熊と狼と山嵐と亀

第50話 熊

臭う。人間の臭いだ。


縄張りの南端近くで嗅ぎ取る人間の臭い。

勝手に踏み入るとは度し難い。


苛々する。


臭いに覚えがある。

最近になり、良く嗅ぐ匂いだ。

複数ある。


去年も知らない人間が踏み込んできた。

だから噛み殺した、そのはずだ。

意識を混濁させる不可思議な領域で見失ったが、噛み応えは充分あった。


ああ、苛々するんだ、あいつら。


見回りを強化しよう。

散っている眷属を呼び寄せよう。


次にオレの前にその臭いを振り撒いたら、その時をソイツの最期にしてやる。

決して逃がさない。


そうだ、いけ好かないがアイツにも声をかけておこう。

必ず仕留めるために。


ついでにあの目障りな熊も排除してしまえたらいい。

アイツが力を貸せばできるかも知れない。


それでこの苛々が収まればいい。


***


「秋晴れとはこんな天気のことを言うのだろうな。

 空がどこまでも高く見える澄み切った空、頬を撫でる冷涼な空気。

 お日様が気持ちいいな、アカリ?」

「確かに気持ちが良い天気だね。

 君がこのような雰囲気を愛でるとは少し意外だったが、同感だよ」


手を繋ぐアカリに向かい話しかけたが、肝心のアカリはいつもの無表情、無反応を貫き、視線すらも寄越してくれない。

代わって返ってきたのはアカリの更に向こう側、勇者様一行の先頭を行くフォルテンからの言葉であった。

最近ではちょいちょい俺の家まで遊びに来て、さらに口調に遠慮がなくなってきている。


「見渡す限りの深く碧い湖面か。この湖の向こう側は第一魔王領に繋がるはず。

 この静やかな水面が領土を分かつというのも不思議なものだな」


そう言って一行パーティーは揃って湖を見渡す。

完全に物見遊山に来ているようにしか見えない。


「おーい、目的地はそっちじゃないぞ……。

 今日は水浴びに来ただけなんだから、寄り道するなー」

「ははっ、そう固いこと言うなよ。

 我々は森の中にそうそう入れないからな、滅多に来られないんだ」


この調子で、寄り道したり、立ち止まったり。

目的地になかなか着かないったら。


それにしても、森の中には人間は立ち入らない、と言っていたこと。

それをフォルテン達に教えて貰って初めて知ったが、なるほど、俺がこの辺に打ち棄てられた時に人影はおろかその形跡すらも見つからなかったのも道理という訳だ。

俺を放り出して行ったのが何者かは知らないが、わざわざこの森の中に捨てて行かなければ、また違った未来があったのかも知れない。


……まあ、碌なことにはならかっただろうけど。


暇なので益体やくたいもないことを考えながらぶらぶら歩いていると、向こうからエルナが飛んで来るのが見えた。


「遅いよー。待っているのに、中々こないんだもん。

 何をやっているの?」

「俺に言わないでアレらに言ってくれ。

 寄り道ばかりで進みやしない」


そう言って指を差した先からフォルテン達が小走りで近づいて来た。


「や、失敬。ついつい素晴らしい風景に目を奪われてしまったよ。

 オティリスが腕によりをかけた昼食ランチも用意してきたから許してくれ」


そういってこれ見よがしにバスケットを掲げ、にこやかに笑いかける。

それを受けて、エルナの方も笑顔を返す。

完全にピクニックである。


「おや、昼食ランチですか。それは楽しみですねぇ。

 私も参加させていただいてもよろしいでしょうか?」

「えっ?」


岩陰からぬっと現れる銀色の毛並みをした巨大な熊、魔将アルジェンティ。


「~~~~~~~~!?!?」


フォルテン以下、声にならない悲鳴を上げる。

俺もこんな感じだったなぁ、と懐かしさすら感じた。


「驚かせてしまい、申し訳ありません。

 私はルーパスの友人のアルジェンティと申します。

 人間の皆さん、よろしくお願いします」


挨拶をしてぺこりと頭を下げるアルジェンティ。

ちなみに、外野からは魔王だの魔将だのと呼ばれているが、ルーパスと魔将達の間に上下関係というほどのものはない。精々が餓鬼大将と子分、くらいの間柄だ。


「フォルテン、大丈夫だ。アルジェンティは、見た目は怖いが中身は温厚そのもので、危害を加える可能性はゼロだ。

 襲い掛かれば反撃するだろうけれど、得意なのは惑乱と隠遁。ほぼ攻撃しない。

 彼の仲間を襲ったり傷つけでもしない限り何の問題もないよ」


にこにこと微笑む熊、というのも絵面にし辛いが、それと分かるほどにこやかな表情でこちらを向いているアルジェンティに、フォルテン達も緊張を解いた。少しだけ。


「どちらかと言うと、問題は向こうの森に居る狼の魔人の方なんだ。

 俺も以前襲われて、酷い目にあった。

 アルジェンティにここに来てもらったのは、実はそいつらの襲撃があった場合に護ってもらうためなんだ」

「向こうの森……で、狼。

 それはヤズデグだな。第二魔王軍の魔将の一角だ」


え? 第二魔王軍?


