第5話 DNAからみた現生人類(ホモ・サピエンス)への進化
分子生物学とコンピューター技術の進歩によって今や「ゲノム時代」という新たな科学時代に入っている。ゲノム革命では、ミトコンドリアDNAのような小さなDNAの一片ではなく、一度にゲノム全体を解析することによって人類の過去についての数々の発見が可能になった。生命の多様性を目の当たりにすると、進化生物学者はその相互関係を樹木に例えたくなるものらしい。ところが現生人類集団の相互関係を考える場合には、ゲノム革命を受けて樹木に例えるのは危険になっている。
ゲノム革命以前、現在我々が目にする集団は、遠い昔の分岐を反映しているのだと思い込んでいた。ところが実は、現代の大きな集団自体が、過去に存在した非常に異なる集団の混じり合いでできたものだった。東アジア人、南アジア人、西アフリカ人、南アフリカ人、ヨーロッパ人、みなそうだ。人類の過去には1本の幹のような集団は存在しない。ずっと混じり合いが続いていたのだ。ゲノム革命は、過去のついての我々の思い込みを次々に打ち砕いている。
ゲノム革命が圧倒的な成功を収めているのは、ヒトの生物学的特性を説明するというより、ヒトの移住を明らかにする分野だ。2015年以降、古代DNAによって加速されたゲノム革命は誰も予想もしなかったほど、ヒトの集団が互いにつながり合っていることを明らかにした。それは多様な集団の大規模な混じり合いと、広範囲の集団置換と拡散に満ちた世界であり、驚きの物語である。ここでいう「ヒト」は現生人類を含めたホモ属のことを意味している。
現在、人類の進化の様子を知るために形態という研究者の主観に左右されかねない証拠でなく、ゲノムの塩基配列という体系的で客観的な証拠に基づいて生物種どうしの類縁関係を導けるようになった。2001年に初めてヒトゲノム、つまり現生人類のDNA全塩基配列が決定されて以来、ゲノムは医学臨床応用だけでなく、人類進化の起源、我々現代人の特徴、他の生物との進化上の関係に関する長年の疑問を探るのにも使われている。そして、今では化石から古代のDNAやゲノムを抽出して調べるための手法が存在し、何千年、何万年もの間地球上で我々と共存していた絶滅近縁種との関係について研究されている。2010年代に入って間違いなく最も重要なブレークスルーとなったのは、化石から古代のDNAを回収し、それを組み合わせて古代の絶滅近縁種の完全なゲノムを再現することによって、人類の過去に光が当てられたことだ。ネアンデルタール人とデニソワ人の古代のゲノムの解析によって、ヒトの進化の研究に突如として革命が起こり、進化史においてヒトの系統は他と隔絶した1本の枝であるという考え方が一掃された。現生人類はアフリカから拡がり、長い時間がかかったとはいえ、たった一度の非情ともいえる移住でユーラシアに住んでいた旧人類を駆逐したという、ほぼパラダイムとして信じられていた考え方は今は崩れている。ヒトのゲノムと過去の進化をより良く理解しようとする探求が続けられれば、ほぼ間違いなく我々が旧人類や他の高等動物と深く結びついていることがさまざまな形で明らかとなるだろう。チャールズ・ダーウィンが言ったように、「ヒトと高等動物との精神の違いは確かに大きいが、それはもちろん程度の問題であって質的な問題ではない」のだ。
我々は皆2人の親を持ち、親たちもまた2人の親を持ち、その前の親たちもすべてそれぞれ2人の親を持つ。このような作業を数千年遡り続け、世代ごとに2倍していけば、現在生きている80億に近い人間のほとんどがほんの一握りの人間、1つの村の住民に由来していることがわかる。
歴史は我々が記録に残した史料である。何千年もの間、我々は自分がどういう存在で、どのようにしてそうなったかを理解しようとして、過去と現在の物語を絵に描き、石などに刻み、粘土やパピルスなどに文書を記し、そして語ってきた。しかし文字記録は時を経るとともに消え、溶け、バラバラになってしまう。記録文書は風雨に雨風に洗い流され、虫や細菌に食べられ、あるいは破棄され、隠され、ときには修正されてしまう。歴史的な記録の客観性についてはこのような問題がある。しかし、今や我々の過去を読み解くもう一つの方法があり、我々の由来に脚光が浴びせられつつある、それがDNAである。
