第3話 人類の誕生

 我々が知る最も古い宇宙の歴史は140億年~135億年前まで遡る。この宇宙に数多ある銀河の1つ、天の川という名の銀河に46億年前、太陽系が誕生し、地球が形成された。そして40億年~35億年前、地球の海に漂う物質から生命が誕生した。生命体はとてつもない多様性を持って地球に広がった。そして1000万年前の生物界に、「脊椎動物」に属する「哺乳類」の中で「霊長類」と呼ばれる、長い4本の足を地面につけて歩いていた生物が、森林の草原化に適応するため2本足で立ちあがったのだ。こうして我々現生人類の祖先である類人猿の歴史が始まった。


 人類の進化ほど好奇心をそそられる話題はない。人類はいったい何者で、どこからやって来たのだろうか?

 すべての生物は祖先を共有している。つまり現在目に見える姿がいくら異なっていても、すべての生命は本質的にゲノムのレベルで35億年以上前に存在していた一つの共通祖先にたどり着く。共通の祖先から分岐しうるという説得力のあるメカニズムを最初に考えついたのは、19世紀の博物学者、チャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ラッセル・ウォレスである。ダーウィンはこの変化の仕組みを「自然選択」と名づけた。自然選択とは親から受け継いだ特徴によって仲間よりも環境にうまく適応した個体が優先的に生き残って繁殖することである。したがって、十分な時間を取れば、繁殖した系統は平均的な外見が変化して、最後には新しい種へと進化していくということである。ところが、現在ではすべての生物は驚くほど複雑な遺伝子を持つ存在で、その中の構造遺伝子が多くの体組織やその作用の発達を決定していることが判明している。つまり自然選択では全体の可否しか決められないため、特定の特徴を抜き出して有利にしたり不利にしたりすることはできないのだ。要するに、進化の歴史は各個体の繁殖の運命だけから作られるのではなく、環境が絶えず変化する世界や、異なる生物が生態系における地位を絶え間なく争っている世界が、より大きな進化のパターンを決定づけていることが多いということである。いわゆる適応と呼ばれているもののほとんどは実際には「外適用」から始まる。外適用とは、遺伝子コードのランダムな変化を通して獲得された特徴が、その後、無関係の特別な利用方法に転用されることだ。すなわち、理論上新しい特徴がどれほど有益であっても、自然選択はその新しい特徴を出現させる立場にはないのである。


 5500万年前ごろ、初期の哺乳類は二つのグループに分かれた。樹上生活を始めたグループと地上に留まったグループで、樹上生活を始めたのが最初の霊長類である原猿類で、地上に留まったのがげっ歯類(ネズミやリスなど)である。樹上生活を選んだ原猿類は、上から見えやすいように立体的に見える視力が発達したり、木にぶら下がったり物をつかみやすいように前足、つまり手の指が長くなったりして、3500万年前ごろに真猿類が誕生した。真猿類は尻尾があるかないかによる違いで、有尾猿と類人猿とに分かれる。3000万年前から2500万年前にかけて各地で乾燥化が進み、森林面積が減少し、草原と木が混在するサバンナが広がった。乏しくなった食糧の奪い合いが始まり、類人猿の中から危険を覚悟でサバンナに進出するものが出てきた。彼らの姿勢や歩き方はすでに現在のゴリラやチンパンジーよりも人間に近かったと思われる。


