第52話 山嵐

エルナが黒い翼を大きく広げ、両手を前に突き出す。

一瞬の静寂の後に、砂塵が舞い上がり、大気が渦を巻いて吹き荒れる。


両腕から巻き起こるような風は強く、強く渦を巻き、跳びかかる狼達を吹き散らした。

エルナの起こす烈風に触れるだけで狼達の肌は切り裂かれる。

悲鳴を上げる狼達の血が霧状に吹き出し、水平方向に吹き荒れる竜巻を赤く染める。


ビン! ビン!


やや緊張感を欠く破裂音が聞こえ、音ほどには可愛げのない棘が飛んで来る。

しかしエルナの風の威力には抗しきれず、あらぬ方に跳び散らされた。


「痛みますけれど、我慢してくださいね!」


俺の腕に刺さった棘を抜いて、止血から創傷処置までをてきぱきと処理するオティリス。彼女は手際よく巻かれた包帯の上から手をかざし、しばらくすると腕の傷の周囲が淡く光り出す。

痛みが溶けるように和らいでゆく。


「これは……すごいな」


日本の医療ではありえない治療行為。なるほど神術というのは便利なものだ。

しばらくすると、何もしなければ痛まないほどの状態になる。

代わりに、オティリスは少し顔を青ざめさせ、荒く息をついている。


「すまん、負担をかけた」

「いえ、大丈夫です、すぐに回復します」


アカリとオティリスを庇い、アルジェンティの霧とエルナの風を避けて攻め来る狼達と援護の棘を赤の短剣で斬り捨てる。


――きりがない!


とにかく狼の数が半端でない。

負傷すると新手が湧いてくる。

そして接近戦に専念していると、時々、鋭く棘が飛んで来るのだ。


がぁん!!


鈍い音が聞こえ、シュテイナが持つ大振りの盾に棘が突き立っている。

あれは鉄製であったような? つまり鉄を貫通する威力を持つ棘。

鋭さ、硬さ、そして射出の威力、いずれも申し分がないということか。


「ぎゃぁっ!!」「きゃっ!!」

「ジャレコ! プリーツィア! 大丈夫か!」


炎を撒き散らす短火箭で敵を追い散らしていたジャレコと、後方で近接戦闘能力の低い神術士達を護衛していたプリーツィアの二人が棘で負傷。

フォルテンが叫ぶが、カバーに回る余裕はない。


エルナは切り裂く竜巻を使い広範囲の敵を追い散らしているので、これ以上のフォローは無理だろう。

アルジェンティに援護を頼もうかと思ったが、霧を出しても棘の狙撃は止むまい。むしろ狙撃手に位置を知られた状態で視界を塞ぐのは失点でしかない。


「アカリちゃん!」


プリーツィアの悲痛な叫びが聞こえる。

アカリ!?


慌てて見ると、今にも跳びかからんとする狼、その先に佇むアカリ。


――アカリ!!


声にならない声で叫びつつ、俺は戦況を一切無視してそちらに飛び込もうとして――


パァン!!


鋭い破裂音のような音が響き、狼が悲鳴を上げて飛び退いた。


声も出せない俺の目に映るのはアカリのファイティングポーズ。

なかなか堂に入っている。


「ア、アカリちゃんが、その、狼の鼻先を一撃で……」


プリーツィアが訥々と語る。

見ると、狼が目を白黒させて鼻から血をぽたぽたと垂らしている。


……意味が分からなさ過ぎて、どう解釈して良いか分からない。


「ユウ! 戦闘中だ、呆けていないでくれ!

 君に抜けられると、戦線を維持できない!」


振り返れば、俺が戦線から一時離脱し支えられなくなったフォルテンとシュテイナが後ろに下がってきており、狼達に圧迫されている様子が目に入る。


瞬時に頭で戦況を整理する。


負傷して戦線離脱しているのは射手ジャレコと女戦士プリーツィア。

元から戦闘能力のない治癒士オティリスと乱戦に弱い神術士ダーヴァイも準戦闘員として、この四名はまとめて庇護対象。

これにアカリも含まれる。心配なのは、この子の状況判断は予測できないからスケカクハチのいない今は誰かに任せられないこと。意外に戦闘能力もありそうだが、不明すぎる。


つまり人間チームは、攻防をこなすフォルテンと、防御主体のシュテイナだけが戦闘に参加できる状態だ。

魔人ではないので戦闘能力は推して知るべしだが、俺と連携を取れば効果ある。

特に、現在の状況下では。


魔将アルジェンティは、その爪と巨大な体躯でばったばったと追い散らしている。

が、決して長くないその腕と鈍重な動きのため、効果は限定的。


主力のエルナは、切り裂く竜巻で狼を退けている。

ただ数が多すぎるのと、範囲が広すぎるのとで、追い散らすのに精一杯。


おう、じり貧だ。


「フォルテン! 戦域を絞るぞ!