[DNA法]
1953年、フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンは、生命の秘密とも呼ばれるDNAの二重らせん構造を発見した。これにより、およそ100年前にチャールズ・ダーウィンが概要を示した進化説を理解するのに必要なメカニズムがついに明らかとなった。自然選択という概念に不可欠な要素である遺伝的多様性を説明できるメカニズムが判明したのだ。現在では、核DNAの分析により人類の移動や混血の割合を知ることができるようになった。
体内にあるほぼすべての細胞が持つDNAは生物の設計図であり、この設計図を「ゲノム」と呼ぶ。DNAは糖骨格(砂糖に似た成分)と核酸塩基(ヌクレオチド)が結合してできている。ヌクレオチドはDNA分子の4つの塩基から成り立っている。それは、A(アデニン)、C(シトシン)、G(グアニン)、T(チミン)と呼ばれる。重要なのはゲノムのある特定領域における塩基配列である。この配列が肌の色、身長、糖尿病にかかる可能性など身体的特徴を決定付ける。このごく一部の領域が「遺伝子」と呼ばれる。ヒトゲノム内に散らばる約60億個というヌクレオチドのうち、このような遺伝子の長さは一つが5千~5万ヌクレオチドほどで、総数で約3万の遺伝子がヒトゲノム内に点在している。遺伝子の伝達とは親のDNAをシャッフルしたトランプのようにコピーして子供に伝える「DNA複製」のことであり、ときには間違いが発生する、それが突然変異であり、これが進化に「多様性」をもたらす。突然変異の確率は約60億個というヌクレオチドのうち50くらいである。身体的な変化はすべて細胞の核内にある染色体を構成している遺伝情報を含む分子、すなわちDNAに絶え間なく起きている突然変異によってもたらされる。突然変異による些細な遺伝的変化が新しい適応型を生むことがあり、そうした変化が時には進化上有利になる場合がある。
父親と母親が子供のDNAを半分ずつ持ち寄り、遺伝的に全く新しい個体を作り上げるあげるため、遺伝子情報は混ざり合ってしまう。しかし、組み換えをせず原型のまま代々受け継がれるDNAは、人類の歴史を探る集団遺伝学にとって有用な道具となっている。人類の外見の多様性は、自然淘汰(自然選択)、遺伝的浮動(集団が小さければ、わずか数世代で遺伝子頻度が劇的に変動する可能性)、そして性淘汰(外見などによる性選択)によるものと考えられている。
2001年にはヒトゲノムのDNA全塩基配列の決定、さらに2006年にはDNA文字列を読む自動解析装置(シークエンサー)が発売されて解読コストが10万分の1になり、多くの人のゲノムのマッピングが安価にできるようになった。DNA配列に沿って化学反応が進行すると、A,C,G,Tのそれぞれについて異なる色の光が放射されるので、それを検出してコンピューターに取り込めば、配列をスキャンできる。さらにその後の10年の解析技術の飛躍的進歩によってヒトの生物学的側面をゲノム全体から捉えられるようになった。この新たな視点に立てば、人類集団の移住の歴史をこれまでより詳細に復元することができる。
<ゲノム>
体内にあるほぼすべての細胞が持つDNAは生物の設計図であり、この設計図を「ゲノム」と呼び、DNAの全塩基配列であり、二重らせん(二重鎖)に書き込まれている。らせんは約30億対、全部で60億個の化学的な構成単位であるヌクレオチド(A,C,T,G)の連なりからできている。この構成単位が遺伝暗号(コード)を綴る文字の役割を果たしている。ゲノムは23本の染色体から成り、人は両親からそれぞれ1組ずつ受け継いだ2組のゲノムを持つため、全部で46本の染色体を持っている。つまり、両親は我々に2組の染色体を提供し、シャッフルして混ぜ合わされたものから、これまで一度も存在したことがなく、これからも二度と現れない1組のゲノムが作りだされる。したがって、1個のヒト細胞に2組(父親由来と母親由来)のゲノムが含まれる。この過程は一人の人間が生まれるたびに起こり、この連鎖は途切れることはない。
<核DNA>
核DNA とは、1個のヒト細胞の中にある細胞核の内側に存在している染色体DNAやミトコンドリアDNA を含むすべてのDNAのことである。あらゆる細胞の核には2.2メートルの長さのDNAが23対の染色体に分かれて収納されている。核DNAからはヒトゲノム全体の塩基配列が決定できる。集団間での遺伝的差異として最も多く研究されているのはDNAのはしごを構成するヌクレオチド塩基(A,C,T,G)の個人差である。これを単一塩基多型(SNP)という。多型とは一つの種の個体間に存在する差異という意味。ランダムに選んだ2人を比較すると、1000塩基あたり約1個の割合でSNP、すなわち変異による差異が存在する。ヒトとチンパンジーとではその10倍の違いが存在する。 21世紀になってから単一塩基多型(SNP)を調査できるようになった。この方法では関心のある位置に照準を合わせられるので、全ゲノムのシークエンシングをするよりはるかにコストがかからない。核DNAは混血の割合や集団の成立時期などについてミトコンドリアDNAやY染色体より多くの情報を提供する。「核」とは細胞内の染色体が存在する部分をさす。
<染色体(XとY)>
1個のヒト細胞の中の核の一部である染色体はDNAを細長いひも状にまとめたもので、遺伝子を含んでいる。ヒトの細胞に存在する23対46本の染色体は、それぞれ父親と母親から受け継いだものがペアになっている。23番目が性染色体と呼ばれており、性を決定する。すべての染色体で約30億個の塩基対が並んでいる。男性はXY両方を持つが、女性はXのみでXXとなる。Y染色体の組み換えられていない領域には、父親から息子へ代々引き継がれるほぼ不変のDNA配列が含まれている。一方、X染色体は3分の2の確率で女性を経由し。3分の1の確率で男性を経由しながら代々受け継がれていく。これはその染色体の父親と母親からのコピーが女性の卵巣の中で組み換えを起すからで、卵子ができるときには平均しておよそ45の新しい組み換えが生じ、精子ができるときにはおよそ26の組み換えが生じるので、1世代につき合わせておよそ71の新しい組み換えが生じる。したがって、世代を過去へと遡るにつれ、その人の先祖のゲノム断片の数はどんどん増えていく。人のゲノムは46本の染色体DNAにミトコンドリアDNAを加えた47本のDNA鎖で構成されている。先祖のゲノムは1世代遡ると、47+71=118となるが、実際の先祖の数は倍々で増えるので、例えば、10世代遡ると、先祖から受け継いだDNA鎖の本数はおよそ757だが、先祖の数は1024人となり、DNAを全く受け継いでいない先祖がおよそ267人いることになる。さらに20世代遡れば、DNAを全く受け継いでいない先祖の数は、先祖から受け継いだ数のおよそ1000倍になる。つまり、1000人に1人の確立となってしまう。それ以上遡ると、ほとんど0に近くなる。
<ミトコンドリアDNA>
ミトコンドリアは各細胞にエネルギーを供給するための生化学的反応を引き起こす細胞の発電所である。ミトコンドリアDNAは、細胞核の外側に存在しているミトコンドリアに含まれるDNA(遺伝物質)で、ゲノムのほんの一部、約20万分の1に相当し、約1万6500のヌクレオチド塩基対が環状になった構造をしており、母親から娘、さらに孫娘へと、組み換えなしで母系の子孫へ伝えられる。これは、精子のミトコンドリアは受精卵には入らないため、個体の細胞に存在するミトコンドリアはすべて卵由来のものとなるからである。
<DNA>
デオキシリボ核酸と呼ばれるDNAは高分子(ポリマー)という化学物質の一種で、ヌクレオチドと呼ばれる反復サブユニットでできており、各個体の遺伝情報を含有した二重らせん構造の生体高分子である。それぞれのヌクレオチドには3つの構成部分がある。糖(デオキシリボーズ)、リン酸と言われる小さな原子の集団、そして4つのヌクレオチド塩基、アデニン、シトシン、チミン、グアニンから成り立っており、それぞれ頭文字の(A,C,T,G)で表される。DNAの構成要素である30億対のヌクレオチドは、はしご一段の半分である一つの塩基と、手すり部分の糖・リン酸から成り立っている。つまり、はしごの両側は糖とリン酸の長い鎖で、横木は塩基だ。ヌクレオチドが結合すると、DNAの特徴である二重らせんが形成される。
