第51話 狼
「もう少しでお湯加減がちょうど良くなるよ~」
メフルから奪った赤い短剣を水に浸して熱しているエルナが皆を呼ぶ。
この使用法を見たら、あの赤仮面メフルはどう思うだろうか?
あの短剣を作った武器職人も、よもやこの使い方は想定していなかったに違いない。
アカリと遊んでいた俺は、俺が放った手鞠をキャッチしたアカリの頭をぽんと叩いてから、水たまりの方に一緒に向かった。
今回はスケカクハチのトリオは別行動。スケがちょこちょこと里に帰るようになり、それにカクとハチが付き合ったので、予定が合わなかった。
代わりについて来たのが、たまたま遊びに来ていたフォルテン達一行。
なんでも美しいと噂の湖を一目見てみたいとかで、物見遊山がてらついて来た。
今日は、恒例になりつつあるアカリの散歩と入浴に来ている。
最近ではエルナがアカリを洗ってくれるので、俺はその間、暇つぶしをしていればよいので助かっている。
「お、本当に温かい水になっている。これで水浴びするの? お湯浴び?」
「これを使うといいんだよ! 森に生っているアワアワする実でね、体をあらうのにちょうど良いんだ」
「これは……本当に素晴らしく泡が立ちますね。
街でもなかなかこれほどの物は手に入らないのではないでしょうか……」
今日は女性が何人も居るので、女性陣は揃って入浴しているらしい。
賑やかで華やか。
当然、俺達は見えないように岩陰にいるわけだが、声が生々しく聞こえてくるわけだ。これはある意味、興味がなくても興味をそそられてしまう。
「お、ちょっと失礼、湖面に不思議な形の魚が見えたので、わたしはそちらを見に行ってきます。
お気遣いなく……」
「む、私もその魚と言うのが気になるぞ。
勇者として、勇気をもって知るべきを知らなくてはならないからな」
「やや、新たなる知識の探求となれば、小生も付き合わねばなりますまいな」
良く分からない理由を並べて場を離れるジェリコ、それに追従するフォルテン、そして尻馬に乗るダーヴァイ。目的は見え透いているが。
普段は控えめで気配を消している神術士ダーヴァイさん、ここで動くとは意外にむっつりさんのようだ。
「魚か何か知らないが、あんまり離れるなよ?
いつ魔人が危害を加えてくるかも知れないんだからな」
息の合ったこいつらの行動とは対照的に意図に気づいていなさそうな
ついでに言うと、彼の言う『魔人』にはアルジェンティや、ひょっとしたら俺やエルナまで含まれているのではないかと思われる。なにしろかなり馴染んできているよう見えるフォルテン一行にあって、シュテイナだけは決して心を許そうとしていない。
常に敵意を含んだ視線を送って来る。
それはそれとして。
保護者として、アカリの入浴を覗き見されるわけにはいかないわけだが、どうやって邪魔をしてやろうか?
とりあえず、一番効果的なタイミングを見計らって大声を出して……
『ぎゃあああぁぁぁ!!!』
ジェリコの悲鳴が響き渡る。
――何事!?
覗き見三人組が登って行った方を見遣る。
そこには、岩陰から突き出す銀毛の熊の顔。
「駄目ですよ、覗き見は。
次からはお仕置きですからね?」
そう言って、獰猛な笑みを浮かべて顔を引っ込めた。
ああいう顔で笑うこともできるんだなぁ。
肝を潰した三人は慌てて降りて来た。
「おいおい、ちょっと格好悪いんじゃないか? 勇者さんよ」
ウチの子の入浴を覗くんじゃありません!と、手鞠を投げつける。
フォルテンは苦笑いしながら手鞠をキャッチして、その模様をしげしげと眺める。
「随分と美しい
「ああ、そうだよ。アカリが編んだ手鞠だ。
妖精のオリヒメと一緒に作ったのだけど、あの二人、熱中すると凝りに凝ってしまって……」
そう言ってごそごそと手荷物から布を取り出してフォルテンに見せつける。
「これを見てくれよ、綺麗だろ?」
「これは……確かに見事な出来の生地だね。美しい模様が入っている。オリヒメさんが織った作品かい?
それは良いのだけど……ユウはこれをこんな所まで持ち歩いているのか?」
「ああ、アカリが織った最新作だからな!
いつも持ち歩いているぞ?」
それを聞いたフォルテンは、驚いて今一度見直す。
「これを、アカリちゃんが……?
織り始めたのはこないだの祭りの少し前くらいだよな?
この短期間でこの出来は、少しばかり異常ではないか? どう見ても最高級品の出来栄えだ」
アカリの布が褒められて、つい俺まで嬉しくなってしまう。
「良いだろ? 織り始めたら、まるで既に知っていることを思い出すように、するすると操作して、遂にここまでの物をつくるようになったんだ」
「それは何とも……不思議な才能……いや、才能とかどうとか言うレベルではないような。ある意味、これは異常だろう?」
異常という単語は気に喰わないので『非凡』と脳内変換し、その感嘆の言葉に思わずニンマリする。
「そうだな、これだけの非凡な才能を持っているということだな!
……でも俺は、アカリが非凡だろうと、普通だろうと、どちらでも良いんだよ。
あの子が、幸せになってくれればそれで良いんだ。
でも、あの子が凄いのは間違いないけどな!」
「結局そこか。でも、あの子の出自は気にならないのか?」
「気になるけど、とは言っても気にしても仕方ないし。
考えても仕方ないことは、考えなくてもいいと思うんだよ。
だってそれって、あの子が幸せになるのに絶対必要なことではないだろ?」
そう言うと、少し驚いたフォルテンはやれやれとばかりに首を振った。
それならば、と更にアカリの自慢をしようとしたそのタイミングで、それが聞こえて来た。
うぉおおぉぉぉんんん……
狼の遠吠え?