 アフリカ大陸は一貫して人類の進化における革新の源である。人類の進化はアフリカ東部の現在のエチオピアからモザンビークまで数千キロにわたって続く東アフリカの大地溝帯で起こった。両側には高い山の尾根が連なっているこの大地溝帯は、おそよ3000万年前からの地下のマントルの活動による地殻変動により生じたものだったが、地殻の隆起と乾燥化により今のような地形になったのは400万年前~300万年前のことである。大地溝帯形成による主要な影響の一つは東アフリカの広い地域で雨が降らなくなったことだった。インド洋から吹いてくる湿った空気やアフリカ中部の熱帯雨林からの湿った空気も、地溝帯両側の高地によって妨げられ、内部の地溝帯では乾燥した状況が生み出される。気候の乾燥化と、火山帯や断層崖などの多様な地形がモザイク状になった大地溝帯は人類に進化の環境条件を与える上で明らかに重要なものだった。また、太陽を周回する地球の軌道の引き伸ばしと、地軸の旋廻により地球の軌道がより楕円形に伸ばされるたびに、東アフリカの気候はひどく不安定になったことも重要な要素だった。過去数百万年の環境は概ね乾燥していたが、気候が大いに湿潤な時期と、逆に再びひどく乾燥する時期で揺れ動く極端な変動期が訪れた。こうした気候の変動期はほぼ80万年おきに生じ、揺れ動くたびに、水・植生・食糧の有無にもかなりの変動があり、それが人類の祖先にも深刻な影響を及ばした。急速に変化する状況は多芸で適応力のある人類種をより生きのびさせることになり、こうしてより大きな脳と多くの知能を進化させたと考えられる。そのように気候が極端に変動した直近の3つの時代は、270万年前~250万年前、190万年前~170万年前、100万年前~90万年前に訪れた。人類の進化の時期がこれらの時代に重なる傾向があることが考古学的に判明している。そして気候変動の時代は人類の進化を左右しただけでなく、ホモ属のいくつかの種に、誕生の地を離れてユーラシア大陸へ移住させた原動力でもあったと考えられている。


 およそ700万年前、共通祖先の類人猿から、ゴリラとチンパンジーはそれぞれに異なった生存戦略を開拓していった。ゴリラは果実を選好食物としながらも葉食・茎食・樹皮食などを大幅に取り入れることで、一定の樹上適応を維持しながら体の大型化を実現した。そして遊動域が小さくなった結果、オスによるメスの独占が可能となり、一夫多妻的な社会が発達した。チンパンジーとボノボの系統は、完熟果実への依存を増すことで、懸垂型の身体特徴をゴリラ以上に発達させた。さらにチンパンジーではパッチ状の不安定な果実資源にこだわるため、群れ間、個体間の競争が増大し、オスどうしが連合しながらも攻撃的に競合するといった複雑な社会が形成されている。その結果、繁殖システムは極端な乱婚型となっている。人類の系統がたどった進化の道筋は、地上に分散したさまざまな食物を工夫して採取するといった生存戦略だったと思われる。それに伴い、体構造の変革を伴う直立二足歩行が進化したことは、何らかの運搬行動が生存と繁殖に特段重要だったはずである。


 体は大きいけれども木を登っていた人類の祖先が、木々の間を移動したり食物を探したりするときに体幹部をまっすぐに保っていたとしても不思議ではない。木にぶら下がるオランウータンは樹上では体を垂直に保ち、実際に地上では上手に二足歩行する。したがって、ヒト科の祖先がその体の形においてオランウータンよりも直立姿勢だったと考えることは筋が通っているのかもしれない。しかし、木を登るのに適した足は地上では障害となるため、樹上生活者から二足歩行者への移行は困難だったに違いない。ひとたび地上に進出してからはヒト科の祖先は急速にその足の形を失った。だが、どうように、またどのような背景で指が直線的に並んだ地上用の足を獲得したかは不明瞭だ。


 400万年前ごろ、我々人類の祖先は直立し始めた。四足歩行を止めた影響で身体構造全体が変わった。二足歩行により姿勢は不安定になり、生命の維持に不可欠な臓器をさらけ出して歩くはめになった。出産も難しくなり、子供が自分で動けるようになるまでの時間が延びた。それでも我々の祖先は自然淘汰を免れた。直立歩行には強みがあったのだ。立って歩くと草に遮られずに見える範囲が広がってずっと遠くまで見渡せることができ、熱帯や赤道直下の強烈な日差しを浴びる体の表面積を減らせる。平原を頻繁に移動する必要がある我々の祖先にとってこれは大きな強みとなった。二本足で歩くようになって長距離を走れるようになり、手を自由に使えるようになった。どちらも二足歩行に変わったことでもたらされた恩恵だ。手の親指は長く、他の指と向き合っているので、ものを思った通りに握ることができるようになり、周りのものを調べたり操ったりできるようになった。また、筋肉と骨格を変えて直立姿勢で歩けるようになったことで、姿勢が高くなるとともに、精神も他の動物を上回り、目で見るだけでなく思考を通じてこの世界を探求できるようになった。我々は直立して、考えるようになったのだ。


