第3話 森の探索
この見慣れない森は、色々な意味で、凄かった。
肌を冷やすこの気候で、これだけ青々とした葉が繁茂しているというのも由宇の常識を大きく外しているが、そこで育まれる森の恵みは更に想像の斜め上を行っていた。
森に入って小一時間で、昼の食糧は見つかったのだ。
小ぶりな木に生っている、巨大なピスタチオの殻のような外見の拳大の実。
これをもぎ取り、ちょっと力を入れるとパカリとふたつに割れる。
中には巨峰のような粒状の実が幾つか生っていた。
ひとつもぎ取り香りを嗅ぐと、オリーブオイルのような香りが匂い立つ。
薄皮を向き、剥き出しになった果肉の汁を少し手首の内側に塗り、唇、舌先と徐々に口に近づけて反応を見る。
反応を待っている間も、その実から美味しそうな香りが立ち上ってくる。
空腹と、そのあまりに食欲をそそる香りが、大変辛い。
一口齧ると、口中に豊かな果汁が広がる。
甘くない。
例えるなら、鶏肉のササミのような風合い?
淡白だがしっかりした果汁が広がる。
たまらず二口目を齧ると、果肉の内側から、ジュレ状の液体が口内にビュ!と噴き出してきた。
あれ、大丈夫か!?
突然の出来事に焦る……が。
ぷるっとした食感にオイリーな風味。
適度な塩気。
それにバジルのような濃厚なハーブの香り。
ササミのような肉々しい味に、ジュレソースのような果汁が混ざり合い、一品の料理が口中で完成する。
……ここまでくると、危機意識なんて吹き飛ぶ。
なにこれ、美味しい。
こんなのが、野生であって良いのだろうか。
しかし、これだけではなかった。
探してみると、他にも色々な不思議果実が出てくるわ、くるわ。
トマトにズッキーニの細切れを仕込んだような果実。
オックステールスープのように濃厚な果汁を含むココナッツ的な果物。
鹿児島名物かるかんのような食感の甘味、中にパッションフルーツのようなソース入り。
ここはどんな食のテーマパークだ!?
いや、食だけではない。
食べられるものを探しているうちに見つかった、不思議な植物のパーツ達。
コップのような都合の良い実がなる木、ロープの代わりになりそうな丈夫な蔦、規格品のように形の揃った、建材に使えそうな枝。
他にもいろいろ。
もちろん、全部が全部、そんな都合の良い植物であるわけはない。
ほとんどは普通だ。
だが、頑張れば、御都合不思議植物が見つかるのだ。
こんな便利な恵みをもたらされるとは、なんて植物に愛された土地なのだろう?
思わず、知らない世界にほっぽり出され、サバイバル状態にあることを忘れて探検に夢中になってしまう。
そうして、何時間か彷徨い歩き、ふらふらしているうちに、湖畔に出た。
出発地点である湖の、別の場所であろう。
相変わらず美しい曲線を描く
湛えられた水は深い碧色に沈む。
湖面はさざ波を立て、小さく光を散らしながら、どこまでも続くように視界に広がっている。
相変わらずの美しい情景に心を奪われるが、ふとその湖畔の
何だろう?
良く見えないが、本能が嫌な警戒音を発して止まない。
不安はあるが、放置もできない。
近くに寄って改めてみた。
それも群なのだろう、どうも一体や二体ではなさそうだ。
大きさから見て、そこらの大型犬よりも、もっと大きな個体。
……狼?
いやしかし、それにしてもデカイ。
聞くところによると、狼は四十キロ前後の重さで、大きくても腰くらいまでの高さ、だったか?
この足跡。
知り合いが飼っていた、同程度の大型犬がドックランで刻んでいた肉球跡と比較しても、かなり大きい気がする。
良く考えてみれば、こんな生命力に満ちた森に生息しているわけだ。
立派に生育していて当たり前。
狼だろうが、大型犬だろうが、恐ろしく大きな獣がそこらを徘徊している。
そういった個体が、この足跡だけいる。
ここまで想像して、体中の血が凍り付いたような錯覚を起こす。
絶対に遭遇してはならない。
恐怖を抑え、更なる情報を求めて周囲を見渡す。
すると、比較にならない大きな足跡が、少し離れた場所見つかった。
……見覚えがある形状だ。
あれは、その昔に一度見せてもらった、熊の足跡に良く似ている。
これも特大。いや、超特大。
ここにはグリズリーでも出没するというのか!?
そしてその巨大な獣を、大型狼が群れで狩りでもいたとでもいうのか。
思わず周囲を見渡し、大型の獣がいないことを確認した。
大丈夫だ、今はいない。
そぉっと、その場を離れる。
誰が聞いているわけでもないのに、足音を忍ばせる。
そうして森の中に戻った。
冷静に考えて危険はなかったのだが、緊張で体が強張り、今はやたらと脱力感を感じる。
この森は、驚異的な恵みをもたらしてくれると共に、大きな脅威も内に育んでいるのかも知れない。
おもしろ植物を見つけてはしゃいでいる場合ではなかった。
そうして過ごし、気が付くと既に日が傾き始めていた。
日がある内に、寝床を準備しなくてはならない。
今日、森の中を見て回った範囲では、人工物、例えば道や小屋のようなものは見つけられてない。
もちろん、ビニールや空缶、何でもいいから人工的なゴミの一つも落ちていない。
つまり、結論を言うならば、残念ながら人類の
人工的構造物には期待できない、そういうことだ。
以上より、野宿が必要となる。
幸いと言おうか、ここは良質な天然の素材が、種類豊富に手に入れることができる。
ライターもあるので、当面の火の心配はいらない。
生命力が旺盛な森であるので、虫はなんとかしないとならないだろう。
以前、田舎で
さて、準備にかかろう!
***
「ふう……」
日も落ちてから時間も経ち、周囲は闇である。
生命活動の証であるざわめきは周囲に感じられるが、死ぬような思いで闇のトンネルを抜けてきた記憶も新しい由宇としては、今はそれが心地よい。
巨木が
これで少しでも、虫たちが逃げて行ってくれれば良いのだけれど。
更に、その辺で枯れ葉をかき集めて虫除けになりそうな匂いを持つ草葉と混ぜ合わせ、その上に軽く火で焙った細かい葉つき生枝を乗せる。
入り口には、穴を掘り倒木の枝を利用した簡易的な焚き火場を作る。
ここまでやって、ようやく昼に採取した食糧の残りで簡単な夕食を済ませた。
昼はその美味しさに驚いた果物類だが、度重なる精神的動揺のためか、もはや味を気にしている余裕もない。
ようやく、長かった一日を終えることができる。
そう考えると、いままで感じていなかった疲れが、どっと押し寄せるように、身体中を侵食して行く。
ひどく長い、先の見えない、意味のわからない一日だった。
疲労で鈍くなる頭を、踏ん張って動かしながら、昨晩からの出来事を思い出す。
久しぶりに痛飲して半ば
突然、得体の知れない何かに拉致されたこと。
闇のトンネルを移動し、最後に光に飛び込むあたりで意識を失ったこと。
気がつくと目の前には大きな湖と森、文明のない世界で目を覚ましたこと。
生きるために必死で分け行った森のなかでは、日本でも類を見ない食材が数多みつかる、非常識な生態系であったこと。
そして、おそらく想像もつかないほどの脅威も、この森が抱えていること。
まだ目が覚めて一日目なのだ。
自分が何に巻き込まれたのかを知る前にくたばりたくはない、と考えつつ、すぐに深い眠りに落ちていくのだった。
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