<遺伝子>
遺伝子とはDNAの一部分で、遺伝にかかわる最小の機能単位。人体にはおよそ2万個存在する。標準的には約1000のヌクレオチド塩基から構成されている。細胞内の仕事の大半をこなすタンパク質を組み立てるための暗号(コード)として用いられる。遺伝子と遺伝子の間には遺伝子暗号(コード)の役割をしていない部分があり、ジャンクDNAとよばれる。しかし、最近の研究からジャンクDNAの一部はコード遺伝子のスイッチを入れたり切ったりする重要な役割を担っていることがわかってきた。このDNAがDNAを管理するという仕組みは、なぜごくわずかのコード遺伝子が多くの仕事をこなせるかをひも解く鍵である。またこの役割分担は、なぜすべての生物のゲノムが驚くほど似ているかということの説明にもなる。ハエとヒトは基本的な遺伝子の3分の1を共有している。
<ハプログループ>
ミトコンドリア(母系)またはY染色体(男系)による遺伝子グループ。DNA配列に無作為に発生した突然変異である遺伝子マーカーによって、ハプログループが決まる。すべての人間は遺伝子のハプログループ、すなわち遺伝的系統または亜型に属している。遺伝子分析により、最古の共通祖先から始まる系統樹が確立され、源郷のアフリカから世界に広がった各系統の移動経路が推定できるようになった。
***
人類史の研究に遺伝学を応用して驚くべき成果を挙げた最初の例は、ミトコンドリアDNAの解析だった。1987年にアラン・ウィルソンと共同研究者たちが世界中の多様な人びとから採取したミトコンドリアDNAの数百の文字からなる配列を解読した。そしてこれらの文字列の中で変異による違いが生じている部位を基に人びとをグループ分けすることによって母系の系統樹を再現した。すると系統樹の一番古い枝、つまり幹から最初に枝分かれした枝に入るのはアフリカのサハラ以南の系統の人たちだけだった。これは現生人類(ホモ・サピエンス)の祖先がアフリカに住んでいたことを示唆する。対照的に現代の非アフリカ人はすべてそれより後で枝分かれした枝の子孫だった。この発見は考古学・遺伝学・骨格という各方面の証拠を統合する助けとなり重要な成果をもたらした。この統合によって、現生人類が過去10万年ほどアフリカに住んでいた祖先の子孫だとする説が裏付けられたのだ。さらに変異の既知の蓄積率に基づいて人類の系統樹のあらゆる枝の祖先である「ミトコンドリア・イヴ」がアフリカに生きていたのは16万年前ごろと推定された。但し、人間の変異が起こる割合には不確定要素が多いためこの推定値はあまり厳密なものではない。
ミトコンドリアDNAは核DNAに比べて変異速度が速いため、人類の過去の進化のうち現代に近い出来事に関する知見を得る上で役に立つが、それは遺伝的証拠の断片の一つにすぎないので、その意味を拡大解釈しないよう注意する必要がある。
母系遺伝子を伝えるミトコンドリアDNAや父系遺伝子を伝えるY染色体の系統樹はかなり最近に合着する、つまり二つの遺伝子の系統が一つになって共通の祖先遺伝子にたどり着くため、そこから人類の起源に関して知ることのできる事柄は極めて限られている。核DNAのあちこちに存在するもっとずっと古い遺伝子領域から得られつつある証拠によれば、人類が一つの種として出現したプロセスは、ミトコンドリアDNAやY染色体の証拠のみから明らかになるものよりもはるかに複雑だったらしい。しかし、ミトコンドリアDNAやY染色体は母系・父系のいずれかで受け継がれるため、過去に男女それぞれがどのように移動して来たかを理解する上で重要な役割を果たすことは事実である。
大半の科学者が関心を向けるのは遺伝子に含まれる生物学的な情報で、同じ情報に相当するDNA配列は基本的に同一だが、時には人によって違いも見られる。これはゲノムをコピーする際のランダムなエラーによるもので、変異と呼ばれるそうしたエラーが過去のどこかの時点で起こったことを示す。こうした違いは遺伝子でもジャンクでもおよそ1000文字に1個程度の率で存在する。これを研究することで遺伝学者は過去について学ぶ。約30億対の文字があるなかで、親族関係にない人のゲノム間の違いは通常300万個ほどになる。変異は時と共に一定の割合で蓄積していくので、どのような区画についてであれ、2つのゲノムの間の違いが大きければ大きいほどそれらの区画が共通祖先の体内にあった時点から長い時が流れていることになる。そこで違いの程度を生物学的なストップウォッチとして使えば、過去に重要な出来事が起こってからどれくらいの時が経過したかがわかる。
人類を含めたヒト科(Hominid)、いわゆる大型類人猿には4つの属がある。Pan(チンパンジーとボノボ)、Pongo(オランウータン)、Gorilla(ゴリラ)、Homo(ヒト)である。最初の3つの類人猿は24対の染色体を持つが、ヒトは23対である。しかし、ヒトを含めたすべての大型類人猿はヒトのゲノムにあるのと同じ遺伝子を事実上すべて共有している。違いはヒトの2番染色体に見られる。この2番染色体は大きなDNAの塊で、そんなに大きいのはそれが類人猿の2本の染色体が端と端で融合したものだからである。この融合の結果、ヒトの染色体は類人猿より1本少ない23対となった。そうだとわかるのは、これらの類人猿の2本の染色体上の遺伝子がヒトの2番染色体の遺伝子と実質的に同じで、同様の順序で並んでいるからである。そしてこの融合の後、ヒトの2番染色体にはもはや必要がなくなった染色体構造の名残を見ることもできる。それはヒトが類人猿と共通祖先を持つことを示している。
ゲノム全体を対象とした最近の研究によって、ヒトの進化の起源はアフリカにあるとする説を裏づける極めて説得力のある証拠が得られている。それらの研究によって遺伝的多様性はアフリカで最も高く、アフリカから地理的に離れた集団にあるにつれて遺伝的多様性は連続的に低くなっていくことが明らかになっている。この現象は、核DNAの単一塩基多型(SNP)が示すだけでなく、形態学的な頭や腰の形にも見られる。この多様性の低下は現生人類の入植者の小集団が新たな地域へ次々に拡がっていったことによると考えられている。
肌の色や髪質は地理的に異なる集団どうしの違いを容易に見分ける手段となる。ゲノム解析によって現在までに、自然選択の強い痕跡を持っていて肌の色に影響を与えていると考えられる20個以上の遺伝子が見つかっているが、おそらくもっと多いだろう。このことから、ヒトの持つ他の多くの特徴も多数の遺伝子の影響を受けているという可能性が高い。
褐色の肌は、開けた地域に暮らす体毛の薄い二足歩行者にとって重要な適応だった可能性が高い。肌の色が黒ければ紫外線から保護され、直射日光の悪影響を避けることができるからだ。とはいえ皮膚が光を通さなければ、骨を丈夫にするために不可欠なビタミンD3を生成できない。だからこそ高緯度への移動に伴って、弱い日光でも皮膚を通過できるようにさまざまな色素脱失が起こった。
東アジア人とヨーロッパ人の明るい肌色は、かなりの程度までこの二つの集団が進化的に分岐した後に進化的収斂によって互いに独自に進化したらしい。その証拠は、ヨーロッパ人において選択浄化の痕跡を持つ色素遺伝子の多くが、アジア人の持つ色素遺伝子と異なっていることである。2013年、ヨーロッパ人と東アジア人とで共通しているいくつかの色素遺伝子が肌の色を明るくし始めたのは約3万年前であると推測された。しかし、ヨーロッパ人の間で自然選択された遺伝子の大部分が肌の色を明るくし始めたのは1万9000年前~1万1000年前と驚くほど最近で、ヨーロッパ人と東アジア人が分かれてからかなり後のことだった。
ヨーロッパ集団の肌が白いのは、主食である穀物にビタミンD3が少ないことが関係している可能性もある。コムギにはビタミンDの前駆物質であるエルゴステロールが含まれており、これが日光の作用でビタミンDに変化する。皮膚の色が薄ければ、日光は皮膚を通過して容易に血流まで到達する。ヨーロッパに定住した農耕民族の間では、肌の色が薄くなるこうした突然変異が非常に有利に働いたに違いない。
また、東アジア系の人びとではEDARと呼ばれる遺伝子に正の選択の強い痕跡があることが示されている。この遺伝子は
