第13話 遺体
遺体を目の前にしている。
鏡の中で普段から見慣れた姿。
それが遺体となったもの。
自分の遺体をここまでしっかりと見た人間など、そうは居ないだろう。
思わずしんみりとしそうなものだが、それ以前に、その痛々しい姿に言葉がない。
身体中が裂傷、切創、挫創、なんでもありの傷だらけ、である。
衣服は無数に裂け、血に染まり、泥に塗れている。
狼に遭遇し、
ここまで酷使させてしまったことを詫びながら、ここまで頑張ってくれた自分の身体に感謝し、黙祷を捧げ、最後の別れをする。
そして、遺体から必要なものを取り出す。
まずは、結依に貰ったお守りの黒水晶。衣服、靴は、もうボロボロで修復不能だろう。
失くしたと思っていたターボライターは、ユイが回収してくれていた。ユイに感謝。
懐を探ると、キーホルダーが見つかる。
今の身体では、仮に手段があったとしても元の世界には帰れないだろう。なら、この鍵には、金属の板としての意味しかない。
俺にとって重要なものは他にある。俺が飼ってきた歴代の猫達の遺毛が入ったロケットが、このキーホルダーについているのだ。
幼少期からの思い出。これも回収対象である。
そして財布。
こちらもお金としての意味はもはやないだろうが、金属という点で、何かの役に立つこともあるかも知れない。
念のために確保だ。
こんなものか。
思ったよりも、持っていくものは多くないのだな。
これで、本当に、日本との繋がりも切れてしまった。不安と、寂しさが、じわじわと胸に迫る。
……いや、前を向かないと。
自分の遺体を前に、改めてこの世界で生き抜くことを、自分自身に誓った。
***
目標まで、およそ百メートル。
少し離れた場所から、ユイが見ている。
その彼女の側には、二十枚の葉がついた、子供の握り拳程度の木片が浮いているのが見える。
その木片は、時間を測定するための道具なのだそうな。つまり、ストップウォッチだ。
名前を、トプクィ、と呼ぶ。
ユイが、手を叩く。それと同時に、本当に手を叩いた時と同じような、乾いた音が響いた。
こういう細かい仕草にこだわるのは彼女らしい。
そして、同時に
俺は、音がしたのと同時に駆け出し、対象とした木まで全速力でダッシュ、タッチした。
タッチしたのと同時に、ユイが
最初の枝を折ると時間の測定が開始され、次の枝を折ると時間の測定が終了する仕様だ。約一秒で一枚閉じる葉の数を数える。
「時間は……およそ、十
百メートル十秒。
世界級の記録を、何気なく出せる。
凄まじい身体能力。
「私が聞いていた性能からは全然足りてないけど、ま、まだ転生したてだから仕方がないわね」
……
それはともかく。
百メートル走以外にも、跳躍力、瞬発力、持久力、視力、聴力、などを一通り確認した。
筋力だけでなく、神経系も高い性能を誇り、運動神経や視神経、もしくは聴覚なども、驚くほどスペック向上している。
「……ま、大体こんなもんね。
仕方がないわね、外出を認めてあげるわ」
ユイのお墨付きも貰うことができた。
旅立ちを急ぐ俺に対して、ちゃんと身体が定着したのかを見てくれたのだ。
俺のような初心者であれば、本来ならば一年は落ち着くべき。
そう言われたものの、
ユイは呆れていたが、それでもここを離れて大丈夫かをテストしてくれるあたり、とても優しい。
ユイを見ながらそんなことを考えていたら、あらぬ方に顔をそらしてしまった。
照れているのかな?
「あいたたたたたっ!!!」
突然、目の前が白くなり、身体中を激痛が走り抜ける……電気ショック?
「余計なこと考えないでよね」
顔を背けたまま、そう警告される。
勝手に心を読んで、照れ隠しに電撃ショックとか……ヒドすぎる。
しかし、ユイが認めてくれたのだから、つまり準備が調った、ということ。
電撃のせいで少し縮れてしまった髪を撫で付けながら、期待に両拳を握りしめた。
追伸。縮れた髪は、一晩寝たら治ってました。
***
「それじゃ、行ってくるな」
背中に大きな袋を背負い、意気揚々とユイに向かって手を振る。
「好きにしなさいとは言ったものの、全く、落ち着かないわね……」
呆れたように溜め息をつくユイ。
俺は、これから、あの道をたどり、異世界を巡る旅に出ようとしている。
転生してから、およそ三ヶ月。
新しい身体に馴染むようリハビリを兼ねて、勉強や運動に勤しみ、今日を迎えた。
新しい身体は若々しく、体感ではまだ十代後半くらい。
「遊び呆けてないで、たまには帰ってきなさいよ?
貴方の土産話が、仮契約の報酬なのだからね」
旅立つと決めた後の、ユイとの話し合いで、俺が見てきたことをユイに話すこと、それが命を二度も助けてもらったことに対する報酬ということに決まったのだ。
随分と都合の良い報酬、という気はするが、これならば守れそうで良かった。
植物といえども知的存在。暇は感じるのである。
たまには変化が欲しい。らしい。
ちなみに、ユイも鳥や獣の意識を借りて外界を見ることはできる、と言っていた。
困るのは、何処に行って、何を見たらいいのか、良く分からないこと。
とにかく、外に出て、様々な事物を知りたくなる俺とは、全く異なる。これが種族の差というものであろうか。
まあ、そんなだから、彼女の知識はかなり偏っているように思う。
なんでも、意識が覚醒した時には既に今の知識が
そこから、あまり変わっていない。
だから、人間を含めた異種族の現状も、文化の有り様も、全く知らないらしい。俺の今の強化転生体とやらが、今世で一般的なのか、レアなのか、それすらも。
……文明、滅んでいたりしなければ良いのだけど。
そんなわけで、俺が自分の足で確かめてみるわけである。
まずは以前見つけた道の先を見に行きたい。
ユイが揃えてくれた、旅に必要な荷物を背負う。
「必ず、また戻ってくるよ。
その時は、いろんな土産話を用意してくるから、待っていてくれ。
楽しいを共有する、が俺のモットーだからな!」
死にかけたのを生き返らせてもらって、回復したらリハビリもそこそこに飛び出していくのは、我ながら恩知らずな行為の気がする。それでも、外の世界を見たいという気持ちは抑えられない。
ユイの本当の気持ちは分かりようがないけれど、この世界を探検して、いろんな苦労や思い出を共有していけば、いつかきっと彼女の気持ちも見えてくる。
それを期待している。
俺は、この世界で目覚めてから初めて、この世界に期待に胸を脹らませて、足を踏み出す。
こうして、俺は意気揚々と旅に出た。
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