第9話 越冬

目の前に、神樹がある。


神を冠した単語とは恐れ多いとばかりに、頭の中で樹木とか樹とか文字を当てていたら、いたくお気に召さなかったようだ。

これは神樹だと怒られ、家の中の樹を見て神樹という単語を思い出すまで矯正……いや、調教された。


その結果、この樹を見たら、反射的に神樹と頭に思い浮かぶようになっていた。

恐るべし。


あとついでに、その過程でユイという名前も俺の頭の中に定着した。


……頭の中で使う単語にまで干渉されることには、正直、めげた。


気を取り直そう。


折角の異文化の邸宅である。

その主かつ管理者が植物というのも、非常に興味深い。

その管理者からは自由に振る舞ってよいと言う許可をもらっているため、張り切って家の探検を始めた。


まずは玄関から。


玄関は、ちょっとした部屋くらいの大きさがあった。


素材は全体的に、木材でできている。

木材なのだが、色は全体的に白く、ホワイトナチュラルの雰囲気に近い。

壁に鼻を寄せると、ほのかに木の香りが漂う。


支柱は、主だったものは、どうやらまだ生きているようだ。

と言っても、いわゆるヒダヒダのボコボコな樹皮に覆われているわけではなく、幾何学的と言いたくなるように伸びていて、木肌も艶やかで凹凸がほとんど見られない。

ではなぜ生きていると思うかと言うと、葉が生えているのである。

それも、わっさわっさとしているのではない。

要所、ピンポイントで、まるでデザインされたアクセントのように生えているのだ。


フレームは、素材感としては同じだが、これは木材なのか、生きているのかは、見た感じでは判断がつかない。

ただし、普通に茎だか蔓だかが走っていて、葉も生えていれば、なんなら花だってところどころ咲いている。

ただし無秩序に咲くのではなく、全体的な構図の一部であるかのように、慎ましやかに咲き誇っていた。


この雰囲気は、この邸宅の中の全体に共通している。

正直、日本でもちょっとエキセントリックではあっても、デザインハウスとして存在しておかしくないレベルのセンスである。


これだけ、生きた植物に囲まれているためもあってか、空気も清涼だ。

邸内全体に、若草と花の香が混然一体となった微かな香りで満たされており、深呼吸をすると、それだけで心身がリラックスできそう。


そんな空気を吸い込みながら、改めて玄関を見直す。


邸内は土足で移動するため、上がりかまちは存在しない。

床は、全体的に、短く刈り込まれた芝生のようなもので覆われている。

色は、淡い若草色のような感じで、芝生よりも薄く、目に優しい。

手触りが秀逸で、上質な絨毯のように手触りが良く、生きた植物のためかややしっとりとしている。

不思議なのは、泥などで汚しても、いつの間にか綺麗になっているのだ。


この広々とした玄関の空間は、正面の広間に出る手前、左右に小部屋らしきスペースと、それぞれに扉が存在する。


早速、まずは右の扉から開いてみることにする。

ドアノブに手をかけて――開かない。

ユイに頼んでみよう。


『ユイー、この扉開かないんだけど、開けてくれないかな?』


すると、すい、と目の前にユイが現れて、答えてくれた。


『貴方が入っていい場所は入れるようにしてあるし、入ってはいけない場所は閉ざしてある、それだけよ。

仮契約の分際なのだから、不便は諦めなさい』


言うだけ言うと、またスッと消えていなくなる。


つまるところ、仮契約中の俺に入って良い場所ではない、ということらしい。

残念。


気を取り直して、正面の扉を開き、広間に入る。


広間は、文字通り広い。

畳数で言ったら、三十から四十畳くらいあるのではなかろうか。

その広い空間だが、構成する物は少ない。


扉から入ってまず目に入るのは、正面の大きな円卓。

直系二メートルくらいはありそうな木製で、削り出しと言うよりも、最初からそういう形の木に見えるほどの一体感である。

横に引き伸ばしたカクテルグラスのような形状、色は他よりも少し濃い。ベージュとでも言えばいいのか。

円卓の上には何も置かれていない、綺麗に磨かれたような平面。

ぴかぴかしている。

美しいが、少々物足りないと思うのは、雑多な生活をしてきたためだろうか。


その円卓の奥には、ユイの本体、神樹がある。

改めて見ても、その大きさに圧倒される。


幹の太さで二メートル足らず、くらい。円卓よりも少し小さい。

しかし、他の建材に組み込まれた木々と異なり、こちらは葉が繁茂している。

枝を伸ばした直径は、目測で五メートル程度か。部屋が目測で六メートル程度であるため、覆いつくしている感じだ。とはいえ、枝葉は身長より高いところできっちりと留まっており、人間が木の下を通行するのに不便はない。


