第7話 認知革命

 過去10万年の気候について、グリーンランドの万年氷の堆積物(氷床コア)と北大西洋海底の堆積物(海底コア)の分析により、氷期とは単に寒いだけでなく、気候が激変していた時代であることがわかってきた。数百年間で10℃以上も気温が上下する変動が何度も起きている。人類が知性を顕在化させたのはおよそ7万年前、最終氷期の前半である。気候が激変した時代にあって、人類は生き残るために知性を発達させた、あるいは発達させねばならなかったと考えられる。恐竜は2億年近く地上で繁栄していたのになぜ知性を発達させなかったのかという疑問に対する答えは、知性を発達させる必要がなかったからだ。人類が直面したような生きのびるために知性を必要とする気候激変の連続という環境的圧力は中生代(2億5260万年前~6600万年前)には存在しなかった。


 我々は他の大型類人猿、ゴリラやチンパンジーなどと多くを共有している。彼らと同じような遺伝的特徴、大差ない生理機能、文化の学習や交換を可能にする高度な認知能力、狩猟採集生活、それでも我々はただの大型類人猿ではない。直立二足歩行、道具の製作・使用のような行動パターンなど重要な違いがいくつかあるが、本質的な違いは文学や芸術を生み出す「認知」にある。

 現代人に特有の文化的側面は2つある、宗教と物語だ。これら2つは人類にしか見られない。それはこれら2つの活動の実践と伝達に言語が欠かせないからであり、それが可能なほど精巧な言語を持つのは人類しかいないからだ。宗教と物語のどちらも心の中にある仮想の世界に身を委ねることを必要とする。それは日常世界とは異なる別世界の存在を想像できなければ成り立たない。現実世界から距離を置き、心を解き放たなければならないのだ。こうした特殊な認知行動は進化の些細な副産物ではなく、人類の進化において基本的な役割を果たしてきた能力である。さらに音楽の社会的役割がある。伝統的な社会では音楽を作り、歌い、踊ることは互いに分かちがたく結びついていて、極めて重要な役割を持っていた。こうした文化活動を支えるのは我々の大きな脳、特に前頭葉である。過去700万年という長い時間をかけてヒト科の脳の大きさは一貫して増え、類人猿に近いアウストラロピテクスの時代の脳から現生人類の脳までで3倍になった。一般的に霊長類の脳が進化する原動力となったのは、複雑な社会性の進化だったと考えられている。生態学的な創意工夫などにも脳の大きさと相関を持つものがあるが、これらの側面は大きな脳が進化した原因というよりは結果だ。

 しかし、脳はその成長と維持に極めて高いコストがかかる。成人の脳は毎日の総摂取エネルギーの約20%を必要とするのに対し、体重比にして2%を占めるに過ぎない。ということは、脳のエネルギーをまかなうのに十分な食べ物を手に入れる効率のよい食べ物探し戦略が、大きな脳を進化させる種の重要な制限条件となる。人類の前頭前野は衝動的な反応を抑制する能力と関連していて、今すぐ報酬を得るのではなく、先延ばしするのを可能にする。これは他の種に比べて人類が得意とするところだ。このような能力は結束した大きな社会集団の形成に欠かせない。集団の中で全員が公平な報酬を受け取るためには、各自がすぐに自分の欲望を満たすのを差し控えるのが前提となるからだ。前頭葉が大きな種はこうした衝動を抑制することができる。

 言語はなぜ進化したのか? 言語は人類が外界に関する情報をやり取りするため、また社会的絆を深めるためという2つの説がある。どちらの説も言語の文法構造が情報の交換ができるようにデザインされているという点では一致する。ネアンデルタール人が絶滅し、現生人類が生き残った要因は多々考えられるが、言語や社会的コミュニケーションの複雑さ、文化的な創造力、交易ネットワークによる協力体制といった認知能力を根幹とする共同体の質と規模の違いが大きいのではないだろうか。このことは今日まで続く我々人間とその社会の核心とは何かを改めて教えてくれる。


 1770年代という早い時期に、言語の獲得が人類を下等な動物から引き離した重要な特徴であると述べて、スコットランドの裁判官ジェームズ・バーネットは進化の概念を予想した。それ以来、数え切れないほどの思想家が検討を重ね、さらに近年になると、言語学からゲノム革命や神経生物学にいたるまでの数多くの科学分野でこの問題に関する多くの情報が蓄積された。人間は多くの面で身体的にも認知的にも独特である。他に類を見ないその情報処理の方法が、何にも増して我々を他の生物とは異なるものとして区別する要因であることは疑いようもない。我々が今日享受している類の特別な繁栄の秘密は、脳が情報を扱う並外れた方法にある。

