第14話 奴隷
陽光降り注ぐ薄緑色の道。
暖かな感触を堪能しながらゆっくりと歩く。
春の盛りに赤や白で彩られた街道は、芽吹いた草花の濃厚な緑の薫りに満ちる。
「春だ……」
この世界に来た時は、晩秋の寒空の下、冷たい透き通るような空気を吸い込みながら目覚めた。
様々な出来事を経て、生命力に満ち満ちた春の季節が到来した。
この力強い季節の空気を、文字通り生まれ変わった体の全身で堪能する。
道に出て、木の枝を倒して行き先を選ばせると、枝は北を指し示していた。ちなみに、方位磁石がなくとも、方位はなんとなく分かる。
どれくらい歩くと、何が見えてくるのだろうか?考えるだけで、気持ちが高揚するのを感じる。
本来であれば警戒心を怠るべきでないのだろうが、これから文明と出会えるかも知れない、と思うと自然と気持ちが浮き立ってしまう、そんな旅路であった。
***
そんなことを考えていたら、何もなく丸二日が経過してしまった。
今は三日目、すでに太陽は中天にある。
歩けども、歩けども、何もそれらしきものが見えてこない。誰ともすれ違わないし、本当に人はいるのかと不安になってくる。
そんな不安を抱えてながら歩いていると、遠くに砂塵が舞っているのが見える。しばらくすると、向こうから馬らしきものに引かれた多数の馬車の一隊が見えてきた。
格段に良くなった視力で見えるのは、サラブレッドより一回りも体格が良い、毛の長い馬のような生き物。
その毛長馬に牽かれた何台かの馬車と、それを取り囲むように並走する騎乗した者達。
「おーい!」
未知との遭遇を恐れず、手を振り声をかける。
すると、騎乗した者が手を振り返し、駆け寄ってくる。オープンフェイスの兜と革鎧のような出で立ちで、槍のようなものを片手に抱えていた。
ここは謎の土地、俺が出自も明らかでないと分かったら、予告なく攻撃してくる可能性もある。
いざという時の逃走経路を確保するため、森に飛び込みやすい位置取りをして、馬の乗り手を待つ。
かなり距離が近づき、いよいよファーストコンタクト……と考えてると。
「駆けろ!!」
急に、騎乗した男が叫び、馬車の一団が急加速する。
その馬車を護るように騎乗した男達が由宇と馬車の間を遮り、油断なくこちらを睨みながら駆け抜けていった。
あまりの豹変に呆然とする。
既に馬車は小さくなり、砂塵に隠れ殆ど見えなくなっていた。
馬車が来た道を見やると、騎馬の小さな後ろ姿が見える。
全てが駆け去ったわけではなく、引き返す者もいたようだ。
この対応……嫌な予感しかしない。
帰って神樹の家で引きこもった方が良いのでは?と、そんな弱気がもたげてくる。
しかし、このまま訳も分からずに引き返したら、二度と戻れないかも知れない。
そうだ、行くしかない。
警戒心を高め、いつでも森に入れるよう、森の側を歩く。
相変わらず村落も道標も見つからないが、ごつごつとした岩が道沿いに出てくるようになり、やがて街道を挿んだ森の反対側の方が開けてくる。
やがて、左手に森を見て右手に大きな平原が開けてきた先、街道が伸びる向こうに何かが見えた。
眼を凝らして見る。ちょっとした双眼鏡並みに遠くの景色が見えるようになった眼に、自然物ではない塊が見えた。
今はまだ豆粒のようだが、間違いない、建造物だ。
道が少し森から逸れ、その建造物に向かって伸びてゆくのが分かる。
遂に、見つけた。
人工的な建物。文化の一端。
未知との遭遇を前に、期待と緊張に喉がヒリつく。
そのとき、頭上で甲高い鳥の鳴き声が聞こえた。
見上げると天高く円を描きながら、悠然と鳥が飛んでいる。
太陽が眩しい。
手で陽光を遮る。
突然、鳥が急降下してきた。
鳥は俺の頭を掠めるように降下して、そのまま急上昇して行く。
慌てて身を仰け反らせ、回避する。
「!!!」