 類人猿とたもとを分かち、草原へと出て行った我々の祖先はおそらく食物資源を広く歩いて探し回り、それを仲間のもとへ持ち帰って一緒に食べたと思われる。手は食物の運搬に使われた。樹木のない草原へ進出した人類の祖先は、安全に食べる場所を確保する必要があった。しかも広い範囲を歩かねばならないので、個人の能力の差ができる。そのため食物の採集と食事を分けて仕事を分担したのだろう。この時代に人類は食物を探し、それを仲間のもとへ持ち帰る旅を始めた。おそらく果実や根茎類、肉食獣が残した肉や骨髄など、小さくても栄養価の高い食物が運搬の対象になったはずだ。さらに採食における分業を促進したのは出産の改変である。樹木の少ない草原では地上性の肉食獣に狙われる危険が増大し、幼児が多く犠牲になったはずだ。それを補うために人類は多産になった。離乳を早めて排卵周期を回復させ、出産間隔を縮めたのである。このため、離乳してもまだ乳歯のままなので、おとなと同じ物が食べられないという事態が生じた。そのため、離乳したときに永久歯が生えている類人猿の子供と違い、人類の子供には特別な離乳食が必要になった。さらに、200万年前に脳が大きくなりはじめると、脳の成長に多くの栄養をまわす必要が生じてきたので、人類は分業によって食物を確保し、共同で子育てをしなければならなくなった。それが、より栄養価の高い食物を探し、それを持ち帰る旅を作り出したと思われる。


[種の分類:目>科>族>属>種]

 ヒト科:人類を含めた大型類人猿(Hominid)

 ヒト族:現生人類につながる系統種(Hominin)

 ホモ属:ホモ・ハビルス以降の人類(Homo)


「種」とは、動物の場合、繁殖力のある子孫を残す者同士が同じ種に属する。現代人である我々は「ホモ・サピエンス」という人類種である。


 現在、ヒト科には4つの属がある。Pan(チンパンジーとボノボ)、Pongo(オランウータン)、Gorilla(ゴリラ)、Homo(ヒト)である。


 運動学的に不利な直立二足歩行がなぜ進化したのか、について人類学者ラブジョイは次のように論じている。直立二足歩行を説明するには、繁殖率の向上をもたらす何かがあったはずである。そもそも繁殖効率が低い大型類人猿の一群から進化した人類は、熱帯林環境から出て、より生存環境の厳しいステップ地域で生き残るためには、オスの「育児」に対する貢献が必要となる。そこでは、繁殖と食料調達が一体となった一夫一婦的な雌雄関係があったと考えられる。そのための重要な要素が、排卵期の隠蔽と排卵周期によらないメスの性的受容性である。類人猿は一夫多妻的な繁殖行動をとる。チンパンジーでは発情したメスの個体数がオス 5~10頭につき1頭程度であり、オス間の競合が激しく、乱婚型の繁殖行動である。チンパンジーに比べてより平和的な社会を持つボノボではその比率は 2~3対1まで下がっており、犬歯も類人猿の中で最も小さいが、オス同士の争いを避けるため、メスは老若を問わずオスを受け入れる習性があり、チンパンジー以上の乱婚型である。人類は女性の性的受容性が排卵周期や授乳期によらないため、繁殖行動可能な男女比が1対1に近い。また、排卵期の隠蔽はオス間競争を弱めるだけでなく、メスの選択性を増すことにより、特定の雌雄間関係を維持し、子殺しなどの同種間の殺戮を減らし、オスの繁殖確立が結果的に増すことになる。人類では繁殖能力の転換を伴うステップ草原地域での「適応体系」全体の進化が起こり、その一環として、より開けた環境を有効活用する採食行動のための直立二足歩行が獲得され、さらに性選択によって攻撃性の高い犬歯を縮小させてきた。そしてオス間の攻撃性の抑制は協調性の高い社会集団につながったと考えられる。

 人類のもう一つの旅は繁殖相手を探す旅である。ヒト科の類人猿はすべて非母系の社会を作り、メスが親元を離れてから繁殖を開始する。だが、出産すると母親はあまり移動せずに子育てをするようになる。人類の場合は女の交換(結婚)によって二つの集団が結びつくことだ。しかも、所属する集団を変えても元の集団への所属意識を持ち続ける。この特徴が人類の社会を重層的に組織化させたのだと考えられる。人類が集団間を自由に渡り歩けるようになったのは、ホモ・サピエンスになってからと考えられる。他の霊長類は群れを移れば、もといた群れとのつながりも仲間との関係も失うが、人類は出自に対するアイデンティティをずっと持ち続ける。このアイデンティティこそが人類が旅をすることを可能にし、それを促進したのが広範な食の共有と、性を公の場から消し去り家族の中に閉じ込める規範だったにちがいない。