 我々の祖先は、さまざまな情報を処理して伝達する非象徴的かつ非言語的なやり方から、今日享受している象徴的かつ言語的状況へと想像を絶するほどの変化を遂げた。それは人類の歴史に前例のない認知状態の質的な飛躍である。その時期は、我々の種であるホモ・サピエンス(現生人類)がヒト科としては独特な形態を30万年前に獲得してからずいぶんと後の7万年前だった。この年代差は、予期せず必要に迫られ、既存の形質を「機能転用」したからで、これを進化学者は「外適用」と呼ぶ。特定の機能のためや他の機能に付随して進化した身体構造を全く別の新しい使い方をする現象である。

 それは、物事を想像し、周りの環境にさまざまな方法で働きかけ、周囲の自然の中にある規則性、すなわち季節、潮の満ち引き、月の周期、毎年の植物のサイクルに思いを巡らせる人類の出現だった。同時期の他の人類種にも創造力の兆候が多少見られるが、現生人類ほど爆発的ではなかった。現生人類は、厳しい自然の現実をそのまま漫然と受け入れるのをやめ、頭の中に思い描いた世界を実際に作りだす術を会得したかのようだった。


 約7万年前から3万年前にかけて、現生人類は舟やランプ、弓矢、針を発明した。芸術と呼んで差支えない最初の品々もこの時期にさかのぼるし、宗教や交易、社会階層化も始まった。これらは現生人類の認知能力に起こった革命の産物と考えられている。この新しい思考と、新しい種類の言語を使った意思疎通の方法の登場のことを「認知革命」という。その原因は遺伝子の突然変異により脳内の配線が変わり、「機能転用」できたからと推測されている。


 この新しい言語のいったいどこがそれほど特別なのか? その答えは、その言語は驚くほど柔軟であるというものだ。我々は限られた数の音声や記号をつなげて、それぞれ異なる意味を持った文をいくらでも生みだせる。そのおかげで周囲の世界についての膨大な量の情報を収集し、保存し、伝えることができる。しかし、真に比類のない特徴は、虚構、すなわち架空の事物について語る能力である。伝説や神話、神々、宗教は「認知革命」に伴って初めて現れた。虚構はなぜ重要なのか? それは単に物事を想像するだけでなく、集団でそうできるようになったからだ。神話や宗教を信じることで、無数の赤の他人と柔軟な形で協力できる。だからこそ、現生人類が世界を支配することができた。言語こそ文化革新の中心であり、そのおかげで現生人類の行動様式や象徴的知性が芽生え、見知らぬ土地へ進出して定住できる能力が養われたのだ。


[虚構と社会集団]

 先史時代の狩猟採集民は、霊長類と同様に同心円状に重なる階層構造を持つ社会集団を形成する。家族または移動生活を共にする集団(バンド(Band)、数十人の野営集団)、共同体(クラン(Clan)、百数十人)、やや大きめの共同体(メガバンド(Megaband)、千人弱)、民族・言語的集団(トライブ(tribe)、数千人)のように拡大する組織である。

 社会脳仮説は現生人類の自然な共同体の規模として約150人を予測している。では、人間はどのようにして150人という限界を乗り越え、何万もの住民から成る都市や、何億もの民を支配する帝国を最終的に築いたのだろうか? その秘密はおそらく虚構の登場にある。近代国家にせよ、中世の教会組織にせよ、古代の都市にせよ、太古の部族にせよ、人間の大規模な協力体制は何であれ、人びとの集合的想像の中にのみ存在する共通の神話に根ざしている。想像してみてほしい、もし我々が川や木やライオンのように、本当に存在するものについてしか話せなかったとしたら、国家や教会、法制度を創立するのはどれほど難しかったことか。想像上の現実は嘘とは違い、誰もがその存在を信じているもので、その共有信念が存続する限り、その想像上の現実は社会の中で力を振るい続ける。一般に遺伝子の突然変異なしには、社会的行動の重大な変化は起こりえないのである。


[象徴的活動]

