるため、年代の表示方式を紀元前表示(BCxxxx年)とする。


新石器時代(BC9500年~BC6000年)

 先土器新石器時代(Pre-Pottery Neolithic)と土器新石器時代(Pottery Neolithic)に分けられている。さらに先土器新石器時代は二つに分けられている、PPNAとPPNBである。つまり先土器新石器時代 A期およびB期である。


先土器新石器時代A期(PPNA)(BC9500年~BC8500年)

 「農業革命」の始まり、アナトリア東南部やレヴァント地方での栽培作物の台頭。この文化の拡がりはレヴァント、アナトリア東南部、メソポタミア北部で見られるが、この拡散が1ヶ所に起源するのか、同時多発的に起こったのかを明らかにすることは難しい。円形家屋、プラスターの床、頭骨のない埋葬遺体、女性土偶、フリント製鎌刃、石皿や磨石、アナトリア中部産の黒曜石、磨製石斧、えぐりのある尖頭器、ナトゥーフ文化以来のフリント製石器の技術など、すべての文化要素がPPNA文化内でかなり明確な統一性を持っている。先土器新石器時代初頭のBC9500年、世界最古の巨石遺跡であるアナトリア南東部のギョベクリ・テペ遺跡では、屋外で祭祀儀礼が行われていた。集落中央にT字形石柱群が円形に並んで建てられ、最古の祭祀儀礼の場として注目を集めている。


先土器新石器時代B期(PPNB)(BC8500年~BC7000年)

 栽培型の穀類の最初の拡がりがみられる。西アジアに成立した初期農業集落は、天水による農耕が可能なパレスティナ・シリア・メソポタミア北部・ザグロス山麓(イラン南西部)などに形成された。ヨルダン峡谷でも初期の集落が形成され、高い周壁がめぐらされた。それが発掘によって最古であると証明されたBC8500年ごろのヨルダン川西岸にあるエリコである。ある研究者は、レヴァントのPPNB期の人口をナトゥーフ文化期の16倍と推定している。

 ・先土器新石器時代B(PPNB)前期(BC8500年~BC8300年)

 ・先土器新石器時代B(PPNB)中期(BC8300年~BC7600年)

 ・先土器新石器時代B(PPNB)後期(BC7600年~BC7000年)


土器新石器時代(BC7000年~BC5800年)

 PPNB期を過ぎると経済や文化の下降期を迎えた。これはおそらく乾燥化によるものと思われる。ミニ氷河時代はBC6200年~BC5800年である。先史時代のシリア・メソポタミア地域では、BC7000年ごろに土器が普及したと考えられ、それ以降に各地でさまざまな様式の土器が発展した。

 ・土器新石器時代前期(BC7000年~BC6600年)

 ・土器新石器時代中期(BC6600年~BC6100年)

 ・土器新石器時代後期(BC6100年~BC5800年)


 ***


 PPNA(BC9500年~BC8500年)は今では1000年ほど続いたことが知られている。それは狩猟採集から農耕へと移行するカギとなる時代だった。この時代に狩猟採集民は野生の穀物やマメ類を、散水、除草、苗木栽培、害虫駆除を行うことによって栽培し始める。これが徐々に多彩な栽培物の進化へとつながっていく。ひとたび植物が栽培化されると、人びとは集落をつくり、定住するようになった。そして周囲の畑を耕し、ヒツジやヤギを家畜化して、やがてはウシを飼うようになる。しかし、この時期の遺跡の住民たちは完全に自然の給水に依存しており、遺跡からは水管理の証拠は見つかっていない。水管理には、天然の泉や湖を利用するだけでなく、さらなる水資源を確保するために、井戸を掘り、水を田畑に引くための水路や、穀物に給水するための灌漑用運河、さらには穀物が発芽したり成熟する重要な時期に干ばつに備えるために貯水槽を作る必要があった。この時期に水管理の形跡が見当たらないのは、集落の規模が小さく、居住者たちが農民というよりむしろ狩猟採集民だったと言えるかもしれない。住居は半ば地中に掘られた簡素なものだった。


 次のPPNBの時代はBC8500年からBC7000年まで続き、穀物の栽培と動物の家畜化を伴う農耕集落が定着を見た時代である。それを特徴づけているのは、がっしりとした長方形の家や作業場、貯蔵庫や中庭のなどのある厳密な意味での建築や技術、集落の規模(2000人あるいはそれ以上)の劇的な変化だ。人びとはひとかどの農民で、コムギやオオムギの畑を持ち、十分に家畜化されていなかったとはいえ、ヤギを飼育していた。狩猟も続けていたが、すでに大きなやじりの矢を使用していた。これはシカのような動物を狩りするためだったかもしれない。頭蓋骨に装飾し、宗教儀式に使用したり、土人形を作ったり、芸術や宗教の活動においても発展を見せている。しかし、遺跡の中に、井戸や貯水槽、水路、ダムの痕跡は皆無である。但し、二つの例外がある。一つはヨルダン最南部の乾燥したジャフル盆地にあるワジ・アブ・トレイハ遺跡にある知られているものの中で最古のダムと井戸だ。ダムといってもそれはV字型のせきで、曲がりくねったワジの流れに沿って数ヘクタールの畑を耕すのを可能にしたようだ。そこで住民たちは穀類やマメ類を栽培し、ヒツジを飼育していた。この集落は1年の内の数ヶ月間だけ滞在する前哨地として利用されていたと思われる。もう一つはキプロス島のミルートキア遺跡の井戸で、直径2メートル、深さ8メートルがあり、地下の水流まで達していた。これらの井戸の年代はPPNB期の終わりから土器新石器時代の初めのBC7000年ごろで、土器の発明と製造、そして使用が、水への新たなアプローチの出現したきっかけだったかもしれない。


 その次には土器新石器時代(BC7000年~BC5800年)が続く。この時代はヒツジやヤギの移動放牧を伴う農業経済へに重要な変化を特徴としている。この時代に「テラス壁」が築かれるようになり、水の流れやそれがもたらす土砂の粒子を集めて、段丘内に留ませる機能を果たした。テラス壁は、死海の段丘上にあったドゥラー遺跡で見ることができる。壁のなかには高さが1メートルに達するものもあり、長さも20メートル以上続くものがあった。それは畑を作るためにかなり大きな労力が壁に注ぎこまれたことを明らかにした。


 そして銅石器時代(BC6000年~BC3500年)を経て、最初の都市社会を招来する青銅器時代(BC3500年ごろ~BC1200年ごろ)がやって来る。ダム、井戸、テラス壁が現れるまでにずいぶん長い時間がかかったように見えるが、BC3600年ごろにはその全部が出そろった。水管理の3つの方法は次の文明へ向けて欠くことのできないインフラを提供することになる。前期青銅器時代のレヴァント地方の大きな集落はその多くがBC3000年の後まもなく遺棄された。それはおそらく気候変動による寒冷化・乾燥化と関係があると思われる。そして集落の形はおおむね分散した村落や農村へと戻っていった。それはエジプトのナイル渓谷やメソポタミア大河流域とは全く事情が異なっている。エジプトやメソポタミアでは前期青銅器時代の大きな集落、すなわち都市の発展が衰えることなく、最も早い時期の都市や文明を創造し続けた。

 BC3500年ごろに始まるおよそ400年間の寒冷期が到来して以降、長い時間軸でみると世界の気候は温暖な時代のピークを過ぎ、ゆっくりと寒冷化していった。気候の変化は農耕生活を営むあらゆる定住民の生活や文明に大きな影響を与え、内陸の草原地帯に住む民族の大移動を誘発した。それでも、BC6500年~BC4000年の2500年間に西南アジアで発達した農業はユーラシアと北アフリカの広大な地域に拡散していった。



<金属器時代(銅器・青銅器・鉄器)>


銅石器時代前期(BC6000年~BC5500年):メソポタミアのハラフ期に相当

 自然銅の利用は先土器新石器時代に始まるが、製錬による銅生産は銅石器時代になってからである。メソポタミア北部のテル・マグザリーヤ遺跡では製錬銅製の錘、中央アナトリアのチャタル・ホユック遺跡からは製錬鉛製のビーズ、メソポタミア北部のヤリム・テペ遺跡では製錬鉛製のブレスレットが出土している。


