第2話 拉致のち放置

眩しい光が由宇の顔を照らし、日が昇ったことを告げる。


目を覚ました由宇は、目の前に広がる光景に思考が追い付かず、しばし呆然となる。

そして、昨晩―――かどうかは分からないが、とにかく深夜歩いていた状態から、ここにたどり着き、この木陰に移動した所までを、徐々に思い出した。


一体、自分に何が起こったのか?

当然、頭に浮かぶ疑問。


が、それについて考えるよりも先に、焼けるようにヒリつく喉の渇きが襲ってくる。


目の前の透明な水に引き寄せられるように起き上がり、駆け出しーーー駆け出そうとして、手足がうまく動かずに顔から地面に突っ込む。

まるで自分の体ではないかのように、手足が強ばり言うことを聞かない。


不細工に体を動かし、湖畔で四つん這いになり顔を湖につけ、水を飲む。


「ぶはぁっ!」


荒く息をつきながら、ようやく人心地ついたと座り込む。


そこでようやく、今の身体の状態が気になり、少し体を動かしてみる。

手足もそうだが、全体的に違和感が残る。何と言うか、動かそうと思っても、期待どおりの動きにならないのだ。

右手を上まで上げようとしても、肩くらいまでしか上がらない、と言ったような。

拘束された時間が長かったせいだろうか?


とりあえず、動かないわけでなく、四肢から指先まで、意思は通っている様子は確認できた。

麻痺などがあるわけでないので、身体を慣らして行けば、恐らく回復する、と考えることにする。


次に着衣を確認する。

あれだけ荒っぽく扱われたら、いま着ているコートなどもさぞ酷いことになっているだろう、と思った。


しかし予想に反して、状態は完璧。

破れほつれどころか、散々吐き戻した汚れすら見つからない。

いや、むしろ新品のようにさえ見える。

綺麗になっている?

どこの小人の仕業だ?


まあいい。

ひとまず自身と、その着衣については、どうやら無事であることは分かった。


一息つき、昨晩からのことに想いを馳せる。

まずは、自分の記憶があるのかを確認。


自分、時任由宇は、東京に住んでいる。独身。猫派。

今まで飼ってきた歴代の五匹の猫達は、その毛をロケットに仕舞われて、今も懐で眠っている。

独身だが、将来を共にしようと考えていた女性がいた。

同棲していたその女性は、ある日突然、彼女の妹と共に消息を絶つ。

後に遺書が見つかり、彼女の東京にある財産は彼が相続するよう指定。

以降、いくら探しても杳として行方が知れず。

現在も彼女が所有していた部屋を使っている。

そしてその女性から過去受け取ったのがこの首飾り―――と、胸の黒い石を握りしめる。


うん、大丈夫。

ひとまず、記憶はあるようだ。


同棲していた女性が失踪したのは、もう十年以上も前の話。

今さら、自分が何かに巻き込まれると言うのも、釈然としない。


それに、これまでの人生を気儘に生きてきたが、変わり者と人様から後ろ指を指されることはあれど、自分がそう特別な人間であると考えたことはない。

だから、夜道でいきなり羽交い締めにされて拉致され、大自然の中に放り出されて放置されるような理由は、彼の心にはまったく思いつかなかった。


巷で話題の異世界召喚などであれば、そもそも召喚主がいなければならないのではなかろうか。

こんな湖の畔に放置されるくらいなのだから、人為的なものではない。に違いない。


あるいは事故か?

それとも超自然による神隠し?

実は何らかの事情で死んでいて、後ろから死神が俺を捕らえて、死後の世界に連れて来られた?


一番最後のが、最も有り得るかな?

普段なら鼻で笑いそうなシチュエーションが一番しっくり来るとは。


だが、この植物が繁茂し、広大で美しい湖が目の前に広がる世界が死後の世界とは、ちょっと思えない。


では、一体、自分の身に何が?


いや、意味のないことを考えるな。

頭をひとつふると、非生産的な思考を振り払った。


これだけ訳のわからない事態になったのだから、いっそ思考停止して、目先の実際的な事だけを考えることにしよう。

そうしよう。


まずは持ち物の確認。

衣類は、コート、マフラー、シャツにスラックス。

黒を基調とした、落ち着いたデザインだが、素材にはこだわりがある。

あとは鍵と財布、煙草にターボライター、石とロケット。あとはハンカチくらいか?

スマートホンは、落としてしまったのか、見当たらない。


空を仰ぐ。

太陽が高い。もう昼ごろだろうか。


冷たい風がうなじをかすめ通りすぎて行く。

風が運ぶ、強い生命力を感じさせる緑の薫りが鼻腔に満ちる。


薫りに感覚を呼び起こされたか、急に腹が減っていることに気づいた。

どれくらい食べてないのか。


ここでこうしていても、何も話は進まないだろう。

今は余計なことを考えず、生き延びることを考えよう。


両手で挟み込むように、顔をバチン!と叩いてから、立ち上がる。


「さあ、行動開始だ!」


・・・と威勢は良いが、やることをまず決めなくては。


何と言っても最初にすべきは衣食住の確保、そして情報。

幸い、水は心配しなくても、目の前に大量にある。

まずは食い物と地形の確認に、森に入ろう。


森の中は、生命の力に満ち溢れていた。

そして植物の生態系はデタラメだった。


そもそも、晩秋の東京と、さほど変わらない空気の感触にも関わらず、葉は青々と繁り、落葉はまばらである。


葉の形は亜熱帯のそれのように幅広なものも目につく。

木々も、蔓性植物も、雑草も、苔も、皆力強く存在している。


「虫とかいたらヤだなあ・・・」


情けなくもボヤきながら、食事のネタを探しに森へ分け入っていく。


見慣れない植物で構成された広大な森。

そこに分け入っていく、小さな存在の自分。


森に取り込まれるように入って行く自分は、この何もわからない世界にまるで消化されて、同化されるのではないか?


そんな感傷に心を浸しつつ、ともかくも昼の食事にありつきに行くのだった。

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