第12話 地質時代区分と気候変動

 考古学者であり人類学者でもあるブライアン・フェイガンは地質学誕生の物語を次のように記している。

 旧約聖書の創世記には、「初めに神は天と地を創った」とある。神は6日間でその仕事を終え、最後に「命あるもの」である人間を創った。そして最初の人間をエデンの園に住まわせた。エデンからは4本の川が流れ出ており、そのうちの2本、ユーフラテス川とティグリス川の間が、「川に挟まれた地」メソポタミアだった。では、人類の歴史はどれくらい長いのだろうか? 地球が生まれてから何年たったのか?

 2世紀前、キリスト教会は旧約聖書に記された天地創造は厳然たる史実であって、新約聖書と旧約聖書の記述から見てBC4004年の出来事としていた。それ以外の説をとなえることは、キリスト教信仰に戦いを挑むことであり、重大な罪と考えられていた。人類の全歴史がわずか6000年のうちに起こりえたものだろうか? 人類の起源にまつわる疑問は早くも16世紀には学者たちの心に芽吹いていた。ヨーロッパ中の好古家たちが、耕された畑から出てくる数多の石器類をどう考えればよいのか頭を悩ませていた。1797年、イギリス人ジョン・フレアは、自宅から8キロほど離れた小さな村で粘土採取のための穴を掘っていたレンガ職人たちが何本もの石斧と大型動物の骨を見つけたと聞き、現場に駆けつけ、さらに穴の壁を掘り進めると、石斧とともにはるか昔に絶滅したゾウの骨がさらにたくさん粘土層に埋まっているのを発見した。そこでフレアは当時の好古家の常として、ロンドン考古教会に短い報告書を書き送った。フレアは出土品を「武器・金属の伝播前に作られ、使われたもの」と説明している。1797年6月22日、慣例に従って会員たちの前でその報告書が読み上げられ、3年後には公刊された。しかし、会員の中には高い地位の人や聖職者も多く、ジョン・フレアの発見は60年間無視された。


 19世紀前葉、ウィリアム・スミスという一介の水路専門家が地質学に革命を起こした。彼はそれぞれの地層ごとに特徴の一致した化石が埋まっていること、化石の変遷が時代の変遷を表していることに気がついた。ここから「斉一説せいいつせつ」が生まれた。過去に地球を創ったゆっくりとした地質学的な作用が今も同じように働いているとみる考え方だ。つまり、我々が知っている今の地球は、止まることのない変化という悠久の営みによって形作られてきたということだ。スミスの跡を継いだのがチャールズ・ライエルで、ヨーロッパ中で積み重なった地層の順序を調査し、19世紀の科学の集大成の一つともいえる「地質学原理」を著した。その影響を受けたチャールズ・ダーウィンが進化論と自然淘汰という革命的な理論にたどり着き、1859年に「種の起源」を発表した。また、絶滅動物に興味を持つ人が増え、洞窟内の埋もれた地層に注目が集まった。フランスのソンム渓谷の砂利採取場や、イギリスのブリクサムの石切場の洞窟から石器や絶滅動物の骨は共に出土し、人間の道具と絶滅動物の共伴関係はもはや疑いようがなかった。これらの論文が発表されたのは、1797年にジョン・フレアの短い報告書は読み上げられてから、実に60年の月日が流れていた。

 ダーウィンが「種の起源」を発表した1859年は考古学にとって、そして科学全般にとって大きな転換点となった。ダーウィンは南アメリカの地質層を観察し、ライエルの「斉一説」の正しさを見て取った。だが、決め手となったのは、1798年に経済学者トマス・マルサスが発表した「人口論」だった。マルサスは、人間を含めあらゆる動物は食糧が供給上限に達するまで増殖すると論じた。ダーウィンはそれをさらに一歩進めて、人類の進化は自然の産物であり、それは自然淘汰というゆるやかなプロセスによって生じると論じた。ダーウィンが自然淘汰と人類の進化の関係を探求した「人間の由来」を発表したのは1871年になってからだった。ダーウィンはまた、人類の故郷はサルが多く生息する熱帯アフリカだという仮説も立てた。今ではそれが正しかったこともわかっている。ダーウィンの進化論は当時多くの批判を受けたが、ダーウィンに賛同する有力な仲間も大勢いた。19世紀が生んだ最高の生物学者の1人、トマス・ヘンリー・ハクスリーもその一人で、「ダーウィンのブルドッグ」として知られるようになった。ハクスリーはドイツのネアンデルタール渓谷で発見された頭と手足の骨を、現生人類の前に生きていた原始人類のものととらえ、チンパンジーの骨と比較した。両者は驚くほど似ていた。ハクスリーはその研究結果を「自然界における人間の位置」にまとめ、1863年に出版した。