世界中の人びとの生活スタイルは住んでいる地域環境(乾燥地域、湿潤地域、高地、極地など)、実践している生活手段(狩猟採集、農耕、牧畜、園芸など)、および主食(根や塊茎、肉、脂肪や乳、穀類など)に応じて地域ごとに異なっている。各集団における単一塩基多型(SNP)頻度のわずかな違いを解析した結果、いくつかのSNPは食事の違いと相関していることが示された。それらは、消化を助ける分解酵素の効率を高める役割を果たしていると考えられ、それが集団内で自然選択によって広まったと思われる。こうしたことは、高身長や高地適応などにも生じていたようだ。
現代人の集団から得た一連のDNAデータを分析し比較した結果、我々の種、すなわち現生人類の起源はアフリカ大陸の東部か南西部である可能性が高い。その起源となる集団は後にアフリカ大陸全域に拡散し、そして最終的にユーラシアと世界全体に移り住んだ。拡散し移住するなかで個体群は拡大し、地域ごとに多様化した。アフリカ大陸の中では少なくとも14の現代人の系統が起源となる祖先の血を引いていることが判明しており、それぞれが独自の変化を遂げている。遺伝子の多様性の度合いだけをとっても、アフリカではその他の大陸よりも長く人類の進化が続いていたことがわかるし、世界各地に見られる主な遺伝子系統はすべてアフリカ起源である。
別のDNA分析は、その起源となった集団は極めて小規模だったと結論づけている。30万年前に誕生した現生人類(ホモ・サピエンス)だが、7万年ごろに一度あるいは複数回の激しいボトルネック、すなわち厳しい人口減少を余儀なくされたようだ。その人口は最終的に数百人~数千人になってしまったと推定されている。それは解剖学的にも知性的にも現代人である人びとが世界中に拡散し移住する前に起きていた。主要な原因は環境要因にあるとする説が有力である。それは7万3500年前のスマトラのトバ山の巨大噴火による世界中での何年にもわたる冬期化現象、さらに寒冷化(7万1000年前~6万年前)と相まって人口を劇的に減少させたというものである。トバ山の噴煙は高度40キロ近くまで達し、周囲4000万平方キロメートルが火山灰に覆われた。これは日本の国土の106倍に相当する。アフリカではその厳しい時期が始まると干ばつの時期が長くなり、北アフリカのアルジェリアやモロッコにいたホモ・サピエンスの亜種のような人びとも絶滅させたと考えられる。こうした気候の悪化による環境破壊は、小規模でばらばらに暮らしている個体群の淘汰を促進した。この環境の試練を乗り越えたのが、我々の種の起源となった7万年前ごろに誕生した個体群だった。その最大の要因は、会話、すなわち単語など意味を持つ単位を組み合わせて文を作る統語法を獲得したことであったと考えられている。つまり、「認知革命」である。
[創始者効果]
現生人類が拡散した軌跡はわずかだが遺伝子にしっかりと残っている。今日、地球に暮らす人類は80億人近くに達するのに遺伝子の多様性は極めて少ない。しかもアフリカ大陸から遠く離れた地域ではアフリカ大陸に比べて遺伝的変異の割合が低くなる。この事実は、全人類がごく小さな集団から数を増やしていったことを示唆している。人類学者はその最初の集団の規模は数千人に満たなかったと考えている。このアフリカの集団は数を増やして拡散した。12万年前からは、さらなる小さな創始者集団が次々と生まれて拡散が始まり、7万年ごろにはさらに拍車がかかり、4万年前までにまずはユーラシア、続いてオーストラリアとアメリカ大陸へ瞬く間に進出した。母集団から小集団が分かれてその周辺に移動するするという、この分裂と移動の繰り返しによる拡散が、一連の「遺伝的浮動」を引き起こした。これがアフリカから離れるにつれて人類の多様性が失われていった進化現象である。
[遺伝的浮動]
ある集団が分裂して「浮動」する祭、母集団の突然変異のすべてでなく、一部しか受け継がれない。そのため遺伝子の多様性が乏しくなり、特定の変異が現れる確率が以前よりも高くなる。例えば、生存に有利に働く遺伝子特性(血液型など)や特定の遺伝子疾患が高頻度で見られたりする。この「連続する創始者効果」により、現生人類の遺伝的多様性は、アフリカのコイサン諸語を話す狩猟採集民の発祥の地に当る中央アフリカおよび南アフリカから遠ざかるほど失われている。