 密林の奥から森の外れや隣接する疎林や低木林へと出てきたことは、初期ヒト科にとっては重大な行為だった。そしてそれは複数の結果をもたらした。この生態学上の移行は食性と歩き方の急激な変化に関わっただけでなく、捕食動物の攻撃を受ける可能性を大きく上げた。さらにそれは人類の祖先とその近類の類人猿との間にあるいくつもの根本的な違いをはっきりと示すことにもなった。類人猿が危険を冒してサバンナへ出かけるときは四足で移動するが、ヒト科はその新しい冒険に対して直立姿勢ばかりか斬新な食物調達方法を取り入れることで応じたようである。それによって引き起こされた変化は彼らのさまざまな体の機能に多大な要求を突き付けた。


 200万年前から1万年前ごろまで、この世界にはいくつかの人類種が同時に存在していた。これは驚くことではない。今日でも、キツネやクマ、ブタには多くの種がある。10万年前の地球には、少なくとも6つの異なるヒトの種が暮らしていた。複数の種が存在した過去は特別ではなく、我々しかいない現在が特異なのだ。ことによると、それは我々が犯した罪のあかしなのかもしれない。我々は、大きな脳、道具の使用、優れた学習能力、複雑な社会構造を、大きな強みだと思い込んでいる。これらのおかげで人類が地上最強の動物になったことは自明に思える。しかし、人類は200万年にわたってこれらすべての恩恵に浴しながらも、その間ずっと弱く、取るに足らない生き物でしかなかった。人類は数百万年にわたって、小さな生き物を狩り、採集できるものは何でも採集する一方、大きな捕食者に追われてきた。

 40万年前ごろになってようやく、人類のいくつかの種が日常的に大きな獲物を狩りはじめ、ホモ・サピエンスの台頭に伴い、過去10万年間に初めて人類は食物連鎖の頂点へと飛躍したのだった。頂点への道のりにおける重大な一歩は、火を手なずけたことだった。一部の人類種は80万年前ごろにときおり火を使っていたかもしれない。30万年前ごろには、ホモ・エレクトスやネアンデルタール人と、ホモ・サピエンスの祖先が日常的に火を使っていた。人類は頼りになる光と暖かさの源泉と、餌食えじきを求めてうろつくライオンたちに対する恐ろしい武器とを同時に手に入れたのである。だが、火の最大の恩恵は調理が可能になったことだ。コムギ・コメ・ジャガイモといった、そのままでは人類には消化できない食べ物も、調理することで主要な食料となった。また、噛むのも消化するのもぐんと楽になった。長い腸と大きな脳は、ともに大量のエネルギーを消費するため、両方を維持するのは難しい。調理によって腸を短くし、そのエネルギー消費を減らせたおかげで、図らずもネアンデルタール人とホモ・サピエンスの前には、脳を巨大化させる道が開けた。


[大脳化]

 我々の大きな脳を生みだした数々の変化は大きな代償を伴っていた。大きな脳は体に大きな消耗を強いる。そもそも持ち歩くのが大変で、しかも頭蓋骨という大きなケースに収めておかねばならない。そのうえ燃費も悪い。エネルギー消費の観点から見ると、現生人類の脳は心臓に次いで2番目に最も高くつく臓器なのだ。人類は重量あたりのカロリー消費量がその10分の1しかない筋肉の代わりに異常に大きい脳を手に入れたことで、食物エネルギーを不経済に使うようになった。我々の脳は体重の2%ほどだが、摂取したカロリーの約20%を消費する。これに対してヒト科以外の霊長類の脳は、安静時には8%しか必要としない。そのため、筋肉が発達した他の動物は環境に厳しいジャングルやサバンナで生きのびるのに適しているが、我々は考えるほうが合っている。ヒト科の人類は大きな脳の代償として支払ったのは、より多くの時間をかけて食べ物を探すことと、筋肉を少なくしたことである。しかし、大きな脳のおかげで我々現生人類は、会話を修得し、道具を作り出した。