 そこの岩を背にして固まり、アルジェンティとシュテイナで人間達を護れ!

 エルナは間に挟まってとにかく正面方向の敵を吹き飛ばしてくれ!

 フォルテンは飛翔する棘の迎撃を頼む!」


(アルジェンティ、後ろの水たまりと東側にだけ霧を頼む! 退路を確保したい。

 霧で覆うのも一方向だけなら、仮に狙撃手がそちらに回っても対処しやすいから!)

(分かりました)


慣れないが、しかし多少は慣れて来た念話でアルジェンティに依頼する。

敵に聞かれたくない事は念話。使えると実に便利だ。


そして俺の役目は――


遠くの繁みがざわめき、棘が射出される。

その対処はフォルテンに任せ、エルナに目で合図して援護してもらいながら俺は一気に繁みに向かい走る。そう、目的は狙撃手の排除。


棘を見た時に、だいたいその正体は察しているさ。

ケンカ祭りをした時に、ハリネズミとも対戦しているしな!


おおよそ近づくと、いつでも飛び退けるよう体勢を整えて、拳大の石を投擲する。

石は狙い過たずに繁みに吸い込まれると、ぱんっ、と音を立てて繁みが爆ぜた。


――山嵐の魔人。


以前見たハリネズミの魔人を凶悪にしたような棘を膨らませたソレがそこにいた。

あの棘を実際に飛ばす方法は分からないが、まあそのまま生えている方向に射出できると考えて置けば対処は可能だろう。

決して油断せずに――


ぱんっ!


小気味良い音を立てて、山嵐の肩くらいの棘が数本、まとめて弾ける。

山嵐が突然のことに目を丸くしているのが見えた。


「ははっ、遠距離攻撃は何もお前の専売特許ではないぜ?」


エルナから借りた鞭で地面を叩き、鋭く大気を裂くような音を響かせる。

ほら、音だって痛そうだろう?


ビン!ビン!ビン!ビン!ビン!ビン!


小刻みに棘を射出する音が聞こえる。

気の抜けるような音と、背筋に冷気が走るような鋭い射線。


あの棘に当たったらただでは済むまいが、冷静に対処すれば当たりはしない。

赤の短剣で弾き飛ばしながら、合間を見て鞭で攻撃。

狼達も、山嵐の棘の乱射に近寄れない。山嵐の棘は、目に見えて減ってきている。

これは、もう一押しか?


「ヤズデグ! ヤーズデグゥ!! 何やっている、早く助けろ!!」


山嵐が叫ぶのとほぼ同時に、横合いから風のように滑らかに接近する大きな影。

咄嗟に短剣に力を籠めると刃から赤い光が噴き出し、そのままはすに薙ぐ。

その影は赤い光の刃の剣筋から体を屈めてやり過ごすと、そのまま発条バネが弾けるように体を伸びあがらせ跳躍した!


他の狼達よりも明らかに大きな体躯を持つ狼、体高だけでもアカリを凌ぐであろうその巨体を宙に踊らせ、一本一本が短剣のように鋭く大きい牙を剥いて俺に襲い掛かった。


これは受けられない!


咄嗟に後ろに体を倒してその巨躯から逃れると、間髪入れずに宙に浮く腹を蹴り上げる。

狼は体を捻り身を柔らかく曲げて蹴りの衝撃を受け流し、さらに蹴りの勢いを利用して空中で半捻りをして体勢を整え、降り立ち様に正対した。


強い!


これが恐らくヤズデグと呼ばれる狼の魔将。

集中したいが、視線を切ると間髪いれずに山嵐が撃つ棘が迫る。

気づくと、無意識に胸元の黒水晶を握りしめていた。切羽詰まった時の、いつもの癖。


魔将二体、それも接近戦の強者と狙撃の支援となると、こちらに勝ち目がない。

とんっ、と軽くバックステップして距離を取りつつ、エルナの射程範囲に近づきこちらも援護をもらいつつ――



アオオオォォォォォーン!!