 現在では、正確な地質年代は堆積物の層に含まれる火山灰などの岩石中の放射性元素によって特定できるようになっている。溶岩が固まると、新たに形成された元素がその結晶構造に閉じ込められる。ウラン235やカリウム40のような放射性元素は、数百万年の時間をかけて一定の割合で崩壊していく。元の元素と崩壊の結果生まれた元素との存在比を測り、あらかじめわかっている崩壊率を使って計算すれば、その岩石の年代を知ることができるのだ。炭素14を使った年代測定も原理は同じだが、5万年前までの有機物にしか用いることができないという制約がある。



(地質時代区分)


先カンブリア時代(30億年前~5億4100万年前)

 造山運動


古生代(5億4100万年前~2億5260万年前)

 カンブリア紀:多細胞生物の出現、魚の出現

 オルドヴィス紀:脊椎動物の出現、陸上に節足動物出現

 シルル紀:陸上に植物出現

 デヴォン紀:森林の出現、両生類の出現

 石炭紀:シダ植物が繁茂、石炭紀の終わりには常緑の針葉樹が出現、石炭が主に生成された時代

 ぺルム紀:紀末の大量絶滅(数度にわたる大規模な火山活動により、途方もない規模で溶岩が噴出したため)


中生代(2億5260万年前~6600万年前)

 三畳紀:超大陸パンゲアの誕生、恐竜の出現、小型の哺乳類の出現

 ジュラ紀:恐竜の繁栄、1億5000万年前に超大陸パンゲアが分裂を開始、紀末に鳥類が出現

 白亜紀:石油が主に生成された時代、白亜紀後期には被子植物が拡大、紀末の大量絶滅により恐竜も絶滅。


新生代(6600万年前~現在):哺乳類と被子植物が繁栄する時代

 古第三紀(6600万年前~2303万年前)

  暁新世(6600万年前~5600万年前):霊長類である小さな原猿類の出現、但し、トガリネズミのような姿だった

  始新世(5600万年前~3390万年前):イネ科の草本の出現、クジラ・ウマ類・ウサギ類・ゾウ類などの出現

  漸新世(3390万年前~2303万年前):大陸がほぼ現代の位置に移動

 新第三紀(2303万年前~259万年前)

  中新世(2303万年前~533万年前):2000万年前ごろインドとアジアが衝突してヒマラヤ山脈ができる

  鮮新世(533万年前~259万年前):アフリカ北東部で断層運動が起こり、パナマ地峡が閉じて南北アメリカがつながった

 第四紀(259万年前~現在)

  更新世(259万年前~1万1700年前):氷河時代

  完新世(1万1700年前~現在):温暖な間氷期、それまでの数十万年と比べて気候も安定している


 地球の地表は地殻が冷え固まった太古の昔から絶えず動いている。動き続ける地殻プレートは時に衝突し、時にすれ違い、時に離れていく。火山、地震、造山運動、岩石形成といった地質学的な活動はすべて地球内部で起こっている活動の結果だ。地球内部では放射性元素が崩壊して熱が生まれ、その熱に温められたマントルは地表へと昇り、やがて冷えて固まるプロセス、いわゆる対流を延々と繰り返している。地表の巨大な岩盤であるプレートはこのマントルの対流に乗って動いている。

 毎年地球全体で、マグニチュード6クラスの地震が約3000回発生し、約50回の噴火が起こり、山脈は隆起を続けている。これらの現象は巨大なプレートがすれ違い、衝突し、一方のプレートが他方のプレートの下へ潜り込むことで生じている。こうした大陸移動と海面の変動は、各年代の動物群と植物群の分布を強く制約している。生命の進化と地球の進化は密接に関連している。生物の進化に影響するのは大陸移動だけではない。プレートの移動によって出現したアフリカの大地溝帯、ヒマラヤ山脈、峡谷、島、海なども気候や雨量を変化させたり、地上の生態系を分断する物理的障害となる。