銅石器時代中期(BC5500年~BC4000年):メソポタミアのウバイド期に相当

 ウバイド期に銅製品や銅工房があちこちで登場して銅精錬が本格化する。銅精錬には1083℃の温度が必要であり、相応の火力を出す技術が求められる。


銅石器時代後期(BC4000年~BC3500年):メソポタミアのウルク初期に相当

 銅鉱石や産地付近で製錬された粗銅はメソポタミア平原方面へ運ばれた。メソポタミア平原地帯への玄関口に位置するアルスランテペ、ハジュネビ、ガブリスターンなどの都市的集落では、BC4000年ごろのウルク期に冶金工房が目立って現れる。こうした工房跡では冶金の証拠となる地上炉やふいごの羽口、地金や鉱滓も見つかっている。この時代に銅精錬の技術が発展し、砒素銅やエレクトラム(金と銀の合金)などが鋳造されるようになる。高品質の銅を抽出するために別の鉱物を混ぜるという試行錯誤が各種鉱物を掛け合わせる合金技術を高めることにつながった。


銅石器・青銅器併用時代(BC3500年~BC3100年):メソポタミアのウルク中期に相当

 ウルク期が後半にさしかかるBC3500年ごろ、メソポタミアの南部ではウルク、北部ではテペ・ガウラ遺跡のような最初の都市が形成された。


青銅器時代(BC3100年ごろ~BC1200年ごろ):メソポタミアのウルク第Ⅳ期(後期)以降となる

 BC3100年ごろになると、ついに銅と錫の合金である錫青銅が開発される。青銅は比較的低温(875度)で鋳造することができ、しかも変形しにくいという利点があったため、それまでよりはるかに多様な道具や武器が作られるようになった。錫青銅の原料となる錫はかなり遠方に行かないと手に入らない。良質な錫の産地はイラン東部からアフガニスタンにかけての地域に限定される。したがって、メソポタミアの支配者たちが東方の資源を開発するには、陸上交通網の整備を待たねばならなかった。


・前期青銅器時代(BC3100年~BC2100年)

 メソポタミアでもエジプトでも文明開化の時期だったが、冷涼で乾燥した気候がBC2500年からBC2000年ごろにかけて西アジアやユーラシア・ステップを見舞い、BC2200年ごろには寒冷化によって海面は急降下している。それは干ばつを伴い古代文明の崩壊に決定的な意味をもった。

・中期青銅器時代(BC2100年~BC1600年)

 中期青銅器時代は都市文明の新生復活とともに始まった。

・後期青銅器時代(BC1600年~BC1200年)

 鉄器・青銅器併用時代はBC1500年~BC1200年であるが、まだ鉄器は少なく、実体は青銅器時代と見なされる。古代国家(古バビロニア、ヒッタイト、エジプト中王国と新王国、ミュケナイ、など)の黄金時代。

・鉄器・青銅器併用時代(BC1500年~BC1200年)

 最初の鉄器文化はBC15世紀ごろにあらわれたヒッタイトとされている。ヒッタイトの存在したアナトリア高原においては鉄鉱石からの製鉄法がすでに開発されていたが、ヒッタイトはBC1400年ごろに炭を使って鉄を鍛造することによって鋼を開発し、鉄を主力とした最初の文化を作り上げた。ヒッタイトはその高度な製鉄技術を強力な武器にし、西アジアの強国としてエジプトなどと対峙する大国となった。その鉄の製法は国家機密として厳重に秘匿されており、周辺民族に伝わる事が無かった。


鉄器時代(BC1200年ごろ~現代まで):

 メソポタミアの実用的な鉄器時代はBC1200年ごろに始まる。東地中海における青銅器から鉄器への移行はBC12世紀からBC10世紀にかけての数百年の間に行われたことが、その出土数から実証されている。量的に鉄器が青銅器を上回るのはBC10世紀になってからである。

 鉄器時代Ⅰ期(BC10世紀)はまだ鉄器と青銅器併用時代であり、Ⅱ期(BC9世紀~BC8世紀)には鉄器の量が増えるとともに、青銅器の利器は全く見られなくなった。バビロニアに残された文献記録によれば、BC1000年紀を通じて鉄の値段は下落し続け、BC6世紀半ばまでには銅や青銅よりも安くなったという。

 鉄器時代の定義は、青銅を利用した青銅器の代わりに鉄を利用した鉄器が主要な道具として使われていることが条件となる。鉄器時代というと、新たに鉄で作られるようになった強力な武器に目を奪われがちだが、後の時代になって、鉄製の農具が普及し、動物にすきを牽かせるようになると、本格的に土地を耕すことができるようになった。そのおかげで地球上の耕地面積は驚くほど拡大した。

 西アジアと東地中海における、海の民による古代国家の崩壊とその後の混乱は、まさに青銅器から鉄器への急速な移行時期にあたるBC12世紀~BC10世紀ごろとされている。

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