 人間の定義は象徴的な活動を行う動物と定義される。その活動とは、言語・芸術・神話・宗教・物語・哲学・風俗・時事など目に見える形で表現され、後世に残されたものである。例えば、貝殻から作られたビーズのネックレス、粘土質の塊に描かれた網目状の模様、柄が付いた銛などの骨器、細石刃、顔料で絵を描く、計画的に物事を考え実行・製作する、物に名前を付ける、などである。


[言語、発話、象徴化の思考の獲得]

 ヒト型のFOXP2と呼ばれる遺伝子が言語能力と密接に関わっていると突き止められている。ネアンデルタール人も正常なヒト型FOXP2遺伝子を持っていることが判明している。実は、ヒトの通常の言語と発話に影響をおよぼす遺伝子はたくさんあり、しかもそれらすべてがそれなりに機能しているのだ。言語に対応する単一の遺伝子があるという考えは幻想に過ぎない。ネアンデルタール人が持っていたものは言語の必要条件の一つではあるが、それだけでは十分ではない。我々の新しい認知能力が非常に複雑な遺伝子の偶然の副産物として獲得され、結果的に特異な存在としてホモ・サピエンス(現生人類)をもたらしたという説が有力である。この見解によれば、ホモ・サピエンスの種に象徴化の思考を行わせるようになった神経要素の追加は、30万年ほど前の解剖学的な現代人を生んだ発達の再編における受身的な結果の単なる一つだった。それが作りだした新たな可能性は、持主によってその象徴化の潜在能力が発見されるまで途方もなく長い間眠っていたのだ。後に非常に重要だとわかる新しい能力の獲得と、その持主がそれを利用するようになるまでの時間差は、実際の生物の進化史では極めて一般的な例である。ホモ・サピエンスの場合には、見つからないままそこに潜んでいたらしい象徴化の思考の可能性が、明らかに文化的な刺激によって放たれた。つまり、生物学的な構造はすでにそこにあったのである。その生物学的構造には、言葉を生成して抹消の発声器官に発話の支持を出す大脳の潜在能力だけでなく、そうした抹消の発生器官そのものも含まれる。具体的には人類の喉頭の低い位置が重要となる。喉頭の位置が低ければ低いほど、喉の筋肉によって操作できるその上の空気の通り道である咽頭が長くなり、気柱を振動させて音として聞こえる周波数を出すことができるようになる。言語、発話、象徴化の思考が解剖学的ホモ・サピエンスの出現と同時に生まれたかどうかについてはまだよくわかっていない。象徴化をまだ身に着けていなかったと思われる早期のホモ・サピエンスのレヴァント地方への進出は長続きしなかった。ホモ・サピエンスによる急速な世界征服は象徴化の行動パターンが出現するまで待たなければならなかった。言語は究極の象徴化活動といっても過言ではない。

 この重大な革新がアフリカで起きたことは、世界中の話し言葉で用いられている音に関する最近の研究によって裏づけられている。例えば、個々の音を作っている構成要素である「音素」の数は、アフリカから離れれば離れるほど少なくなる。アフリカの極めて古い、舌打ちするような「吸着音(クリック)」言語のいくつかには100を超える音素がある。英語では45個だが、地球上で最後に人間が植民した土地の一つであるハワイではたったの13個しかない。これは集団遺伝学ではよく知られている事象で、子集団が増えるたびにボトルネック効果の影響で遺伝子の多様性が失われていくのである。遺伝子と音素のパターンは同じであり、双方がアフリカ起源を指し示している。その音素分析の収束点はアフリカ南西部にあることを示唆している。これらのことから、現代のホモ・サピエンス、すなわち現生人類はある1ヶ所で誕生しただけでなく、言語についても同じようにある1ヶ所で誕生したということが言える。


[洞窟壁画]

 人類が北アフリカから中東のレヴァント地方経由でユーラシア全域に拡散し始めたのは5万年前ごろで、その頃から人は世界のいたるところで興味深い装飾的な模様を描き、装身具を作り、同じ世界に棲む動物の図像を製作し始めた。彼らが作っていたものは、世の中を物理的に変えるためのものというよりも、そこに見られる秩序とパターンを探求するものだった。要するに、彼らは芸術を生み出していたのだ。