 古人類学の大きな不思議の一つは、動物性の脂肪とタンパク質を含む新しい食性に初期のヒト科がどのように対処したかということである。今日においてもなお、肉を食べる我々現代人は、肉食動物のものよりは草食だった祖先によく似た消化管を持っている。そして我々の歯は小さくなったとはいえ本質的には植物を食べる者のそれであり、肉を切断するというよりは硬い食物の磨り潰しに重きが置かれている。けれどもいつの時点かで、草食二足歩行類人猿は動物の死体に関心を抱き始めた。その慣れない食べ物の摂取は多くの問題を引き起こした。死体の赤身肉をそのまま食べても初期ヒト科には消化できなかっただろう。彼らの胃は肉を分解できる高濃度の胃酸で満たされてはいなかった。一つの可能性はヒトが火を通すことで肉を消化しやすくしたというものだ。しかし問題は、およそ80万年前より前には管理された火を使った明らかな証拠がないことである。しかも日常的に調理に火が使われるようになったのは、それよりずっと後だと考えられる。それでもなお、研究者の一部は200万年ほど前のホモ属の大脳化は、高脂肪・高タンパクの食事によってのみ可能となると考えている。脳は極度にエネルギーを必要とする組織で、そのカロリー消費は脳の増大とともに増加する。ヒトが長い間肉を食べていたことを示す指標はいくつもあるが、その一つはサナダムシの研究である。ウシ科のアンテロープの死体を肉食動物と共有し、その結果、彼らが残した唾液を摂取したからではないかと推測されている。この知見はアウストラロピテクスの歯や骨の残されている炭素の安定同位体の研究とも一致する。これは初期人類が主として肉を食べていたという意味ではないが、同位体のメッセージは彼らが明らかに雑食になったことを物語る。

 類人猿は現生人類よりも成長がかなり早く、長い思春期の発達期を通ることなく一気に子供から大人になる。ところが妊娠期間は現生人類とほぼ同じである。但し、その過程は微妙に異なる。胎児期の主な違いは妊娠の最後の3分の1の期間で現生人類が類人猿よりも脳の発達に多くのエネルギーを注ぐことである。その結果、現生人類の新生児は生まれてきた時すでに類人猿の新生児と比べて大きな脳を持っている。しかし、骨盤の産道を通り抜けなければならないために頭の大きさに制限を受けているため、現代人は生まれてからもしばらくの間継続して脳の発達に大量のエネルギーを振り向ける必要がある。その結果、類人猿が大人になった時の脳の大きさの40%の脳を持って生まれてくる一方で、現生人類は胎児期の脳の拡大が加速したにもかかわらず、成人のわずか25%ほどでしかない。したがって、類人猿やその他の哺乳動物では誕生後に脳の発達が減速するのに対して、現生人類の脳は例外的に少なくとも生後1年は胎児の時のスピードで拡大し続ける。類人猿の脳は生後1年で成体の大きさの80%に達するが、現生人類の子供では大人のたったの50%である。現生人類の脳は長期間成長し続ける必要があるため、大人の大きさに届くのは7歳ごろである。ホモ・エレクトス段階までのヒト族は、脳の発達においても、その他の成長面と同様に現生人類より類人猿のパターンによく似ている。


[ネオテニー(幼形成熟)]

 ホモ属が新たに獲得した性質は、その後の人類の進化において重要な役割を果たした。猿人であるアウストラロピテクスや頑丈型のパラントロプスと比較すると、ホモ属の成長速度はかなり遅くなった。幼児期と青年期が長くなり、成人に達するまでに時間を要する。こうして発達が抑制され、大人になった後も子供のころの性質が残る現象を「ネオテニー」という。遺伝子構造の劇的な変化によって引き起こされるネオテニーは、脳容量の発達という点でホモ属に大きな恩恵をもたらした。子供にとって親の世話を受けなければならない年月が長くなると、当然デメリットもあるが、親から教わったり、大人を真似たり、大人と遊ぶなど、他人との交流を通して学ぶ、いわゆる社会的学習の期間が長くなるという利点もあったのは間違いない。幼児期が長くなることで、人類は脳の学習労力が高まり、行動様式を柔軟に変えられるようになった。さらに人類が話す能力を持ち持ち、文化の発展を延々と追及する独特な二足歩行へ進化したのも、突き詰めればネオトニーのおかげだ。

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