 中生代初期の2億2000万年前にローラシア大陸やゴンドワナ大陸が衝突して、パンゲアという一つの超大陸が誕生する。中生代中期の1億9000万年前には大陸の移動により、再びローラシアとゴンドワナに分かれる。ゴンドワナ大陸はその後、アフリカ大陸、南アメリカ大陸、インド亜大陸、南極大陸、オーストラリア大陸、マダガスカル島と分裂されていく。1億6500万年前にアフリカ大陸とマダガスカル・インド亜大陸が分離し、1億2000万年前ごろにはアフリカ大陸と南アメリカ大陸が分かれ、新生代の4500万年前には北上し続けたインド亜大陸がユーラシア大陸と衝突。ヒマラヤ山脈はインド亜大陸とユーラシア大陸との衝突により2000万年前ごろから急速に隆起し始め、現在の高さまで持ち上げられた。この大陸移動説、すなわちプレートテクトニクスの仕組みと地球内部のマントル対流の理論は1912年に発表されていたが、解明されたのは1960年代になってからだった。


 第三紀が始まる6600万年前から地球の温度はひたすら寒冷化に向かっている。そして人類の祖先が誕生したとされる700~600万年前には広義の氷河期が始まっている。狭義の氷河期は100万年前からで、10万年周期で氷期と間氷期が交互に繰り返している。氷河期というのは地球の乾燥期であり、森林が縮小して、代わって砂漠や草原が拡大する時代でもある。



(地質時代における植物の進化と発展)


シダ植物:

 石炭紀の代表的な植物で、風で胞子を飛ばすことで子孫を残した。


裸子植物:

 石炭紀の終わりに出現した常緑の針葉樹である。モミ、マツ、スギ、トウヒ、イチイ、セコイア、イチョウなど。種子はかさに守られ、発芽するのに適切な条件になるのを待つ。


被子植物:

 白亜紀後期に拡大し、今日の世界の植物の大半を占める。花を咲かせ、昆虫を呼び寄せて、花粉を運んでもらい受粉する。世界には色とりどりの花と、うっとりする香りが満ち溢れるようになった。人類が霊長類として進化し、狩猟採集者として発展を遂げたのは、果実、塊茎、被子植物の葉のおかげである。そして人類が取り入れた農業はほぼ全面的に被子植物に依存している。穀類は被子植物で、粒の部分は植物学的には草本植物の果実である。化石記録の中に草の痕跡が最初に現れるのは5500万年前からだが、新生代を通じて地球が一貫して寒冷かつ乾燥した状況になると、2000万年前から1000万年前に世界各地で草を中心とした生態系が定着した。したがって、人類そのものの進化は東アフリカの乾燥化によって促されただけでなく、世界全体が寒くなり乾燥したことによって、文明を支える主要作物として栽培化されることになる食物の原種が繁茂する状況が生み出された。我々が食用にする植物もほぼすべて被子植物の8つの科のいずれかに属している。

 イネ科、マメ科、アブラナ科(キャベツなどの野菜)、ナス科(ジャガイモ・トマトなど)、ウリ科(カボチャ・メロンなど)、セリ科(ニンジン・セロリなど)、バラ科(リンゴ・ナシ・モモ・イチゴなど)、ミカン科(オレンジ・レモンなど)、以上8つの他にヤシ科(ココナッツ・ナツメヤシなど)もある。

 そして、被子植物は食糧を与えるだけでなく、綿や亜麻、各種の麻などの繊維や、さまざまな天然の薬も与えてくれる。



(地殻変動と気候変動)


 現在につながる新生代の新第三紀の末期から第四紀の文明誕生のころまでの地殻変動と気候変動。


300万年前:

 北アメリカと南アメリカが衝突してパナマ地峡が作られた。新しく出来た陸地が障壁となって暖かい太平洋の水が大西洋へと循環しなくなり、アフリカでは冷却と乾燥が加速、北極圏では氷冠の形成が始まった。この地質学的変化の結果はおよそ260万年前以降のアフリカの化石記録に大きく映し出されている。草原に適応した草を食べる哺乳動物が激増して、それよりも古い主に木の葉を食べる種類が姿を消した。研究者の一部はこの時代の動物相の変化に示される環境の変化が、ホモ属が誕生するための最も重要な刺激になったと考えている。アフリカでは気温は比較的高いままだったが、雨量が著しく変動するという影響を大きく受けた。ユーラシアではその影響はさらに大きかった。180万年ほど前にホモ・エレクトスが移住を始めた北部の緯度の高い地域もまた、気温が激しく揺れ動くようになった。


260万年前:

 およそ260万年前に北極圏に氷床が生じると、地球の両極地にあるその氷床の周期的な拡大と縮小に合わせて氷期と間氷期が交互に訪れる氷河時代が始まった。そうした変動は太陽の周りを回る地球の軌道上の位置によって地球の表面にあたる日射量が変化するために起こったものである。

 40回~50回の氷期があり、時代を経るにつれてその期間は次第に長く、寒さも厳しくなっていった。凍結は平均して8万年間続き、間氷期は短いものでは1万5000年ほどだった。氷期の厳しさは毎回異なり、間氷期もまた同じではない。13万年前~11万7000年前の前回の間氷期は、現在の間氷期より暖かく、平均気温は今日よりも2度は高く、海面は5メートルほど高く、一般にアフリカにいるような動物がヨーロッパ一帯をうろつき回っていた。

 最後の氷期は11万7000年前に始まり、10万年ほど続いた後、現在の間氷期が1万4000年前に始まった。氷期の最盛期となる2万5000年前~2万2000年前には厚さが4キロにもなる広大な氷床が北方から拡がり、ヨーロッパ北部と北アメリカを覆い尽くした。氷床はシベリアにもやや小さいが拡がり、アルプス山脈、アンデス山脈、ヒマラヤ山脈などの山岳地帯にも大きな氷河が発達した。これらの広大な氷床と氷河は大量の水を陸上に固定したため、世界各地の海面は最大で120メートルも水位が下がった。氷床の近くでは冷たい海からの蒸発も減り、世界は現在よりはるかに乾燥していた。この時期、熱帯アフリカは冷涼化するとともに非常に乾燥化し、サハラ砂漠は拡大し、アフリカのほとんどから熱帯雨林が消滅した。1万8000年前ごろに残っていた熱帯雨林の場所と現在のゴリラの分布はぴったりと一致する。他の地域に熱帯雨林が拡大した現在でもゴリラはそこに留まっている。1万4000年前には氷期が終結し、現在の間氷期へと移行したが、その間に晩氷期と呼ばれるヤンガードリアス期(1万2800年前~1万1500年前)が一度あった。

 更新世(氷河時代)は259万年前~1万1700年前であることから、ホモ属の誕生は更新世の産物といわれるが、少人数のホモ属の群れが様変わりする環境にもてあそばれ、しばしば居住環境から立ち退き、時に不運な時代に不運な場所に居合わせて死に絶えた群れも多かった。氷河時代の環境はホモ属にとって厳しいものだったが、機動性や適応力のあるホモ属の群れが進化を遂げるためにはかつてないほど都合の良い環境でもあった。更新世が狭い地域で新しい遺伝子が定着したり、種を形成したりするのに最適な条件を準備したことは注目に値する。また、この急激な進化はほぼ間違いなく雑食性の祖先が持った柔軟性と耐性の組合せのたまものであった。


100万年前:

 アフリカの一部で広大なサバンナが定着した100万年前までには、その周期はいくらか一定したリズムに落ち着いてきて、寒冷な時期から現在のような温暖な時期へとおよそ10万年ごとに揺れ動くようになった。寒さが頂点に達したとき、北極の氷床は北緯40度辺りまで拡がり、さらにはアルプスやピレネーなどユーラシアの山脈の頂も覆った。北緯40度付近にある今日の主な都市は、スペインのマドリード、トルコのアンカラ、中国の北京、日本では秋田県、アメリカのニューヨークである。寒冷な時期には海水が氷床の中に閉じ込められるため、地形そのものが変化した。氷床に最大限覆われていた時期には、世界の海水面は現在より90~120メートルほども低下し、間氷期なら島となるブリテン島やボルネオ島が隣接した大陸とつながり、大陸の沿岸部は海の方へと拡大した。その寒冷と温暖の間にはいくつもの短期的な変動があった。寒冷なときは小氷期と呼ばれる。