その高さは、三階分ぶち抜きというか、吹き抜けで屋根裏まで伸びている。こうなると高さは良く分からない。

木を剪定しているわけでもないだろうに、綺麗に整えられた形をしている。


この邸宅はユイのもの、と彼女が言っていたが、なるほどと思えるのは、その神樹を中心に窓が構成されているのだ。

三百六十度、ぐるりと窓に囲われ、雨風の影響を受けずに日光を採れる。

また、窓はユイが自由に開閉できるらしく、時折邸内に森の風が吹き抜けるのを感じる。

まさしく、樹のための邸宅。


見上げると、一階だけでなく二階もあり、三階部分にも何かありそうだ。

木を伝えばあるいは登れるかもだが、やったらユイに怒られるのは目に見えている。

君子、危うきに近寄らず。


その他に、二階部や三階部と思しき天井から、乳白色の球形をした大きな玉が、緑色の紐……蔓のようなものにぶら下がっている。

それも、いくつか用意されているようだ。


この球状のものが、夜になると、柔らかな銀白色を放つのだ。

まるで、天井に小さな月がいくつも現れたようで、幻想的に美しい。

散文的に言えば、これは電球の代わり、照明なのだろう。

蛍光灯のように強い光ではないが、電灯のよりも優しい光。


ちなみに、広間に入って左手方向には、枯れ木のような形状の棒が突っ立っている。いや、この邸内のことだ、ひょっとしたら生きているかも知れないけれど、見た目では分からない。

植物がコートハンガーを使うとも思えないが、何のためにあるのだろうか。


ともあれ、これが、この広間を構成する物だ。

高級感はあるが、生活感はない。


さて。


神樹を通り越すと、広間の入り口とは反対側に、また扉が存在する。

こちらの扉は――ちゃんと俺でも開くことができるようだ。

扉を潜り抜ける。


広間の奥、扉を抜けると、廊下に出る。

右手側は窓が嵌められた壁。左手側に廊下が伸びている。


正面の壁には、三枚の扉。

ここは一度使ったから分かる。


右手側がトイレ。

水洗ではないが、洋式トイレのように座って用を足す構造で、部屋全体に強い緑の香りが充満しており、臭いはしない。

ちなみに致した後の物は、草に飲み込まれ、どこに行ったかわからず。

草の汚れも消えてしまうため、まったく汚さが感じられない。


……てか、樹の邸宅なのに、なぜに人間用のコレがあるのか。


『前に話したでしょ。パートナー用よ。』


す、とユイが現れ、それだけ言って消える。

……俺って、監視されているのだろうか?

なら、一緒に回ってくれればいいのに。


トイレの次、正面の扉を開くと、浴室がある。

以前使った、あのさやえんどうの殻の沐浴施設だ。

ユイからは、好きに使ってよいと言われているのが、ありがたい。


最後の左の扉を潜ると、そこはキッチンだった。

こちらも、以前見たので、大体の配置はわかる。

しかし、どう使ってよいのかは、現時点ではさっぱりわからない。

一つ分かっているのは、笹団子風にラップされた栄養バーの存在。

あれは、大量に保管されており、いくら食べても良い、と聞いている。

もし味を変えたければ、一週間待てば、別のバリエーションにもできるとか。

時間感覚が木のそれであることを除けば、非常に助かるというものだ。

そのキッチンの奥には、居間のような、寛げる空間が広がっている。

中央に立方体の苔石のような物があり、何かと思えば、ソファーのように座るモノのようだ。

濃緑色の矩形であり、見た目は硬質だが、さわると適度な抵抗をうけつつ変形をする。

座ると、へにょん、と凹み、しかし沈み込みすぎずに丁度良い深さで体を受け止めてくれ、椅子としての機能を果たす。


立って、座って。立って、座って。絶妙な感触を楽しむ。

…なんか楽しい。


壁には大きな窓があり、カーテンがわりなのか大きな葉のついた蔦が数本、上から垂れており、光を遮る構造となっていた。

窓には透明な板がはまっているようだ。

近づいて、触って、透かして見てみると。

ガラスの、冷たい硬質な感覚よりも、少し衝撃を吸収する、穏やかな感触。

ガラスよりもアクリルに近い質感、なのにガラスのように透明感のある素材。


ここの文明がどういうものか、その正体は未だ不明だが、邸宅の建材や構造、こういった素材や家具などをから、デザインや機能性、居心地の良さ、いずれも現代日本と比較しても遜色ない。


居間を出る。

ちょうど、広間を出て左手方向、廊下の角を曲がったあたりのようだ。

廊下はまだ続いていて、居間へ通ずる扉の他に、もうひとつ扉があり、その先は突き当りとなっている。

ということは、次が一階の最後の扉、というわけだ。

最後の部屋は、どのような??