体を後方に反った隙に、分銅を両端につけた縄が身体に巻き付く。ボーラと呼ばれる武器に似た、狩猟に使われる道具か。
足や手に、次々と絡みついてきて、自由を奪われる。
森の中に逃れようと焦りもがいていると、後方から何かで後頭部を強打され、そのまま意識を失った。
***
冷たい。
目を覚ますと、身体中、特に後頭部がひどく痛む。
体を見回すと、あちこち拘束されていた。特に手枷と足枷がゴツい。
首にも、何やら大仰な首輪を嵌められている。
体勢を整えようと身動ぎすると、右半身の感覚がない。
一瞬焦り、身をよじらせて自分の身体を確認したが、右腕も体も、ちゃんとある。
転がされている面の荒い石畳の上が冷気を漂わせている。この冷たい石に冷やされ、感覚がなくなっているようだ。
だが、それだけでもない。
何か、身体の力がうまく働かない。
感覚も右半身に限らず鈍磨している。
疲労かなにかだろうか、活力が抜けてしまうというか……
「起きたか」
扉が乱暴に開けられる音が響く。
床に転がる不自由な体勢で首を捻り見遣ると、無精髭に短く乱雑に髪を刈った、中背だが筋肉質の男が入ってきた。
薄汚れた服の上から、手入れもロクにされていなさそうな傷だらけの革鎧を着て、腰に剣を吊るし金属製の太い鎖を身体に巻き付け、こちらを見下ろしている。
男に続いて、ぞろぞろと似た風体の男達も入ってきた。
男が俺の髪の毛を掴み、顔を持ち上げる。
「一匹で何しにきやがった?」
それだけ言うと、じっとこちらを見ている。
「なん……の……ことだ……」
冷えきって感覚も覚束ない筋肉はうまく動かず、ヒリつく喉から声をなんとか絞り出す。
男は目を細めて、そのあと俺の顔を思い切り蹴った。
目の前が白くなり、続いて口の中に血の味が広がる。
「つまんねぇこと言ってんじゃねぇ。
あの森から何しに這い出て来やがったんだ、と聞いたんだ。
魔王軍の手先なんだろ?
何匹で出てきたんだ?目的はなんだ?」
大声で威嚇するでもなく、髪を掴み目を見据え、静かに問いかけてくる。
魔王軍だと?
そんなもん、大真面目で言っているのか、こいつら?
ろくな装備もない男一人に向かって、本気か?
疑問は尽きないが、そんなことを考えている余裕などない。
意味のわからない尋問と、殴る蹴るの暴行を交互に受け、何も考えられずにただ転がっているだけの状態になって、ようやく解放された。
次の日から、最初に尋問した男は現れず、変わって後ろにくっついていたゴロツキ風の男共が相手をした。
とは言え、最初の日と同じ内容の繰り返し。
文字通り食事も与えられず、時々かぶせられる水をすすってしのぎ、ただひたすらにいたぶられ続ける日々。
やがて、そいつらを見るだけで恐怖を覚え、俯いて体を固くするようになった。
そいつらがゲラゲラ笑う声を聞くだけで身がすくむ。
そんな日が続き、やがて最初の男が再び現れた。
「お前が結局何だったのかは知らねぇが、助けも、様子見さえも現れねぇようだな。
捨てられたんだな、お前」
そう、蔑むような視線を寄越しつつ、男は続ける。
「俺はお前が何でもないなんて金輪際思わねぇが、捨てられたんなら、もうどうでもいい。
お前は今日から、この砦の奴隷だ。
短い間だろうが、死ぬまでこき使ってやる。
もし魔王軍のことをしゃべる気になったら、最後の慈悲くらいかけてやるから、言え」
そう言い捨てて、男は出ていく。
後ろに付き従う男が、下卑た笑みを浮かべつつ、蹴りを一発くれてから、
「ほれ、エサだ」
といって、腐ったら果実を二個ほど放り投げて、出ていった。
床に落ちた潰れ腐った果実を拾い、ここに着て初めての食事を取る。
味なんてわからない、ただ体が欲していたから、貪った。
床の、果汁の染みた跡と、残った種を見て、初めて俺は泣いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます