第11話 【地理的名称】

<西アジア>

 アジア西部を指す地理区分で、一般的には、中央アジアおよび南アジアより西、地中海より東で、ヨーロッパとはボスポラス海峡、アフリカとはスエズ運河によって隔てられている地域を指す。


メソポタミア:ほぼ現在のイラク全域。

・メソポタミア南部:ティグリス川とユーフラテス川とが互いに最も接近している現在のバクダードから、ペルシャ湾に到るまでの地域。バビロニアとも呼ばれる。

・メソポタミア中部:ユーフラテス川中流域にあるマリは中部メソポタミアに位置する。そこから現在のバグダード辺りまでがメソポタミア中部となる。

・メソポタミア北部:アッシリアの本拠地があるティグリス川上流域にあるアッシュール、ニネヴェはメソポタミア北部にあたる。現在のモスルはその中心に位置する。

・バビロニア:シュメールとアッカドを併せたメソポタミア南部地域。バビロン第1王朝(古バビロニア)の成立以降、バビロニアと呼ばれる。


イラン:ほぼ現在のイラン全域。メソポタミアの北西部に位置するザグロス山脈からその北西部全域はイラン高原となる。


アナトリア:現在のトルコのアジア地域のこと。狭義ではエーゲ海に面した西部沿岸地域は除かれる。そこは小アジアと呼ばれる。本編では狭義の地域を採用する。


小アジア:アナトリアの西部から中央部までの地域で、黒海と地中海に挟まれた半島部。狭義ではエーゲ海に面したアナトリアの西部沿岸地域。本編では狭義の地域を採用する。


レヴァント:メソポタミアとエジプトとの中間にある地中海東岸とその周辺地域、現在のシリア・レバノン・イスラエル、パレスティナ、ヨルダンを指す総称的な地理概念。

・カナン:レヴァント地方の人びとは、BC1200年以前まではカナン人と呼ばれていた。BC1200年以降はヨルダン川と地中海の間の地域に限定される。

・シリア:ほぼ現在のシリア。ウガリト、アレッポはシリアに位置する。

・パレスティナ:ほぼ現在のレバノン・イスラエル、パレスティナ、ヨルダン。

・フェニキア:パレスティナの北部地域。現在のレバノンの領域より少し拡大した地域で、フェニキア人と呼ばれるようになるのは、フェニキアが勃興したBC11世紀以降のことである。


カフカス:黒海とカスピ海に挟まれたカフカス(コーカサス)山脈と、それを取り囲む低地から成る地域。コーカサスともいう。


<西南アジア>

 農業発祥のレヴァント地方とメソポタミア地方を合わせた「肥沃な三日月地帯」を中心とした地域を指す。西アジアよりやや狭い地域で文明発祥の地でもある。


[肥沃な三日月地帯]

 肥沃な三日月地帯はヨルダン渓谷から北へ、シリアを抜けてトルコ東南部に到り、そこから東へ折れ、イラク北部をかすめてさらに東南に走り、イラン西部のザクロス山麓まで達するちょうど三日月を伏せたような形の土地をいう。1920年代にシカゴ大学のエジプト学者ヘンリー・ブレステッドが西南アジアの大きな弓上の一帯に名づけた。その一方の端はナイル流域にあり、もう一端はメソポタミア南部のティグリス・ユーフラテス両河の先まで続く。


<中東(中近東)>

 中東はインド以西の西アジアと北東アフリカ(主にエジプト)を含む地域を指す。西アジアとの違いは、北東アフリカを含むか含まないかの違いである。中近東ともいう。


[古代オリエント]

「オリエント」とは「日が昇る方角」を意味するラテン語からきた言葉で、古代ローマから見て東方にある世界を意味する。現在のシリア・レバノン・イスラエル・ヨルダン・イラク・イランなどの西アジアを中心として、小アジアとも呼ばれる現在のトルコのアジア地域や北アフリカのエジプトも含めた地域をさす。現在、「オリエント」という言葉は中東から日本まで全アジア地域を含む意味で使用されている場合が多いので、混乱を避けるため本編では使用しない。


<エジプト>

・上エジプトと下エジプト:

 上エジプトと下エジプトを併せると、ほぼ現在のエジプト全域。南部のナイル河谷(かこく)地帯は上エジプト、北部のデルタ地帯は下エジプトと呼ばれている。河谷とは川によって浸食された谷のことである。上エジプトはナイル川の上流地域で、下エジプトはナイル川の下流のデルタ地帯になる。メンフィスは下エジプトに属するから、その境界はメンフィスの南方付近となる。

・中エジプト(古代では上エジプトに属する):

 南から流れてきたナイル川は、そのアシュートまでは比較的狭い緑地帯が続くが、その先で、ナイル川から支流バハル・ユーセフ(ヨセフの水路の意)が分かれて本流と並行に進む。バハル・ユーセフはベニ・スエフまで来ると西に流れを変えて砂漠に入り、低地に流れ込んで湖となり、ファイユーム地方の広い緑地帯を作りだす。河谷地帯で流れがバハル・ユーセフとナイル川の2本になる地域は、耕作可能な平野が最大で幅30キロにまで拡がり、河谷地帯の幅の狭い上エジプトと区別して、中エジプトと呼ばれるが、それは近年になってからのことで、古代では上エジプトに属する。


<ヌビア>

 ほぼ現在のスーダン全域。上エジプトとヌビアの境界はアスワンの南に位置する第1急湍きゅうたんになる。ナイル川はこの上流いくつもの岩だらけの細い水路に分岐して航行が困難になり、南北間の交流が極めて難しくなっているからである。