俺とフォルテンは一瞬で戦闘態勢に移る。
狼の遠吠えは、戦闘開始の合図とも言われる。
以前、最初に俺が湖畔で狼に追いかけられた時も、同じような遠吠えを聞いてから襲撃を受けた。
これが魔将ヤズデグの吠え声であるならば、作戦行動を開始する合図と考えることができるはず。
「来るぞ!」
フォルテンが叫び、シュテイナが、ジェリコが、ダーヴァイが構える。
ちなみに俺は無手。赤の短剣はエルナに貸しっぱなしだ。
森の木々の間から狼が現れる。
二頭、三頭、次々と体格が異常に発達した狼達が現れ、跳びかかってきた。
俺は手近な石を投げつけて迎撃する。狙いは過たず、的確に、リズミカルに狼の額を撃ち抜く。
礫になる石ならば周囲に大量にある。
撃ち漏らした敵も、フォルテン達が連携し撃退する。
目の前には、いつの間にか十数頭の狼がいるが、それらを寄せ付けない。
だが、致命打にもなっていない。
俺の礫で悲鳴を上げ、狼達はいったん下がるものの、いつの間にか戦列に戻っている。
フォルテン達も連携して見事な守りを見せるが、退かせることはできても殺すまでには至らない。
まずいな。
次々に狼が増えて行く。
数えられていないが、既に二十は超えているはず。
だが遮蔽物が多く全体が見通せない。
アカリを始め女性陣と、それに魔将アルジェンティの動きも気になるが、連絡の手段がない。
カクが居れば、遮蔽物を無視して敵を確認することができるのに。
ハチが居れば伝令として役立ってくれるのに。
スケが居れば光や音で合図ができるのに。
益体もない考えが頭をよぎる。
ただ、女性陣の方は、魔将アルジェンティと、同等以上の強さを誇るエルナがいる。
どちらかと言うと、危ないのはこちらの方か――。
そう考えた時に、ふいに視界が白く
慌てて周囲を見渡すと、岩場ごと霧が立ち込め、こちらまで白い霧に呑まれた。
(ひとまず霧で全体を覆いました。皆さんご無事ですか?
こちらは大丈夫です)
脳内に柔らかな声が響き渡る。
アルジェンティの念話のようだ。
(アルジェンティは念話が使えたんだな)
(この霧の内側だけです。霧を介さないと、目の前まで来てもらわないと使えませんので。それより、霧が限界以上の範囲まで広げています。
ひとまず集合しましょう、こちらにいらして下さい)
感覚的に、進むべき方角が感じられる。
念話とは、こんな抽象的な感覚まで伝えられるらしい。
近くにフォルテン達の気配を感じながらも、姿も正確な場所も掴めないことに不思議さを感じつつ、呼び寄せられた先に到着する。
「ユウ、無事だった?」
「エルナ! そっちこそ、無事だったか。
アカリは……大丈夫そうだな、良かった」
濃密な乳白色の霧がドーム状に周囲を覆うが、正面の霧が二つに割れて出て来た女性陣は、既に着衣し装備を固めていた。
その傍らには銀毛の大熊。
「皆さん、無事で良かった!
今日は、狼達がえらく数が多いのです。
既に周囲を囲まれてしまいました、外に出ないよう気を付けて!」
いつもの悠然とした態度と違い、どこか声に余裕がない。
それほどの大群で来た、ということだろう。
「この霧の中に居れば大丈夫なのですか?」
問うフォルテン、しかし返事は芳しいものではなかった。
「おおむね、としか答えられません。
既に何体も霧に侵入してきていて、全部を惑乱しここから遠ざけるのは正直難しいかも知れません」
「それなら、エルナが空からアカリや女性陣を少しずつ避難させてくれないか?
狼なら空は飛べないだろう」
コクリと頷くエルナに近寄り、こっそり耳打ちする。
(神樹の家にアカリを届けてくれ、あそこなら安全だ。
フォルテン達にはあそこは明かせないから、アカリだけでも頼む)
(わかった)
俺が時々出してしまう仕草を真似て親指を上げ、短く答えるエルナ。
赤の短剣を受け取りながら、まずは最大の心配事を解消して――
『がきぃん!!』
近くの岩肌から鋭い音が響く。
素早く目線を走らせると、岩に鋭利な棘状のモノが突き立っている。
俺とフォルテンが近寄り改めるが、材質不明、正体不明の棘、としか言いようがない。長さは三十センチ前後といったところだろうか。
ぎぃん! ぎぃん! ぎぃん!
立て続けに音が響き、その度に岩に新しい棘が突き立つ。
ここまでくれば、疑問の余地はない。霧の外から狙撃されているのだ、この棘で。
「アルジェンティ、霧を部分的に薄くできるか!?
このままだと、霧で棘が見えないから、避けようがない!」
仕方がありません、と呟いて、出来るだけ敵のいない方向に展開された霧を薄める。
全員、腰を屈めなるべく的を小さくしてそちらに向かう。
敵も一息ついているのか狙撃がない状態が続いたため、迅速に移動して霧の外側に出て――
「危ない!」
草むらから撃ち込まれた棘の射線がアカリを向いていることに気づいた俺は、考えるよりも先に体が動いて腕を差し出した。
ばすっ!
鈍い音が聞こえ、棘は俺の上腕を貫いた!
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