ヤズデグの咆哮が付近に響き渡ると、今まで波状攻撃を仕掛けていた狼達が一斉に駆け出した!


エルナの切り裂く竜巻も、アルジェンティの強靭な四肢による攻撃も、狼達にとって無視し得ない威力を持つ。だからこそ、今まで狼達は攻撃と回避を交互に行う波状攻撃を仕掛けて来ていたわけだが。


ここに来て、被害を度外視した突撃を敢行してきた。


「この……!!!」


エルナがついに竜巻を止め、自身の爪撃で近寄る狼達を次々に切り裂いた。

エルナとアルジェンティ、魔将クラスの強力な攻撃に狼達は倒れ伏して行くが、数が多すぎて全てに対処できていない。

勇者一行の負傷者や後方要員、そしてアカリにも狼達が跳びかかる。


全速力でアカリに向かい駆けた俺は、跳びかかろうとした狼の尻尾を掴んで地面に叩きつけ、そのまま体を回転させ跳びかかる狼に回し蹴りを浴びせる。


しかし抑えきれなかった狼が後方に退避している者達に襲い掛かる。

それを、なんとアカリが跳躍して蹴りを浴びせかけ、着地と同時にストレートで狼の顔を撃ち抜いた!

咄嗟にアカリを庇おうと踏み出しかけたプリーツィアとジェリコが口を開けてそれを見ている。


しかしアカリのファインプレーがあれども次々に襲い来る狼達は凌ぎきれない。

後方退避組に駆け寄ったフォルテンとシュテイナが連携して凌ごうとするが、この数はなかなか捌けるものではない。

なにより――


「コゾウ! キサマの相手はオレだ! 逃さぬ!」


ヤズデグがその巨躯に似合わぬ俊敏な動きで迫り、山嵐が隙をついて棘で狙撃する。


ち! く! しょ! う!!


右手の短剣と左手の鞭を交互に振りかざし、なんとか攻撃を躱すが、時間の問題だろう。ジリ貧という単語が再び頭に浮かぶ。

文字通り、息をつく暇がない。苦しい。


山嵐から飛んできた棘を弾いた瞬間に、つい息を吸い込んでしまい、瞬間的に体が硬直する。


「ガアアアァァァァ!!!」


その一瞬を狙ってヤズデグが咆哮と共に跳躍して来た。

防御すべきか回避すべきか、一瞬の躊躇が動作を僅かに妨げる。

この僅かな瞬間、この刹那のタイミングが生死を分かつのか――


動かぬ身体を持て余す俺の視界の隅に白い影が霞んだ。

そう認識した次の瞬間、目の前のヤズデグの顔がブレた。


「アカリ!?」


アカリの跳び蹴りが見事にヤズデグの横っ面に決まる。

子供と思えぬ瞬発力、神業のようなタイミング、信じ難い行動。

空中で体勢を整えている、変らず無表情のこの子が着地する前に両手で確保、そのまま後ろに跳躍バックステップして距離を取った。


一方、突然の横蹴りに、外見に似合わず茫然とした様子で佇むヤズデグ。無論、先ほどの蹴りでダメージなどはないだろう。

あの小さな子が飛び込んできて、まともに一発もらったことが信じられない、といった風に目を見開きこちらを見ている。


そして、やおら。


『ウゴオオオオォォォォォォ!!!』


腹の底から響き渡るような、太く底冷えのするような吼え声が轟いた。


「ここまでコケにされたのは初めてだ!

 ゆるさねぇ!! テメエ、引き裂いてやる!!」


屈辱に身を震わせながら、ヤズデグが激高した。


「ストロレッツ、オマエはあっちの黒いオンナを殺れ!!

 オレはコイツを先に引き裂く!! 絶対に許さねぇ!!」


猛るヤズデグ。

眷属の狼達が周囲を取り巻き、こちらを見て一斉に威嚇する。

何十匹いるのか数える気も起らない、雄大な体躯をした狼共。


先ほどのバックステップで、エルナやフォルテン達と離れてしまっている。

この状況下で、俺はアカリを護りつつ、こいつらを撃退しなくてはならない。


くそっ、それでも! 絶対に、退けない!

俺は死んでも、この子を護ると決めたんだから!


「畜生ども、来てみやがれ! 俺は絶対に負けねぇ!

 俺は絶対にこの子を、アカリを護り通して見せる!!」

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