<ギリシャ>

・ギリシャ本土:南部の半島部と北部のマケドニアから成る。

・クレタ島:エーゲ海の南端に位置するギリシャ最大の島。

・エーゲ海:代表的な多島海であり、多くの島々がある。

・イオニア海:ギリシャ半島とイタリア半島南部の間に広がる海。


<地中海世界>

・クレタ島やキプロス島、エーゲ海、ギリシャ本土、小アジア、フェニキアなどの東地中海地域

・イタリア半島、シチリア島、イベリア半島、そして北アフリカのチュニジアにあったカルタゴなどの西地中海地域


<ユーラシア・ステップ(ユーラシア草原地帯)>

 ユーラシア・ステップはハンガリー平原から内モンゴルの長城地帯まで東西8000キロにわたって連続した幅広い帯となって広がる。ここは場所によっては山脈が迫って狭い回廊となっている。その結果、概ね3つの主要な地域に分けられる。北はタイガ、すなわち針葉樹の森がうっそうと茂る一帯の寒い気候帯に、南は一連の砂漠に挟まれている広大な草原地帯だ。ユーラシアではこの生態ゾーンはステップと呼ばれ、北アメリカのプレーリーと同じ緯度帯にある。

・西部あるいはポントス・カスピ海ステップ:

 カルパティア山脈とドナウ川河口から、南側は黒海とカフカス(コーカサス)山脈と接しながら、ウラル山脈がカスピ海とアラル海まで数百キロの距離になる辺りまで続く。ハンガリー大平原はカルパティア山脈によってステップ地帯から分断され西部の孤立した草原となっている。現在のウクライナとロシアの南部に相当する黒海とカスピ海の北にある草原であり、ポントス・カスピ海ステップとしても知られている、東から西へウラル川、ヴォルガ川、ドン川、ドネツ川、ドニエプル川下流域である。

・中央あるいはカザフ・ステップ:

 現在のカザフスタンとキルギスタンから成り、中央アジア北部のことを漠然と指す。ウラル山脈から天山山脈、アルタイ山脈まで続き、その途中にシルクロードの北部ルートが通過した阿拉山口あらさんこうがある。

・東部ステップ:

 東部のステップはアルタイ山脈の南に位置するジュンガル盆地からモンゴルまでゴビ砂漠の北端沿いに拡がり、最終的には太平洋岸にある森林に到達する。

・北カフカス(コーカサス)・ステップ:

 カフカスの北にあるステップ。


<中央アジア南部>

 中央アジアの南方のバクトリアとマルギアナは、イラン高原の北からアムダリヤ川流域までとなる。

・マルギアナは、現在のトルクメニスタンとウズベキスタン南部にあたる。

・バクトリアは、現在のアフガニスタン北部とタジキスタンにあたる。


<東トルキスタン>

 主として現在の中国の新疆ウイグル自治区で、山脈によって北のジュンガル盆地と南のタリム盆地に分かれる。


<インド>

 ほぼ現在のパキスタンとインド全域、バングラディッシュを含む。インドは亜大陸と呼ばれるようにヨーロッパとほぼ同じ面積を持ち、南アジアの北部を限り、他の地域との分水嶺ともなっているヒマラヤ山脈を中心とする世界最高峰の山脈、およびそれに連なる西部と東部の南北方向の山脈があり、それらの山脈に囲まれる南側の広大な地域は気候や地形によって南北二つの地域に分けることができる。

・北インドは、インダス川とガンジス川流域の豊かな耕作地、そして砂漠や乾燥した平原。 

・南インドは、森林に覆われたデカン高原が広がっている。


<東アジアの中国>

 現在の中国は、東西が5200キロ、約960万平方キロにおよぶその国土は地球上の陸地面積の15分の1を占める広大さである。こうした広大な国土は気候も性質も違う地域で構成されている。なかでも北部の華北と南部の華南とでは大きな違いが見られる。夏の華北は焼けつくような乾燥した暑さだが、華南は蒸し暑く、頻繁に洪水に見舞われる。冬の華北は砂塵が吹きつける不毛の地だが、華南は常に緑で覆われている。さらに中国の内陸部は山や川によって幾つにも分断されている。特に大きいのは国土を西から東へと横断する3つの大河、黄河、長江(揚子江)、西江である。

・華北:

 華北の文明を育んだのは、長江に次ぐ中国第2の大河黄河だった。青海省に源を発し、内モンゴルをぐるりと囲むように流れる黄河は、その後平野部に達し、華北の大地を潤していく。この大河によって大量の泥が流域へ運ばれ、簡単に耕せるその肥沃な土壌が、新石器時代のBC8000年ごろに中国で初めての農業、アワやキビなどの雑穀栽培を生むことになった。国境線が破られるのは、黄河が内モンゴルから華北へと流れ込んでくる地域だけである。華北の社会に刺激を与えていたのは、モンゴルや中央アジアという外の世界からの影響だった。

・華南:

 黄河文明の誕生とほぼ同じころ、華南の長江中・下流域でも野生イネの栽培化が始まり、いくつかの定住性農耕社会が出現している。

・西部:

 中国の西部の大部分は山岳地帯で、内陸部の国境線は大きな山脈や高原をいくつもまたいでいる。そのような高地を通る国境線が、この国を外部から隔離する役割を果たしてきた。

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