「この辺は、第三魔王軍の勢力圏ではないのか?」

「え、知らなかったのかい?

 この湖畔を境に、南側が第三魔王軍の勢力圏。北側が第二魔王軍の勢力圏。

 だから、この周辺はちょうどその中間地帯なんだぞ?」


聞いてませんでした。

思わずエルナとアルジェンティの方を見る。


「ああ、第二魔王軍……人間達はそう呼んでいるのね。

 確かにあいつらはヴィストシャニィとかいう奴の仲間らしいけど、あんまり勢力圏とか意識してなかったから……そか、言ってなかったっけ?」

「第二とか、第三とか言われても、あんまりピンと来ないんですよ。

 向こうの森を縄張りにしている狼魔人達が襲ってくるから追い返す、それで良いのでは?」


呑気なものである。


「第二魔王ヴィストシャニィ。

 この森の辺縁部西側を主な勢力圏とする武闘派魔族。

 ざっくり言うと、森の中心を第一魔王軍が、辺縁部の南側から西周りで北東までをヴィストシャニィが、東側と北東をルーパスが縄張りとしている、と人間側では分析している。

 と言っても、ヴィストシャニィの活動圏はあくまで西側中心で北側から北東にかけての活動はそれほどでもないと認識されているんだ」


フォルテンが分かりやすく説明してくれた。


「第三魔王より、第二魔王の方がずいぶんと活動圏が広いんだな?」


ざっくり言って、第二魔王の勢力圏が全体の三分の二、第三魔王の勢力圏が全体の三分の一。単純に考えれば倍の勢力ということになる。


「元々、第一魔王軍から離反して森の辺縁部に拠点を構えたのが第二魔王軍、その第二魔王軍から分裂したのが第三魔王軍、と言われているからな。

 第三魔王軍で確認されている魔将はシーニスとアルジェンティの二体に対して第二魔王軍は確認されているだけでも六体いるとされている。

 それに、第三魔王軍にエルナという未確認の魔将クラスの存在がいるのと同様、第二魔王軍にもまだ認知されていない将がいる可能性もある。

 何しろ好戦的だからな、第二魔王軍は」


なるほど、好戦的なのか第二魔王軍とやらは。

仮にも第三魔王軍と呼ばれている勢力圏で起居しているのに、第二の方をまるで知らないんだな、自分で思う。


「そして、この辺りを縄張りにしている第二魔王軍の魔将は二体、と言われている。

 最も活発で、人間側から観測されるのが狼の魔人、ヤズデグ。

 眷属の狼を引き連れて、言ってみれば群れでひとつの群体を成しているような、厄介な個体だ。われわ……この辺の守護を司る征魔貴士ウルザイン家と衝突することも良くある、好戦的な性格だ」


狼。この辺で狼。碌な記憶がない。

ぎぎぎっと音をきしませながらアルジェンティの方を見遣り、聞いてみる。


「なあ、アルジェンティ。

 お前確か、この辺でしょっちゅう狼とじゃれ合っているよな?

 あれってひょっとして、その魔人ヤズデグとかっていう奴なのか……?」

「おやおや、私が狼達とやり合っていること、良くご存じですねぇ。

 人間達がアレの事を何と呼んでいるかは存じませんが、でもまあ、この辺の狼達はだいたいアレの子分みたいなものですからねぇ?

 たぶん、そのヤズデグさんで合っていると思いますよ」


やっぱりか。

二度も襲われて、しかも一度は文字通り死んでいるからな、肉体的に。

苦手意識しかない。帰りたくなってきた。


「まあ、大丈夫ですよ。

 そのために私が御供しているわけですから。

 私の能力は危害を加えるのには向きませんが、護ったり隠したりするのには合っていますので、ご安心を」


そう言ってニッっと笑う銀の大熊。


第二魔王軍魔将への警護に第三魔王軍魔将がついてくれるのだから、贅沢極まりない待遇に違いはない。


「わかった……頼んだよ、ほんと」


俺のその言葉へ、アルジェンティは満面の笑みで応じてくれた。

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