 4万5000年~4万年前ごろヨーロッパでは、象徴を理解し抽象的思考ができるようになった人類の知性が、具体的な形となって開化する。その始まりは見事な洞窟壁画だった。例えば、およそ3万2000年前のドイツのシュターデル洞窟で発見されたマンモスの象牙彫りの「ライオン人間」の像で、体は人間だが、頭部はホラアナライオンになっている。これは芸術作品と言えるもののうち最初期の例であり、おそらく宗教的な意味も持ち、実際には存在しないものを想像する人類の心の能力を裏付ける。また、ショーヴェ(3万6000年前)、ラスコー(1万7000年前)、アルタミラ(1万5500年~1万3500年前)の洞窟にある驚くほど躍動的な動物壁画も有名である。その後、装飾品、儀式的埋葬、などが生まれた。


 ***


(認知革命後の人類)


 人類が発明した想像上の現実の計り知れない多様性と、そこから生じた行動パターンの多様性は、ともに我々が文化と呼ぶものの主要な構成要素である。いったん登場した文化は決して変化と発展をやめなかった。こうした止めようのない変化のことを歴史と呼ぶ。したがって、「認知革命」は歴史が生物学から独立を宣言した時点だ。「認知革命」までは、すべての人類種の行為は生物学の領域に属していた。「認知革命」以降は、人類の発展を説明する主要な手段として、歴史的な物語が生物学の理論に取って代わる。我々とチンパンジーとの真の違いは、多数の個体や家族、集団を結びつける神話という接着剤だ。この接着剤こそが我々を万物の支配者に仕立てたのである。

 7万年前の「認知革命」以前には、すべての人類種(ホモ・サピエンス・ネアンデルタール人・その他)はアフロ・ユーラシア(アフリカとユーラシア)大陸で暮らしていた。陸に近い島のいくつかには住み着いたが、アメリカとオーストアリアの両大陸や、日本・台湾・マダガスカル・ニュージーランド・ハワイといった遠い島々には到達していなかった。海という障壁は人類ばかりでなく、他の動植物の多くがこの「外界」に行きつくのを妨げていた。しかし、人類は「認知革命」後、アフロ・ユーラシア大陸から抜け出して、「外界」に移住するのに必要な技術や組織力、ことによると先見の明さえも獲得した。

 人類の最初の成果は、5万年前ごろのオーストラリア大陸への移住である。インドネシアの島々に住んでいた人類が初めて海洋社会を発達させた。彼らは大洋を航海できる船の造り方や操り方を編み出し、遠方に出かけて漁や交易、探検を行うようになった。これによって、人類の能力と生活様式に前代未聞の変化がもたらされた。狩猟採集民が初めてオーストラリア大陸に足を踏み入れたときは、人類が特定の陸塊で食物連鎖の頂点にたった瞬間であり、それ以降、人類は地球という惑星の歴史上で最も危険な種となった。彼らが前進するにつれ遭遇した奇妙な世界には未知の生き物が暮らしていた、巨大な有袋類たちである。その後数千年のうちに、これらの巨大な生き物はすべて姿を消した。体重が50キロ以上あるオーストラリア大陸の動物種24種のうち、23種が絶滅し、それより小さい種も多数消えた。オーストラリアの生態系全般にわたって、食物連鎖が断ち切られ、配列替えが行われた。その後、同様なことはニュージーランドの大型動物、北極海にあるウランゲリ島のマンモス、そして南北アメリカ大陸でも起こった。

 アメリカ大陸への最初の移住は1万6000年前ごろに行われ、その後およそ1000年で南アメリカ南端まで進出した。人類が進出する前のアメリカ大陸の動物相は今日よりもはるかに豊かだった。しかし人類が進出してから2000年以内に、こうした珍しい種の大半が姿を消した。北アメリカは大型哺乳類47属のうち34属を、南アメリカは60属のうち50属を失った。3000万年以上にわたって栄えてきたサーベルタイガーは姿を消し、体重が最大で8トン・身長が6メートルに達するオオナマケモノも、巨大なアメリカライオンも、アメリカ原産のウマやラクダも、巨大なげっ歯類も、マンモスもいなくなった。何千種というもっと小さい哺乳類や爬虫類、鳥類、さらには昆虫や寄生虫さえもが絶滅した。

 7万年前ごろに歴史を始動させた「認知革命」のころの地球には、体重が50キロを超える大型の陸上哺乳動物がおよそ200属生息していた。それが1万2000年前ごろに歴史の流れを加速させた「農業革命」のころには、100属ほどしか残っていなかった。人類は、車輪や文字、鉄器を発明するはるか以前に、地球の大型動物のおよそ半数を絶滅に追い込んだ。人類はあらゆる生物のうちで最も危険な種である。

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