扉を開き、中を覗く。どうやら寝室になっているようだ。

ベッドは矩形で布張りであり、布団も似たような外見をしている。

誰がベッドメイクしているんだ――なんてつまらない追及つっこみは置いておいて、ひとまずベッドを触って、押してみる。

ここまでの様子から想像していたが、ホテルのベッドと比しても遜色ないレベルの、柔らかく寝心地の良さそうな手応え。

試しにダイビングしてみると、飛び込んだ体をベッドが優しく受け止めてくれた。


ベッドに入り込み、ふとんまでかぶってみる。

予想以上の柔らかさと暖かさ、それに仄かな緑の香りがリラックス効果を生み……そのまま寝てしまいそうだ。


……いや、まだ探検は終わっていない。

居室の奥に、隣へと続く入口があるのだ。


奥の細い通路を通り隣室にはいると、少し黴の匂いを含んだような、懐かしい香りがする。

この空気、この景色は、紛れもない書庫のそれだ。

立方体に綴じられた、紙の束。

使われている紙は、やや湿り気を帯びて、ごく薄い緑色をしている。

メンソールのような香りがツンと鼻の奥を刺激する。


ちょっと胸が躍ってきた!

未知との遭遇。とりあえず、手近な本を取り出し、ぱらぱらと流し見。


紙の上に黒く引かれた線の模様は、文字なのだろうが、見たことがない形だ。

流線型で横につながる様は、なんとなくアルファベットの筆記体を彷彿させる。

直筆か、印刷か?

書き方からは、どちらとも分からない。


『貴方、文字を読めるの?』


突然目の前にユイが表れる。


「ああ、読めないよ。

でも、俺の祖国でも本はあるから、この雰囲気だけでも懐かしいんだ」


『とても本なんか読むタイプにはみえないけどね。

字を読めるだけでも意外だわ。

フリだけなのじゃないの?』


そう言いながら、後ろから手元の本を覗き込んでくる。

近づいた横顔を見て由依を思い出してしまい、ドキッとする。


「読みたいのだけど、さすがにこちらの字は読めないよ。

仰せの通り、雰囲気だけ楽しんでいたんだ」


苦笑して、本音を語る。

近い横顔に動揺したが、流石に状況に慣れてきた。

心の平静を取り戻し、鷹揚に応じる。


そんな俺を見ながら、ユイが提案をしてくれる。


『仕方ないわね。

冬の間は暇だから、言葉と文字くらい教えてあげるわよ』

「ほんとか!?

それはありがたい、頼むわ!」


予想外の提案に、つい勢い込んで、顔を近づける。

予想以上の反応だったのか、心持ち目を見開いて、こちらを見返すユイ。


『ほんとに暇なんだなら、特別なんだからね。

あんた返せるものないのだから、せめて私を師匠と敬いなさいよ』

「どこでそんなフレーズを覚えたんだ……」


とは言え、そんなフレーズを覚える情報源ソースなど、ひとつしかない。

プライバシーの侵害、と言いたいところだが、それでも文字を教えてくれると言うのは得難いチャンスなのだ。

素直に感謝しなくちゃいけない、と思う。


『そうよ。

ちゃんと感謝して敬いなさい?』


微笑を浮かべて、何も口に出していない俺にそう言うのだ。

……やはり、心だの記憶だのを勝手に覗くは、やめて欲しい……


***


こうして、奇妙な家でのユイとの共同生活が始まった。


ここの言葉と文字を教えてもらいながら、短くも厳しい冬を過ごす。

正直、あのまま野宿生活を続けていたら、間違いなく死んでいただろう。

話し方はいちいちアレだが、それでもユイには感謝しかない。


結局、ここがどこなのか、どんな歴史を持ち、どんな文化なのか、良くわからないままだった。

箱入りお嬢様のユイはあまり外の世俗的な事を知らず、あるいは明らか話をはぐらかすこともしばしばであった。

正式の契約者でないから、どこまで話して良いか彼女自身から迷っているようで、余計なことは語らない、というスタンスなのだ。


やはり、冬を越えたら、自分で世界を見てみるしかない。

そのために、今はここの言葉を知ることに専念しよう。

そんな俺の心は知っているだろうが、ユイは何も言わずに教えてくれる。


この世界での生活も、軌道に乗ったとまではとても言えないが、拠点とも言える家ができたし、言葉と文字という、世界を知る上で重要な技術を身につけられた。

まず、足掛かりを得るくらいまでは出来たと言ってよいのではなかろうか。

そんな確かな手応えを感じた。


それが気の緩みにつながったのだろうか。

冬を越し、春を迎えてから、俺は死を迎えることになったのだ。

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