10万年前:

 過去10万年の気候について、グリーンランドの万年氷の堆積物(氷床コア)と北大西洋海底の堆積物(海底コア)の分析により、氷期とは単に寒いだけでなく、気候が激変していた時代であることがわかってきた。数百年間で10℃以上も気温が上下する変動が何度も起きている。最大幅は25℃に達する。主な温度の上下振動の回数は22回、急速寒冷化は6回あった(ダンスガード・オシュガー振動)。海面水位は氷期と間氷期のサイクルの中でおよそ130メートルの幅で上下変動を繰り返している。これは地球全体の水の総量は変わらない中で、寒冷な時代には陸地に氷雪の形で水が保存され、温暖になるとその氷雪が融けて海に流れ込むためだ。1万4000年前には氷期が終結し、現在の間氷期へと移行したが、晩氷期と呼ばれるヤンガードリアス期(1万2800年前~1万1500年前)があった。ヤンガードリアス期が終わった後の直近1万年は、例外的に気候が安定した状況である。


1万5000年前:

 1万5000年前、氷河時代の寒気の影響は西南アジアの中心部にまでおよんでいた。ギリシャからエジプトまで、東地中海は北東からの高気圧性の風の影響下にあった。この風はスカンジナビアとシベリアの氷床上にある高気圧団から吹いていた。季節によっては雨が降ったが、全体的にかなり乾燥しており、トルコからナイル流域のかけての多くの場所が半乾燥気候だった。ナイル川の水位は今より少なくとも6メートル高く、川幅は狭かった。川沿いに住む人は数千人にすぎず、極度に乾燥した細長い土地で漁労採集をしていた。西南アジア一帯の狩猟採集民はいずれも川や湖など水のある所に繋ぎとめられていた。 


1万4000年前:

 1万4000年前ごろに氷期は終結し、地球は温暖な間氷期(後氷期)に入っていった。気温は全地球平均で約6度上昇し、北米大陸にあった巨大な氷床が融けて消滅した。西南アジアへの北東風が止み、大西洋と地中海から湿った空気が流れ込み降水量が増えた。しかし、1万2800年前には晩氷期と呼ばれるヤンガードリアス期(1万2800年前~1万1500年前)となり、再び寒冷・乾燥の気候に戻った。 


 *ここからは1万年前以後になるので、紀元前表示(BCxxxx年)と併用する。


8200年前~7800年前(BC6200年~BC5800年):ミニ氷河時代

 BC6200年ごろ膨大な量の融解水が蓄積し、カナダ北部で後退していたローレンタイド氷床の土台を削っていた。ある時点で、巨大な氷床は内部で崩れ、大量の融解水が南のメキシコ湾に滝のように注いだ。ヤンガードリアス期(1万2800年前~1万1500年前)のころにも似た寒く乾燥した状況にヨーロッパは見舞われた。東地中海に降雨をもたらした湿った西からの気団は冷たい北からの流れに取って代わられた。バルカン半島と東地中海は、その4000年前と同じように深刻な干ばつに襲われた。BC6200年からBC5800年まで400年間続いた「ミニ氷河時代」は地球規模の現象であり、世界の海洋の水位を上昇させた。スカンジナビアの南部の広大な地域が海の下に沈んだ。ブリテン島は大陸から切り離された。


7800年前~5800年前(BC5800年~BC3800年):気候最適期

 BC5800年、大西洋が再び循環し始め、暖かい時代が戻ってきた。ヨーロッパの温帯地域は気候最適期(アルティ・サーマル期)に入り、その後2000年間はその状態が続いた。

 この時期にはアフリカで大量の雨が降り、洪水が起こり、砂漠が緑で覆われ、川が流れた。サハラの中央部と南部にも雨をもたらした。北部だけは乾燥したままだったが、これはおそらくジェット気流が北へ移動し、この地をさらに乾燥させたからだろう。東アフリカとサハラ砂漠の降水量は年間150ミリ~400ミリほどに増加した。この時代のサハラ砂漠は「緑のサハラ」と呼ばれている。アルジェリア南東部の砂漠にタッシリ・ナジェール(水の多い台地)という山脈があり、そこにはこの温暖だった時期に描かれたゾウやキリン、カバやサイなどの壁画が今も残っている。この世界的な温暖期には、それぞれの地域の農耕が盛んになり、ギリシャ北部とブルガリア南部の肥沃な土地では、人びとは何世紀にもわたり同じ土地を利用し続けた。

 BC5600年ごろ、地中海の水位が上昇して、エーゲ海の北にあるマルマラ海よりも150メートル水位が低かったエウクセイノス湖(現在の黒海の前身)へ現在のボスポラス海峡から海水が流れ込み、黒海が形成された。温暖期のピークは5500年前(BC3500年)で、現在より海面が2~3メートルほど上昇していた。

 BC5000年になると、人類を苦しめた大きな気候変動も概ね終わり、海面水位は現代に近いレベルで安定し、巨大な氷床はほぼ消滅し、地球の植生はほとんど今日と変わらない状態になった。アラビア海の深海コアのデータからメソポタミアの降雨量は今日より25%~30%多かったと思われ、その多くは夏のインド洋からのモンスーンによるものだった。また冬には湿った地中海の偏西風によってもいくらか雨がもたらされた。春と夏に雨が十分に降る限り、牧草地と灌漑農地のおかげで農耕民と牧畜民は豊富な余剰食糧により快適な暮らしが送れた。


5800年前~5000年前(BC3800年~BC3000年):不安定な気候

 BC3800年ごろ、気候が急に乾燥してきた。これは西南アジアと東地中海地域に1000年以上にわたって多大な影響をおよぼした傾向だった。日射率、つまり地表に入ってくる太陽光の割合は世界各地で減少した。西南アジアから、遠くはカリフォルニアまで、放射性炭素年代測定をした樹木年輪や湖底コアにはっきりと記録された現象だ。メソポタミアの気候も不安定になった。BC3200年~BC3000年までの2世紀間には急激な乾燥化と寒冷化が起こった。

 エジプト古王国時代(BC2686年~BC2125年)のナイル川の洪水記録によると、BC4000年以降、サハラ砂漠を襲った深刻な乾燥化の一環でナイルの洪水は勢いが衰えていた。BC3000年からBC2900年には、それ以前の時代と比べて増水時の水位は1メートルも低くなり、流量は3分の2ほどに減少していた、


5000年前(BC3000年)~現在:気候および火山活動・地震など地学的に比較的安定した状態

 そしてBC5800年の最温暖期を経て農耕が発展し、BC3800年ごろの気候温暖期の終了は都市文明誕生の重要な契機となった。間氷期としての完新世はすでにBC3800年に温暖で乾燥した前半を終了し、冷涼化と湿潤化が顕著となる後半に突入した。現在、地球は確実に氷期に向かって進行しており、間氷期の後半に入り変動の幅がより大きくなっている。とはいえ、BC3000年以前に比べれば、現代の穏やかな時期はちょっとした幸運でしかないことに気がつく。しかし、最近の人間による化石燃料の使用や森林破壊による二酸化炭素の増加によって、その変動幅をより大きくしている可能性がある。


 ***


 20世紀を通じて、気候の変化、種の進化、造山活動、河川による谷の形成といったそれぞれの過程はいずれも互いに異なったものとして理解されてきた。しかし、その根拠は同じ試料から出てきたのであり、同じ人びとの手で発掘され、同じ原則に従ってその時々に解釈されてきた。地球科学の中心には地質年代の概念がある。それは何百年という単位でさまざまな事象を評価する尺度であり、地質学的な変化の度合いを決める一つの仮定である。


 現在、気候変動の証拠を見出す主な科学的手法としては、湖沼堆積物の花粉分析、海底堆積物のプランクトン分析、樹木の年輪年代法、炭素14法(放射性炭素年代測定法)、酸素同位体比率による気温分析、極地氷床コアの成分分析などがある。極地氷床コアの成分分析はGreenland Ice Core(BC4万年~現在)である。これらの方法による分析結果により、過去の急激な気候変動の痕跡を見出すことができた。それはまったく予測もつかない速いペースで気温と降水パターンが変わり、気候が変動する様子だった。


 氷河時代は太陽をめぐる地球の軌道と関連する。まず地球の軌道パラメーターに変化が起きて、氷期が終わるきっかけができる。続いて温室効果ガスが増加して弱い軌道変更信号を増幅させる。移行が進むにつれて北半球で巨大な氷床が急速に溶けて日射反射率が減少し、それが地球温暖化の割合を増大させる。気候の急変動は、大気循環、氷床の前進・後退、海洋の流れ、この3つの密接な相互作用によって引き起こされる。これらのことはわかったが、気候システム全体の動きを理解するには、まだ長い道のりがある。


 地球はその公転軌道の変化により、過去100万年で8回、およそ10万年の氷期と1万年の間氷期を繰り返している。15万年前の地球はリス氷河期の末期で現在より10度近く低かった。13万年前ごろに温暖化が始まり、熱帯アフリカでは降雨量が増えた。およそ12万年前に気温変動を繰り返しながら冷え込みが始まり、7万年前以降には気温の急変動が増加した。このパターンがその後5万年間続き、2万1000年前ごろに最も気温が低くなった。アフリカで乾燥が進むと、東アフリカのサバンナは海岸のごく狭い地帯を除いてすべてステップと砂漠に変わった。沿岸部の人びとは集団を形成し、近くに住む陸生動物だけでなく、海の食料資源も活用するようになった。

 最後の氷期が到来したのは2万年前で、この時代アフリカの熱帯雨林はほとんど消滅して北部は砂漠、南部は草原となっている。そして1万4000年前に最後の氷期が終わり、その後に晩氷期と呼ばれるヤンガードリアス期(1万2800年前~1万1500年前)はあったが、1万年前には農耕が始まり新石器時代を迎え、農耕牧畜が開始された。

 5000年前ごろから都市や国家を中心とした文明形成の時代を迎える。そのときに文明形成が容易だったのが乾燥地域であった。なぜなら、乾燥地域には移動を妨げる森が存在しないうえに、長距離の交易を支えるラクダやロバ、ウマなどの運搬・移動手段としての大型家畜が存在したからである。これに対して湿潤な森林地帯は同じ面積で比較すれば、食糧生産量は乾燥地よりも大きく、狭い地域で自給自足できるから交易の必要性は少ない。また大型家畜も森林地帯には存在せず、各地域が孤立しがちで、交易の発展も政治的支配の拡大も困難であった。しかし、草原の拡がる乾燥地では、樹木を切り倒さなければ畑や牧地を広げることのできない森林地帯よりもはるかに容易に生産地を広げることができた。そのうえに乾燥地河川の恵みもあった。乾燥地河川は流量が激しく変化する季節河川である。洪水期には洪水が流域を覆うが、渇水期にはその水が引き、流域には広大な氾濫原が形成されやすい。そこは自然灌漑の適地であり、人口灌漑施設の整備も容易である。そのような乾燥地河川の氾濫原は生産性の高い農業地にも牧草地にもなり得た。そのうえ漁業資源もあり、船運もあった。

 但し、すべての乾燥地帯に運搬移動手段となり得る大型家畜がいたわけではない。オーストラリアの砂漠に家畜はいなかった。アメリカ大陸の場合も南米にリャマがごく少数いただけである。アフリカ大陸南部の乾燥地帯にもラクダやウマがいなかったし、ロバの分布も限られていた。その点で優位だったのがアフロ・ユーラシア大陸中央部に横たわる乾燥地域である。アフリカのサハラ砂漠からユーラシア東北のモンゴルの草原地帯までが大きく言えば一続きの乾燥地帯を形成している。家畜に頼った古代の内陸交易網の中心はこのアフロ・ユーラシア乾燥地帯である。その乾燥地の巨大河川流域に高度の人口集中や都市形成が見られたが、それはこの内陸交通網の結節点として位置付けられる。歴史政体構造的には、その乾燥地帯を文明のエンジンとして周辺の湿潤な比較的落葉樹の多い森林地帯へ文明が伝播していったと考えられる。そこは野生動物も豊富で金属器などの道具さえあれば開発が容易な森であった。


 干ばつによる深刻な水不足などの環境条件が悪化すると、畑作牧畜民は水を求めて移動する。そして次に起こるのは水をめぐる戦争である。人間は水がなければ生きてはいけないため、人びとは死に物狂いで移動する。都市文明が誕生したり、科学革命によって近代ヨーロッパ文明が誕生したりするような新たな文明の創造期はいつも急激な寒冷化と乾燥化の時期に引き起こされている。

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