[ボトルネック]
現生人類の遺伝的多様性は、アフリカから遠ざかるにつれて減少するだけでなく、そもそも霊長類の中で最も少ない。なぜ現生人類だけがそうなのか? 遺伝子の多様性が狭まる現象に「ボトルネック」と呼ばれるものがある。ボトルネック現象は集団の個体数が環境危機などにより突然激減した場合に発生する。そしてわずかに生き残った個体から集団は再び数を増やし始めるが、失われた多様性は回復しない。7万年前ごろ現生人類は大きく数を減らした。これは7万3500年前のスマトラ島トバ火山の一連の大噴火から始まった数千年にわたる地球規模の寒冷化、「火山の冬」の到来と一致する。トバの噴火が凄まじく、直径100㎞を超える噴火口から2800立方キロの火山灰がインド洋に向かって大気中に放出され、数百立方キロのマグマが流れ出した。この噴火は地質時代第四紀に起こったものとしては最大で、当時の地球の動植物相全体に深刻な影響を与え、多くの種を絶滅に追いやり、人類の存続をも脅かした。
研究者たちは、トバ山の大噴火以前の19万~12万3000年前の長い氷河期にすでにアフリカでボトルネックが発生したと考えている。地球規模の寒冷化によって風向きと降雨量が変わり、アフリカは乾燥化した。砂漠化した環境を辛くも生き延びたわずかな現生人類は大地溝帯の南端にある南アフリカのケープタウン地域に退避したのかもしれない。少なくとも先史時代に一度大きく数を減らして、絶滅の危機に瀕したのは確かである。環境と生態系の不安定化は、現生人類のみならず全人類の歴史に大きな影響を与えた。
***
人類はその進化の初めから、世界には同時期にたくさんの異なる種類のヒト科が存在しているのが常だった。時には同じ地域にいくつものヒト科が生息していたこともあった。それとは驚くほど対照的に、ひとたび行動面で現代的なホモ・サピエンス(現生人類)が7万年ごろにアフリカに出現してからは、世界は急速に一つの人類の単一文化になった。
我々が知性のうえで他の動物を圧倒したのは、はるか遠い昔から長く続いてきたヒトの祖先がたまたま他の競争相手よりもその時々の状況にうまく対処してきたというだけのことである。それができたのは、ホモ・サピエンス(現生人類)が誕生後しばらくしてから獲得した言語能力と認知能力が、偶然にも大きな違いを生み出したからだ。ヒト科の長い軌跡の中で何か一つでも違っていたら、今の我々は存在していなかっただろう。
ユーラシア最古の現生人類の完全なゲノムの記録は、ロシア中部の大河オビ川の最大の支流イルティッシュ川の河岸から出土している。イルティッシュ川はアルタイ山脈から北西へ下り、その後ウラル山脈の東のロシア中部を北へ下り、オビ川と合流してから北極海に注ぐ。出土したのは4万5000年前の男性の骨で、出土した場所にちなんでウスチ・イシム人と呼ばれている。そのDNAは東アジア人と西ヨーロッパ人の両方と類似していることから、現在のヨーロッパ人とアジア人の共通祖先の可能性が高い。彼らはその何千年か前にアフリカから移動してきた人びとを代表する人類だった。ヨーロッパ人の最古のゲノムは、現在のモスクワ南方から黒海に注ぐ南ロシアのドン川の河岸から出土した3万7000年前の角張った顎を持つ人で、コステンキ人と呼ばれ、そのDNAはヨーロッパの狩猟採集民との類似性を示していた。この狩猟採集民はその3万年後、つまり7000年前には遠く離れたスペインにいたが、少数は東アジアにもいた。東アジア人の代名詞になっている重要な身体的形質は3万年ほど前に生じたことがわかっている。すなわち太い直毛、高密度の汗腺、そして特異的歯の形(シャベル型切歯)などであり、こうした目に見える変化はすべて一つの遺伝子に由来する。この突然変異は遺伝子解析から3万1000年前の今の中国の中部で出現したと推定される。東アジア人に典型的な
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